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第十七章『本当の自分へ』

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「よっしゃ!  成功じゃあ!」


小さなオハコビ竜が、端末の上で拳を上げながら叫んだ。


スズカは衝動をおさえきれず、シートから飛ぶように立ち上がると、

まるで吸いよせられるようにハルトの胸に抱きついた。

ハルトは胸がいっぱいになって、彼女を抱きしめ返した。


『会いたかった』


「うん……ぼくも会いたかった。とっても、とっても――」


二人はお互いの顔をしっかりと見た。

なんだか、もう何日もお互いの顔を見ずにいたような気がする。

スズカは最後に会った時よりも、顔色がよくなったのではないだろうか。

瞳が活き活きとしていて、顔の肌が陽の光のようにきれいに見える。

エッグポッドの副作用なのか。

それとも、白いワンピースに着せ替えられているせいだろうか?
「そのワンピース……似合ってるね」


『あ、ありがと……ねえ、助けに来てくれたの?』


「ひとりでってわけじゃ、ないけどね」


ハルトは、目尻にたまった涙のかけらを指でぬぐった。


「ツアーメンバーみんなで、会いに来たんだよ」


『えっ、みんなで?』


スズカはようやく、この部屋で何が起きているのかを把握した。

あの東京四人組が、鉄扉をおさえて扉のむこうのだれかと格闘している。


「悪ィー、ハルトー!」

「もうムリですぅー!」


バアンッ!  鉄扉が開け放たれ、ケントたちが吹っ飛んだ。


中に入ってきたのは、執事の黒トカゲだった。

出目金のように飛び出た黄色いテニスボールみたいな目に、

ハルトはエントランスで見た時よりもぞっとした。

でも、背丈が自分よりもわずかに低いくらいだと分かると、

それほど恐ろしくはなかった。

そういえばこんなやつもいたな、というぐらいの反応だった。


「ゼェ、ゼェ……やっと観念しましたか」


彼は息せき切っていて、

黄色い大きな目でケントたちの姿をなめ回すようににらみつけた。


「まったく、人間の子どもというのはろくでもないですな。

ガオル様にお仕えするこのギュボンを、ここまで手こずらせるとは。

さて、皆さま大人しく――って、おおぉお!?」


ギュボンは、解放されたポッドの前でハルトとよりそうスズカを見たとたん、

目をパチクリさせて飛び上がった。


「な~んじゃ、たった一匹のトカゲであったか。残念ながら、わしらの勝ちじゃ」


小さなオハコビ竜が、悠然とギュボンの前に進み出た。


「あああぁあ!  あなたはー!」


ギュボンはさらに大声を立てて、宙に浮かぶ小さなオハコビ竜を指さした。


「ふふん。おぬしは知っておるようじゃなあ。わしが何者であるか――」


「ももも、もちろんですとも!  言ってしまえば、わ、わたくし――

ガオル様よりも尊敬に値する方であると……」


先ほどまでの威勢はどこへ行ったのか、

ギュボンは小さなオハコビ竜の前ですっかり委縮した様子だった。


「それは嬉しいかぎりじゃ。して、おぬしは何者じゃ?」


「わたくしは、その、ガオルの執事でございます。

ここにいる人間の子たちを安全に保管するカートを、

取り扱っていたのでございますが、ちょっと不覚を取りまして……

このように子どもたちが解放されてしまったのでございます――」


「ふむふむ、それで?」


「それで、ガオル様とフラップめの一騎打ちがはじまったとたん、

わたくし――こ、怖くなりまして、エントランス隣の通路に引き返しました。

子どもたちの世話役を仰せつかったというのに、ああ、なんと不甲斐ない。

しばらくして、扉の間からのぞきますと……

エントランスにいた子どもたちの姿がどこにもなく――

わ、わたくし、気が気ではなくなりました。それで、

この子たちの行き先がこの部屋であると、当たりをつけたわけで――」


「じゃが、わしが飛び入り参加した時点で、おぬしに勝ち目はなかったようじゃな~」


小さなオハコビ竜は、どことなくいたずらっ子な調子になっていた。


「では、黒トカゲの執事よ!

この右手の指一本で、おぬしに素晴らしい秘術をかけてやろうぞ。

今から五分間、城じゅうの廊下をノンストップで飛び回るのじゃ。

どういう意味か、お分かりかの?」


「わ、わたくしのような羽も持たぬただのトカゲが、

宙を飛べるのでございますか!?」


「さよう。途中、ヒトや物にぶつかることもあるかもしれんが、

頑丈な肉体を持つおぬしなら問題あるまい?」


小さなオハコビ竜は、右手の指を銃の形にしてむけた。

指の先から黄色い閃光が飛びだし、ギュボンの胸に命中した。

すると、ギュボンの足がすうっと床を離れた。


「おお、なんという……」


ギュボンは恍惚状態で瞳を閉じた。


「ガオル様は叶えてくださらなかった……なんたる幸イイイイィィイイ~~!?」


まるで黒い稲妻が飛び去るようだった。

ギュボンの姿はもうそこになく、

部屋の外の廊下を右にむかって超高速でぶっ飛んでいった。


さて、この茶番劇をどう受け止めればよいのだろう?

ハルトたちは全員、開いた口がふさがらなかった。


「これでもう、邪魔者はいなくなったぞ」


小さなオハコビ竜は、平然と両手を広げながらそう言った。


「スズカよ、大丈夫か?  どこもおかしなところはないか?」


『わあ、ちっちゃい……あなたはだあれ?』


スズカは、そばによってきた小さなオハコビ竜に手をのばし、

その頭を指先で軽くなでた。


「わしか?  むふふ、わしのことなど気にするな」


小さなオハコビ竜は、スズカに触られたのが嬉しいのか、

細いしっぽを犬みたいに横にふっていた。


「それより、頭は痛まないか?  どこも大事ないか?

お前さんの精神と記憶を元に戻すのに、

秘術をちと強めに運用したものじゃから、わしは心配で、心配でのう……」


『うん、なんだかよく知らないけど、大丈夫みたい。

ハルトくんたら、かわいいお友達を作ってたんだね』


「いやあー、スズカちゃん、そいつはハルトの友達っつーか……」


「ぼくたちみんな、出会ったばかりでさ……」


「正体不明なんだよねえ……」


東京四人組が微妙な表情を浮かべながら、ハルトたちのそばによってきた。

スズカは少しだけ体がこわばったものの、

今はハルトの裏に隠れるような真似はしなかった。


「それはそうと、スズカさん。元気そうで何よりです。

ぼくたちも、とっても心配してましたから」

と、トキオが朗らかな声で言った。


『えっ、本当に?』


「でなかったら俺ら、こんなとこまで来ないって。

大変だったんだぜー、ツアーは中止になりかけるわ、

ここに来るまでポッドごとめちゃくちゃに振り回されるわ……」

と、ケントが疲れきったような口調で言った。


「スズカちゃん。散々な目にあったね。

でも、ぼくたちが守ってあげるから、もう大丈夫」


そう言ったのは、タスクだった。


「ケントちゃんにタスクくんもついてるんだから、ホント安心だよね~。

おチビなトキオちゃんは別としてさ」

と、アカネが悠々と言った。


「あっ、ぼくもそれなりにがんばりますって~!」

トキオがむくれた。


「スズカちゃん。みんなキミの味方だよ」


ハルトの嘘いつわりのない言葉に、スズカの目から熱い涙があふれ出した。

満ちていく喜びが、ケントたちにたいして抱いていた暗く冷たい思いを、

胸の中から追い出していくようだった。


「さあさ!  こんなところに留まっていても仕方あるまい」


小さなオハコビ竜が、みんなの頭上をぐるぐる回りながら言った。


「早いところ外へ出るぞ。フラップにスズカの顔を見せてやらねば!

そうすればガオルも観念するじゃろ。それ今一度、駆け足!」


小さなオハコビ竜が部屋を飛び出していった。


「スズカちゃん、走れる?」


『大丈夫……走れるよ』


スズカは涙をぬぐいながら答えた。


ハルトたちは、東京四人組に続いて部屋を出ようとした。

その時、何かがスズカの後ろからついてくる気配を感じて、

ハルトはバッとふり返った――

スズカのすぐ後ろに、青い雫型の装置が浮かんでいた。

空と海が溶けあったような色の機械は、まるで宝石みたいに美しい。


「これは何?」

ハルトはスズカに聞いた。


『あっ、これ……ガオルが言ってたんだけど――なんとかゾーン発生器で、

わたしが酸欠とか凍傷とかにならないようにしてくれるって。

ずっとそばにいてくれたんだ』


エッグポッドの裏にでも隠れていたのかな……スズカはそう思った。


「おみやげにしちゃえば?  きれいだし」

と、ハルトはニヤッとしながら言った。


『あ、ガアナのレプリカ……』


スズカは今頃になって、エッグポッドの隣にいたガアナのレプリカを再び見た。

真紅のたてがみを生やした、黒い影の色をまとった竜。

自分の意識は、あのメスの竜の器に取りこまれようとしていた。

しかも、記憶をなくした状態で――。


「もう行こう。スズカちゃんはスズカちゃんだよ」


ハルトのその一言がなければ、

スズカはあと何分もそこに棒立ちでいたに違いない。

悲しい顛末をたどった、もう一人の自分とも言える黒い竜に、

最後の言葉をかけるために……。


無数の管につながれたガアナのレプリカは、

静かに瞳を閉じたまま、ハルトたちの背中を見送っていた。
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