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モテない女は、具体的な理由があるものだ

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「ただいまー」


その日ミシェルが、家に帰ったのはとっぷり、夜も更けてからだ。
ミシェルは、さんざビュリダンの買い物につきあってやったのだ。
買い物はとっても楽しかった。

ビュリダンさんは、まだ魂とも、スピリットとも呼ばれる大切な存在をどこかに、手放してしまったゾンビ状態だ。
彼女にはまだ、魂が体にもどってくるまで、指針が必要だ。

だが、ビュリダンさんは頭のいい娘だ。
ビュリダンさんの生きる指針である、「いい子はどう考え、行動するか」を、若い乙女が「週末にイケメンとデートが待っているなら、どう考え、行動するか」という指針にすりかえてやると、話は非常に早かった。


ビュリダンは、本当は本当に、早く魂を取り戻したかったのだろう。
砂漠に水が吸い込まれるように、ビュリダンは、乙女の部分の魂を、次から次に、とりもどしていくビュリダンとの会話は実に楽しかった。

やはりリハビリには、人間の欲を刺激するのが一番だ。

イケメンとデートに行くときに、この靴はないですよね!とわらって履いていたベージュの靴を、きれいな踊りたくなるような空色の靴に買い替えた時には、ミシェルの方がびっくりした。
良い靴は、いいところに連れて行ってくれるというが、あの靴を履いたら絶対にいい所にいきたくなるだろう。

他にも、イケメンが夢にでてきそうな、美しい枕カバーや、恋文書くならこのペンがいいですよね、と乳白色に、美しいマーブルのピンクの塗料が流し込まれたペンを買ってみたり、ミシェルの期待以上になかなかの優秀な生徒だったのだ。

そのうち、指針がなくても、「私」がだれだったか、ビュリダンは思い出すだろう。
それまでは、リハビリとして、「いい子」以外にも、自分は花咲く乙女であった事を思い出してもらって、楽しんでもらおう。乙女の魂が返ってきたら、ゆっくり、本来の自分の他の魂の部分を、迎えていけばよい。

きっと家族がびっくりします。
そうはにかんで笑うビュリダンに、ミシェルは一つのアクセサリーを、プレゼントした。

「よくがんばったわ。これは私からの、応援の贈り物よ」

ビュリダンが包みを開けると、入っていたのは、ピンクの小さなビーズの粒が先につけられた、揺れるイヤリング。
別に高いものではない。一緒に色々選んでた時に目に入った品だ。

「とってもかわいい・・ありがとうミシェルさん」

ビュリダンは、とても喜んでくれていた。

「デートの時につけなさい。男っていう生き物は、バカだから、顔の近くで揺れているものがあると、目が離せなくなるんですって。しかもピンク色なんて色を目でずっと追っていたら、自分が恋してるのか、ちょっと勘違いしてくれるそうよ」

ミシェルはぺろっと舌をだして、そう応援した。

これは、恋愛上級者の先輩からの、秘伝の術だ。
黒い下着の女はモテない、という都市伝説と一緒に伝わる、初めてのデートにはピンクの揺れるイヤリング。
お人よしのミシェルは、ビュリダンに、いい人に出会ってもらって、幸せになって欲しいのだ。

涙を潤ませていたビュリダンの後ろの光のさざめきが、ゆっくりと揺れを取り戻して、そして、ゆっくりと、ピンク色に変化していくのが見えた。

もう少し時間がかかるかもしれないが、きっと素敵な出会いが、これから待っているだろう。
そして、ゆっくりと、自分をもう一度、一度手放した、自分の魂の全てを取り戻すだろう。

ビュリダンの美肌を横目でうらやましく眺めながら、ミシェルはビュリダンのこれからの幸せを、願った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「カロン、遅くなるから寝ててよかったのに」

遅くなるかもしれないから、ご飯は用意しなくてもいい、先に寝ていてと言ったのに、カロンはずっと、ミシェルの帰宅をまっていてくれたらしい。まだ夜も入口だが、早寝のカロンにとっては夜更かしになる時間だ。

尚、ダンテは、先に研究室に戻ったとの事。
喧嘩した後で、まだちょっと気まずかったので、正直ほっとした。

「ミシェルは、いつでも人の幸せを願っているんだね」

ニコニコと、美味しいお茶をいれて、カロンは今日の話を聞いてくれた。
もう夜だから、と安眠用のハーブティーを入れてくれるカロンは、本当に癒しだ。

カロンのお茶にほっこりとしながら、ミシェルは言った。

「うーん、そういう事でもないんだよね。もちろんみんなが幸せになったらいいと思うけど、どちらかというと、世の理不尽さに怒ってるの。幸せになりたい子が、少しのボタンの掛け違いで、幸せになれない理不尽にね」

みんな幸せになりたい。みんな、素敵な人と幸せな人生を送りたい。
なぜ、どこかで間違えるのだろう。
ビュリダンの家族だって、いい家族だ。
だが、ビュリダンは、結果として、人間として一番大事な、人間の魂である、スピリットを手放してしまった。

(人生にマニュアルがあればいいのに)

ふ、とそんな事をぼんやり思う。

ニコニコと、ずっと話を聞いていてくれたカロンは、

「ねえ、ミシェル。そんな優しい君に、ご褒美があるよ」

「え、ご褒美??」

意外なカロンの言葉に、結構本気でおどろいてしまった。

「うん。ちょっとまってて」

カロンは嬉しそうに台所に急ぐと、なにかの重そうな容器を、よっこらしょ、と持ってきて、ミシェルに手渡す。
急いでミシェルが容器のふたを開けると、

「え!これってあの」

ミシェルは、言葉が続かないほど、本当におどろいてしまった。カロンはニコニコして、

「そうだよ、ミシェルが最後の一口を食べ損ねた、「未亡人の秘密」っていうんだっけ?名前の意味はよくわからないけど、とてもおいしいね」

広場でダンテを見かけたのも、その広場の奥にある、あの流行りのレストランに行くためだったのか。

ミシェルは、なんだか泣きたいような、嬉しいような、ほっこりしたような、よく名前のつけられない感情で、胸がいっぱいになってしまった。

容器には、冷蔵の魔法が施されている、かなり重いものだ。
こんな重い容器をもって、あの偉そうな、面倒な、そして、この世の誰よりも美しい人が、ミシェルの食べ損ねたおやつを、並んで買いに行ってくれていたのか。

「君はいつも人の事ばかりだ。それはダンテ様も気になさっていたよ」

少し眉をひそませて、カロンは、真剣にミシェルを見据えた。

「ダンテが?」

今朝くだらない喧嘩をしたばかりで、まだ気まずいというのに、ダンテは、そんな事を考えておいてくれていたのか。

「そうだよ。ミシェル。君はまるで、君を愛していないみたいだ。だからダンテ様に、こんな異世界ににつれてこられても、淡々と人の心配ばかり、している」

カロンは真っすぐに、ミシェルの目をみていた。
可愛い子供だとばかり思っていたカロンも、この国の次世代の大神官の地位が約束されている、聖職者の卵だ。
その魂は、まだ子供とはいえ、明らかに高い格と、そして力を持つものなのだろう。
・・ミシェルの魂に巣食う病気が、見て取れるほどに。

ミシェルは、カロンに、大きな秘密を見破られてしまい、降参だ。

(あーあ、ばれちゃったか)

ミシェルはちょっとため息をついて、苦笑いした。

「カロン、人にはね、自分を愛せないタイプの人間も、いるのよ」

心配そうにこちらを眺めるカロンの前で、ミシェルは、もうこの件はおしまい、とばかりに、「未亡人の秘密」に舌鼓をうってみせた。濃厚な卵黄とはちみつと、アイスクリームがミシェルの舌を転がる。

なんの味も、しなかった。

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