SANCTUARY ~誘拐された妹の子供を探している俺は恋する天才火山学者と推理する~

黒木篤人

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前編

第二話 目覚め

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黒井伊月くろいいつきは、悪夢から目を覚ました。

 室内は、冬の冷気が満ちているにも関わらず、寝間着は大量の汗でぐしょぬれだった。とても嫌な夢。しかしながら、肝心の内容をぼんやりとしか覚えていない。人が死ぬ夢だった気がする。ただ一つ、踏切の警告音だけは、金属質の痛みを余韻として鼓膜へと残していた。

 机上にあるパソコンの電源は落ちている。つまり、一時間以上は寝ていた計算。目覚まし時計を引き寄せると、午前二時、草木も眠る丑三つ時。二時間しか寝ていない。それなのに、眠気はすっきりと晴れている。最近ある寝起きの疲労感はむしろ寝すぎから来る不調だったのだろうか。
 さて、そんな風に不可解に思う彼がいる部屋は常夜灯のみでほの暗い。パソコンの黒い画面には、彼のシルエットが亡霊のように浮かんでいる。少し背が高い細身の男、やや撫で肩。

 電源ボタンを押すと、画面の光で部屋がぱっと明るく照らし出され、彼の部屋の異様な様相が明らかになった。

 まず、白くでこぼこした右手の壁に、おびただしく張り付けられた子供の写真。彼らは大阪府内で行方不明になった子供達。写真の傍に、彼らが失踪した場所や時間、名前などが付箋されている。そして、女性の写真、男のモンタージュが、その子供たちに囲まれるようにして目線の高さに貼り付けられている。前者は公園で撮られたもので、女は眩しそうに目を細めて笑っている。後者だが、ある男のモンタージュで不愛想な表情を浮かべている。三十代後半といった顔立ちで、少し黒井ににている骨がちな頬だが、彼はもっと若い。
 右手の壁がそんなありさまだとすると、正面には大阪の地図がでかでかとある。地図には丸い印があり、それは最後に子供たちが目撃された場所だ。赤点は無秩序に散在しているようでいて、川沿いに集中している箇所も見受けられる。

 *

 ニュートンの揺り籠のようにぐるぐるしていたパソコンが、ようやく立ち上がる。パスワードを入力する。それは四桁の数字だった。
 前半が十二を、後半が三十一を超えないことから、おそらく誰かの誕生日だと推測できる。ロック画面が上部へ退散して、ホーム画面に移ると、主題は例の女性だった。パスコードはまさにこの女性の誕生日だった。
 画面の彼女は、公園を背にして微笑みかけているが、壁の写真と違うのは、右隣に黒井が寄り添っていることである。服装からして、あの写真の直前か直後に撮影されたものだろう。
 この写真にも、あの写真と同様に、淡い空気感がある。日当たりの良い窓辺に置いた折り鶴も、このような切なさか。卒業式の後、教室の黒板も、こんな眩しさである。と彼女の悲しい運命を知っている彼はそう思うのだった。
 その女、黒井伊月の妹、黒井舞咲まえさきは、一年前の明日、電車に飛び込んで死んだ。花のように、バラバラになってしまった。享年二十二歳、結婚して子供が出来た矢先だった。
 居合わせた男によると、電車に飛び込む前、謎の中年男が彼女の子供を誘拐している。黒井は、この一年間、仕事を辞めてまで、その男、つまりモンタージュの男を追っていた。妹の子供を、取り戻さねばならない。

 これまでの活動で判明したのは、この事件が大規模な誘拐事件であるということだった。

 なぜなら、妹は生前、産後鬱セミナーに参加している。どうも、そのセミナーが怪しい。子供の情報を収集するならば都合がよい。会の名前は、『自宅でもできる料理講座』と偽装されている。しかし彼の調査もむなしく、主催者の行方を突き止めることは出来なかった。パンフレットの電話番号や住所は、やはり偽りだったのである。
 一人だけ、セミナーで妹と知り合いになった女性がいる。三人で食事に行ったこともあるので、彼女の電話番号を彼は知っていた。電話がつながると父親がでる。彼は悲しい声で「娘は自殺しました」と伝えた。
 妹が電車から轢死した三か月後、彼女は首吊り自殺をしていた。奇妙なことに、両親は彼女の子供の存在を知らないという。娘は身ごもってなどいませんでした。しかし黒井は見たのである。母親に似たほっぺたの、右手が不自由な、今年一歳になる男児の姿を。
 黒井は、大いに混乱した。母親が死に、その子供がどこかへ連れ去られてしまう。そして、犯人は何らかの方法を使って、周囲から子供の記憶を消したのだ! そんなことが本当に可能なのだろうか。

 調査が大きく進展したのはつい昨日のことだ。彼は昨日、SMSで知り合った別の参加者に接触している。そして、主催者の出身を突き止めることに成功した。

「奈良の片田村の出身といってました。私、京都で歴史すきやから、盛り上がりましてん」

 と京都訛りの彼女は伝える。ひんやりとした玄関、風車が傘立てに刺さっている。

「それ以上はわかりません。とくに目立った訛りもない方でしたし。あそこ、奈良の方は訛りが少ないんです」

 そして今、眠れない黒井はパソコンを立ち上げ、明日の予定を繰り上げて、昨日得た片田村という単語について詳しく調べることにしたというわけだ。
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