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後編
第三十六話 再突入
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片田学校の駐車場は、普段、人が訪れない場所の空気が漂っている。遊園地の通用門とか、そういう類の無味無臭。この学校のどこかに衛星電話がある。
「カギは開いてるのだろうか」
と清家は入口の扉に手をかけた。扉のガラスには、飛散を防ぐため、鉄のワイヤーが格子状に入っている。そんなドアは奥へ展開した。西田の防犯の甘さか、田舎だから事件もないのか、ここは施錠されていない。
「ごめんください」
黒井は、はっきりした声で呼びかける。しかし、廊下は沈黙を貫いている。廊下の蛍光灯は消灯して、一列に並んでいる。懐中電灯でリノリウムがてらてらと反射を見せる。床の表面にある波うちのてっぺんが明かるく光り、洞窟の水面の趣である。
「いつか、夜の学校を探検してみたかったのだ。しかも、ここは廃校で、うってつけじゃないか」
「夜の学校か」
黒井はため息をつく。いつか、妹と夜の学校に侵入したことがあった。あの骨折から一年後、夏休みの夜のことである。暗く広井箱のなかで、昼間では出来ないような様々な試みをした。教卓の上に立ったり、机で仮眠をとり、側転をした。それだけではない、
「おい、ここの階段を上るんだ」
清家は、ふらふらと直進しようとする彼の腕を持って誘導する。淡々とした冷たい足音が、冷えた階段にこだまするのが、なんだか過去の思い出に似ていた。
彼の腕をとる学者は、踊り場、向いの階段から二組の男女が現れ肝をつぶす。しかも、女はハンマーを持っているではないか。向かいの女は驚いたのか男の腕に抱きつく、というところで清家はため息をついた。
「なんだ、鏡か」
懐中電灯の反射ですぐに分かる。
「七不思議のありそうだ。丑三つ時に鏡の前に立つと鏡がガラスになっている。割ると向こうの世界に行けるんだよ」
「仮に、それが事実だとしても区別はつかないだろう。まさか、確認のために鏡を割る人間はいぬまい。それがうまいな」
清家から好評である。ここは廃校しているので、流行りようがないが。
「そうだな。私も一つ。鏡の前で食べ物をかざすと、いつのまにか、それが鏡像体となっている」
「それになんの意味があるんだ」
「意味なんてない」
*
そんな階段は終わり、二階を歩く。しんとした廊下は、やはりまっすぐに伸びている。ここは教室棟なので窓が多い。道のわきには、今の今まで存在を忘れていた、流し場や雑巾がけある。試しにロッカーを開くと、ホウキとチリトリ、バケツがあった。この施設は、掃除道具を流用しているのだろう。
目的地の資料室は、二階の中央にあり、その一つ隣が、事務所らしいことは、実は昼間に確認済みだ。外から見ると、その二つにはカーテンがひかれている。
「ごめんください」
黒井は叫んだ。
「ごめんください!」
緊急なので、彼はガラスをノックして騒音を出す。シンバルのような騒がしさだ。
「うげっ。なんだなんだ」
廊下側の窓ががらっとあいて西田が登場した。受付みたいである。
「おっ、昼間のお二人ですかい。げほげほ。あの時は、迷惑おかけしました。改めてお詫びいたします。しかしながら、私は」
「昼間のことはどうだっていい。緊急なんだ」
黒井は、真剣な口調だった。
「緊急と言われましても、小生がお役に立てることなど。ひっ、ひっ」
「衛星電話を借りたい。ここは避難所として指定もされてるだろ。一つくらいはあるはずだ」
「しかし、衛星電話は、緊急時でなければ使えない規則となっとりまして」
「今が、その緊急時だ」
黒井は怒鳴りそうな気持を抑え、最もてきめんそうな言葉を言い放つ。
「殺人があった」
「げっ。さ、殺人」
「森で少女二人のバラバラ死体が発見されたんだ。山中の丸い遺跡、知ってるか」
西田は、放心した様子だ。山の中、丸い遺跡、とはあれほど立ち入るなと念を押した、聖域の話である。彼は殺人の二文字を聞いたことよりももっと、聖域へ進入したことに衝撃を受けているようであった。
「あれぇ。そ、そうでっか。つまり、『聖域』に入ったんですな。ひひっ。そ、そんな、あれだけくぎを刺したのに ………………」
「人命救助のため、やむをえなかった。少女が村まで降りてきて、俺たちに助けを求めたんだ。それとも、その禁忌とやらは人の命よりも大切か」
館長のどんぐり目玉が、ぎょっと見開かれた。
「とんでもない、まったくもってそのとおりです。しかしながらそうですか、あすこに入ってあれを見たなら仕方がありませんな。さて、へっ、衛星電話の場所に案内しましょうかね」
彼は、そう宣言して、窓からほいっと廊下に出た。着地で崩れ落ちそうになる。静かな廊下を小太りの男は、びっこを引きながら先導を始めた。彼によると、運動場の外倉庫のいずれかに、衛星電話があるという。
「通信は、この雪でも使えるのか」
彼女は訊いた。
「ええ、使えますよ。へへ。去年、試したことがありまして。去年はあんなに暖かかったのに、急に雪が降りましたねえ。異常気象でしょうか。げふっ、失礼。こんな世の中に、世界が終わりたがっているんですかねえ」
異常気象のためか、カメムシなどが大発生したりもした。思えば資料館の幼虫は、希少な生き物で、様々な影響により、大増殖したのかもしれない。
二階から一階への階段。黒井は、足が悪い西田が階段を降りるとき、肩を貸してやる。死人が、これ以上増えるのは憂鬱だ。
「ありがとうございます。けけっ。あなたはいい人だ。きっと、世界が変わっても無事に生きていけるでしょう。救世観音のご加護があらんことを」
と、西田は階段の終わりで、妙な礼を言った。
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