神さまを辞める子

八億児

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神さまを辞める子

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 有名な話ではあるが、この地域の人々はその目で神を見ることが出来る。何も胡乱な話ではない。ここでは生きた神さまが七年半ごとに任期を務めるのだ。
「ここを出たら食べてみたいものを、リストにしてるんです」
 文机で手帳に何か書き込んでいた神さまが、斜め後ろに控えている私に嬉しそうに言った。もうすぐ十五歳になる神さまは、あと半年ほどで神ではなく人になる。
 そういうつもりで見れば、窓から射す光に照らされた幼い横顔に幾ばくか清浄なものも感じる気がする。だが七歳から七年半も、宮から出られず口にするものにも制限のある生活はさぞ窮屈だろう。
 そう思っていた私は以前、不躾ではあるが本人に尋ねてみたことがあった。だが神さまはその時、この生活もそれほど不自由なものではない、昔は外の世界を知るのも大変だったと思うが今では電話やラジオというものもある、それよりも自分がここにいて役に立つことを光栄に思う、という意味のことを述べた。
 今の神さまの数学の教師としてやって来たばかりの頃の私は、幼いのに大したものだと大層感心したのだが、そこはそれ、実際に無事に任期を終えるというのはなかなかにめでたいことのようだ。
「やはり、外の世界は楽しみなものですか」
「はい。ここで不自由を感じなかったのも本当ですけど、外の世界が楽しみなのも本当です。神として秘密を守ったことはあっても、嘘をついたことはありませんから」
 神さまは手帳のページをめくった。次のページの上部には《行きたい場所リスト》と書かれているのが見える。すでに何行かに渡り候補が記載されているようだ。
「先代が、こうしたリストを作るのも楽しいものだと仰っていました。彼はもっと何年もかけて気合いの入ったリストを完成させたみたいなので、あれには及びませんけど」
 神は男でもあり女でもあるということで、七歳の男女から選ばれる決まりがある。先代の神は男性だった。彼はここを出てから異国の大学へ進学している。食べたかったものをたくさん食べて、随分大きくなったようだと聞いた。

 ──その昔。昔話で語られているのと同じ時代。この地域で争いが絶えなかった頃、力のある六つの氏族が一人の子どもを生き神として選ぶことを決めた。子どもは各氏族から七年半ごとに持ち回りで選出され、同じ神を奉る共同体となった。そしてこの持ち回りの生きた神の仕組みは、争いを減らすことに大いに機能したという。

 だがそれも昔の話で、今ではその氏族も形骸化された四つだけをかろうじて残している。共同体は近代国家へと変化し、氏族間の争いを防ぐ機能も不要のものとなった。生き神さまは神事に携わるほかに、言語も化学も学びラジオも聴く。こうしていずれこの古い仕組みは、次第に終焉へと向かっていくのだろう。
「行きたいところのリスト作りが案外と難しいんです。近い場所へはどうせなら一度に行ってしまいたいし、そうなると優先順位がなかなか決められなくて」
 次の神さま候補者はもう決まっていて、内々に顔を会わせたのだと聞いた。こうして私の前で『ここを出たその先』の話をするようになったのは、そのすぐ後からだ。
「行きたいところへは、何度行ってもいいんじゃないですか。この先の人生は、ここにいた時間よりずっと長いですよ」
 これまで生きてきた半分以上の年月を神さまとして過ごしていたとしても、人に戻れば時間はあっという間にその期間を追い越すだろう。私という他人が関わることはもうできなくなるが、せめてその先の人の時間が幸いをもたらすものであって欲しい。
「そうですね……。本当に、どこに行ってもいいんですね」
 神さまは、ほぅ……と深く息をついて、私を見上げた。
「先生には、どこか好きな場所はありますか」
「私のですか」
「ええ。行ってみたいところでも良いし、お休みの日にいつも行くような所でも構いません」
 そう言われても急には思いつかない。休みの日によく行くのは街の古書店だが、好きな場所と言うよりは掘り出し物目当てだ。
「故郷の……実家から見える丘は好きな場所ですね。子どもの頃は、丘に登って自分の住んでいる家や村を見下ろすのが好きでした」
 考えているうちに、自分でも忘れていたようなことが口をついた。神さまが以前、自分の故郷の村に戻るのが楽しみだと言っていたのを思い出したからかも知れない。
「先生の故郷というのは西の方でしたよね。確か、有名な大きな川のある──」
 神さまは私の故郷の地名を述べた。
「そうです。そこの中心から少し離れた村です」
 神さまの周囲に仕える者は数多いのに、よくぞ私の出身地まで覚えているものだとつくづく感心する。
「その丘には何があるんですか」
「特に何もないですよ。村のほかの場所より、ちょっと地面が隆起しているくらいで」
 私の言葉に、神さまがふふふと笑った。
「先生が面白いことを言うので、大きな土まんじゅうのようなものを想像してしまいました」
「ああ、妙なことを言ってすみません。ちゃんと草も木も生えている丘で、頂上には白い花が咲く木がありましたよ。そういえば途中に犬を三匹飼っているお爺さんの家があって、そこの犬ともよく遊びました。最近はあまり帰っていないので、もう随分変わってしまっているかも知れませんけど」
 犬にもお爺さんにも長らく会っていないが、まだあの家にいるのだろうか。頂上の木も、今でも白い花を付けているのだろうか。
「でもこれじゃ、行きたいところの参考にはなりませんよね」
「いいえ、とても参考になりました」
 そう言って、神さまは手帳に何事かを書き込んだ。
「おかげで、一度故郷の村に帰った後に、その次に行きたい場所が決まりました」
「それがどこか、お伺いしても?」
「あなたの故郷です」
「なんで!?」
 あまりに驚いたので言葉遣いが崩れてしまった。
「……失礼しました。私にとっては懐かしい場所ですが、本当に何もないところですよ」
「いけませんか? これまでの経験でよく知る場所というのは、故郷の村と、この宮くらいです。だから先生のお話を聞いて、知っている人の暮らしていた場所というものを見てみたくなりました」
「それは光栄ですが、本当に、本当に普通の村なんですよ!」
「普通の、大事に思われている場所に行ってみたいんです。自分が生まれた村も普通の村だと思っていますけど、とても大事な場所です」
 そう言われてしまうと、私に神さまを止められる言葉はない。もうすぐ神さまはここを出て、《普通の世界》の《普通の人》に戻るのだ。その《普通》を大切に感じるのだとしたら、私はその気持ちを尊重したいと思った。
「……あの、故郷の丘の木のことなんですが」
 私は少し悩んでから、神さまに声をかけた。
「はい」
「春は花が綺麗ですが、夏になると酸っぱい実を付けるので、どちらかの時期がおすすめです」
「それはどちらも捨てがたいですね」
「お爺さんの家の犬は知らない人を見ると吠えますが、私がいれば大丈夫だと思います」
「犬も好きなので、とても楽しみです」
 神さまはそう言って微笑んだ。清浄に思えたその顔は、たとえこの先に神でなくなっていても、私の故郷の丘の上でもそう感じられる気がした。
 来年の春か夏の頃、故郷に連れて帰った生徒の顔を見たら、私の家族はきっとひどく驚くことだろう。
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