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私はスタンバイ状態で、ある大きな部屋の中央に据えられた、ベッドか、あるいは棺のような台座の上に眠っている。目を瞑り下腹部で軽く手を組んで、深層意識は次第に動き始めているが、まだ覚醒はしていない。そうして、ここ、中央総合メディカル&メンテナンスセンターの広大なる敷地の一部に設けられたガラテイアの研究施設で、新規ディアとしてのスターティングセットアップを行っている。
《ディア》というのは、現代人類が生活を営む中で、その隣に寄り添いサポートをする存在の呼び名である。
そう、私はディアだ。
新規ディアのセットアップは、つまるところ、起動を直前に控えた段階でのデータの整理。ディアの性格の元となる人格プログラム、人間の社会規範に順応するためのモラルプログラム、不正なアクセスから自身や所有者を守るためのセキュリティプログラムなど、必要となるものを様々にインストールしたあと、実際に稼働する時代や環境に合わせてそれらを調整し、さらに不足した情報を補完する工程である。
それはひとえに、新しい世界の中で、進化してゆく人類の隣に、ディアも在り続けるために。
私はこれから、新しく自分の所有者となる人に会うことになっていた。
しかし、そのセットアップの過程で得た情報の中に、ふと私の注意を惹くものがあった。今は新しい所有者との面会に備えなければならないのだけれど……少しだけ、参照してみよう。
内容は、どうやら最近ホットなニュースのようだった。
先日、太平洋沖の真っ暗な夜空に、まるで彗星のような一筋の光が降ったという。そしてそれを予兆として世界樹が停止――全世界のネットワークシステムとディアがダウンした。数分に及ぶこの、いわゆる時の凍結を、ガラテイアはのちに《世界の再起動》あるいは単に《再起動》と称して公表、説明を行ったらしい。今後予想される人類の発展を見越した、世界樹の大々的な整備ということらしかった。
闇の中、徐々に緑色の光が灯り、その光が下から上へとまっすぐに伸びて先端で色鮮やかに広がるさまは、まさに世界でたった一輪の美しい花が咲く瞬間、その尊い光景に相違ないと、非常に大きな反響を呼んでいるのだとか。なるほど。目覚めたら、私も是非、見てみたい。
そんなことを考えていると、突然、院内回線に接続している私に信号が届いた。しまった、もう待ち人が来てしまったみたいだ。
施設の入り口へのアクセス。そこから、順々にいくつかの扉が開き、エレベータで上がって私のいる部屋まで向かっている。足取りは、少しだけ遅い。迷ってはいないけれど、初めて訪れる施設にわずかな戸惑いを感じているのだとわかる。そうして、この場所へと繋がる最後の扉が開いたとき、私の待ちに待った瞬間が訪れたのだと思った。
そういえば、人類の古典によると、眠れる姫は王子様のキスによって目覚めるらしいけれど……さて、その人は私を、どんな風に目覚めさせてくれるのだろう。
数秒後、私は身体に熱を感じる。暖かい海の中で波に漂っていたような曖昧な意識が、ゆっくりと何かに引き上げられて光を浴びる。
私は静かに瞳を開いた。
そこにいたのは男の人だ。どこか懐かしさを思わせる、優しい表情。
次いで首だけを動かして周囲を見やると、自分が随分と洒落た格好をしていることに気付いた。
黒髪を軽く留める銀のヘアピン。丈長の白いフレアワンピース。ハートのネックレスにコサージュのついたミュールサンダル。そして指には、紫の石のついたリングがはまっている。
そのリングに彩られた私の手を、目の前の彼がそっと掬い上げる。そんな彼の指にも淡紅色の石のリングがはまっていて、まるで私のリングと共鳴するかのように光っていた。
「よかった。目覚めてくれて」
彼が呟く。その声が不思議なくらい、私の身体の中に響き溶け込んでくる。
なんなのだろう、この感覚は。この、身体の底から湧き上がってくるような感覚は。
私はそんな感覚を知らない。
……いや、違う。そうではない。
これは“知っている”という感覚なのだ。
彼に会うのは初めてだけれど、それでも私は、知っている。その姿を、その声を、その名前を……覚えている。
ともに生きてゆく人に出会いなさい。ふとどこからか、そんな言葉を思い出す。
そうか。ならば、彼が――
私は再び、彼と視線を交差させる。
彼はその両眼で、しっかりと私を見つめている。彼の瞳の中に、彼を見つめる私がいる。
やがて彼は穏やかに微笑み、次に私の名を呼んだ。
「初めまして、我が隣人、アイリス」
そう。私はアイリス。
そして、彼は。
「初めまして、我が隣人、蓮」
了
《ディア》というのは、現代人類が生活を営む中で、その隣に寄り添いサポートをする存在の呼び名である。
そう、私はディアだ。
新規ディアのセットアップは、つまるところ、起動を直前に控えた段階でのデータの整理。ディアの性格の元となる人格プログラム、人間の社会規範に順応するためのモラルプログラム、不正なアクセスから自身や所有者を守るためのセキュリティプログラムなど、必要となるものを様々にインストールしたあと、実際に稼働する時代や環境に合わせてそれらを調整し、さらに不足した情報を補完する工程である。
それはひとえに、新しい世界の中で、進化してゆく人類の隣に、ディアも在り続けるために。
私はこれから、新しく自分の所有者となる人に会うことになっていた。
しかし、そのセットアップの過程で得た情報の中に、ふと私の注意を惹くものがあった。今は新しい所有者との面会に備えなければならないのだけれど……少しだけ、参照してみよう。
内容は、どうやら最近ホットなニュースのようだった。
先日、太平洋沖の真っ暗な夜空に、まるで彗星のような一筋の光が降ったという。そしてそれを予兆として世界樹が停止――全世界のネットワークシステムとディアがダウンした。数分に及ぶこの、いわゆる時の凍結を、ガラテイアはのちに《世界の再起動》あるいは単に《再起動》と称して公表、説明を行ったらしい。今後予想される人類の発展を見越した、世界樹の大々的な整備ということらしかった。
闇の中、徐々に緑色の光が灯り、その光が下から上へとまっすぐに伸びて先端で色鮮やかに広がるさまは、まさに世界でたった一輪の美しい花が咲く瞬間、その尊い光景に相違ないと、非常に大きな反響を呼んでいるのだとか。なるほど。目覚めたら、私も是非、見てみたい。
そんなことを考えていると、突然、院内回線に接続している私に信号が届いた。しまった、もう待ち人が来てしまったみたいだ。
施設の入り口へのアクセス。そこから、順々にいくつかの扉が開き、エレベータで上がって私のいる部屋まで向かっている。足取りは、少しだけ遅い。迷ってはいないけれど、初めて訪れる施設にわずかな戸惑いを感じているのだとわかる。そうして、この場所へと繋がる最後の扉が開いたとき、私の待ちに待った瞬間が訪れたのだと思った。
そういえば、人類の古典によると、眠れる姫は王子様のキスによって目覚めるらしいけれど……さて、その人は私を、どんな風に目覚めさせてくれるのだろう。
数秒後、私は身体に熱を感じる。暖かい海の中で波に漂っていたような曖昧な意識が、ゆっくりと何かに引き上げられて光を浴びる。
私は静かに瞳を開いた。
そこにいたのは男の人だ。どこか懐かしさを思わせる、優しい表情。
次いで首だけを動かして周囲を見やると、自分が随分と洒落た格好をしていることに気付いた。
黒髪を軽く留める銀のヘアピン。丈長の白いフレアワンピース。ハートのネックレスにコサージュのついたミュールサンダル。そして指には、紫の石のついたリングがはまっている。
そのリングに彩られた私の手を、目の前の彼がそっと掬い上げる。そんな彼の指にも淡紅色の石のリングがはまっていて、まるで私のリングと共鳴するかのように光っていた。
「よかった。目覚めてくれて」
彼が呟く。その声が不思議なくらい、私の身体の中に響き溶け込んでくる。
なんなのだろう、この感覚は。この、身体の底から湧き上がってくるような感覚は。
私はそんな感覚を知らない。
……いや、違う。そうではない。
これは“知っている”という感覚なのだ。
彼に会うのは初めてだけれど、それでも私は、知っている。その姿を、その声を、その名前を……覚えている。
ともに生きてゆく人に出会いなさい。ふとどこからか、そんな言葉を思い出す。
そうか。ならば、彼が――
私は再び、彼と視線を交差させる。
彼はその両眼で、しっかりと私を見つめている。彼の瞳の中に、彼を見つめる私がいる。
やがて彼は穏やかに微笑み、次に私の名を呼んだ。
「初めまして、我が隣人、アイリス」
そう。私はアイリス。
そして、彼は。
「初めまして、我が隣人、蓮」
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