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壹、天兎
天兎③
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残念なことに、アオはラビットフードを食べなかった。粒状のそれらを一つだけ指で摘み上げて口へと運んだが、咀嚼した途端に複雑な表情を呈し、苦労して飲み込んだのちにはボソッと「……いらない」と言った。
ならばと思って、俺が自分で用意した昼食の中から野菜炒めを一部取り分けて出してみると
「うん。初めて食べたけど、味はいいわね」
と意外にも喜んで食べ始めた。どうやら味覚は人間寄りらしい。
それからアオはゆっくりと時間をかけて皿の上の半分ほどを食し、やがて満足げに帯の上から腹を押さえた。座敷の机を挟んだ俺の正面で、身体を反って足を崩す。
俺は手早く自分の分を平らげてから箸を置き、皿を重ねて一息ついた。
「で、味はいいが、何が不満なんだ?」
アオは「ん?」とこちらへ視線を向ける。
「ああ……ごめんね。そういう意味じゃ、なかったんだけど」
「別に気にしたわけじゃないけど。そうじゃなくて、お前はあくまで兎なんだよな? じゃあ、人間の飯食って、身体に何かあったら困るだろう。食えないものとかあるのか?」
よく、犬や猫にネギ類やチョコレートなんかを与えてはいけないという話は聞く。たぶん兎にだってそういうものはあるだろう。この野菜炒めについては、あれば自分で避けただろうが。
俺がそうやって真面目に考えていたにもかかわらず、反った身体を起こしたアオは、意味深に口の端を上げて八重歯を覗かせた。
「ふぅん? 何よあんた、随分と優しいじゃない。自分で名前なんか付けたもんだから、早速あたしに情が湧いちゃった?」
「抜かせ」
心配して損した。戯言は斬って捨てる。
俺が無言で先を促すと、アオは残った野菜炒めを見ながら話し始めた。
「いや、ね。美味しいと思ったのは本当よ。でも、これには月の光がほとんど宿ってないの」
「月の光?」
「そうよ。あんたたち人間にとっての空気や水、ひいてはそこから得る養分のように、生きるために欠かせない生命力のほとんどを、あたしたち兎は月から得てる。より正確には、月の地表にある特殊な物質が太陽光に溶けて、その光をあたしたちが浴びることで生命力に変換できるんだけど、その物質ってのはこの地よりも月の方に極めて多くて……」
「お、おい。待て待て、待ってくれ。それはまた、何かの冗談か?」
唐突に滔々と語り始めたアオの口上。俺は面食らいながらも、ひとまずそれに制止をかける。いきなりではとても頭がついていかない。
対して、気分よく口を動かしていたらしいアオは軽く俺を睨んだ。
「ちょっと紫苑。戯言であろうとなかろうと、まず他者の話は最後まで聞くものよ。それと、今のあたしの話の中に、笑えるところが一つでもあったかしら?」
「いや……なかったけど」
「なら、全部真面目な話に決まってるでしょ!」
「でもお前」
「うるさい。とにかくあたしに喋らせて!」
……俺の話も聞いてくれ。
「要するにね。あたしたち兎は、月の光を浴びることで生きてるの。そして、あたしたちはその月の光から得られる生命力のことを『ユエ』って呼んでる」
「……ユエ?」
「そ。あんたたちの言語でもっとも近い発音をすればね。これがあるから、あたしたちは月で生きられるし、もっと言えば、その恩恵を一番近くで享受できる月に、好んで住んでるの」
なるほど。月に住んでいれば月の光を――地表に反射した太陽光を、一番近くで効率的に浴びることができる。例えるならそれは、アスファルトの照り返しのように。
「万物には、大なり小なりこのユエが宿っている。そこらの草木にも石や岩にも、こうした食物にも……もちろん、あんたたち人間にもね」
「俺たちにも?」
「そうよ」
アオはそこで、残したはずの野菜炒めを再度、少量箸で摘んで口へと運んだ。よく見れば綺麗に人参だけを避けるようにして……って、こいつ兎のくせに人参嫌いなのか。
「まあそうは言っても、この地上は、月からは随分遠い。だから基本的に、人間の持つユエは極めて小さい。到底意識なんてできないくらいにね。一方であたしたち兎は、そのユエを重要な生命の根源として大きく発達させたってわけ」
味はいい、と評された俺の野菜炒め。アオは相変わらずそれをちょびちょびと食べていくが、なくなる気配はないので俺も横からつつくことにする。適当に摘むと、アオの避けた人参ばかりが釣れてムッとなった。
「全てのものにユエは宿っている……だからこの野菜炒めにも、いや、元となった食材にもユエはある。けど、その量がものすごく少なかった、ってことか?」
「その通りね」
つまり、アオのこの野菜炒めへの感想をより正確にするなら「味はいい。が、ユエの摂取はできない」か。
俺とアオは、まるでそういう機械になったかのように、ちょびちょびちょびちょび野菜炒めを食している。空腹だからではなく、たぶん手慰み、口慰みとして。
やがてアオは、人参率の上がった皿に嫌気が差したのか、勢いよく立ち上がって言った。
「賢い紫苑。もうあたしの言いたいことがわかったでしょう? あたしはね、月の光をいっぱいに浴びたものが食べたい!」
ならばと思って、俺が自分で用意した昼食の中から野菜炒めを一部取り分けて出してみると
「うん。初めて食べたけど、味はいいわね」
と意外にも喜んで食べ始めた。どうやら味覚は人間寄りらしい。
それからアオはゆっくりと時間をかけて皿の上の半分ほどを食し、やがて満足げに帯の上から腹を押さえた。座敷の机を挟んだ俺の正面で、身体を反って足を崩す。
俺は手早く自分の分を平らげてから箸を置き、皿を重ねて一息ついた。
「で、味はいいが、何が不満なんだ?」
アオは「ん?」とこちらへ視線を向ける。
「ああ……ごめんね。そういう意味じゃ、なかったんだけど」
「別に気にしたわけじゃないけど。そうじゃなくて、お前はあくまで兎なんだよな? じゃあ、人間の飯食って、身体に何かあったら困るだろう。食えないものとかあるのか?」
よく、犬や猫にネギ類やチョコレートなんかを与えてはいけないという話は聞く。たぶん兎にだってそういうものはあるだろう。この野菜炒めについては、あれば自分で避けただろうが。
俺がそうやって真面目に考えていたにもかかわらず、反った身体を起こしたアオは、意味深に口の端を上げて八重歯を覗かせた。
「ふぅん? 何よあんた、随分と優しいじゃない。自分で名前なんか付けたもんだから、早速あたしに情が湧いちゃった?」
「抜かせ」
心配して損した。戯言は斬って捨てる。
俺が無言で先を促すと、アオは残った野菜炒めを見ながら話し始めた。
「いや、ね。美味しいと思ったのは本当よ。でも、これには月の光がほとんど宿ってないの」
「月の光?」
「そうよ。あんたたち人間にとっての空気や水、ひいてはそこから得る養分のように、生きるために欠かせない生命力のほとんどを、あたしたち兎は月から得てる。より正確には、月の地表にある特殊な物質が太陽光に溶けて、その光をあたしたちが浴びることで生命力に変換できるんだけど、その物質ってのはこの地よりも月の方に極めて多くて……」
「お、おい。待て待て、待ってくれ。それはまた、何かの冗談か?」
唐突に滔々と語り始めたアオの口上。俺は面食らいながらも、ひとまずそれに制止をかける。いきなりではとても頭がついていかない。
対して、気分よく口を動かしていたらしいアオは軽く俺を睨んだ。
「ちょっと紫苑。戯言であろうとなかろうと、まず他者の話は最後まで聞くものよ。それと、今のあたしの話の中に、笑えるところが一つでもあったかしら?」
「いや……なかったけど」
「なら、全部真面目な話に決まってるでしょ!」
「でもお前」
「うるさい。とにかくあたしに喋らせて!」
……俺の話も聞いてくれ。
「要するにね。あたしたち兎は、月の光を浴びることで生きてるの。そして、あたしたちはその月の光から得られる生命力のことを『ユエ』って呼んでる」
「……ユエ?」
「そ。あんたたちの言語でもっとも近い発音をすればね。これがあるから、あたしたちは月で生きられるし、もっと言えば、その恩恵を一番近くで享受できる月に、好んで住んでるの」
なるほど。月に住んでいれば月の光を――地表に反射した太陽光を、一番近くで効率的に浴びることができる。例えるならそれは、アスファルトの照り返しのように。
「万物には、大なり小なりこのユエが宿っている。そこらの草木にも石や岩にも、こうした食物にも……もちろん、あんたたち人間にもね」
「俺たちにも?」
「そうよ」
アオはそこで、残したはずの野菜炒めを再度、少量箸で摘んで口へと運んだ。よく見れば綺麗に人参だけを避けるようにして……って、こいつ兎のくせに人参嫌いなのか。
「まあそうは言っても、この地上は、月からは随分遠い。だから基本的に、人間の持つユエは極めて小さい。到底意識なんてできないくらいにね。一方であたしたち兎は、そのユエを重要な生命の根源として大きく発達させたってわけ」
味はいい、と評された俺の野菜炒め。アオは相変わらずそれをちょびちょびと食べていくが、なくなる気配はないので俺も横からつつくことにする。適当に摘むと、アオの避けた人参ばかりが釣れてムッとなった。
「全てのものにユエは宿っている……だからこの野菜炒めにも、いや、元となった食材にもユエはある。けど、その量がものすごく少なかった、ってことか?」
「その通りね」
つまり、アオのこの野菜炒めへの感想をより正確にするなら「味はいい。が、ユエの摂取はできない」か。
俺とアオは、まるでそういう機械になったかのように、ちょびちょびちょびちょび野菜炒めを食している。空腹だからではなく、たぶん手慰み、口慰みとして。
やがてアオは、人参率の上がった皿に嫌気が差したのか、勢いよく立ち上がって言った。
「賢い紫苑。もうあたしの言いたいことがわかったでしょう? あたしはね、月の光をいっぱいに浴びたものが食べたい!」
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