月に兎がおりまして

りずべす

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伍、襲撃

襲撃①

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 白銀の髪に紛れたアオの長耳がピョコンと立った。折れた左耳と真っ直ぐな右耳が、聞こえてきた声に揃って反応する。
「ああもう! 今、大事な話してるのに!」
 アオは立ち上がりながら袖で目元を雑に拭うと、一言毒づいて外へと走った。
 すぐに後を追う。エントランス前のロータリーを抜けると、並木道の真ん中にある噴水の縁に、一人の男がどっかりと腰掛けていた。傘を差すほどでもない細雨の中、光沢のある派手な白いスーツが、深夜の少ない光源をこれでもかと集めて跳ね返している。
 そしてその両サイドにも男が二人。周囲の地兎から向けられる銃弾にせっせと手をかざし……何をしているのかと思えば、彼らの手からはビー玉くらいの大きさの水の弾が放たれていた。なんと鉄の弾を水の弾で撃ち落として相殺しているのだ。
 俺とアオが三人の前に立つと、地兎の銃撃が一時的に止む。
 それを合図として、三人の視線がこちらに向けられた。中央の男が偉そうに立ち上がる。
「あーァ、まったくよォ。ジメジメしててイラつくぜ。雨ってんだっけなァ? これだから地上はさァ」
 三人はいずれも白髪、頭からは長い白耳。つまりは天兎だ。けれども俺の勝手な思い込みだろうか。彼ら三人の白さは、アオの光り輝くような白よりも、若干燻んでいるような気がした。
 中央の男が一歩前に出る。見たところそいつが上役で、左右の二人はそれに従う部下といった感じだ。
「なァ。てめェもそう思うだろ?」
 おそらくはアオに向けられた問いだった。しかしアオはそいつを睨みつけるだけで答えない。
 男の耳がピクッと動いた。
「おォいおい。無視かよ。連れないねェ」
 乾いた笑いを「ククッ」と吐き捨て、次に男は、俺たちの背後に聳えるマンションを見た。
「ってェかさァ、ここの地兎連中のお偉いさんは、まだ出てこないの? 遅過ぎじゃない? さっきから下っ端がちょっかい飛ばしてくるばっかりって、お客さん相手に失礼だよねェ?」
 しかしこれに対する返答もまた、なかった。声は細雨に虚しく響いて消える。
 男の耳がピクピクッと動く。
「おォいおい。これも無視かよ。わざわざあんたらの言葉覚えてきたってェのにさァ……そりゃァねェだ、ろっ!」
 大声で不満を吐き出すのに合わせて、男はパチンと指を鳴らした。すると直後、その指の向けられた先にあったロータリーの屋根が、バシィ! という衝撃音とともに崩れ落ちた。屋根の上で待機していた地兎数匹が、わらわらと慌てて退散する。
 なんだ、これは。あいつはいったい何をしたんだ。
「まァいいやァ……俺がなんでここに来たかさァ、皆さんわかる?」
 相変わらずの質問口調だったが、男はもう答えを期待してはいないようだった。声のトーンを一段落としてさらに続ける。
「俺はさァ……あー、あれ? なんだっけ。面倒だなァ……おいお前、説明」
 ふいに男が右隣に向かって言うと、そこにいた部下が「は、はい!」と慌てて声を張った。
「我々は月より参りました。こちらの地兎の勢力は以前から非常に大きく、したがって危険視されておりました。このたびの我々の目的は、その危険度の低減です」
 つらつらと回りくどい言葉が並ぶ。続けてそいつはアオに視線を移した。
「また、灯詞の儀の遣いとして地上に降りられた貴台には、期日を過ぎても月に帰還されていないこと、およびこれまでの動向と我々の調査により、背信の嫌疑がかかっております。我々は貴台を速やかに月へ連れ帰るという命も帯びています。従って頂けない場合、制圧のち、お連れすることとなります」
 指示された説明を全うした部下が黙ると、すぐに上役の男が先を継いだ。
「そォそォ、そういうこと。まァ、よォするにあれよ。地兎は一匹残らず殲滅。裏切者は強制連行。イラつく地兎どものアジトぶっ潰すついでに、おまけの手柄まで立てられんだ。ついてるよなァ俺ァ。つーわけでさっきから全無視食らっても、そこそこ気分がいいわけよ」
 そこそこと言いつつ、男はかなり満足そうに笑っている。
 アオはその下卑た笑いを鋭く睨み続け、視線を一瞬たりとも外すことなく俺に言った。
「紫苑、これ持ってて」懐から投げ渡されたのは、いつだか彼女が使っていた白鞘の匕首だった。「ないよりマシでしょ。もしものときはそれで身を守って」
 俺は慣れない手つきでそいつを受け取る。想像よりもずっと軽い。
「あと、あいつら三匹とも、『指輪』はめてるの、わかる? あれは龍神の宝具。着けた者のユエを、龍が司るとされる水か雷に変換して飛ばすことができるわ」
 言われて目をやると、奴らの右手には確かに指輪がはまっていた。上役の男が自慢げに手を開いているのは、むしろこちらに見せびらかしているのだろう。
 それは二つの輪がとぐろのように連結した八の字型の指輪で、人差し指と中指に同時にはめるものらしい。真珠のような丸いセンターストーンが二つ、それぞれの輪にあしらわれている。
「ほとんど戦いのための宝具ね。遠距離戦闘ではめっぽう有用。でも直線状に放つことしかできないはずだから、あんたは物陰にいるのがいいわ」
『あんたは』の言葉で、彼女がどうするつもりなのかはよくわかった。
 上役の男がアオを見ながら言う。
「さァて。相談は済んだか? 抵抗しねェなら手荒はしねェ。せいぜいちょこっとその服ひん剥くくれェだ。あとはここの地兎ども一匹残らず掃除すんのを、隅っこで指咥えて眺めててくれりゃァいい。つってもまァ……」
 アオの携える月影――その柄に右手がかかるのを見て、男はいっそう笑みを深くした。
「そんなタマじゃァねェと思うけどよォ!」
 男の挑発を聞くか聞かぬか、もう既にアオは駆け出していた。溜まった怒りを足から噴出したような勢いだった。
 直後、奴ら三人はアオの突撃から逃れるように三方に散開した。部下二人はそれぞれ左右、上役の男は真後ろに。アオを三角形で囲むような位置取りだ。
 アオは迷わず上役の男目掛けて飛んだ。
「はっ! てめェ馬鹿じゃねェ? いきなり俺の方来るなんてさァ。こっちは複数なんだから、弱ェ奴から潰すのが定石だろ!」
「じゃあ、あたし正解じゃない。たくさん吠えてる奴が一番弱そう」
「ククッ……いいねェ強気で。ちったァ遊べそうだぜェ!」
 アオは男に詰め寄り、ユエを纏った月影で斬りつける。初撃は刀を居合の要領で振り抜き、続いて距離を取ろうとする男に寄りながら一振り。さらに飛んできた水弾をかわして一振り。
 いずれも尋常ならざる速度の斬撃だが、男はそのたびに軽々と、一定の距離を保ちながら余裕の表情を浮かべていた。時折、気まぐれのように指をパチンと鳴らし、自身の周囲に数発の水弾を出現させてはアオを牽制する。
 その牽制に加え、アオにとっては、二人の部下から飛んでくる水弾や雷撃にも気を回しながらの戦闘だ。立ち回りにはかなり慎重を強いられる。
 飛び交う無数の水弾や雷撃に巻き込まれないよう、俺は倒れた木の陰を経由して、マンション一階のベランダに身を隠した。
 アオは左手の傘で攻撃を防ぎつつ、逃げ続ける上役の男を追う。斬りつけるたび、闇夜に白い斬撃が美しく光る。それはおそらくアオのユエが消費されているしるしだったが、傘で攻撃を受けると、その分だけアオのユエが補われて、刀がまた光る。
 何度見ても思う、彼女の身のこなしはやはり見事だ。開いた傘を手にしながらの高速移動は至難だろうが、その上でさらに、降りかかる攻撃を傘で吸って自らのユエに変えているのだ。
 ややあって、男もそれに気づいたらしい。変わらず距離を保ちながら、着地ののちに問うた。
「てめェ、なんかすげェもん持ってんなァ。それ、いったいどんな代物だァ?」
 詰められそうで詰められない距離に苛立ちながらアオが言う。
「教える義理はないわ」
「ククッ……んじゃァ、痛めつけて奪ったあとに、自分で確かめるとするかァ」
 男はまたパチンと指を鳴らす。その手の周りに計六発の水弾が出現し、クイっという手首の動きに合わせてアオへと飛んだ。
 アオは難なく傘で防ぐ。するとその分がユエに還元されてアオのものとなる。
 一連の光景を見ていて、男は得心したようにニィッと口角を吊り上げた。
「よォしお前ら、次から狙うのはこいつの右側だ。刀を持つ方の手に砲撃を集めろ。あとは傘で防ぎにくい瞬間を狙え。まァ、多少吸われるのはいい。すぐへばられてもつまんねェしな」
 その指示を境に、部下からの攻撃はアオの右半身に集中し、さらに着地や跳躍のような隙の大きいタイミングに限定された。
 手が空いた分の攻撃は、周囲の地兎に向けられることになる。様子を窺っていたり、稀に銃弾を放っていた地兎たちが潜伏場所を追われるようになった。
「あんたたちはとっとと避難なさい! 周りまで面倒見きれないわ!」
 アオの怒号でそそくさとマンション内に戻る者もいれば、あえて屋外に残る者もいた。そのあたりは地兎たちにもそれぞれ、思うところがあるのかもしれない。
 そして俺も、どちらかといえば後者の方だ。アオをおいて逃げるようなことはできない。
 やがて戦況は徐々に、しかし目に見えてアオの不利へと傾いた。
 アオが追い続ける上役の男は基本的に逃げに徹し、安全なタイミングでしか攻撃を仕掛けてこない。それはまるで遊戯に興じているようにも見える。奴からすれば、部下の砲撃がアオの視野外から着弾するのを待つだけでいいのだ。
 一方、アオは近づかなければ攻撃することができない。相手もそれをわかっているから、接近を執拗に警戒している。このままではアオの旗色は悪くなる一方だ。
 せめて二人の部下の、片方だけでもどうにかできないものか。俺は考えようとした。
 けれど、そんな時間は与えられなかった。
「ちょっと飽きてきたかァ……」
 上役の男はそうぼやくと指を鳴らし、水弾を一発、アオに飛ばした。
 アオは距離を詰めつつ、首を少しだけ傾けてそれをかわす。もはや何度も見た光景。アオは意にも介さず次の動作へ移ろうとしたが、男は直後、かわされた水弾へ向けて雷撃を飛ばした。
 瞬間、アオの頭の右後方で爆発が起きた。死角からの衝撃によって、アオの身体はぐらっと揺らぐ。崩れた体勢を戻しつつなんとか不時着してみせたが、その大きな隙に向けて、さらに水弾と雷撃が同時に飛んでくる。
 目の前で再び爆発。アオはそれをまともに受け、衝撃で派手に吹っ飛ばされてしまった。
 俺は、思わず飛び出していきたい衝動をすんでのところで堪えた。歯を噛みしめ、拳を握って声を抑えたが、頭には熱い血が上っていた。
 あれは、水蒸気爆発だ。飛ばした水弾に雷撃を当てると、瞬時に水が蒸発して体積が膨れ上がり、爆発となるのだ。元の水弾が小さいから範囲も狭いが、至近で食らえば衝撃は大きい。
 飛ばされた拍子に、アオは刀を手放してしまっていた。男は地に転がったその刀を足で遠くへ蹴飛ばしつつ、ゆっくりとアオに歩み寄る。そして右手でアオの首を掴んで宙に持ち上げた。
「ぐっ……」
「追いかけっこもそろそろ終いかァ?」
 アオは辛うじて持っていた傘もゴトリと落とす。
 男は首だけで後ろを振り返り、部下に向かって声を張った。
「おい! もうここはいい。中の地兎どもを殺してこい。一匹たりとも生かすな」
「はい!」
 二人の部下は指示を受け、崩れたロータリーの屋根部分からマンションの中へと入っていく。
 ちょうどいい。二人が消えるのを見計らい、俺は潜伏場所を移すことにした。ベランダから倒れた木の陰、そして草陰を伝う。移動に伴う物音は、細雨と男の声がかき消してくれた。
「ククッ……まったく、乏しいユエでご苦労なこった。知ってんだぜ? てめェ、教えの摂理に反した存在なんだってなァ?」
 どうやら男の警戒は露骨に緩んでいる。一人で喋るのに夢中らしかった。
「ま、それなら裏切りも然もありなんだ。お偉方も生け捕りなんてめんどくせェこと言わねェで、即刻排除でいいのによォ。疑わしきは殺せってなァ」
 最終的に俺が身を隠したのは、戦闘中に壊れて瓦礫となった噴水の陰だ。ここは男の右後方となる場所。さらに俺と男を結ぶ直線の途中に、アオの落とした刀がある。
 細雨で身体の表面が冷える。しかし頭は依然、熱を失っていなかった。冷静と興奮が共存している。俺は逸る心音を自覚しながら懐の匕首に右手をかける。
 そして走り出た。初めはできるだけ足音を殺し、左手でアオの刀を拾い、その音に振り向いた男の顔目掛けて匕首を投げる。
「んァ!?」
 男が腰と首を反って回避する間に、俺は刀を両手でしかと握り、身体に感じるうねり――ユエを刃先に集めて振りかぶる。
 アオに比べれば随分とお粗末だが、冴える視界に白く淡い斬撃が散った。
 切断したのは、男の右肘。それがまるでコマ送りのように、遠くへ放物線を描いていく。
「ぐ、ああああァァァアアアア!」
 男は叫びを上げ、派手に身体を仰け反った。右腕を押さえて二歩、三歩とよたよた下がる。
「あア、アァ……てめェ……まさか、さっきの人間……?」
 男の手から解放されたアオが地面に崩れた。
 勢いで前のめりに倒れ込んだ俺はすぐに振り向いて刀を構える。
 けれど、矢のように鋭い腕がそれをすり抜け、首へと伸びてくる。
「ぐあっ!」
「まさかまさか、まさかだなァおい! まさか人間様がしゃしゃり出てくるとはよォ!」
 首が締まる。とてつもない力だ。いとも簡単に身体が浮いて、俺の足が空を切る。
「貧弱のくせにびっくりだぜ! そんなに進んで死にてェとは! 確か人間は神の代行様なんだっけなァ? でも別に大した力持ってるわけじゃァねェんだよなァ? ククッ、あんまり眼中にねェから、ちょォっと油断しちゃたぜ」
 近くで見ると目に痛い派手な白スーツに、奴の腕から吹き出た血がべたりとついている。それと同じくらいに赤く血走った両眼が俺を睨む。
「んじゃまァ、お望み通り殺してやるよ。てめェの命は仕事に関係ねェしなァ! とっととモノホンの神がいらっしゃる天国にお送りさせて頂――がはっ!」
 次の瞬間、男は俺を手放して五メートルほど後退していた。
 アオが閉じた傘でそいつを横薙ぎに叩き飛ばしたのだ。額から血を流し、憔悴した様子のアオは、しかしそれ以上のものすごい形相で奴を睨んでいる。
「ってェなァ……」
 長い耳をヒクつかせた男は、苛立った声でぼやくと、腹を押さえてこちらを見た。
「あァくそ、クソクソクソがァ! 揃って代わる代わる邪魔しやがって……なんだァ? その顔、もしかしててめェらデキてんのかァ? いやいやそりゃァ冗談でも笑えねェよ。だって兎と人間だぜ。劣等種同士お似合いですってか、あァア?」
 男の挑発は次第に早口になっていた。さすがに腕を失ったのは応えているらしい。これまでずっと表情に浮かべていた余裕も消えている。
 指輪による攻撃はもうできないはずだが、俺は警戒を維持したまま、切れる息を繋いで隣のアオに話しかけた。
「アオお前……今回は随分と苦戦してんな。いつもの手鏡は使わないのか?」
 彼女はよろめく身体を傘で支えながら答える。
「あんたを助けようとしたとき、怒りに任せて全部使ったわよ。あと数個の残りは家の風呂敷」
「はは……そっかよ」
 俺は、アオがこのマンションに攻め込んできたときのことを思い出す。そういえば手鏡を三ついっぺんに斬り捨てていた。怒りに任せてと自分で言うあたり、あのときはわかっていて、あえて手持ちを使い果たしたのだろう。
 敵味方、両者迂闊に動けない間に、マンション内へ消えていた二人の部下が戻ってくる。
「大丈夫ですか!?」
 上階から声をかけつつ、うち一人が上役の男のすぐ傍に着地した。
 すると険しい表情をしていた男の顔に、わかりやすい笑みが混じった。
「いィところに来たなァ。お前、その指輪貸せ!」
「え?」
「早く貸せって!」
「は、はい!」
 予想外の注文に戸惑いつつも、やがて部下は自分の右手をゴソゴソやって指輪を外し始めた。
 しかし上役の男は、その少しの時間も待てなかったようだ。無言で部下の指を直接掴み、指輪ごと引きちぎる。
「え――いっあああぁぁぁあああ!」
 部下の顔は驚きに染まり、そして次に、苦悶に歪んだ。
「るせェ!」
 指輪を奪ったら用済みとばかりに、上役の男は叫ぶ部下を遠くへ蹴り飛ばす。部下はそのまま倒木にぶつかって気を失った。さらにもう一人の部下は、怯えて尻餅をついている。
「さァて再開だァ。ちょォし乗んなよ劣等種どもがァ!」
 上役の男は奪った指輪を左手にはめ、俺たちに振りかぶるようにして水弾と雷撃を同時に放つ。もうわざわざ指を鳴らすパフォーマンスはないらしい。完全に冷静さを失っている。
 俺はアオを抱きかかえながら、倒れ込むように目一杯、後方へと飛んだ。直後、俺たちの立っていた場所で爆発が生じる。轟音伴う水蒸気爆発。
 これは……何度も避けられるようなものじゃない。そう思って覚悟しながら男の指先を見つめていると、ふいに、左方から一発の銃弾が飛んだ。
 それは明らかに、仕留めるための一発ではなかった。「こっちを向けよ」と呼ぶ一発。
 男にもその意図が伝わったのだろう。機敏に反応して避けたあと、ぐるりと首を捻った。
 一斉に視線が集まる。そこにいたのは、月見里だった。
 彼女の姿を目にした男が、また部下に向かって声を張り上げる。
「おい! まだ地兎が残ってるじゃねェか!」
「は、はい! すみません! 掃討の途中でこちらの戦況が変わりまして――」
「口答えしてんじゃねェ!」
 乱暴に放たれた雷撃で部下はあえなく気絶する。
 月見里はゆっくりと男に向かって歩み出ながら言った。
「申し訳ありませんが、時刻はまだ深夜。いささかご近所迷惑です」
 これは、なんと今更な。あまりにごくごく普通の指摘が、ここではあまりに異質だった。
 当然、男は聞く耳など持たず、まったく別のことに触れる。視線の先は、月見里がその手に持っていたものだ。俺もさきほどから気になっていたが、あれはどう見ても……。
「てめェそれ……俺の腕じゃねェか。さては、どさくさに紛れて雑魚がくすねやがったな」
「ええ、仲間に届けて頂きました」
 澄ました声で答えると、月見里はそこから指輪を外した。さらにポケットのハンカチで丁寧に汚れを拭き取ると、自身の左の指にはめる。
 それを見た男が「ククッ」と笑った。
「ばァか! そりゃァ装着者のユエに比例して威力が上がるんだぜ。地兎ごとき劣等種に使える代物じゃァねェんだよ!」
 そして月見里に向かって指を構え、水弾を放つ。
「てめェが使ったって、水鉄砲に静電気がせいぜいの――ェ?」
 男の素っ頓狂な声と、飛んだ水弾が空中で爆ぜるのは同時だった。全ての水弾は月見里に到達するよりも早く、漏れなく、ふいに爆ぜたのだ。
 爆発による水蒸気で辺りが煙る中、さらに月見里が指を伸ばすと、男に向かって何かが走る。
 それは文字通り、目にも留まらぬ一糸の閃光――。
「あばばばばばばばばば」
 歪な悲鳴。のちの沈黙。
 視界が晴れたとき、既に男は煤まみれに焦げて膝を着いていた。降り込める細雨が、男の身体に触れたところだけプスプスと滑稽に蒸発している。
 月見里がゆっくりと近づいていくと、男は腰を抜かしたように後ろ手をついて叫んだ。
「て、てててめェ! なんだ、なんだなんだなんだなんだてめェ何者だァ!?」
 さらに不格好に地を這いながら。
「お、おい! 誰か……誰かこいつをなんとかしろっ!」
 けれどもそれは、到底無理な相談だ。なぜならば……。
「いいえ。お客様はもう、あなたが最後のお一人ですよ」
 告げる月見里は距離を詰めると、行儀よく両手を前に重ね、腰を折って頭を下げた。
「どうぞ、今夜はこれにて、お引き取り頂けますよう」
 そして顔を上げた彼女が左手をパチンと鳴らす。直後、現れたのはなんと、直径三メートルもあろうかという巨大な水の球。月見里が微笑むのに合わせて、それは男に放たれた。
 銃弾どころか大砲――いや、あるいはロケット砲か。水の球はその勢いのままに男を攫うと、遠く遠く、悲鳴も届かない暗い空の果てへと消えていった。
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