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想いはどこに
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王の猛追は凄まじかった。
式典の翌々日には劇場で今回のバルコニーでの顛末を神子とライオネルの恋物語風に仕立てた演目が上演され、巷では人気を博している。
王宮務めの中にもやはりそのように誤解をしている者達もいて、何かにつけ気を回されるのが困りものだった。
「マナト、気にすることないよ。あっちが勝手に言ってるだけなんだからね」
「うん……そうだね」
先のことを考えると不安になるため、マナトは極力考えないようにしていた。
マクシミリアンに依頼されたお米を使ったランチメニューの考案に尽力したり、部屋で刺繍をしたりして暮らしている。
王宮の倉庫やラーケンアーヴで仕入れてきたスパイスを、セイと2人でああでもないこうでもないと味見しながら配合してカレーを作ったのは楽しかった。
カレーは王宮内で大変に人気を博したらしく、原材料の希少さからかなりの値段が付けられたにも関わらず、アンコールの要望が耐えないらしい。
明日は何を作ろうかなと考えながら、マナトは刺繍枠に嵌めた布に糸を通す。
今刺繍を施しているのは、以前ライオネルに借りたハンカチだ。
旅行先のドタバタですっかり失念しており、きちんと返さねばとメイドに洗濯をお願いしたのだが、そのまま返すのでは失礼かと相談したところ、メイドが刺繍をしてはどうかと提案してくれたのだ。
こんな高級なハンカチに糸を入れていいのかと思いはしたが、マナトもそれなりに針には覚えがある。
神子のためにと用意された刺繍箱の中に入っていた金糸と青銀の糸で、丁寧に百合の花の刺繍を施す。
ライオネルという名のイメージに沿えば獅子などがいいのだろうが、ハンカチにはあまりそぐわない。
それに、マナの中でライオネルは獅子というより鷹や豹のように俊敏なイメージが強く、ますますモチーフとして遠ざかっていった。
(ライオネル様、喜んでくれるかな……)
マナトは一針一針、思いを込めて糸を通していく。マナトの気持ちに呼応して糸が輝いた。
思えばライオネルは、一度も自分を責めたことがない。いつも大事にしてくれたし、王位継承権を剥奪させられそうになっても、マナトと婚約者のような扱いを受けるようになっても、気にすることはないと言ってくれる。
マナトは優しい人が好きだ。最初は返り血を浴びせられて怯えたこともあったけれど、今はもうライオネルが自分を傷つけることはないと知っている。
このままライオネルと結婚することになってもいいのかもしれない、と思う気持ちと、でもライオネルに愛する人が出来たら、と思う気持ちの間でマナトは揺れていた。
王妃としての仕事は、神子の仕事もあるため最低限でいいらしいとは聞いているが、それならマナトがやらない仕事は誰がこなすのか。
それはやはり、側室や第二夫人など他に迎えられる女性なのではないだろうかと思う。
心がもやついて、マナトは刺繍の手を止めた。
こんな気持ちでお礼の品に針をいれたくない。
椅子から立ち上がって窓辺に近付き、そこから中庭を覗きこむと、セイがマクシミリアンと剣を交えていた。
最近はセイは指南役の手を離れ、よくこうしてマクシミリアンと立会をしている。
マクシミリアンも最初は渋っていたが、いよいよウエスト周りが気になってきたため、運動がてら相手をしているようだった。
2人に比べて頻度は少ないが、ライオネルも中庭に姿を現すことがある。
ライオネルは2人の打ち合いを見て幾つかアドバイスをしたり、本当にごくたまにセイの相手を務めることもあるのだが、その身のこなしと早さ、振り下ろす剣の力強さには目を奪われてしまう。
実際ライオネルの剣は相当重いらしく、セイは稽古をつけてもらう度に『腕がもげそう』『マジでゴリラ』などとぼやいている。
まだ12歳なのにこんな短時間でライオネルの剣を受け止められるだけになっている事自体凄いとマナトは思うのだが、セイはまだまだ納得がいっていないようだった。
「僕も剣とか始めたほうがいいのかなぁ」
何の気なしに呟いたマナトの後ろで、ガチャーンと陶器が割れる音がする。
振り向くと、メイドのリジーがティーカップを落として真っ青になっていた。
「大丈夫?リジー。怪我はない?」
マナトが駆け寄って声をかけると、音を聞きつけた他のメイドたちが足早に駆けつけてきて、こぼれたお茶と割れたカップを手際よく掃除しはじめた。
「は、はい……申し訳ありません、マナト様」
「あやまらなくっていいんだよ。でも珍しいね」
リジーはまだ17歳という若さだが、かなり幼い頃から貴族の屋敷で働き、今は亡きライオネルの母親である王妃に気に入られて王宮務めになったという実力の持ち主だ。
いつも冷静沈着で完璧に仕事をこなす彼女が、まさかこんな失敗をするとは。
「あ、責めてるんじゃないんだよ。むしろ、リジーも時々は失敗しちゃうこともあるんだなってわかって、ちょっと親近感」
えへへ、と笑う優しい主に、リジーの心は打ち震える。
今まで横暴で我儘な主人、冷徹で使用人を同じ人間と思わない主人から、正当に自分を評価してくれる寛大な主人まで様々な主人に仕えてきたが、その中でもマナトは最も慈愛に満ちて愛らしく庇護欲をそそられる主人である。
王妃様が亡くなった時は、もう心を捧げるような主人は作るまいと思ったのに、あっという間に心を鷲掴みにされている。さすがは神子ということなのか。
そんなふわふわして儚げな主人が、汗臭い男どもに混じって剣を握り、変な筋肉をつけたり美しい御手に剣ダコをつくったりするかもしれないと想像するだけで目眩がする。
動揺のあまりティーカップを取り落とすなどといった恥ずかしいミスを犯してしまったが、それすらも心優しい主人はいたわってくれる。この職場は天国だ。
「あの……マナト様、マナト様は剣に興味がおありなのですが?」
出過ぎた質問をしていると思いつつも、リジーは尋ねずにいられなかった。
もしマナトがやりたいと望むなら、使用人として最大限のバックアップをしなくてはならない。
主の希望を叶え、それでいて愛らしさとたおやかさを失わないようにするためには、どうしたらいいのだろうか。
「あ、聞かれてた?ふふ。興味はなくはないけどね、でも僕には向いてないかな。あんまり運動神経がよくないし、正直ちょっとこわいしね」
「そうですか…………いえっ、けしてマナト様が運動音痴などということはありませんけれども!こんなに美しい刺繍を紡がれる、繊細な指先をお持ちなのですもの。剣ぐらいは他の殿方にお任せになっても宜しいかと」
「そうかなぁ?……ありがと、リジー」
マナトはリジーに褒められて嬉しくなり、再び針を手に取った。
心がポカポカして、イマジネーションが沸いてくる。
そうしているとマナトの糸は再びほんのりと光りを放ち始めた。いつもではないが、調子が乗ると時々こうして糸が光るのだ。
マナトが紡いだ銀の百合の刺繍は、とても素人の手慰みとは思えないほどの出来栄えとなった。
翌日、マナトは出来上がったハンカチを丁寧に畳んで、ライオネルに渡そうと準備をした。
ライオネルは王太子への就任が決まってからますます忙しくなったらしく、ここ数日は朝食の時ぐらいしか顔を合わせることがない。
しかし、セイやマクシミリアンも会する朝食の場でハンカチを渡すのはなんとなく憚られて、マナトはいつも持ち歩きながらタイミングを見計らっていた。
しかし、そう思っているとなかなかチャンスは訪れないもので、ハンカチを持ち運び始めてからもう10日も経ってしまっていた。
昨日は遂に朝食も一緒に摂ることが出来ず、マナトはため息を吐く。
きっと渡したら喜んでくれるだろうと思っていたのに、出鼻を挫かれたお陰で不安になってきた。
もしかして、ライオネルはハンカチを返されても迷惑かもしれない。
銀の百合は好みじゃないかもしれない。
そもそも刺繍なんて余計なことをと思われてしまうかも……。
そんな考えが次々に浮かび、マナトはしょんぼりとしてしまう。
セイはそんなマナトの心の動きを察知し、マナトを畑へと誘った。
王宮の一角で家庭菜園を始めたいと要望を出し、きちんと許可が取れたのだ。
元々花壇だったため土の状態は悪くないが、作物がきちんと育つかはまた別の問題だろう。
まずは比較的育てやすいと聞いたナスとほうれん草を育てる事に決めた。
「こっちの日当たりのいいところはナスにして、ちょっと日陰のほうにほうれん草がいいんだって」
土起こしはすっかり丸投げしてしまったが、今やセイもマナトも高貴な身分である。少しぐらいは許されるだろうと、レジャー気分でワイワイと土をいじった。
「ナスとほうれん草かぁ。育ったら何にしようかな」
「煮浸し食べたいな。ほうれん草っておひたし以外になんかある?」
「何にでもいれられるからねぇ。かきたま汁に入れてもいいし、豚肉と常夜鍋なんかもいいんじゃないかな。ナスもほうれん草も和食だけでなく洋食にもイタリアンにも使えるから」
「パスタがほしいよねぇ」
「ほしいねぇ……そうしたらほうれん草のクリームパスタも揚げナスのアラビアータも、黒胡椒たっぷりのカルボナーラも作れちゃうのに」
「やめてよマナト~余計食べたくなっちゃうじゃん」
お年頃の男の子たちは、何をしていてもお腹が空く。
米を手に入れたら、今度はパスタが食べたくなるのだから探究は果てしない。
すっかり元気を取り戻したマナトに、セイは満足する。
実際のところ、マナトはライオネルのことをどう思っているのだろうか。
知りたいが、今確認するのは藪蛇な気がしてセイは口を噤んだ。
マナトの元気がなくなっているのも、最近ライオネルとまともに過ごせる時間が減り、今朝は遂に遠方視察とかで朝食の場に現れなかったことが関係しているのに違いない。
マクシミリアンもそれに連動するかのように多忙になり、稽古に付き合ってくれる時間も減った。
マナトだけいればいいと思っているセイだが、なんだかつまらないと思う自分も自覚している。
セイもマナトも、元々ぼっちで過ごすことが多かった人間だ。2ヶ月程度とはいえ、ずっと一緒に過ごしてきた2人には、それなりに情が移っていることは否めない。
(だめだなー、あんまりよくない傾向……)
セイは庭に寝転がり、暖かな日差しを受けてゴロゴロしながらそう思った。
セイのしようとしている未来では、王家は教会と反目し合う存在となる。
王室の権威を削いで、神子と対立する構造を作ってこそ、ライオネルとマナトの事実上の婚約も反故になるというものだ。
セイとマナトが結ばれる未来は、そこでしか得ることは出来ない。
優しく親切なメイド、気さくに接してくれる調理場の料理人達、ムカつくけれど話が合うところもあるライオネル、貧乏くじばかりで苦労症のマクシミリアン……。
彼らと対立することになど、マナトは果たして受け容れてくれるだろうか。
受け入れてくれたとして、幸せを感じてくれるだろうか……。
焦る気持ちと裏腹に、自分自身すら少しずつ王宮に未練を作り始めていることを、セイは感じていた。
式典の翌々日には劇場で今回のバルコニーでの顛末を神子とライオネルの恋物語風に仕立てた演目が上演され、巷では人気を博している。
王宮務めの中にもやはりそのように誤解をしている者達もいて、何かにつけ気を回されるのが困りものだった。
「マナト、気にすることないよ。あっちが勝手に言ってるだけなんだからね」
「うん……そうだね」
先のことを考えると不安になるため、マナトは極力考えないようにしていた。
マクシミリアンに依頼されたお米を使ったランチメニューの考案に尽力したり、部屋で刺繍をしたりして暮らしている。
王宮の倉庫やラーケンアーヴで仕入れてきたスパイスを、セイと2人でああでもないこうでもないと味見しながら配合してカレーを作ったのは楽しかった。
カレーは王宮内で大変に人気を博したらしく、原材料の希少さからかなりの値段が付けられたにも関わらず、アンコールの要望が耐えないらしい。
明日は何を作ろうかなと考えながら、マナトは刺繍枠に嵌めた布に糸を通す。
今刺繍を施しているのは、以前ライオネルに借りたハンカチだ。
旅行先のドタバタですっかり失念しており、きちんと返さねばとメイドに洗濯をお願いしたのだが、そのまま返すのでは失礼かと相談したところ、メイドが刺繍をしてはどうかと提案してくれたのだ。
こんな高級なハンカチに糸を入れていいのかと思いはしたが、マナトもそれなりに針には覚えがある。
神子のためにと用意された刺繍箱の中に入っていた金糸と青銀の糸で、丁寧に百合の花の刺繍を施す。
ライオネルという名のイメージに沿えば獅子などがいいのだろうが、ハンカチにはあまりそぐわない。
それに、マナの中でライオネルは獅子というより鷹や豹のように俊敏なイメージが強く、ますますモチーフとして遠ざかっていった。
(ライオネル様、喜んでくれるかな……)
マナトは一針一針、思いを込めて糸を通していく。マナトの気持ちに呼応して糸が輝いた。
思えばライオネルは、一度も自分を責めたことがない。いつも大事にしてくれたし、王位継承権を剥奪させられそうになっても、マナトと婚約者のような扱いを受けるようになっても、気にすることはないと言ってくれる。
マナトは優しい人が好きだ。最初は返り血を浴びせられて怯えたこともあったけれど、今はもうライオネルが自分を傷つけることはないと知っている。
このままライオネルと結婚することになってもいいのかもしれない、と思う気持ちと、でもライオネルに愛する人が出来たら、と思う気持ちの間でマナトは揺れていた。
王妃としての仕事は、神子の仕事もあるため最低限でいいらしいとは聞いているが、それならマナトがやらない仕事は誰がこなすのか。
それはやはり、側室や第二夫人など他に迎えられる女性なのではないだろうかと思う。
心がもやついて、マナトは刺繍の手を止めた。
こんな気持ちでお礼の品に針をいれたくない。
椅子から立ち上がって窓辺に近付き、そこから中庭を覗きこむと、セイがマクシミリアンと剣を交えていた。
最近はセイは指南役の手を離れ、よくこうしてマクシミリアンと立会をしている。
マクシミリアンも最初は渋っていたが、いよいよウエスト周りが気になってきたため、運動がてら相手をしているようだった。
2人に比べて頻度は少ないが、ライオネルも中庭に姿を現すことがある。
ライオネルは2人の打ち合いを見て幾つかアドバイスをしたり、本当にごくたまにセイの相手を務めることもあるのだが、その身のこなしと早さ、振り下ろす剣の力強さには目を奪われてしまう。
実際ライオネルの剣は相当重いらしく、セイは稽古をつけてもらう度に『腕がもげそう』『マジでゴリラ』などとぼやいている。
まだ12歳なのにこんな短時間でライオネルの剣を受け止められるだけになっている事自体凄いとマナトは思うのだが、セイはまだまだ納得がいっていないようだった。
「僕も剣とか始めたほうがいいのかなぁ」
何の気なしに呟いたマナトの後ろで、ガチャーンと陶器が割れる音がする。
振り向くと、メイドのリジーがティーカップを落として真っ青になっていた。
「大丈夫?リジー。怪我はない?」
マナトが駆け寄って声をかけると、音を聞きつけた他のメイドたちが足早に駆けつけてきて、こぼれたお茶と割れたカップを手際よく掃除しはじめた。
「は、はい……申し訳ありません、マナト様」
「あやまらなくっていいんだよ。でも珍しいね」
リジーはまだ17歳という若さだが、かなり幼い頃から貴族の屋敷で働き、今は亡きライオネルの母親である王妃に気に入られて王宮務めになったという実力の持ち主だ。
いつも冷静沈着で完璧に仕事をこなす彼女が、まさかこんな失敗をするとは。
「あ、責めてるんじゃないんだよ。むしろ、リジーも時々は失敗しちゃうこともあるんだなってわかって、ちょっと親近感」
えへへ、と笑う優しい主に、リジーの心は打ち震える。
今まで横暴で我儘な主人、冷徹で使用人を同じ人間と思わない主人から、正当に自分を評価してくれる寛大な主人まで様々な主人に仕えてきたが、その中でもマナトは最も慈愛に満ちて愛らしく庇護欲をそそられる主人である。
王妃様が亡くなった時は、もう心を捧げるような主人は作るまいと思ったのに、あっという間に心を鷲掴みにされている。さすがは神子ということなのか。
そんなふわふわして儚げな主人が、汗臭い男どもに混じって剣を握り、変な筋肉をつけたり美しい御手に剣ダコをつくったりするかもしれないと想像するだけで目眩がする。
動揺のあまりティーカップを取り落とすなどといった恥ずかしいミスを犯してしまったが、それすらも心優しい主人はいたわってくれる。この職場は天国だ。
「あの……マナト様、マナト様は剣に興味がおありなのですが?」
出過ぎた質問をしていると思いつつも、リジーは尋ねずにいられなかった。
もしマナトがやりたいと望むなら、使用人として最大限のバックアップをしなくてはならない。
主の希望を叶え、それでいて愛らしさとたおやかさを失わないようにするためには、どうしたらいいのだろうか。
「あ、聞かれてた?ふふ。興味はなくはないけどね、でも僕には向いてないかな。あんまり運動神経がよくないし、正直ちょっとこわいしね」
「そうですか…………いえっ、けしてマナト様が運動音痴などということはありませんけれども!こんなに美しい刺繍を紡がれる、繊細な指先をお持ちなのですもの。剣ぐらいは他の殿方にお任せになっても宜しいかと」
「そうかなぁ?……ありがと、リジー」
マナトはリジーに褒められて嬉しくなり、再び針を手に取った。
心がポカポカして、イマジネーションが沸いてくる。
そうしているとマナトの糸は再びほんのりと光りを放ち始めた。いつもではないが、調子が乗ると時々こうして糸が光るのだ。
マナトが紡いだ銀の百合の刺繍は、とても素人の手慰みとは思えないほどの出来栄えとなった。
翌日、マナトは出来上がったハンカチを丁寧に畳んで、ライオネルに渡そうと準備をした。
ライオネルは王太子への就任が決まってからますます忙しくなったらしく、ここ数日は朝食の時ぐらいしか顔を合わせることがない。
しかし、セイやマクシミリアンも会する朝食の場でハンカチを渡すのはなんとなく憚られて、マナトはいつも持ち歩きながらタイミングを見計らっていた。
しかし、そう思っているとなかなかチャンスは訪れないもので、ハンカチを持ち運び始めてからもう10日も経ってしまっていた。
昨日は遂に朝食も一緒に摂ることが出来ず、マナトはため息を吐く。
きっと渡したら喜んでくれるだろうと思っていたのに、出鼻を挫かれたお陰で不安になってきた。
もしかして、ライオネルはハンカチを返されても迷惑かもしれない。
銀の百合は好みじゃないかもしれない。
そもそも刺繍なんて余計なことをと思われてしまうかも……。
そんな考えが次々に浮かび、マナトはしょんぼりとしてしまう。
セイはそんなマナトの心の動きを察知し、マナトを畑へと誘った。
王宮の一角で家庭菜園を始めたいと要望を出し、きちんと許可が取れたのだ。
元々花壇だったため土の状態は悪くないが、作物がきちんと育つかはまた別の問題だろう。
まずは比較的育てやすいと聞いたナスとほうれん草を育てる事に決めた。
「こっちの日当たりのいいところはナスにして、ちょっと日陰のほうにほうれん草がいいんだって」
土起こしはすっかり丸投げしてしまったが、今やセイもマナトも高貴な身分である。少しぐらいは許されるだろうと、レジャー気分でワイワイと土をいじった。
「ナスとほうれん草かぁ。育ったら何にしようかな」
「煮浸し食べたいな。ほうれん草っておひたし以外になんかある?」
「何にでもいれられるからねぇ。かきたま汁に入れてもいいし、豚肉と常夜鍋なんかもいいんじゃないかな。ナスもほうれん草も和食だけでなく洋食にもイタリアンにも使えるから」
「パスタがほしいよねぇ」
「ほしいねぇ……そうしたらほうれん草のクリームパスタも揚げナスのアラビアータも、黒胡椒たっぷりのカルボナーラも作れちゃうのに」
「やめてよマナト~余計食べたくなっちゃうじゃん」
お年頃の男の子たちは、何をしていてもお腹が空く。
米を手に入れたら、今度はパスタが食べたくなるのだから探究は果てしない。
すっかり元気を取り戻したマナトに、セイは満足する。
実際のところ、マナトはライオネルのことをどう思っているのだろうか。
知りたいが、今確認するのは藪蛇な気がしてセイは口を噤んだ。
マナトの元気がなくなっているのも、最近ライオネルとまともに過ごせる時間が減り、今朝は遂に遠方視察とかで朝食の場に現れなかったことが関係しているのに違いない。
マクシミリアンもそれに連動するかのように多忙になり、稽古に付き合ってくれる時間も減った。
マナトだけいればいいと思っているセイだが、なんだかつまらないと思う自分も自覚している。
セイもマナトも、元々ぼっちで過ごすことが多かった人間だ。2ヶ月程度とはいえ、ずっと一緒に過ごしてきた2人には、それなりに情が移っていることは否めない。
(だめだなー、あんまりよくない傾向……)
セイは庭に寝転がり、暖かな日差しを受けてゴロゴロしながらそう思った。
セイのしようとしている未来では、王家は教会と反目し合う存在となる。
王室の権威を削いで、神子と対立する構造を作ってこそ、ライオネルとマナトの事実上の婚約も反故になるというものだ。
セイとマナトが結ばれる未来は、そこでしか得ることは出来ない。
優しく親切なメイド、気さくに接してくれる調理場の料理人達、ムカつくけれど話が合うところもあるライオネル、貧乏くじばかりで苦労症のマクシミリアン……。
彼らと対立することになど、マナトは果たして受け容れてくれるだろうか。
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