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第一章 姫城主
三
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道雪の口にした「聟殿」という言葉に、誾千代は抱えていた不審が、やっと晴れるのを感じていた。
「ああ、聟殿で御座いますか。御父上が先ほどから思い浮かべていた若殿は誰かと、ずっと首を捻っておりました」
誾千代の答を聞いて、道雪の顔に、苦々しい表情が浮かんだ。道雪は自分の顔に浮かんだ表情を、慌てて消そうとするように、つるりと手の平で拭って見せた。
「誾千代! そのような話柄を、儂以外の前で口にするでないぞ。重々、承知の上であろうが……」
父親の忠告に、誾千代は重々しく頷いた。充分、父親の懸念は、判っていた。
誾千代は、他人の心が読める。
修験道などでは〝他心通〟などと称される能力が、誾千代には生まれながらに備わっていた。これは、父親の道雪と、誾千代だけの、秘密だった。
他人の心が読める、といっても、考えている言葉が、はっきり、読み取れるわけではない。誾千代が感じ取れる内容は、他人の感情や、心に浮かぶ想念などだ。
感じ取れる範囲は、概ね、十間ほど。だが、血縁の濃い間柄、たとえば父親の道雪ならば、距離が離れていても、感じ取れる。
道雪の心の中に、見知らぬ若者の姿が、ずっと浮かんでいて、この若者は誰なのだろう? と、誾千代は考え込んでいた。
城の中に住まう、侍の誰かではない。城の近くでも、領内にいる誰かでもなかった。
父親の心の中に浮かんでいる若者の姿は、若々しいが、爽やかな顔つきで、道雪はこの若者に、並々ならぬ好意を抱いているのが、誾千代には感じ取れた。
ここが他人の心を読む時、注意しなければならない、肝心な点であった。人は想念の中で、好意を抱く相手には、無意識に理想化を施してしまう。逆に、嫌悪感を抱くと、想念の中では、醜い姿に思い浮かべる。
道雪が誾千代について思い浮かべると、その姿は無意識だろうが、十歳以前の、幼い姿だった。父親の心に思い浮かべられる自分の姿に、誾千代は密かに苦笑してしまうのが、常だった。
父親が思い浮かべる若者は、それほど爽やかな姿では、ないのだろう。年齢も、道雪の想念では、誾千代と同じほどの年頃だが、これも当てにはならない。
誾千代と結婚させようと考えているため、無意識に誾千代と同世代に修正している可能性は、ある。
結婚──か……。
正直、誾千代は、自分の将来について、漠然としか、考えていなかった。自分は戸次家の後嗣であるから、当然、聟をとり、家の安泰を図る義務があるとは、承知している。
誾千代は、父親に向き直った。
「父上、それで私の聟殿となられるおかたの、お名前をお漏らし下さいますか?」
「おお……」
すっかり失念した、といった表情になって、道雪は自分の額を、ぴしゃりと音を立てて叩いた。
「うっかりしておった。お前の聟殿になられるのは、統虎彌七郎殿と申されて、高橋紹運殿の、御長男じゃ!」
高橋紹運という名前が挙がり、誾千代は納得した。
父親の道雪とは、主家と仰ぐ大友宗麟の、車の両輪ともいえる、重要な役目を任されている。
いよいよ、誾千代にとっては、のっぴきならない状況といえる。無論、誾千代は、この結婚を断ろうなどと、一度たりとも考えたりはしないが。領主の娘なら、ましてや跡継ぎの身では、政略結婚は、当然の選択と覚悟していた。
「彌七郎殿は、永禄十四年生まれじゃから、ええと……」
道雪は、ひい、ふう、みい……と口の中で数え「御歳、十二歳になるな」と呟いた。
誾千代は、自分より二歳年下か、と頷いた。
武家同士の結婚で、十二歳は不思議でも何でもない。もっと幼い年頃で結婚した例は、枚挙にいとまがない。誾千代が十四歳、相手の聟が十二歳なら、それほど年齢が離れていないから、歳相応と思われる。
もっとも、実際の同衾は、相手の彌七郎が元服してからであろうが。
道雪は話題を切り替えるためか、庭先に目をやって、懐手になった。
「それより、誾千代。相変わらず、甚兵衛相手に、剣術の朝稽古か?」
道雪の心中に、甚兵衛の顔が浮かんだ。父親の想念に浮かぶ甚兵衛は、なぜか実際の年齢よりも年老いて、がっくりと肩が落ちていた。
「あやつも歳じゃ。あまり痛めつけるでないぞ」
道雪に諭され、誾千代の頬に血が昇った。
「父上は、甚兵衛にお会いになられたので御座いますか?」
道雪は「ぐすっ」と、鼻の奥で笑った。
「甚兵衛め、薬師が膏薬を進ぜると申すのを、断わりおったわ! 十四歳の娘に、したたかに打ち据えられたとは、言えなかったのじゃろうな!」
誾千代は俯いた。
甚兵衛に剣の手ほどきを受け、七年になる。最初の頃は、木刀を持つのも、やっとだったが、体力がつくに連れ、教師の甚兵衛が驚くほど、早い進歩を見せていた。十歳になるころには、甚兵衛はほとんど、誾千代に教える技は、種枯れてしまっていた。
誾千代の、他人の心を読む能力が可能にした、奇跡だった。他人の心を読めば、相手が狙っている箇所がわかるし、攻撃される瞬間も悟れる。自然と、誾千代は幼くして、剣術の達人となっていた。
これは卑怯なのではないか、と誾千代は密かに考えていた。
誾千代は顔を挙げ、真っ直ぐ道雪に向き直った。
「判り申しました。誾千代は今日限り、甚兵衛相手の朝稽古を、取りやめます!」
誾千代の宣言に、道雪は目を逸らした。
「それが良い……」
気まずい雰囲気を何とかしようとしたのか、わざとらしく大声を上げた。
「それに花嫁が、剣術の稽古など、聟殿が逃げ出しては困るからなあ!」
言い終わると、再び天井を仰ぎ、わははは……と豪傑笑いで締め括った。
道雪の想念に、顔色を蒼白にして、ちょこまかとした小走りで城を逃げ出す彌七郎の姿が映し出され、姿の滑稽さに、誾千代は吹き出していた。
どんな聟殿なのだろう……。
誾千代は、相手の彌七郎の顔を、早く見たいと思い始めていた。
が、道雪の笑い顔を見ているうちに、誾千代は、ある思いつきに息を吸い込み、口を開いた。
「父上、ひとつお願いを聞いて下さいませ」
「な、何っ?」
改まった誾千代の口調に、道雪は身構えた。誾千代はすらりと言葉を放った。
「甚兵衛相手の朝練は取りやめますゆえ、別の練習相手をお探し下され!」
誾千代の提案に、道雪は唇をへの字に曲げ、考え込んでしまった。
「ああ、聟殿で御座いますか。御父上が先ほどから思い浮かべていた若殿は誰かと、ずっと首を捻っておりました」
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父親の忠告に、誾千代は重々しく頷いた。充分、父親の懸念は、判っていた。
誾千代は、他人の心が読める。
修験道などでは〝他心通〟などと称される能力が、誾千代には生まれながらに備わっていた。これは、父親の道雪と、誾千代だけの、秘密だった。
他人の心が読める、といっても、考えている言葉が、はっきり、読み取れるわけではない。誾千代が感じ取れる内容は、他人の感情や、心に浮かぶ想念などだ。
感じ取れる範囲は、概ね、十間ほど。だが、血縁の濃い間柄、たとえば父親の道雪ならば、距離が離れていても、感じ取れる。
道雪の心の中に、見知らぬ若者の姿が、ずっと浮かんでいて、この若者は誰なのだろう? と、誾千代は考え込んでいた。
城の中に住まう、侍の誰かではない。城の近くでも、領内にいる誰かでもなかった。
父親の心の中に浮かんでいる若者の姿は、若々しいが、爽やかな顔つきで、道雪はこの若者に、並々ならぬ好意を抱いているのが、誾千代には感じ取れた。
ここが他人の心を読む時、注意しなければならない、肝心な点であった。人は想念の中で、好意を抱く相手には、無意識に理想化を施してしまう。逆に、嫌悪感を抱くと、想念の中では、醜い姿に思い浮かべる。
道雪が誾千代について思い浮かべると、その姿は無意識だろうが、十歳以前の、幼い姿だった。父親の心に思い浮かべられる自分の姿に、誾千代は密かに苦笑してしまうのが、常だった。
父親が思い浮かべる若者は、それほど爽やかな姿では、ないのだろう。年齢も、道雪の想念では、誾千代と同じほどの年頃だが、これも当てにはならない。
誾千代と結婚させようと考えているため、無意識に誾千代と同世代に修正している可能性は、ある。
結婚──か……。
正直、誾千代は、自分の将来について、漠然としか、考えていなかった。自分は戸次家の後嗣であるから、当然、聟をとり、家の安泰を図る義務があるとは、承知している。
誾千代は、父親に向き直った。
「父上、それで私の聟殿となられるおかたの、お名前をお漏らし下さいますか?」
「おお……」
すっかり失念した、といった表情になって、道雪は自分の額を、ぴしゃりと音を立てて叩いた。
「うっかりしておった。お前の聟殿になられるのは、統虎彌七郎殿と申されて、高橋紹運殿の、御長男じゃ!」
高橋紹運という名前が挙がり、誾千代は納得した。
父親の道雪とは、主家と仰ぐ大友宗麟の、車の両輪ともいえる、重要な役目を任されている。
いよいよ、誾千代にとっては、のっぴきならない状況といえる。無論、誾千代は、この結婚を断ろうなどと、一度たりとも考えたりはしないが。領主の娘なら、ましてや跡継ぎの身では、政略結婚は、当然の選択と覚悟していた。
「彌七郎殿は、永禄十四年生まれじゃから、ええと……」
道雪は、ひい、ふう、みい……と口の中で数え「御歳、十二歳になるな」と呟いた。
誾千代は、自分より二歳年下か、と頷いた。
武家同士の結婚で、十二歳は不思議でも何でもない。もっと幼い年頃で結婚した例は、枚挙にいとまがない。誾千代が十四歳、相手の聟が十二歳なら、それほど年齢が離れていないから、歳相応と思われる。
もっとも、実際の同衾は、相手の彌七郎が元服してからであろうが。
道雪は話題を切り替えるためか、庭先に目をやって、懐手になった。
「それより、誾千代。相変わらず、甚兵衛相手に、剣術の朝稽古か?」
道雪の心中に、甚兵衛の顔が浮かんだ。父親の想念に浮かぶ甚兵衛は、なぜか実際の年齢よりも年老いて、がっくりと肩が落ちていた。
「あやつも歳じゃ。あまり痛めつけるでないぞ」
道雪に諭され、誾千代の頬に血が昇った。
「父上は、甚兵衛にお会いになられたので御座いますか?」
道雪は「ぐすっ」と、鼻の奥で笑った。
「甚兵衛め、薬師が膏薬を進ぜると申すのを、断わりおったわ! 十四歳の娘に、したたかに打ち据えられたとは、言えなかったのじゃろうな!」
誾千代は俯いた。
甚兵衛に剣の手ほどきを受け、七年になる。最初の頃は、木刀を持つのも、やっとだったが、体力がつくに連れ、教師の甚兵衛が驚くほど、早い進歩を見せていた。十歳になるころには、甚兵衛はほとんど、誾千代に教える技は、種枯れてしまっていた。
誾千代の、他人の心を読む能力が可能にした、奇跡だった。他人の心を読めば、相手が狙っている箇所がわかるし、攻撃される瞬間も悟れる。自然と、誾千代は幼くして、剣術の達人となっていた。
これは卑怯なのではないか、と誾千代は密かに考えていた。
誾千代は顔を挙げ、真っ直ぐ道雪に向き直った。
「判り申しました。誾千代は今日限り、甚兵衛相手の朝稽古を、取りやめます!」
誾千代の宣言に、道雪は目を逸らした。
「それが良い……」
気まずい雰囲気を何とかしようとしたのか、わざとらしく大声を上げた。
「それに花嫁が、剣術の稽古など、聟殿が逃げ出しては困るからなあ!」
言い終わると、再び天井を仰ぎ、わははは……と豪傑笑いで締め括った。
道雪の想念に、顔色を蒼白にして、ちょこまかとした小走りで城を逃げ出す彌七郎の姿が映し出され、姿の滑稽さに、誾千代は吹き出していた。
どんな聟殿なのだろう……。
誾千代は、相手の彌七郎の顔を、早く見たいと思い始めていた。
が、道雪の笑い顔を見ているうちに、誾千代は、ある思いつきに息を吸い込み、口を開いた。
「父上、ひとつお願いを聞いて下さいませ」
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