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第二章 切支丹大名
二
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その時、誾千代の心は、接近する他人の心を感知していた。僅かに遅れて、ひたひたと廊下を歩く音が聞こえ、道雪も音の方向に顔を向けた。
障子の陰から、一人の侍が姿を現した。年齢は道雪と同じくらいだが、気の毒なほど痩せていて、年老いて見えた。
老人は廊下で、片膝をついて深々と頭を下げた。
「宗麟様が、御両所に面会なされます。拙者が御案内を仕ります」
道雪は老人に向き直り、頭を下げた。
「かたじけない。では、今すぐに……」
言い終わると、さっと立ち上がった。父親の動作を見て、誾千代も腰を挙げた。二人が廊下に出ると、老人は「では、こちらへ」と、おもむろに背中を見せ、先に立った。
廊下を歩く老人は、誾千代にはじれったいほど、ゆったりと歩を進ませていた。
いや、ゆったりと表現するのは美しすぎる。実際には、老人はよたよたとした歩みで、今にもばったりと倒れ込むのではないかと、誾千代ははらはらしていた。
亀のごとき歩の進みで、老人は廻り廊下を案内して、これでは陽のあるうちに、宗麟の前に出られないのではないか? と誾千代が危ぶんだ。
それでも遂に、老人は二人を、目的地へ無事、案内してくれた。
大広間に、宗麟は二人を待っていた。
広々とした板張りの大広間に、宗麟の家来がずらりと居並び、二双の屏風を背に、宗麟その人が、座っていた。
「やあ! 戸次道雪! 久し振りであるな! 待ちかねたぞ!」
甲高い叫び声で、宗麟が遥か彼方から呼び掛けてきた。道雪は宗麟に向かい、堅苦しく頭を下げた。
「お招きにより、参上仕りました」
「隣におられる美形は、お主の娘か? 噂通りの美女じゃのう……」
話題に上られ、誾千代は目を見開くようにして、大広間に傲然と座る人物を見定めた。
これが、大友宗麟か?
初めて顔を合わせるが、宗麟の顔貌は、父親の記憶から凡その見当はついていた。しかし、実際に目にする宗麟の姿は、誾千代の想像とは、かなり懸け離れていた。
享禄三(一五三〇)年の生まれであるから、年齢は今年四十歳。想像していたよりは、かなり若々しい印象だった。
頭は禿頭だが、禿げているのではなく、剃り上げていた。数年前に禅宗に帰依して、以来ずっと宗麟と名乗り、僧形にしているらしい。
しかし四年前の天正五年に、宗麟は基督教に心を移し、宣教師から洗礼を受け、ドン・フランシスコと洗礼名を授かっている。
隠居して子の義統に家督を譲ったと聞いているが、宗麟の佇まいは、隠居した老人とは思えないほど、昂然としていた。
宗麟は二人に向かって性急な様子で、手招きを繰り返した。
「来よ! 二人とも、そこでは遠すぎる。早く、儂の前へ来よ!」
慌しく手招きする宗麟の様子は、少し子供っぽく、誾千代には映った。
禅宗から基督教に宗旨を変える軽々しさといい、多分に軽忽な性格をしているのではないか、と思った。
親子二人で、大広間を進むと、両側に居並ぶ家臣が、興味津々の様子で見守っていた。
誾千代は家臣らの想念を、歩きながら読み取った。
可笑しかったのは、若い家臣たちが誾千代の姿に、素裸の誾千代の姿を重ね合わせる、想念を読み取ったときだ。
誾千代が成長するうち、立花城の家来のうち、若い男たちは、一様に裸の誾千代を想像するようだった。最初は一々驚いたが、今は慣れっこになっていた。むしろ、健康な想像だと、許すようになっていた。
宗麟の前に進み出て、誾千代は道雪と並んで腰を下ろした。大広間は普通の板張りで、こちらのほうが慣れているので、誾千代は安んじて座を作った。
間近に見る大友宗麟の顔は、息苦しいほどの美男だった。顔立ちは整いすぎるほどに整い、目、鼻、口とも完全な位置にあって、隙が一切ない顔立ちだった。
両目はさっきから、一度たりとも瞬きをしない。
くわっ、と見開いたまま、まじまじと誾千代に視線を注いでいる。
案の定、宗麟も誾千代の素っ裸を想像しているが、誾千代が密かに顔を赤らめるほど、露骨で、克明だった。
誾千代が宗麟の心を読み取った結果、相当に宗麟は頭が切れそうだ。その点は、父親の道雪と似ているが、宗麟の心は常に張り詰め、心に浮かんだ思い付きを、すぐに口にしてしまうような感触を受けた。
これでは身近な家臣は、一瞬たりとも心が休まる暇はないのではないか、と誾千代は想像した。
「道雪殿には、儂は感謝してもしたりないくらい、恩を感じておるぞ。幾たびの大友家の危機に、道雪殿には先頭に立って戦いに赴いて貰ったからのう……」
宗麟の口にした感謝の言葉は、誾千代にはつるつると上滑りして、空々しかった。なぜなら誾千代は、宗麟の心を読み取り、言葉とは裏腹に、道雪に対する苛立たしさを感じ取っていたからだ。
「殿のお言葉、痛み入ります」
道雪は、軽く頭を下げた。その様子から、誾千代は、父親も宗麟に対し、微妙な感情を抱いているのだと、確信した。
うむうむ、と宗麟は何度も頷き、ぴょこんと発条仕掛けのように、顔の向きを変えた。両腕を挙げて、頭の上でぱんぱん、と幾度か手を打った。
宗麟が合図して、すぐに大広間の廊下に、数人の侍に連れられ、一人の若者が姿を現した。
「あれが、誾千代姫の聟殿じゃ!」
満足そうに頷き、宗麟が宣言した。
誾千代はさっと背後を振り向き、聟となる高橋彌七郎の顔を見上げていた。
障子の陰から、一人の侍が姿を現した。年齢は道雪と同じくらいだが、気の毒なほど痩せていて、年老いて見えた。
老人は廊下で、片膝をついて深々と頭を下げた。
「宗麟様が、御両所に面会なされます。拙者が御案内を仕ります」
道雪は老人に向き直り、頭を下げた。
「かたじけない。では、今すぐに……」
言い終わると、さっと立ち上がった。父親の動作を見て、誾千代も腰を挙げた。二人が廊下に出ると、老人は「では、こちらへ」と、おもむろに背中を見せ、先に立った。
廊下を歩く老人は、誾千代にはじれったいほど、ゆったりと歩を進ませていた。
いや、ゆったりと表現するのは美しすぎる。実際には、老人はよたよたとした歩みで、今にもばったりと倒れ込むのではないかと、誾千代ははらはらしていた。
亀のごとき歩の進みで、老人は廻り廊下を案内して、これでは陽のあるうちに、宗麟の前に出られないのではないか? と誾千代が危ぶんだ。
それでも遂に、老人は二人を、目的地へ無事、案内してくれた。
大広間に、宗麟は二人を待っていた。
広々とした板張りの大広間に、宗麟の家来がずらりと居並び、二双の屏風を背に、宗麟その人が、座っていた。
「やあ! 戸次道雪! 久し振りであるな! 待ちかねたぞ!」
甲高い叫び声で、宗麟が遥か彼方から呼び掛けてきた。道雪は宗麟に向かい、堅苦しく頭を下げた。
「お招きにより、参上仕りました」
「隣におられる美形は、お主の娘か? 噂通りの美女じゃのう……」
話題に上られ、誾千代は目を見開くようにして、大広間に傲然と座る人物を見定めた。
これが、大友宗麟か?
初めて顔を合わせるが、宗麟の顔貌は、父親の記憶から凡その見当はついていた。しかし、実際に目にする宗麟の姿は、誾千代の想像とは、かなり懸け離れていた。
享禄三(一五三〇)年の生まれであるから、年齢は今年四十歳。想像していたよりは、かなり若々しい印象だった。
頭は禿頭だが、禿げているのではなく、剃り上げていた。数年前に禅宗に帰依して、以来ずっと宗麟と名乗り、僧形にしているらしい。
しかし四年前の天正五年に、宗麟は基督教に心を移し、宣教師から洗礼を受け、ドン・フランシスコと洗礼名を授かっている。
隠居して子の義統に家督を譲ったと聞いているが、宗麟の佇まいは、隠居した老人とは思えないほど、昂然としていた。
宗麟は二人に向かって性急な様子で、手招きを繰り返した。
「来よ! 二人とも、そこでは遠すぎる。早く、儂の前へ来よ!」
慌しく手招きする宗麟の様子は、少し子供っぽく、誾千代には映った。
禅宗から基督教に宗旨を変える軽々しさといい、多分に軽忽な性格をしているのではないか、と思った。
親子二人で、大広間を進むと、両側に居並ぶ家臣が、興味津々の様子で見守っていた。
誾千代は家臣らの想念を、歩きながら読み取った。
可笑しかったのは、若い家臣たちが誾千代の姿に、素裸の誾千代の姿を重ね合わせる、想念を読み取ったときだ。
誾千代が成長するうち、立花城の家来のうち、若い男たちは、一様に裸の誾千代を想像するようだった。最初は一々驚いたが、今は慣れっこになっていた。むしろ、健康な想像だと、許すようになっていた。
宗麟の前に進み出て、誾千代は道雪と並んで腰を下ろした。大広間は普通の板張りで、こちらのほうが慣れているので、誾千代は安んじて座を作った。
間近に見る大友宗麟の顔は、息苦しいほどの美男だった。顔立ちは整いすぎるほどに整い、目、鼻、口とも完全な位置にあって、隙が一切ない顔立ちだった。
両目はさっきから、一度たりとも瞬きをしない。
くわっ、と見開いたまま、まじまじと誾千代に視線を注いでいる。
案の定、宗麟も誾千代の素っ裸を想像しているが、誾千代が密かに顔を赤らめるほど、露骨で、克明だった。
誾千代が宗麟の心を読み取った結果、相当に宗麟は頭が切れそうだ。その点は、父親の道雪と似ているが、宗麟の心は常に張り詰め、心に浮かんだ思い付きを、すぐに口にしてしまうような感触を受けた。
これでは身近な家臣は、一瞬たりとも心が休まる暇はないのではないか、と誾千代は想像した。
「道雪殿には、儂は感謝してもしたりないくらい、恩を感じておるぞ。幾たびの大友家の危機に、道雪殿には先頭に立って戦いに赴いて貰ったからのう……」
宗麟の口にした感謝の言葉は、誾千代にはつるつると上滑りして、空々しかった。なぜなら誾千代は、宗麟の心を読み取り、言葉とは裏腹に、道雪に対する苛立たしさを感じ取っていたからだ。
「殿のお言葉、痛み入ります」
道雪は、軽く頭を下げた。その様子から、誾千代は、父親も宗麟に対し、微妙な感情を抱いているのだと、確信した。
うむうむ、と宗麟は何度も頷き、ぴょこんと発条仕掛けのように、顔の向きを変えた。両腕を挙げて、頭の上でぱんぱん、と幾度か手を打った。
宗麟が合図して、すぐに大広間の廊下に、数人の侍に連れられ、一人の若者が姿を現した。
「あれが、誾千代姫の聟殿じゃ!」
満足そうに頷き、宗麟が宣言した。
誾千代はさっと背後を振り向き、聟となる高橋彌七郎の顔を見上げていた。
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