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水虎の巻
一
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「おい〝土掘り〟!」
押し殺した怒りの声に、時太郎は振り向いた。仲間の河童の一人が、上目遣いに時太郎を睨んでいる。
背後には数人の河童たちが、厭な目付きで、じろじろと「成り行きや如何に?」と見守っている。
むっとなって、時太郎は答える。
「おれは、時太郎! 名前で呼べよ。それに、おれは〝土掘り〟じゃないぞ」
けっ、と河童たちは嘲笑った。
「何を生意気に! おめえは〝土掘り〟じゃねえか? さっさと仲間の〝土掘り〟の所へ行っちまえよ」
どん、と腕を伸ばして時太郎の肩を突く。突かれて、時太郎は尻餅をついた。
河童の力は十人力、と言われる。ひょろひょろに痩せていて、どこにそんな筋力があるのかと思われるが、河童は意外な膂力を秘めていた。
くそっ、と時太郎は立ち上がり、拳を固めた。
時太郎の勢いに、河童たちの目が残忍な期待に煌{きら}めいた。
その時──
「やめい! 何を揉めておるのか?」
嗄れた老河童の声が、その場にいた全員の足を止めさせた。岩の上に長老が杖を突き、きつい目で時太郎たちを見下ろしている。
「喧嘩をしておる時ではないはずじゃ。そうじゃな、時太郎」
時太郎は俯いた。
背後で河童たちが、こそこそと場を離れる気配がしている。長老を見上げると、優しい目付きで微かに微笑んでいる。
ぴょん、ぴょんと岩に足をつけ、長老は意外と身軽に時太郎の側までやってくる。ちょっと首を傾け、歩き出した。従いてこい、というつもりらしい。
「お前のせいではないよ」
並んで歩くと、小柄な長老は時太郎を見上げながら声を掛けた。
時太郎は無言でうなずく。
「わしら河童は人間たちとは、なるべく関わらぬよう暮らしてきた。それが思いもかけず、あんな戦いになってしまった。あまつさえ、惨めな敗けで、ほうほうの体で逃げざるを得なくなって、お前に怒りをぶつけておるのじゃ。まあ、我慢することじゃ」
長老は顔を顰めた。
「しかし、この匂い! なんとか、ならんものかのう……」
辺り一帯には硫黄の濃密な匂いが立ち込めている。
上流からは温泉が滝の水に混じり、河童淵の沼はどろりとした乳色をしている。水温が上がって、表面からは湯煙が出ていた。
所々、熱にやられたのか、数尾の魚が白い目を剥き出して腹を見せ、ぷかぷかと水面に浮かんでいる。
河童の一人が恐る恐る魚を掬い上げ、口に持っていった。がぶりと噛み付き、すぐ「ぺっ!」と吐き出した。熱を通した魚など、食べた経験がないのだ。
水量が増え、河童淵の畑は水に浸って全滅していた。
河童の女たちは憂鬱そうな表情で、残った作物を収穫して、竹の笊に入れている。お花も女たちに混じり、残された胡瓜や香瓜、赤茄子をもぎ取っていた。
「これではもう、ここには住めぬな」
溜息をつき、長老は呟いた。
「長老さま、人間たちに仕返しは、しないんですか?」
長老は眉を下げ、首を振った。
「仕返ししようにも、男たちは大多数が、やられてしもうた……」
河童淵には、あちこち怪我をした河童たちが情けない顔つきでへたりこんでいる。戦いは一方的なものだったが、奇跡的に死人は出ていない。
しかし腕や足を回復不能なまでにやられ、みな意気消沈していた。とても復讐など考える余地は無さそうだ。
ふと時太郎は、大きな岩にぽつんと座っている河童を見上げた。父親の三郎太だ。
何を考えているのか、三郎太はぼんやりとした無表情で、凍りついたように身動きもしていない。
時太郎には時々、父親の三郎太の言動が判らなくなる。まるで二人の三郎太が父親の中にいて、代わる代わる入れ替わるような印象がある。
普段は優しく、荒げた声一つとして上げたことのない父親であったが、もう一人の三郎太が居る時は、時太郎には声を掛けることを躊躇う〝なにか〟があるようだった。
今も、そうだ。
三郎太は真っ直ぐ、滝壺の方向を見つめていた。
押し殺した怒りの声に、時太郎は振り向いた。仲間の河童の一人が、上目遣いに時太郎を睨んでいる。
背後には数人の河童たちが、厭な目付きで、じろじろと「成り行きや如何に?」と見守っている。
むっとなって、時太郎は答える。
「おれは、時太郎! 名前で呼べよ。それに、おれは〝土掘り〟じゃないぞ」
けっ、と河童たちは嘲笑った。
「何を生意気に! おめえは〝土掘り〟じゃねえか? さっさと仲間の〝土掘り〟の所へ行っちまえよ」
どん、と腕を伸ばして時太郎の肩を突く。突かれて、時太郎は尻餅をついた。
河童の力は十人力、と言われる。ひょろひょろに痩せていて、どこにそんな筋力があるのかと思われるが、河童は意外な膂力を秘めていた。
くそっ、と時太郎は立ち上がり、拳を固めた。
時太郎の勢いに、河童たちの目が残忍な期待に煌{きら}めいた。
その時──
「やめい! 何を揉めておるのか?」
嗄れた老河童の声が、その場にいた全員の足を止めさせた。岩の上に長老が杖を突き、きつい目で時太郎たちを見下ろしている。
「喧嘩をしておる時ではないはずじゃ。そうじゃな、時太郎」
時太郎は俯いた。
背後で河童たちが、こそこそと場を離れる気配がしている。長老を見上げると、優しい目付きで微かに微笑んでいる。
ぴょん、ぴょんと岩に足をつけ、長老は意外と身軽に時太郎の側までやってくる。ちょっと首を傾け、歩き出した。従いてこい、というつもりらしい。
「お前のせいではないよ」
並んで歩くと、小柄な長老は時太郎を見上げながら声を掛けた。
時太郎は無言でうなずく。
「わしら河童は人間たちとは、なるべく関わらぬよう暮らしてきた。それが思いもかけず、あんな戦いになってしまった。あまつさえ、惨めな敗けで、ほうほうの体で逃げざるを得なくなって、お前に怒りをぶつけておるのじゃ。まあ、我慢することじゃ」
長老は顔を顰めた。
「しかし、この匂い! なんとか、ならんものかのう……」
辺り一帯には硫黄の濃密な匂いが立ち込めている。
上流からは温泉が滝の水に混じり、河童淵の沼はどろりとした乳色をしている。水温が上がって、表面からは湯煙が出ていた。
所々、熱にやられたのか、数尾の魚が白い目を剥き出して腹を見せ、ぷかぷかと水面に浮かんでいる。
河童の一人が恐る恐る魚を掬い上げ、口に持っていった。がぶりと噛み付き、すぐ「ぺっ!」と吐き出した。熱を通した魚など、食べた経験がないのだ。
水量が増え、河童淵の畑は水に浸って全滅していた。
河童の女たちは憂鬱そうな表情で、残った作物を収穫して、竹の笊に入れている。お花も女たちに混じり、残された胡瓜や香瓜、赤茄子をもぎ取っていた。
「これではもう、ここには住めぬな」
溜息をつき、長老は呟いた。
「長老さま、人間たちに仕返しは、しないんですか?」
長老は眉を下げ、首を振った。
「仕返ししようにも、男たちは大多数が、やられてしもうた……」
河童淵には、あちこち怪我をした河童たちが情けない顔つきでへたりこんでいる。戦いは一方的なものだったが、奇跡的に死人は出ていない。
しかし腕や足を回復不能なまでにやられ、みな意気消沈していた。とても復讐など考える余地は無さそうだ。
ふと時太郎は、大きな岩にぽつんと座っている河童を見上げた。父親の三郎太だ。
何を考えているのか、三郎太はぼんやりとした無表情で、凍りついたように身動きもしていない。
時太郎には時々、父親の三郎太の言動が判らなくなる。まるで二人の三郎太が父親の中にいて、代わる代わる入れ替わるような印象がある。
普段は優しく、荒げた声一つとして上げたことのない父親であったが、もう一人の三郎太が居る時は、時太郎には声を掛けることを躊躇う〝なにか〟があるようだった。
今も、そうだ。
三郎太は真っ直ぐ、滝壺の方向を見つめていた。
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