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狸穴{まみあな}の巻
七
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波音が聞こえている。
海岸近くの崖沿いに粗末な小屋が並んでいて、その一つに時太郎とお花は全身を縄でぐるぐる巻きにされ、押し込められた。
小屋の中には漁の道具が乱雑に置かれている。おそらく狸穴狸は海で漁をして生活しているのだろう。小屋に窓はないが、粗雑な造りのせいか、羽目板から日差しが内部にこぼれ、それほどの暗さではない。
もぞもぞと身動きをして、お花は上半身を起こした。背中側に両手が縛られ、両足の先も同様なので、起き上がるだけで一苦労だ。
時太郎は背中を見せて横たわっている。
お花は恨めしげに時太郎を見た。
「どうすんのよ、時太郎。あんたのせいよ」
「うるせえなあ……」
背中を見せたまま時太郎は不機嫌に答えた。
どんどんどん、と羽目板が叩かれた。
「お前たち、黙っていろ!」
小屋の外に見張りが立っているのだ。
ずりずりと腰を動かしてお花は時太郎に近づいた。聞こえないように〈水話〉を使う。時太郎は〈水話〉を発することはできないが、聞き取ることはできる。
──ねえ、これからどうするの、って聞いているのよ! 逃げ出すつもり、あんの?
くるりと時太郎はお花に顔を向けた。
「こんな状態で、どうやって逃げ出すってんだ?」
見張りを気にして囁き声である。
お花は背中を見せた。背中側に縛られた両手の指をひらひらさせる。
──指は動くから、縄目をほどけば、なんとかなるんじゃない? ともかく、あたし、こんなところに閉じ込められているのは、まっぴら御免だわ。
「よし……」
時太郎も身動きした。
お互い背中を押し付けあうようにして、手首のいましめをほどくため、指先を動かす。
暫く沈黙の時間が流れる。
ふっとお花と時太郎は同時に溜息をついた。縄目はきつく縛られ、どうやっても、ほどくことはできない。
お花と時太郎は諦めて小屋の羽目板に背中をもたれさせた。
お花が〈水話〉で話し掛ける。
──それにしても、どうしておみつ御前という母親は、ご婚儀に反対したのかしら?
時太郎はお花の顔を見て「どういうことだい?」と口だけを動かして尋ねた。
──なんだか、あの母親が刑部狸に何か提案した、と言ってたわね。それが解決すれば、千代吉さんってお婿さんを連れて行けるんじゃないの?
時太郎は頷いた。しかし、どうすればいいのだ?
と、小屋の外で見張りが身じろぎする気配がする。
「坊っちゃん、ここへ何の御用です?」
「母上が見張りをするお前のため、これを持っていけと仰るのできました……」
心細い返事が聞こえる。見張りの声が嬉しげに弾んだ。
「これは、酒では御座いませぬか! 有り難いことで……」
「ここに置いておきますから、どうぞご存分に……それに、摘みも……」
見張りが座り込む気配がした。
ぐびぐびと喉を鳴らす。暫く喉を鳴らし、舌鼓を打つ音が続いた。
「旨え……やっぱり御前さまは気が利くぜ……」
そのうち、欠伸が聞こえた。どさりと横倒しになる音がして、ぐうぐうという鼾。
とんとんと小屋の戸を叩く音に、時太郎とお花は顔を見合わせた。
「誰だ?」
時太郎は鋭く声を掛けた。
「時太郎さまと、お花さまで御座いますね? わたくし、おみつ御前の息子で千代吉と申します」
時太郎は、藻掻くようにして小屋の羽目板の隙間に目を押し当てた。隙間から微かに外の景色が目に入る。見張りの狸の尻が目に入った。角度が悪く、戸の前にいるであろう相手は見えない。
「見張りは酒に混ぜた眠り薬で朝まで目が覚めません。今のうちなら、わたくしがお二人をお逃がし申し上げます」
千代吉と名乗った相手の言葉は、せかせかと焦っている。
「お早く! 見つかる前に……」
時太郎は羽目板に顔を押し付け答えた。
「判った、頼む!」
かたん、と戸の閂を外す音がして、からりと引き戸が開けられた。
そこに立っていた狸の姿に、時太郎とお花は吃驚した。
鉄の茶釜に手足と顔、尻尾が生えている。茶釜の横腹には「文」と「福」という文字が浮き彫りになっている。
「あんたが、千代吉さん?」
お花の問い掛けに茶釜狸は頷いた。
「はい、わたくしが、千代吉と申します」
驚く時太郎とお花に千代吉は言葉を重ねた。
「わたくし、文福茶釜狸なのです」
文福茶釜狸の千代吉は小屋の中に入ると、小刀を使って時太郎とお花の縄目をぶちぶちと切っていった。
きつく縛られていたので、二人は血行を取り戻すため、暫く手足を擦る。その間にも千代吉は背後を振り返り、苛々と足踏みをしている。誰かに見咎められないかと気が気でないようだ。
「それでは、まいりましょう」
外へ出ようとする千代吉を、時太郎が呼び止めた。
「待て、どうしておれたちを助けてくれるんだ?」
「わたくし、母の計画には反対なのです。このままでは狸穴と狸御殿に戦いが起きることになります。それを防がなくてはなりませぬ!」
お花が口を開いた。
「その計画って、なに?」
千代吉は唾を飲み込み、答えた。
「人間界への征服計画でございます」
海岸近くの崖沿いに粗末な小屋が並んでいて、その一つに時太郎とお花は全身を縄でぐるぐる巻きにされ、押し込められた。
小屋の中には漁の道具が乱雑に置かれている。おそらく狸穴狸は海で漁をして生活しているのだろう。小屋に窓はないが、粗雑な造りのせいか、羽目板から日差しが内部にこぼれ、それほどの暗さではない。
もぞもぞと身動きをして、お花は上半身を起こした。背中側に両手が縛られ、両足の先も同様なので、起き上がるだけで一苦労だ。
時太郎は背中を見せて横たわっている。
お花は恨めしげに時太郎を見た。
「どうすんのよ、時太郎。あんたのせいよ」
「うるせえなあ……」
背中を見せたまま時太郎は不機嫌に答えた。
どんどんどん、と羽目板が叩かれた。
「お前たち、黙っていろ!」
小屋の外に見張りが立っているのだ。
ずりずりと腰を動かしてお花は時太郎に近づいた。聞こえないように〈水話〉を使う。時太郎は〈水話〉を発することはできないが、聞き取ることはできる。
──ねえ、これからどうするの、って聞いているのよ! 逃げ出すつもり、あんの?
くるりと時太郎はお花に顔を向けた。
「こんな状態で、どうやって逃げ出すってんだ?」
見張りを気にして囁き声である。
お花は背中を見せた。背中側に縛られた両手の指をひらひらさせる。
──指は動くから、縄目をほどけば、なんとかなるんじゃない? ともかく、あたし、こんなところに閉じ込められているのは、まっぴら御免だわ。
「よし……」
時太郎も身動きした。
お互い背中を押し付けあうようにして、手首のいましめをほどくため、指先を動かす。
暫く沈黙の時間が流れる。
ふっとお花と時太郎は同時に溜息をついた。縄目はきつく縛られ、どうやっても、ほどくことはできない。
お花と時太郎は諦めて小屋の羽目板に背中をもたれさせた。
お花が〈水話〉で話し掛ける。
──それにしても、どうしておみつ御前という母親は、ご婚儀に反対したのかしら?
時太郎はお花の顔を見て「どういうことだい?」と口だけを動かして尋ねた。
──なんだか、あの母親が刑部狸に何か提案した、と言ってたわね。それが解決すれば、千代吉さんってお婿さんを連れて行けるんじゃないの?
時太郎は頷いた。しかし、どうすればいいのだ?
と、小屋の外で見張りが身じろぎする気配がする。
「坊っちゃん、ここへ何の御用です?」
「母上が見張りをするお前のため、これを持っていけと仰るのできました……」
心細い返事が聞こえる。見張りの声が嬉しげに弾んだ。
「これは、酒では御座いませぬか! 有り難いことで……」
「ここに置いておきますから、どうぞご存分に……それに、摘みも……」
見張りが座り込む気配がした。
ぐびぐびと喉を鳴らす。暫く喉を鳴らし、舌鼓を打つ音が続いた。
「旨え……やっぱり御前さまは気が利くぜ……」
そのうち、欠伸が聞こえた。どさりと横倒しになる音がして、ぐうぐうという鼾。
とんとんと小屋の戸を叩く音に、時太郎とお花は顔を見合わせた。
「誰だ?」
時太郎は鋭く声を掛けた。
「時太郎さまと、お花さまで御座いますね? わたくし、おみつ御前の息子で千代吉と申します」
時太郎は、藻掻くようにして小屋の羽目板の隙間に目を押し当てた。隙間から微かに外の景色が目に入る。見張りの狸の尻が目に入った。角度が悪く、戸の前にいるであろう相手は見えない。
「見張りは酒に混ぜた眠り薬で朝まで目が覚めません。今のうちなら、わたくしがお二人をお逃がし申し上げます」
千代吉と名乗った相手の言葉は、せかせかと焦っている。
「お早く! 見つかる前に……」
時太郎は羽目板に顔を押し付け答えた。
「判った、頼む!」
かたん、と戸の閂を外す音がして、からりと引き戸が開けられた。
そこに立っていた狸の姿に、時太郎とお花は吃驚した。
鉄の茶釜に手足と顔、尻尾が生えている。茶釜の横腹には「文」と「福」という文字が浮き彫りになっている。
「あんたが、千代吉さん?」
お花の問い掛けに茶釜狸は頷いた。
「はい、わたくしが、千代吉と申します」
驚く時太郎とお花に千代吉は言葉を重ねた。
「わたくし、文福茶釜狸なのです」
文福茶釜狸の千代吉は小屋の中に入ると、小刀を使って時太郎とお花の縄目をぶちぶちと切っていった。
きつく縛られていたので、二人は血行を取り戻すため、暫く手足を擦る。その間にも千代吉は背後を振り返り、苛々と足踏みをしている。誰かに見咎められないかと気が気でないようだ。
「それでは、まいりましょう」
外へ出ようとする千代吉を、時太郎が呼び止めた。
「待て、どうしておれたちを助けてくれるんだ?」
「わたくし、母の計画には反対なのです。このままでは狸穴と狸御殿に戦いが起きることになります。それを防がなくてはなりませぬ!」
お花が口を開いた。
「その計画って、なに?」
千代吉は唾を飲み込み、答えた。
「人間界への征服計画でございます」
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