105 / 124
覚醒の巻
四
しおりを挟む
ぷかぷかと湯の中に数人の河童が、のんびりとした顔つきで浮かんでいる。皆、手足をだらりと伸ばし、水母のごとく漂っている。中には人間の所作を真似して、頭に手ぬぐいを載せている河童もいた。
すっかり河童淵の河童たちは湯に浸るという快楽に浸っていた。こうして暖かな湯に全身を浸けているだけで、あらゆる心配事が溶けていきそうだ。もっとも河童という生き物は、心配事など本来あまりしないものだが。
とりわけ湯に浸かることを好むのは長老だった。小柄な身体が湯に浮かび、長くて真っ白な頭髪と髭がゆらゆらと湯に漂う。
不意に長老は目を開いた。
「ん?」
首を傾げる。
同時に隣で湯に浸かっていた河童も目を開き、長老と目を合わせた。
「長老さま……?」
「うむ」と、長老は重々しく頷いた。
ざばりと湯から立ち上がり、地面に這い上がった。
「今の〝声〟は、なんじゃろうな?」
「滝のほうから聞こえましたな」
杖をとると、よちよちと歩き出した。長老の歩みに釣られ、河童淵の河童たちも集まってくる。それまで湯に浸かっていた河童たちも慌てて長老に従った。
長老は首を捻っていた。
「さっきの〝声〟は、河童の〈水話〉のようじゃったが」
ぞろぞろと河童たちは滝の方向へ向かっていく。男も女も、幼い河童の子供たちも混じっている。
その集団を見回し、長老は呟いた。
「三郎太がおらんの」
隣で歩く河童たちは、改めて三郎太がいないことに気付いたようだった。
「あっ、あれを!」
先頭を歩いていた河童が声を上げる。その声に顔を上げた長老は目を見開いた。
前方に水虎さまの像が見えてくる。
水虎さまの像を見上げた長老は呟いた。
「お! 水虎さまの目が開いた……」
長老の言葉どおり、水虎の像の双つの目が開いている。それまではただの石に刻まれた目の形の窪みだったのが、今ではかっと見開かれた両目が、いやに生々しく宙を睨んでいた。
水虎さまの像の頭部に人影が見えた。河童の一人が指を挙げ、叫んだ。
「あれは……三郎太では御座いませぬか?」
その言葉に長老は小手を挙げ、目を細めた。
「うむ、確かに三郎太のようじゃ。あんなところで何をしておるのじゃ?」
頭部の上から三郎太は集まってきた河童を見下ろし、叫んだ。
「河童淵の河童たちよ! 今こそ、お前たちの使命を果たす時が来た! さあ、水虎の像の前へ集まるのだ!」
三郎太の叫び声は普段とは違い、轟くようで威厳に満ちている。三郎太の命令に、河童たちはふらふらと誘われるように集まってくる。
長老は三郎太を見上げ、叫び返した。
「三郎太、何を言っているのじゃ? 我らの使命とは、なんじゃ?」
三郎太の目と長老の目が合った。三郎太は大きく両手を開き、叫んだ。
「河童たち、唄え!」
──牟──ん……!
水虎さまの像から低く大きな〈水話〉が響き渡る。その瞬間、総ての河童は動きを止めた。目が虚ろになり、口が開く。
──牟──ん……!
水虎の発した〈水話〉と同じ音を出す。長老もまた、皆と同じように口を開け、発していた。
全員の〈水話〉が重なり合い、滝に反射して一つになる。
と、水虎の両目が光り出した。
河童たちは忘我の状態にある。ただ精一杯の力で水虎の〈水話〉に合わせ、ひたすら声を張り上げている。
水虎の両目は、さらに輝きを増した。
両目から発した光は、真っ直ぐ苦楽魔を照らしている。
すっかり河童淵の河童たちは湯に浸るという快楽に浸っていた。こうして暖かな湯に全身を浸けているだけで、あらゆる心配事が溶けていきそうだ。もっとも河童という生き物は、心配事など本来あまりしないものだが。
とりわけ湯に浸かることを好むのは長老だった。小柄な身体が湯に浮かび、長くて真っ白な頭髪と髭がゆらゆらと湯に漂う。
不意に長老は目を開いた。
「ん?」
首を傾げる。
同時に隣で湯に浸かっていた河童も目を開き、長老と目を合わせた。
「長老さま……?」
「うむ」と、長老は重々しく頷いた。
ざばりと湯から立ち上がり、地面に這い上がった。
「今の〝声〟は、なんじゃろうな?」
「滝のほうから聞こえましたな」
杖をとると、よちよちと歩き出した。長老の歩みに釣られ、河童淵の河童たちも集まってくる。それまで湯に浸かっていた河童たちも慌てて長老に従った。
長老は首を捻っていた。
「さっきの〝声〟は、河童の〈水話〉のようじゃったが」
ぞろぞろと河童たちは滝の方向へ向かっていく。男も女も、幼い河童の子供たちも混じっている。
その集団を見回し、長老は呟いた。
「三郎太がおらんの」
隣で歩く河童たちは、改めて三郎太がいないことに気付いたようだった。
「あっ、あれを!」
先頭を歩いていた河童が声を上げる。その声に顔を上げた長老は目を見開いた。
前方に水虎さまの像が見えてくる。
水虎さまの像を見上げた長老は呟いた。
「お! 水虎さまの目が開いた……」
長老の言葉どおり、水虎の像の双つの目が開いている。それまではただの石に刻まれた目の形の窪みだったのが、今ではかっと見開かれた両目が、いやに生々しく宙を睨んでいた。
水虎さまの像の頭部に人影が見えた。河童の一人が指を挙げ、叫んだ。
「あれは……三郎太では御座いませぬか?」
その言葉に長老は小手を挙げ、目を細めた。
「うむ、確かに三郎太のようじゃ。あんなところで何をしておるのじゃ?」
頭部の上から三郎太は集まってきた河童を見下ろし、叫んだ。
「河童淵の河童たちよ! 今こそ、お前たちの使命を果たす時が来た! さあ、水虎の像の前へ集まるのだ!」
三郎太の叫び声は普段とは違い、轟くようで威厳に満ちている。三郎太の命令に、河童たちはふらふらと誘われるように集まってくる。
長老は三郎太を見上げ、叫び返した。
「三郎太、何を言っているのじゃ? 我らの使命とは、なんじゃ?」
三郎太の目と長老の目が合った。三郎太は大きく両手を開き、叫んだ。
「河童たち、唄え!」
──牟──ん……!
水虎さまの像から低く大きな〈水話〉が響き渡る。その瞬間、総ての河童は動きを止めた。目が虚ろになり、口が開く。
──牟──ん……!
水虎の発した〈水話〉と同じ音を出す。長老もまた、皆と同じように口を開け、発していた。
全員の〈水話〉が重なり合い、滝に反射して一つになる。
と、水虎の両目が光り出した。
河童たちは忘我の状態にある。ただ精一杯の力で水虎の〈水話〉に合わせ、ひたすら声を張り上げている。
水虎の両目は、さらに輝きを増した。
両目から発した光は、真っ直ぐ苦楽魔を照らしている。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる