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ムカデに乗るパックを、岩山の影からひとりの人間が熱心に見詰めていた。
赤い僧服、ぎらぎらとした獣のような眼差し。
あの法務官であった。
ムカデが〝ためらい山脈〟のほうへ進んでいくのを確認して、法務官はするすると手足を這わせ、岩山を降りていった。ちらり、と岩山の洞窟を見る。外に顔を出していた盗賊たちは、いまは中に引っ込んで傍目には無人の荒野に見える。にやりと法務官は残酷な笑みを浮かべた。
あたりをうかがい、誰も見ていないことを確信すると、かれは地面に膝をついた。
ふところから大事そうになにかの包みを取り出す。包みをほどくと、中からは一個の水晶玉が出てきた。包みを台座にして、法務官は水晶玉を地面に置いた。
ただし、その水晶は真っ黒だ。
漆黒の球体は、疵一つないつややかな表面に、周囲の景色を映し出していた。
その前で一心に祈り始める。
知らない人間がその姿を見れば、僧職者が熱心な神への祈りを捧げているのかと思うだろう。
ほどなく水晶球が輝き始めた。内部から赤い、血の色に似た光がはなちはじめる。
法務官の目が見開かれた。
「教皇さま……ハルマンさま……あなたのしもべでございます……緊急に報告しなければならないことがございまして……」
──報告せよ……
と、水晶玉からひとつの思念が法務官の脳裏に伝達された。その思念を受け取り、法務官は電流にうたれたように身を震わせた。
「奇妙な機械のムカデに乗った少年を見つけました。どうやら帝国からまいったようで……アンガスの町から報せがあった人物と同一人物らしく思えます。その証拠に、真鍮の身体を持った少女を伴っておりました」
──その目的は?
と、思念が問いかけをなした。法務官は残念そうに首をふった。
「判りませぬ……なにが目的か、帝国のスパイかと思いましたが、諜報員としてはあまりに未熟で、おのれを隠すということもいたしませぬ。第一あのような機械に乗っていては、目だって仕方ないではないでしょうか?」
──その少年の動向を逐一報告せよ……重要なことが隠されている可能性がある……。
はっ、と法務官は頭を下げた。顔を上げ、さらに報告を続ける。
「ところで各地に出没する盗賊ですが、いかがいたしましょうや? かれらの住処を見つけたところでございます」
──それはお前の領分ではない。いずれ折を見て盗賊どもは処分されるであろう。
水晶玉から流れ出す教皇からの思念に法務官は震え上がった。「処分」という言葉の裏にこもる殺戮への期待が、まるでにおってくるようでもあった。
それは邪悪であった。邪悪さにもいろいろ種類があるが、その邪悪さは純粋といっていいものだった。法務官はうっとりした表情を浮かべた。かれは恐怖の中に法悦を感じていたのである。
──報告を続けよ……。
思念はさった。水晶玉はもとの真っ黒な姿を取り戻した。法務官はあわてて水晶玉を布に包みなおし、ふところにおさめた。
立ち上がり、駆け出す。その足取りは人間というより、ほかの生き物のようで、ひそとも足音をたてない。
岩山をとんとんとリズミカルに飛び回り、ムササビのように飛翔する。真っ赤な僧服がばたばたとはためき、翼をひろげた怪鳥のようであった。
赤い僧服、ぎらぎらとした獣のような眼差し。
あの法務官であった。
ムカデが〝ためらい山脈〟のほうへ進んでいくのを確認して、法務官はするすると手足を這わせ、岩山を降りていった。ちらり、と岩山の洞窟を見る。外に顔を出していた盗賊たちは、いまは中に引っ込んで傍目には無人の荒野に見える。にやりと法務官は残酷な笑みを浮かべた。
あたりをうかがい、誰も見ていないことを確信すると、かれは地面に膝をついた。
ふところから大事そうになにかの包みを取り出す。包みをほどくと、中からは一個の水晶玉が出てきた。包みを台座にして、法務官は水晶玉を地面に置いた。
ただし、その水晶は真っ黒だ。
漆黒の球体は、疵一つないつややかな表面に、周囲の景色を映し出していた。
その前で一心に祈り始める。
知らない人間がその姿を見れば、僧職者が熱心な神への祈りを捧げているのかと思うだろう。
ほどなく水晶球が輝き始めた。内部から赤い、血の色に似た光がはなちはじめる。
法務官の目が見開かれた。
「教皇さま……ハルマンさま……あなたのしもべでございます……緊急に報告しなければならないことがございまして……」
──報告せよ……
と、水晶玉からひとつの思念が法務官の脳裏に伝達された。その思念を受け取り、法務官は電流にうたれたように身を震わせた。
「奇妙な機械のムカデに乗った少年を見つけました。どうやら帝国からまいったようで……アンガスの町から報せがあった人物と同一人物らしく思えます。その証拠に、真鍮の身体を持った少女を伴っておりました」
──その目的は?
と、思念が問いかけをなした。法務官は残念そうに首をふった。
「判りませぬ……なにが目的か、帝国のスパイかと思いましたが、諜報員としてはあまりに未熟で、おのれを隠すということもいたしませぬ。第一あのような機械に乗っていては、目だって仕方ないではないでしょうか?」
──その少年の動向を逐一報告せよ……重要なことが隠されている可能性がある……。
はっ、と法務官は頭を下げた。顔を上げ、さらに報告を続ける。
「ところで各地に出没する盗賊ですが、いかがいたしましょうや? かれらの住処を見つけたところでございます」
──それはお前の領分ではない。いずれ折を見て盗賊どもは処分されるであろう。
水晶玉から流れ出す教皇からの思念に法務官は震え上がった。「処分」という言葉の裏にこもる殺戮への期待が、まるでにおってくるようでもあった。
それは邪悪であった。邪悪さにもいろいろ種類があるが、その邪悪さは純粋といっていいものだった。法務官はうっとりした表情を浮かべた。かれは恐怖の中に法悦を感じていたのである。
──報告を続けよ……。
思念はさった。水晶玉はもとの真っ黒な姿を取り戻した。法務官はあわてて水晶玉を布に包みなおし、ふところにおさめた。
立ち上がり、駆け出す。その足取りは人間というより、ほかの生き物のようで、ひそとも足音をたてない。
岩山をとんとんとリズミカルに飛び回り、ムササビのように飛翔する。真っ赤な僧服がばたばたとはためき、翼をひろげた怪鳥のようであった。
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