電脳遊客

万卜人

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第十回《暗闇検校》の正体の巻

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 晶と、兄の激は抱き合い、おいおいと泣き声を上げた。
 感動の場面といって良い。ところが、生憎事態は切迫している。俺は、二人に話し掛ける切っ掛けを探していた。
「ええと、良いかな?」
 俺が意を決して声を掛けると、兄の激は顔を上げた。
 ずんぐりとして、背はあまり高くはない。頭は五分刈りにして、無精髭が顔の下半分を覆っている。年齢は、二十歳前後か。
「あんた、晶の──ええと、晶さん──か、お兄さんの激君か?」
 晶は、俺の困った様子に気付いて、ちょっと笑った。慌てて兄から身を離すと、急いで両目の涙を拭う。くすんと鼻水を啜って、背筋を伸ばした。
「いいわよ、いつもの言い方で。今さら、〝さん〟付けなんか、笑っちゃうわ!」
「僕も〝激〟とだけで、お願いします」
 晶の兄、激は人の良さそうな笑みを浮かべた。ぽっちゃりとした身体つきで、どことなく坊っちゃん育ちを思わせる物腰だった。
「あんたの身に起きた、すべてを教えてくれ。いったい、何が起きた?」
 激は軽く頷くと、口を開く。眉を顰め、やや憂鬱な表情を浮かべた。
「それが、あんまりお話しする出来事は、ないんです。僕自体、何が何だか……。ともかく、こっちに来てすぐ、数人の悪党に捕まって、無理矢理この地下室へ連れて来られた後は、放り出されたままで……。どのくらい、ここで過ごしたさえ、判らない状態で……」
 一気に喋ると、口篭った。手持ち不沙汰なのか、もぞもぞと懐を探って、何か手にしている。
 兄の手にした品物を見て、晶はぐっと食い付いた。
「お兄ちゃん、それ、何?」
「ああ、攫われる前、江戸の町で売っていたやつだ。ちょっと面白いんで、買ってみた。安かったなあ……」
 激の手にしているのは、根付師が彫った、アニメのキャラクターである。現実世界ではフィギュアと言われる物で、驚くほど繊細な彫刻が見事である。
 晶は羨ましげな声を上げた。
「いいなあ! あたしも一つ買いたかったんだけど、色々忙しくって……。ねえ、兄貴、それ、あたしに譲って呉れない?」
 晶の言葉に、激は慌てて懐にしまいこむ。
「駄目だよ、こいつは限定品なんだ!」
 晶と激の視線が、かち合った! ばちばちと火花を散らすような、激しい視線である。
 まったく晶も晶だが、兄も兄である。兄妹で、オタクだとは思っても見なかった!
 激の話に、俺は疑問を持った。
「ちょっと待った! ずっと、君はこの部屋に閉じ込められていたのか?」
 激は、ぼんやりと頷く。
「それじゃ、食糧はどうした? 晶の話じゃ、数日間は閉じ込められたはずだが」
 激は驚きに、目をぱっちりと見開いた。
「そんなに? せいぜい、半日くらいかと思ってた……あっ! それじゃ、〝ロスト〟したんじゃ……」
 俺は首を振った。
「いいや。俺の思うに、君が閉じ込められていた部屋は、時間の経過が遅くなる《遅滞効果》が施されていた疑いがある。現実世界で数日が経過していても、君の部屋だけは、時間が遅くなっていて、僅か半日以内しか経過していないのかも。それなら、君が現実世界に戻れないのに、〝ロスト〟しないまま目覚めなかったのも、判る」
 仮想現実接続装置は、そのため強制切断プログラムを発動させなかったのだ! これで晶の兄の謎が解けた!
 俺の言葉に、激の青ざめていた頬が赤らんだ。
「そ、それじゃ、僕は?」
 俺は頷いた。
「安心しろ、まだ〝ロスト〟はしていない。君は、元の身体に戻れるよ!」
 激は大袈裟な、安堵の溜息を吐いた。
 晶の兄を安心させたのは良いが、依然として疑問は残った。なぜ《暗闇検校》は、晶の兄を捕え、閉じ込めたのだろう?
 まだ地下室には、捜索していない場所があるはずだ。
「先に進もう……」
 言い掛け、激を見た。
 激はぼんやりと、不安そうな目付きで俺を見上げている。
「君はすぐ、現実世界へ戻ったほうが良い。こっちではたった半日だが、現実世界では数日間が経っている。君の本体はずっと、寝たきりになっているんだ」
 頷き、目を閉じる激に、俺は慌てて言い添えた。
「待った! ついでに頼まれてくれ」
 俺は荏子田多門が〝ゴースト・ダイブ〟しようと計画していた次第を説明した。
「荏子田多門の本体が、安楽死装置をいつ作動するよう、セットしているか判らないが、見過ごすわけにはいかない。警察に通報して、集団自殺を防がなくてはならない!」
 激は俺の頼みを請合ってくれた。
 そのまま、目を閉じ、現実世界へ帰還するプログラムを呼び出した。吉弥は〝ロスト〟しているが、元々《遊客》なので、プログラムは正常に動作し、激は俺たちの目の前で姿を消した。
 現実世界に帰還したのだ!
「良かった……」
 晶は晴々とした笑顔になった。
 俺は晶を見て、話し掛ける。
「おい、お前は兄さんと一緒に行かなくて良いのか?」
 たちまち、晶は不満そうな顔つきになる。
「どうして? ここまで来たんだ。最後まで付き合うよ!」
 腕を組み、梃子でも動かない気配である。
 俺は首を振る。玄之介も首を振った。
 吉弥もまた、大袈裟に首を振った。
「な、何よ、全員で首を振って……!」
 俺たち全員、一斉に声を合わせる。
「お前は帰るんだ!」
 晶は爆発した。
「厭よっ! 厭ったら、厭っ! 絶対、最後まで見届けるんだから!」
 だんっ! だんっ! と、何度も怒りの足踏みを続ける。髪を振り乱し、顔を真っ赤に染め、手に負えない暴れっぷりだ!
 晶の金切り声は、恐ろしいほどの声量だ。
 ぱきん、ぱきん! と、天井の照明が幾つか晶の声で、弾け飛ぶ。
 俺は往生した。
「勝手にしろ! 何があっても、責任は取れないからな!」
 俺の言葉に、晶はニンマリとした。完全に、勝利を確信した表情に、俺はこれが習慣にならなければいいが、と祈っていた。
 が、俺はいつでも優柔不断なのだ。
 玄之介と吉弥を見ると、二人とも諦めの境地に達したような、表情であった。
 通路の奥を眺めると、まだ下の階があるのか、階段が認められる。
 俺を先頭に、階段へと急ぐ。
「いったい、どこまで続いているんでしょうねえ……」
 玄之介が、呆れたような声を上げる。
 俺は生返事した。その一方で、何だかそろそろ最終段階が近づいているのではないか、と予感していた。
 吉弥が呟くように、俺に呼びかける。
「あんた、《暗闇検校》の正体が判ったと言っていたけど、本当かえ?」
 俺は振り向かず、ずんずん階段を降りながら答える。
「ああ、見当はついている」
 晶も、声を潜めて尋ねかけた。
「正体は、何なの?」
 俺は黙り込んだ。
 今は言いたくない。もし、俺の想像が確かなら、俺は絶対に《暗闇検校》には、会いたくはなかった。
 恐怖が、階段の辿り着いた先に待ち構えているのを、俺は全身で感じていた。
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