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番長星への墜落

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 どどっ、と不意に床が傾斜し、世之介は立っていられなくなって壁に叩きつけられるように転げ落ちた。「ぐぎゃっ!」と、世之介の身体の下でイッパチが悲鳴を上げた。
 真っ白な光が、窓から差し込んでくる。窓は天井になっている。つまり客室が傾いているのだ。床が傾斜しているのは、客室の重力場発生装置が働きを停止しているのだ。非常用の動力を使い果たしたのだ。客室は、最後の役目を果たした。
「皆、無事ですか!」
 しっかりとした光右衛門の叫びが轟いた。
 格乃進と、助三郎の返事が聞こえる。
「はい、大事ありません!」と格乃進。
「こちらもご同様で……」と助三郎の、ややのんびりとした返事。
「若旦那……ご迷惑でしょうが、あっしの身体からのいておくんなせえ」
 身体の下から、イッパチの弱々しい声が聞こえる。世之介は慌てて立ち上がった。
「ふいーっ!」と息を吐き出し、イッパチが目をパチクリさせ立ち上がった。急いで身につけている着物の衣紋を繕う。番長星に到着する前、一同は普段の着物に着替えていた。
 世之介は高等学問所の制服である筒袖に袴。光右衛門は辛子色の着物に袖なし羽織、野袴に頭巾という装束であった。
 助三郎に格乃進もまた手甲脚半、振り分け荷物という旅支度を整えている。イッパチは、いつものように手に扇子を握っている。
「何とか、皆、無事のようですな。いや目出度い!」
 ニコニコと笑顔になって光右衛門が皆の無事を寿いだ。床が斜めになっているので、足下が大いに不安定で居心地が悪い。
 世之介は窓を見上げた。窓の外が燃え上がったと思えば、一瞬の後、こうなった。何がどうなったのか、さっぱりだ。いや、理由は判っている。客室の最後の保護装置が働いたのである。
 凍結時間フリーズ・タイム装置である。
 客室の外部が、乗客の生命に危険と判断されると自動的に働く装置で、時を停止させる被膜を作り出す。この被膜の内側では、どのような変化も起きない。つまり、外部のどのような変化も受け付けないのだ。凍結時間が働くと、超新星爆発の真っ只中でも、一原子も傷つくこともない。
 客室が大気圏に突入し、そのまま、まっしぐらに落下して、装置が働いたのだ。怖ろしいほどの衝撃と、熱が見舞ったはずだが、それは凍結時間に守られ、遮られた。
 格乃進の説明に、世之介は理屈では判っていても、いざ体験するとなると、足が震えたものである。だが、それも済んだ。もう安心だ。
 いや、そうだろうか?
 ぐーっ、と客室が反対側に傾いている。わっ、わっと一同は反対側に傾いた床を滑っていく。
 ごろり、と客室は転がり、さらにごろり、ごろりと何度も転がっていく。転がっていく球体の客室の中で、世之介たちは絹毛鼠ハムスターのように、ころころと転がった。
「なっ、何で転がっているんだい!」
 世之介が叫ぶと、格乃進は叫んだ。
「黙っていなさい! 舌を噛むぞ!」
 どーん、と大きな音を立て、客室の転がりはようやく止まった。濛々と細かな土埃が室内で舞い踊っている。
 けほけほと咳き込みながら、世之介はよろよろと立ち上がった。下を見ると、イッパチが情け無さそうな顔で仰向けに引っくり返り、世之介の顔を見上げている。目が回っているらしく、大きな目玉がぐるぐると際限なく回転していた。
「怪我はありませんか!」
 心配そうな光右衛門の声に、全員「いいえ」と返事をする。客室は完全に上下逆さまに転倒していた。
「ご隠居様、外へ出ましょう」
 助三郎が叫んで光右衛門が頷くのを待ち、上下逆さまの扉を開ける。さっと外光が差し込み、世之介は助三郎の後ろから出口に顔を突き出し、外を窺った。
 巨大な擂鉢のような地形が目に飛び込む。客室は擂鉢状の真ん中に鎮座していた。擂鉢の表面は焼け爛れ、あちこちから焦げ臭い匂いと煙が立ち上がっていた。世之介の背後から外を眺めた格乃進は、呆れたように呟いた。
「なんと! これは、客室が墜落したときに穿った大穴に違いない。つまり隕石孔というわけだ」
「本当に、この客室がこんな大穴を開けたと申されるのですか? 信じられません」
 世之介が問い返すと、格乃進はゆっくりと外へ一歩足を踏み入れ、地面を触る。
「まだ暖かい……。衝突の熱が、残っているのだ。相当に大きな音が響いたことだろうな」
 格乃進の後から外へ飛び出した世之介は、顔を仰のかせ、空を見上げた。
 菫色の空。雲は微かに薄桃色がかって見える。確かに宇宙から眺めた番長星の大気の色と同じである。擂鉢の縁あたりに太陽が顔を出し、辺りに菫色の光を投げかけている。
 空を素早く、極光が横切る。真昼間から、しかも、極地でもないのに、はっきりと見える。
 用心深く光右衛門が、続いて光右衛門を守る体勢で助三郎が外へ出てくる。最後にイッパチが怖々と外へ出てきた。
 うおおおん……と、遠くから騒音が近づいてくる。
 はっ、と見上げた一同は、擂鉢の縁にきらきらと何か、金属質の反射光を認めていた。
「人です! 何か乗り物に乗っています!」
 助三郎が指さし、叫んだ。世之介も真剣に目を凝らす。
 だが、細部まで見ることはできない。さすがに賽博格の視力は大したものだ。
 一斉に縁から雪崩落ちるように、乗り物はこちらに近づいてくる。うおおおん……と辺りにけたたましい騒音が満ちた。
 ごつごつとした岩がちの地面を、跳ねるように近づく乗り物の細部が見分けられ、世之介はあんぐりと口を開け、叫んだ。
「あれは……二つの車輪で走っている。どうして転ばないんだろう?」
 前後に二つの車輪を持った乗り物の中心に座席があり、そこに人が跨り、操縦するための把手ハンドルを握っている。たった二つの車輪だけで走行しているのに関わらず、ちゃんと走っているのを見るのは、不思議な眺めであった。
 光右衛門が大きく頷いた。
「あれは、二輪車オートバイというものです。大昔の乗り物で、今では誰も使ってはいません。わしも、初めて見ました」
 二輪車は数十台を数えていた。次々と縁から出現すると、見るからに危なっかしく地面を跳ねるように走行し、客室を中心に、渦を巻くようにぐるぐると回っている。
 ほとんどが一人乗りであったが、二人が前後に乗り込んでいる二輪車もあった。二人乗りの後部座席に乗っている乗客は、なぜか旗を手に持ち、こちらを威嚇するかのように睨みつけてくる。
 旗は日章旗だったり、文字を大書きしたものやら、とりどりである。文字は「御意見無用」とか「世呂死苦」とか「撫血霧ぶっちぎり」など一目だけでは、何を書いているのか判らない漢字があった。
 その頃になって、世之介は二輪車を操縦しているのが、総て女性であることに気付いていた。
 しかし、相当に奇妙な格好をしている。
 まず、着ているのが、着物ではない。上下が繋がった、作業衣のようなものである。白が多かったが、真っ赤なの、青いの、あるいは黄色と様々な色の作業衣を纏っていた。
 髪の毛も、赤、黄色、茶色、中には緑とか、紫色など見ているだけで目がクラクラしてくるような派手な色に染めていた。
 二輪車の群れは、かなりの時間、客室を中心にぐるぐる回っていた。
 だが、やっと動きが止まり、一台の二輪車が全速力で近づくと、ざざっと横滑りするように停車した。
「あんたら、いったい何者だい!」
 甲高い、まだ少女と思われる声が響く。髪の毛は真っ赤に染め、前髪を垂らし、後頭部でぎゅっと縛って纏めている。
 後になって、世之介はその髪型が「ポニー・テール」と呼ぶのだと教えられた。
 少女の顔を見て世之介は思わず「あっ」と叫んでいた。超空間歪曲場で垣間見た、少女の顔であった。
 少女は、きりっとした眼差しで世之介を睨んだ。ポカンと口を開けてまじまじと見つめる世之介を、少女は訝しげに見つめ返す。
「なんだい……」
 ぴくりと眉が持ち上がる。
「ガンつけようってのかい?」
 さっと二輪車の支柱スタンドを立て、降りると大股で世之介に近づいた。両手を腰に当て、ぐっと下から見上げるように睨み付ける。
文句アヤつけようってのか? 面白い、やったろうじゃないか! タイマンはできるんだろうね?」
 世之介には少女の言葉が、一言半句も理解できない。一応は日本語であろうが、まるで外国語である。
 その場の状況を見て取り、さっと格乃進と助三郎が前へ出た。格乃進が落ち着いた口調で話し掛けた。
「まてまて、我らは宇宙から墜落したばかりで、ここの状況は、さっぱり判らぬ。知らぬ間に失礼をばしたら、許されよ」
「へえ?」
 少女は虚をつかれたように目を見開いた。くるりと背後の仲間を振り向くと、叫んだ。
「お前たち、こいつら、何を言っているのか判るけえ? 何だか、妙だよ」
 ざわざわとその場に立ち止まっている二輪車の仲間たちは顔を見合わせ、首を捻っている。皆、格乃進の言葉を理解できていない。
「まずは、自己紹介と行こうではないか」
 杖を握り、光右衛門が口を開いた。
「最初に、わしから紹介させて貰おう。わしは、越後の呉服問屋の隠居で、光右衛門と申す爺いじゃよ。諸国遊楽の漫遊に出たのじゃが、妙なことで、番長星に墜落する仕儀にあいなった。できれば、この星のこと、教えてもらえれば有り難いのじゃが」
 少女は困惑しているようだった。視線がきょときょとと落ち着きなく動く。唇を舐め、何か考え込んでいる。
「ふーん。あんたらの言うことは、さっぱり判んないけど、敵じゃないみたいだね。それに、妙な格好をしているし、ここいらの人間じゃなさそうだ。困っているみたいだし、あたいらのヤサに連れて行ってあげよう!」
 前後の口ぶりからヤサというのは住処、という意味らしい、と世之介は推測した。
「あんたら、あたいらのバイクの後ろに乗りな! だけど、助平な根性で厭らしい真似をしたら、すぐ振り落とすからね!」
 後ろに乗る? つまり、女性の後ろに乗って……!
 世之介の頬が熱く火照った。少女は世之介の顔色を見て「ちっ」と舌打ちした。
「なに、赤くなってんだい! まったく、男ってのは……!」
 さっさと自分の二輪車に跨ると、顎を上げ、叫んだ。
「乗りなったら! 愚図愚図してるんじゃないよっ!」
 把手を握りしめる。二輪車から猛然と、音が響き渡った。おずおずと世之介は少女の背後の座席に跨る。
「行くよっ!」
 少女は宣言して、右手をぐいっと捻った。
 途端に、弾かれたように二輪車は前方に飛び出した。
「ひえっ!」と悲鳴を上げ、世之介は思わず運転している少女の腰にしがみついていた。
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