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世之介のタイマン勝負

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 がちゃり、と支柱を下げ、茜は素早く二輪車から地面に降りると猛然と喚いた。
「健史! 何を考えてんだ! 死にたいのかい?」
 二輪車に跨ったまま、健史は顎を襟にうずめるように引いて、じろりと後席に跨ったままの世之介を睨みつけた。
「気に食わねえな! 茜、いつか俺は、お前に言ったよなあ……。二人で二輪車に乗って旅でもしないかって! あんときゃ、考えておくって返事で、そのままだったが、いつの間にか、こんな訳の判らないオカマ野郎を後ろに乗っけやがって! そいつの、どこがいいんだよう?」
 茜は溜息を吐いて肩を竦める。
「馬鹿じゃないの? 何であたしが、あんたとそんな頓狂な約束しなければなんないの? 本当に、あんたって馬鹿ねえ……」
 呆れた、という様子で、首をゆっくりと左右に振る。
 健史の顔が見る間に真赤に染まった。世之介はまるで茹蛸ゆでだこだ、と思った。
 健史は黙ったまま二輪車の支柱を立てると、ゆっくりと地面に降り立ち、身体を揺するような独特の歩き方で、よたりながら世之介に近づく。
「おい!」
 押し殺した声を掛けてくる。目は陰険に光っている。
 近づいた健史の口から、ぷん、と薄荷ハッカのきつい匂いが漂った。口の中に何かくちゃくちゃ噛んでいて、それが薄荷の匂いを漂わせているのだ。健史は顔を擦り付けるように近々と寄せてきた。
 世之介は思わず身を引くと、健史はさっと手を伸ばしてきて、世之介の襟首を掴んだ。
「お前……勝負しろ!」
「健史! あんた、何、馬鹿なこと……」
 茜が叫ぶと、健史はさっと顔をねじ向け喚いた。
「うるせえっ! お前は黙ってろい! これは男と男の話し合いだ!」
〝男と男〟という言葉に、茜はぎくりと押し黙った。この言葉は、番長星では絶対の価値を持つ。この言葉の前では、どんな論理も太刀打ちできない。
 健史は無理矢理ぐいぐい世之介の身体を引き摺り、二輪車から降ろした。世之介の両膝は全く力が入らず、健史の思うままになっている。
「俺か、お前か、どっちが茜と一緒の二輪車に乗るのが相応しいか、勝負だ! タイマンだぞ!」
 世之介は震える唇から、必死に言葉を押し出す。
「しょ、勝負って、どういうことですか? なぜ、あたしがそんなこと……」
 世之介の言葉を耳にして、健史の表情が変わった。ぷっ、と口の中で息を詰め、全身が細かく震え出す。
「だあーっ、はっはっはっはっ!」
 身を折り、爆笑した。ひとしきり笑った後、健史は周りの人間に向け、大声で宣言した。
「聞いたか! このオカマ野郎、あたしだってよ! こいつぁ、本当のオカマ野郎だぜ! こんなオカマ野郎を、茜の後ろに乗せる訳には金輪際いかねえなあ! ぶっとばしてやる!」
 どん、と思い切り健史は世之介の胸を突いた。よろよろっと世之介は踏鞴を踏み、背後に倒れ掛かる。
 地面にしたたかに倒れこもうとした世之介の背後を支えた手があった。
 はっと世之介が振り向くと、格乃進の頼もしい顔があった。
「しっかりしなさい! 怯えるのはよくない」
「へえ?」
 格乃進は真っ直ぐ世之介を立たせると、さっと後ろに引き下がる。ぽかんと口を馬鹿のように開けた世之介に、格乃進は言葉を区切るように話し掛けた。
「この星では、腕力で総てを解決する習慣のようだ。降りかかった火の粉は、避けるだけでは解決しないぞ!」
「で、でも……格乃進さん。助けては下さらないので?」
「わたしは、賽博格サイボーグだ。人間と本気で争うことはできない。そんなことをしたら、相手に大怪我をさせてしまう。君がやるんだ!」
 世之介は首を振った。
「無理です! あたしは今まで、唯の一度たりとも、喧嘩なんかしたことないんです!」
 格乃進は、にやっと笑いかけた。
「高等学問所で剣道の授業はしたはずだな?」
 世之介は頷いた。剣道の修行は、中等、高等の学問所で必須の修行である。
 格乃進は言葉を続けた。
「だったら、大丈夫だ。学問所で習った、剣道の授業を思い出せ!」
 世之介はおずおずと健史の方向を振り向いた。
 健史は、馬鹿にしたような笑いを浮かべ、獲物を前にした獣のような気配を漂わせていた。やや俯かせた顔には、ニタニタ笑いが浮かび、今にも涎がタラタラ糸を引きそうである。
 ──剣道の修行を思い出せ!
 そんなことを言うが、格乃進は竹刀を持っていない。それに、今では、学問所の剣道修行の時間は、遠い昔の夢物語に思える。
「やんのか? オカマ野郎!」
「そのオカマ野郎とは、なんのことで御座います?」
 こんな状況でも、世之介の言葉遣いは相変わらず丁寧である。どんなに頑張っても、乱暴な口調は金輪際、どうにも使うことができないのだ。
「お前のようなナヨナヨした奴のことだよっ! ああ、気持ちが悪い!」
 ぺっぺと健史は唾を吐き散らした。
 世之介の胸に、勃然と怒りが湧いてきた。自然と両手が上がり、竹刀を握る構えを取る。
「おっ!」と小さく健史は身構え、再びよたりながら近づく。ぐいっと身を沈め、下から世之介の顔を見上げる。
「やんのか、こら!」
「お面──っ!」
 世之介は叫ぶと、両目を閉じ、両手を竹刀を握り締めた形のまま突き出した。無我夢中の世之介の右手に、何か手応えを感じていた。
「ぐぎゃっ!」
 悲鳴に、世之介は「はっ」と目を見開いた。
 見ると、健史が地面にぺしゃりと大の字に寝転がり、二つの目玉を虚ろに見開き、口をあんぐりと開いて世之介を見上げている。顔色は真っ青で、鼻っ柱だけが真っ赤である。
 世之介の夢中で突き出した右手の拳が、健史の鼻っ柱を打ったのだ!
 健史の見開かれた両目に、見る見る涙が浮かんでくる。
「ぐええええ……!」
 世之介は呆れた。
 なんと、健史は泣き始めたのだ。
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