苺月の受難

日蔭 スミレ

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Study3.潜入者”ラケル・モリナス”

3-1

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 転入翌日、ストロベリーは真新しい制服で身を包み授業を受けていた。
 初日の授業は国の歴史。教壇に立つ教師は、昨日出迎えてくれたレディ・アーサ。彼女は黒板にチョークを走らせて、淡々と数百年前猛威を震った伝染病の事を綴っている。

黒死病ペスト。これが北の大陸で蔓延した事は存じてますね。この国にも貿易を介入して港町から」

 淡々とした調子で語る彼女の声はまるで子守歌のようだった。尚、穏やかな日差しが差し込む窓際はポカポカと暖かく、次第に睡魔はやってくる。それでも、胸の奥底疼く不穏は絶えずストロベリーは青白い顔をしてペンを握っていた。

 ──昨晩は一睡も出来なかった。

 あの後、”レイチェル”と自らを語る男に直ぐに解放して貰えた。彼女が男だった事に対する驚嘆もあったが、その時にはもう恐怖心の方が強かった。
 何せ、裸の男に羽交い締めにされたのだ。

 ……タダではおかない。そんな言葉を言われたが、何をされるのか想像出来なかった。安直に想像出来たのは、暴力を振るわれる事で──戦慄いたストロベリーは、彼の言葉に合意せざるを得なかったのだ。
『誰にも言わないから離して。お願いだから酷い事をしないで』と、彼が僅かに手を緩めた隙にそんな風に言っただろう。

 そうして解放された後、ストロベリーは直ぐにベッドの中に潜り込んだ。その後”レイチェル”の声での謝罪は幾度も聞こえたが、消灯時間を境に謝罪は途切れた。
 静謐に包まれる世界に幾度と無く響くのは彼の溜息だった。だが、一定の時間が立つと規則正しい寝息が聞こえてくる。
 ……そうして数時間。空は白み夜は開け、朝食の時間に”レイチェル”の声に呼びかけられたが、ストロベリーは起きる事が出来なかった。

 それでも授業初日だ。早々に休む訳にもいかない。”レイチェル”が部屋を出た後、ストロベリーは急いで制服に着替えて、学院へ向かい今に至るのだ。
 何も考えられなかった。当然、授業も上の空で──ストロベリーは青白い顔で配布された教科書の一点をジッと見つめている最中だった。自分を呼ぶ声が幾度となく響き、ストロベリーはパッと顔を上げる。

「ストロベリー・クレセント。聞いていましたか? その時、用いられた方法を答えなさい。先程ヒントは言いましたよ」

 レディ・アーサに指されていた。それに直ぐに気付くが、授業の内容なんてろくに聞いていなかった──ストロベリーは立ち上がって、震えた手で教科書を持つ。
 ジッと、レディ・アーサに睨まれている事から、上の空だった事は確実にバレバレだろう。まず、今どのような史学の話をしていたのかも分からない。『分かりません』と、ストロベリーが素直に答えようとした矢先だった──。

「どうしたのです。レイチェル・モリナス」

 その声に、ストロベリーがパッと視線を映すと、少し離れた席で挙手するレイチェルの姿が映った。

「レディ・アーサ。ストロベリーさんは昨晩から体調が悪いのです。欠席するように言いましたが初日だからと無理を授業に出ています。どうか、医務室に行く許諾をお願いします」

 愛らしい少女の声でレイチェルは言う。すると、レディ・アーサはやれやれといったそぶりで、出席簿にペンを走
らせた。

「……もう。そういう事なら最初から言いなさい。体調管理だって淑女には欠かせません」

 ──医務室で休んだら今日は早退なさい。と、言い添えて。レディ・アーサは未だ呆然と立ち尽くしたストロベリーの元まで行くと、早退許可票を手渡した。

「今日の授業はレイチェルに教えて貰いなさい。それからレイチェル。ストロベリーを医務室まで送って、少し落ち着くまで着いていてあげなさい」

 レディ・アーサはてきぱきと示唆すると、教壇に戻って行った。
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