迷える機甲と赦しの花

日蔭 スミレ

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Chapter6.生の喜びと永遠の約束

6-4.二人寒空の下で誓う未来

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 ホリデー休暇は二泊三日。早くも二日目の晩を迎えて、明日には修道院に帰る事になる。

 ────あっという間だったな。

 朝にカサンドラが来た時を思い返し、アルマは寝返りを打った。
 明かりを落としても外の雪明かりで室内は仄かに明るかった。アルマのベッドの隣からエーファの寝息がスヤスヤと聞こえてくる。
 貴族の屋敷でもないので客間なんて当然無い。エーファとテオファネスのベッドは木箱の上によく乾いた干し草を敷き、その上にシーツを被せた簡易的なものだった。しかし存外二人はこれが気に入ったようで、エーファに関しては「良い匂い」と昨晩眠る前に喜んでいた。

 片やテオファネスは、弟のデニスの部屋に泊まっている。
「いきなり初対面の相手を……まして機甲マキナを部屋に泊まらせる事を大丈夫か」と、テオファネス本人も気にしていたが、デニスは全く気にしていない様子だった。

 デニスは顔立ちこそアルマと似ており、勝ち気でやんちゃそうに見える。乗馬が得意で事実活発ではあるが……その中身は冷静かつしんりよえんぼうなので非常に賢い。その気質のお陰か、恐らく直ぐにテオファネスの本質を見極めたのだろう。

 要領が良く物覚えが良い、その上物事を見極める事が得意……と、自分とは全くもっての正反対。我が弟ながら中身は全く似ていないとはいつも思う。そんな事を思いつつぼんやりと天井を眺めていれば、隣の部屋の扉が開く音が聞こえた。
 隣は弟、デニスの部屋だ。家族は、足音で誰か直ぐに分かる。出てきた足音がデニスのもので無いと分かり、アルマは静かに起き上がってがいとうに袖を通した。

 間違いなくテオファネスだ。こんな夜更けにどうしたのだろう……。

 もう大丈夫と分かってはいるものの、寿命がやって来た先日の事が妙に頭にチラついてしまうもので、心配に思ったアルマが部屋を出ると、丁度階段の手前に彼の後ろ姿があった。
 見たところ寝間着のままだが、外套を羽織っており首にはマフラーを巻いていた。外に行くのだろう。

「テオ、どうしたの?」

 声をかけると彼は振り返り、首を振る。

「ごめん起こした? なんか今日は流れ星が幾つも見えたから気になって」

「……え? そうなの?」

 アルマは少し前のめりになった。
 ヴィーゼンの冬の星空は格別に綺麗だが、流れ星などそう見た事が無い。
 否、そんなまじまじと空を見ていないので気付かないだけかもしれないが……。
 そんな様子に彼は柔らかい笑みを溢し、アルマの手を取った。

「気になるなら一緒に見に行こう。アルマの方が病み上がりなんだから、寒くないようにな」

 そう言ってテオファネスは自分のマフラーをアルマの首に丁寧に巻いた。

 そうして二人、深夜の寒空の下に出れば、圧巻の星空が待っていた。
 しかし家の前は針葉樹の雑木林が広がっているので、やや視界が悪い。

「家の前は木があるから少し邪魔しちゃう。羊舎の方に行こう、牧草地は開けてるから四方八方見れると思うの」

 そうして間もなく、林を抜けて二人は家の裏手の牧草地へと出る。
 汚れない白銀の大地の所為か雪明かりでやや明るいが、それでも空の美しさは変わらない。

「テオ、どっちの方向……?」

「ああ、霊峰の方の……」

 そう言われて、アルマが視線を向けたと同時、頭上をスッと星が流れた。

「え、ほんとだ。すごい……!」

 思わず牧場の柵に乗って空を見ると、背後からクスクスと笑い声が響いた。

「アルマは流れ星初めて見たのか?」

「うん……! 星が綺麗なのは知ってたけど、こんな遅くに外なんて出ないもの」

「そりゃ修道院の規則正しい暮らしじゃそうだよな」

「テオは結構見た事あるの?」

「ああ、そりゃな……故郷でも見た事もあるし、戦場でもあったよ」

 戦場……初めて彼からその言葉を聞いただろう。
 テオファネスは何か遠い記憶に思いを馳せるように、随分と遠くを見つめていた。

「戦場で星を見たときは、廃墟と瓦礫と化した街で同じように星が見えるんだって驚いた。同じ世界なんだから、晴れてれば見えるのは当たり前だけどな。ただ、流れ星を見た時は今どこかで誰かの命を散った気がして、ひどく切ない気持ちになった。自分が見たって事は……顔見知りが消えたのかなとかそんな事考えちまう事はあった」

 そう語る横顔はどこか切ないが、直ぐに彼ははっとアルマの方を向いて苦笑いを溢す。
 しかし、その瞳は随分と潤っていた。まばたきをすれば涙がこぼれ落ちそうな程で……。

「……テオ、大丈夫?」

「大丈夫。っていうか急に陰気臭い事言って悪かった」

 やけに声が震えている。発言した事で何か思い出してしまったのだろう。
 しかし、彼は「でもな……今は違うよ」と静かに切り出した。

「今はアルマが起こしてくれた奇跡の結果を星になった仲間達が祝福してくれてる気がするんだ。だから赦されて生かされた事、感謝しかないなって。幸せだなって思う」

 そう言って彼は胸元に隠れた監査札の束を服の上から握りしめつつも眦を擦った。

「……私さ、男の無き虫って嫌いだよ。でも、真っ直ぐで、底なしに優しくて、妙に涙もろいテオの事は好きだよ」

 思ったままを言葉にすると、彼は泣き濡れた顔に笑みを乗せた。

「男の泣き虫が嫌いなのに、涙もろい俺が好きって無茶苦茶だろ」

 可愛いなアルマは。そう付け添えて、軽い笑いを溢す彼は、涙を拭った後、少しばかり身を屈めてアルマを抱き寄せた。

「なぁアルマ。俺、欲張りかもしれないけど……自分の人生にアルマが欲しい。幸せに出来るように何だって努力する。だからずっと傍に居て欲しい」

 震えた声で語り始めた彼に、アルマは目を丸くした。
 ずっと傍に……とは。それは、永遠を意味するに違いない。
 アルマの頬は一瞬にして熱を帯びると同時、視界が霞んだ。

「……アルマが力を失うまでの間、俺はこれからどう生きるか、どうやって生計を立てるか沢山考える。永遠を約束する恋人になりたい。俺、アルマと添い遂げたいんだ」

 はっきりとその言葉を聞いた途端、堪えていた涙はこぼれ落ちた。
 好きだと、愛しているとはあの日言われたが……アルマには彼との永遠なんか見えなかった。否、永遠があるのか分からず恐ろしく思えたのだ。そんな不安の反映か、彼が再び戦場に行く恐ろしい夢を見たのだろう。

「泣くほど嫌?」

 テオファネスは少し腕の力を緩めてアルマの顔を覗き見た。

「泣いてる顔って不細工だから見られたくないだけ。いいに、いいに決まってるじゃない!」

 こぼれた涙を拭いつつアルマが答えると、彼は、涙を拭うアルマの手を包み込むように剥がす。

「泣き顔も充分可愛いよ」

 ──嬉しい。ありがとう。と、付け添えて。テオファネスは未だ涙で濡れたおもてを近付けた。そうしておとがいを摘ままれ上を向かされるとより間近に彼の瞳が映った。やがて、しっとりとした優しくも暖かな心地を唇に感じて、アルマはそっと瞼を伏せる。

 立場上、恋は禁忌だ。しかしもう、きっと引き返せやしない。それでもアルマの胸に後悔なんて微塵もなかった。
 空の上で揺らめく光の元アルマは、どうか穏やかで幸せな日々が続く事を切々と祈った。

  ❀

 翌日昼過ぎ。アルマ達は帰りも父のぎよする雪車そりで修道院に戻ってきた。
 そうして宿舎に戻り正装に袖を通せば、いつも通りの日常へ。だが、アルマはどうにも夢見心地だった。

 昨晩テオファネスと永遠を約束したのだ。流石に未だ両親には伝えていないし、特に父に関しては恐ろしくて言えたものではないので、黙っているが……。どうにも心がソワソワと浮ついて仕方ない。そう、こんなに幸せで嬉しくて良いのかと思える程だった。気を緩めてしまえば唇が緩んでしまいそうな程。アルマは鏡の前で頬を叩いて礼拝に向かう。

 しかし、礼拝が終わった後──妙に深刻な顔をしたゲルダとアデリナに捕まり、裏庭に連れて行かれたのであった。
 こんな場面は既視感がある。いつだかもあったような気がするもので……。

「どうしたの?」

 極めていつも通りにいた瞬間にアデリナに頬を抓られた。

「どうしたじゃないわよ。何だかニコニコニコニコしちゃって……休暇中に何があったの?」

 それもやや怒った口調で言われたのでアルマはシュンとしてしまう。

「まさかとは思うけど……アルマ、テオファネスさんと何かあったじゃないの?」

 ──正直に言って欲しいわ。と、少し厳しい口調でゲルダに言われて、アルマは目を瞠った。なぜにそこでテオファネスの名が出てくるのか。一言も彼との事は二人には言っていない。

「なんでテオの話……」

「他に何があるのよ……もうどう見たってアルマ、テオファネスさんに好意を寄せてるのダダ漏れだし、何だか妙にソワソワしてるから気になって仕方ないのよ」

 低くアデリナに言われて、アルマは唇を引き結ぶ。

「正直に話して欲しいわ。尽くしたいだのうかがえた時点で分かったけど、それは男女の愛になる。貴女とテオファネスさんとの関わりを見て、伝承の天使の話に妙に似てきただのおちょくったりしたけれど、事実ともなれば流石に深刻な問題よ」

 真面目な口調でゲルダに言われて、完全に萎縮したアルマは緩やかに唇を開いた。
 隠し事は無しだ。そう約束したからので、アルマはありのままの事実を話す。
 それら全てを聞き終えると、彼女らは大きなため息を一つつき、やれやれと首を振ってこめかみを揉んだ。
 間違いなく怒っている。規則破りもはなはだしいと叱責される。そう思ったもが……。

「あ~やっぱりそうだったじゃん! もう、おめでとう」

 朗らかにゲルダが笑い出したのである。いくら何でも態度が変化しすぎだ。アルマは理解が追いつけず目をぱちくりしばたたくと、脇腹がとてつもなくくすぐったくなった。

「え、ちょ……ちょっとやめてよ! 何、アデリナ!」

 アデリナは無言でアルマの脇腹をくすぐり始めたのだ。
 あまりのこそばゆさに悶え、アルマはケラケラと笑い声を漏らすと「この幸せ者! 色々心配したんだから!」とにんまりと笑みを溢し、ようやく手を離してくれた。

 ……先程の態度は茶番だったのだろう。そう、彼女達はとっくに認めており祝福してくれているのだと直ぐに理解する。

「で、でも規律違反だよ。この件は皆に内緒にして欲しくて……」

 おどおどとアルマが話を切り出せば二人は同時に頷いた。

「そりゃそうよ、規律違反だし言える訳がない。でも、友人としては幸せを願いたくなるじゃない?」

 アデリナの言葉にゲルダは頷きつつも笑みを溢す。

「そうね。でも……規律違反は私も、あの……同じだから。リーダー失格なんだけど……」

「え……」

 ゲルダの告白に、アルマは何度も目をしばたたいた。確かに、十八歳を超えた彼女には縁談が沢山来ているので、未だ会っても居ない相手に文を交わして恋をしていたっておかしくな話ではない。

「あのね、きちんと話してなかったけど私縁談全部蹴ってるのよ。実は、好きな人が居てね……。相手は幼馴染みだけど、たまに日曜礼拝で会うし、いつも手紙でやりとりしてて……この休暇中も会っててね」

 ──アデリナにはバレてたけどアルマに隠してたの。ごめんなさい。そう付け添えたゲルダは頬を紅潮させてアルマにやんわりと微笑んだ。

「だけど、アルマの所はなかなかに……大変そうよね。こう毎日一緒だし。それにアルマのお父さん頑固で怖そうだし……うん」

 これから苦労が絶えなそう。と、アデリナは苦笑いを浮かべつつ言った。
 確かに言う通りだ。アルマも苦笑いを浮かべて頷けば、二人に何度も肩を叩かれた。

『私達は同僚だけど友達。共犯者って事は協力者。相談は幾らでも乗るわ』

 二人が告げたその言葉は、何よりも心強くアルマは思えた。
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