魔法公証人~ルロイ・フェヘールの事件簿~

紫仙

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第六章 黒手の殺人鬼 ~許認可申請~

聖オルファノ兄弟団

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 窓から差し込む日の光が、
 鉢に植えたオリーブの葉に照り返り、
 ルロイは思わず眩しくなり目をこする。
 窓の外では太陽が天頂で白く輝いている。
 もう昼飯時と言ってよい時分で、
 ルロイは書類の束を机上で整え
 背筋を伸ばすと短くため息をつき、
 ゆっくり椅子の背もたれに倒れこむのだ。
 おびただしい書類の束が
 乾燥しきった熱気を吸収し
 事務所の暑さもまた尋常ではなかった。

「さて、そろそろ一休みしましょうか
 アナさん」

「アナでいいですよ。
 いつものお茶でいいですか?」

「ええ、茶葉を濃い目に煮だして、
 砂糖はなしでお願いします」

 アナが微笑み頷く。
 黒髪を髪留めで整え、
 短めのローブを着込み
 かいがいしく働いてくれている。
 植物ゾンビの一件以来、
 アナは方々で家事手伝いの
 仕事をこなしている。
 今日はルロイの事務所の
 事務整理にも来ている。
 もの覚えがよいアナは
 ルロイ好みの紅茶を淹れる
 塩梅まで手早く覚えてしまった。
 アナが茶を沸かして入れると、
 今度はおもむろに彼女が持ってきた
 バスケットを執務机の上に置き、
 油紙を敷いて中を取り出したのだった。

「おお、これは」

 ルロイの目の前には、
 トランショワールと呼ばれる
 大型のパン皿の中をくり抜きその中に、
 程よく焼かれた卵と生クリーム、
 ベーコン、そしてほうれん草が
 ふんだんに入った料理が
 香しい匂いを放っているのだった。

「今朝がた、リーゼさんの工房で
 モリーさんと一緒に作ったキッシュです。
 大量に作って余っちゃったんで
 持ってきました」

「今朝はリーゼさんのところでしたか」

「工房の朝は、前日の実験とかの大掃除で
 忙しいらしいんで……その手伝いです」

 アナが笑ってみせる。
 あのリーゼの日頃の所業を考えれば、
 その実験の片づけはさぞ大変であろう。
 リーゼに付き合わされる工房の
 モリーや職人たちの苦労が察せられる。

「私はもう沢山頂いたんで、
 ルロイさんもどうぞ」

「では、御言葉に甘えて……」

 それほど大きな塊ではないが、
 具材が凝縮されているのが
 キッシュを手に取ってみると
 ずっしりとした存在感が伝わる。
 口に含んでみて、ふんわりとした
 甘く柔らかい卵の触感にほうれん草の
 香ばしい苦味が絶妙のコントラストが
 冷めてもなお舌の上で調和を保っている。
 しかし、なによりこの味わいある存在感、
 恐らくはねっとりとした塩味の強い
 チェダー系のチーズを混ぜてある。
 外皮が硬いパリッとした
 トランショワールであることも、
 触感をより重厚に引き立てる。

「美味い!それにしても、
 錬金術師の工房で料理とは意外ですね」

「実験用の大竈がありますから、
 料理にも使ってます。
 作り方はモリーさんに教わりましたから
 今度は一人で作れるよう挑戦しますね」

 心なしかレッジョで働き始めてから、
 アナは少し活発というか、
 性格が明るくなったようだ。
 工房でモリーのような友達も出来、
 汗水垂らして働く中で心身ともに
 健康になったのだろうとルロイは思う。

「至福のひと時!」

 ルロイは一切れ食べ終わり
 紅茶を一気に流し込む。

「まだ残ってますから」

 アナが微笑んで残りを
 バスケットから取り出す。
 それからはもう、ひたすらルロイは
 満腹になるまでキッシュと紅茶を
 胃に流し込み腹ごしらえは完了する。

「ごちそうさまでした」

 昼食が終わり、
 ルロイは窓から差す日光と
 オリーブの葉の煌めきに
 目がまどろんでいた。
 机に伏して昼寝するのも悪くない。
 ルロイがそんな思案をしていた折り、
 事務所の扉が開く。

「ここが、フェヘールさんの……
 事務所でよろしいですかい?」

 野太くしわがれた声が室内に響く。
 アナが質素な木の椅子を手に持ち
 来訪した声の主に応対する。

「はい、どうぞこちらにお掛けください」

 痩せているががっしりした肩に、
 日焼けした堀の深い四角い顔。
 灰色の暗いが静謐な意思を感じさせる瞳。
 口元は弓状にきつく結ばれている。
 薄汚れた灰色の上着に
 作業着を崩して着込んだ様は、
 素朴そうな漁師か農夫を思わせる。
 ありていに言って謙虚そうで腰が低いが、
 冴えない風体ではない。

「あっしは、サンチェスと申します」

「サンチェスさん。
 本日はどういったご用件で?」

「へい、許認可なんで……兄弟団の設立の」

 どこか気後れしている上の空の声色で、
 サンチェスはまだ本題を語りきれない
 もどかしさに舌が固まっていた。

「その……例の、あのマーノネッロでさ」

 何度か唇を痙攣させ、
 ようやく言葉がサンチェスから出てきた。
 サンチェスは考え込むように
 額に脂汗をにじませ刻み込まれた
 苦悩が作り出したしわの一つから
 一筋の汗が流れ落ちた。
 ルロイとアナの顔から
 和やかな表情が一気に消え去る。

「――――それは、お悔やみ申し上げます」

 マーノネッロ。黒い手――――

 最近レッジョを騒がせている
 黒い手の殺人鬼である。
 被害者は文字通り背後から
 腹部や胸を黒い腕で刺し貫かれて
 一撃で殺害される。
 狙われるのは大抵冒険者で、
 ダンジョンで見つかったレアアイテムを
 市場で換金したところを狙われる。
 事の始まりは数か月前にさかのぼる。
 被害者はレッジョに来た新顔の冒険者で、
 その死体は背後から鋭い肉厚な刃物
 のような凶器で肉体をえぐられ、
 無残にも腹や胸まで傷口が貫通していた。
 しかし、異様なのはそれだけではない。
 マーノネッロが関与した現場には、
 ただ一つの例外もなく血痕が
 一滴たりとも残っていないのだ。
 レッジョは、残虐かつ猟奇的な殺人に
 恐れおののきこれは人の仕業ではなく
 吸血鬼か、ダンジョンから漏れ出した
 未知の上位モンスターであると噂した。
 だが、ある日遂に目撃者が現れた。
 それによると突然犠牲者の胸に
 血まみれの手が生えたかと思うや、
 噴き出た血がその手に集まり
 どす黒く固まっていったそうである。
 それ以来黒い手の殺人鬼「マーノネッロ」
 が誕生したという経緯である。
 つい一週間前も、マーノネッロにより
 貧しい冒険者やレッジョの孤児たちを
 扶助する兄弟団が襲われ、
 居合わせた兄弟団の者たちが尽く殺され、
 兄弟団の館は焼き払われる
 凄惨な事件があったばかりである。
 その兄弟団の名前というのが――――

「聖オルファノ兄弟団。元冒険者が
 中心となってレッジョの貧民や
 孤児を扶助する役目も負い、
 孤児院としても機能している」

「ご存知でしたか……」

「僕も近くに住んでますから」

 聖オルファノ兄弟団本部の館は
 ルロイの住んでいるメリーダ河
 南岸の地区から更に南の大通りをすこし
 南に下ったところにある。
 不具になった冒険者や老人もいるが、
 孤児たちが多いため、地元住民は
 兄弟団の館を孤児院と呼んでいる。

「館は焼き討ちに会い、孤児たちも……
 多くが殺されてしまいました」

 聖オルファノ兄弟団は、
 あまたの人員を失い館も半焼。
 兄弟団としての機能を失い、
 同団体は廃止されたものと
 市参事会は判断したのであった。
 サンチェスは生き残った者たちで
 再び兄弟団を設立したい悲願があった。

「あの、どうぞ……」

 アナがカップに注がれた茶を差し出し、
 サンチェスは震える手で
 カップを口にする。
 サンチェスが差し出した手の甲が
 火傷のように赤黒く爛れていた。
 おそらく子供たちを火事から
 助けようとした時に負ったものだろう。
 ルロイもまた公示鳥の知らせで
 この事件は知ってはいた。
 しかし、実際にサンチェスの手の
 皮膚に刻まれた生々しい事件の痕跡を
 目にすると、犠牲になった孤児たちの
 凄惨な最期がルロイの脳裏に
 迫ってくるのであった。

「随分酷い事件でしたね……」

「いや、酷ぇ事件だ!」

 ルロイが過去形で話したことが、
 気に障ったのかサンチェスは
 灰色の瞳に怒りをこらえ机上の
 爛れた拳をきつく握りしめた。
 その甲の火傷跡がまるで死した兄弟の
 無念を訴える亡者の顔のように見えて、
 ルロイはバツが悪そうに目を伏せた。

「そうですね、申し訳ありません」

「いや、あっしの方こそ……」

 サンチェスは感情的になったことを
 詫びて慌てて手を引っ込めた。

「とにかく、兄弟団を再建するため
 お願いします」

「ええ、もちろん」

 ルロイは、切実なサンチェスの願いに
 応えるべく、力強く念を込め
 申請書類に印を押した。
 それからルロイは、
 改めてサンチェスに設立に向けての
 必要な書類手続きと行政側の審査基準
 について説明をしてサンチェスに一先ず
 納得して帰ってもらった。

「どっと、疲れた」

 サンチェスが帰って自分の責任を
 噛みしめる様にルロイは机に
 上半身を横たえた。

「あのー、兄弟団って?」

「知りませんか」

「ええ、ずっと田舎にいたものですから」

 アナがはにかんで視線を逸らす。

「一言では説明しにくいですが、
 あえて言うなら
『死によって結ばれた組織』ですかね」

「死?ですか」

 困惑し面食らったように、
 アナはルロイの顔を覗き込む。
 兄弟団は、職業によって基づくものと、
 そうでないものがあるが、
 今回は後者に当たる。
 会員の階層、出自、職業など
 様々であるが会員はお互いを
 兄弟姉妹と呼び合い、生活の諸々の
 総合扶助を行う。会員が死亡すれば
 全員が葬儀に参列し、埋葬に立ち会う。
 会員は亡くなった兄弟姉妹の死後の
 冥福と共に己の魂の救いを祈るのだ。
 それだけでなく、遺族の面倒をみること、
 事故や病気で働けなくなった会員の看護
 なども規定されている。そのために、
 兄弟団は病院と契約して会員の
 人数分のベッドを確保している位である。
 つまるところ、都市と言う有象無象の
 人間が雑居する中で生まれてから
 死ぬまでの保険という意味合いを
 担う組織と言えるのであった。

「それなりに大きな都市。
 それもレッジョならではの
 総合扶助組織。とまぁ、
 更に言えばこんな感じでしょうか」

「色々なところから色々な人が
 集まるって、凄いですね」

「ええ、それに冒険者ギルドや
 そのほかの職能ギルドだって
 兄弟団の一種といえます。
 血縁地縁を超えて助け合わねば
 なりませんから。その中でも
 『聖オルファノ兄弟団』はより
 兄弟団らしいですね」

「そうなんですか?」

「寄る辺のない貧しい人々の
 結束は固いものですよ」

 ルロイは窓から
 サンチェスが消えていった
 レッジョの南街区へ目をやった。
 粗末な掘立小屋が並ぶ貧しさの中でも
 子供たちの笑い声がときたま
 ここまで聞こえる。サンチェスもまた
 子供たちの笑顔を背負う男の一人なのだ。
 そんな市井の人々を手助けするために
 ルロイもまたここにいる。
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