残虐王

神谷レイン

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花の名を君に

11 死

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 それから事件が起きたのは、数週間後の事だった。

「レスカチア様ッ!」

 昼頃、早馬を走らせてノイクが駆けこむように僕の元にやってきた。
 その日の僕はロベルトが来ると言っていた日で、うきうきしながら湖で待っていた。でも来たのはノイクで僕は驚いた。こんなのは初めてだった。

「ノイク? ロベルトは……?」

 僕はきょろきょろして辺りを見回してしまう。でも一緒には来ていないようだ。
 そんな僕にノイクは悲痛な表情を見せた。何かあったのだと、すぐにわかった。

「ノイク……なにが」
「ロベルト様が刺されました。今はまだ息がありますがっ……早くロベルト様の元へっ」

 それ以上、ノイクは言わなかった。でも言わなくてもわかる。だけど、僕は理解したくはなかった。

「ロベルトが刺された?」
「はい、トルネド様の手で」

 それはロベルトの実子の名前だった。

「なぜ……どうして、ロベルトの子が」

 僕が尋ねるとノイクは押し黙った。でも僕はノイクが話してくれるのを待つことはできなかった。僕はノイクをその場に置いて、すぐさまロベルトの元に姿を現した。

 僕は人ならざる者、僕が本気を出せば一瞬でロベルトの元に移動することなど容易いことだ。

 僕はロベルトの私室に姿を現し、ベッドの上に横たわるロベルトをすぐに見つけた。周りには多くの人が集まり、ロベルトを見つめていた。ロベルトの顔は青白く、生気はほとんどなかった。ついこの間まで僕達は抱き合い、その肌の熱を感じたというのに、指先で触れたロベルトの頬は冷たかった。

「ロベルト……」

 嘘だ。

 そう言いたいのに、声にならない。
 ロベルトの息はか細く、今にも止まりそうだった。ロベルトの体からは血の匂いがして、腹に巻かれた包帯は血が滲み出ていた。

 いつもなら血の匂いに僕は逃げるけど、僕の足はその場に張り付いて離れなかった。

 血と共にロベルトの命まで流れ出ている。

「ロベルト……ロベルト」

 僕は泣きそうになりながらロベルトの手に触れた。
 でもロベルトの手がぎゅっと僕の手を掴んだ。

「レスカ……」

 小さく僕を呼ぶとうっすらと閉じていた瞼を開けた。

「ロベルト!」

 僕が名前を呼ぶと、黒の瞳が僕を見つける。そして微かに微笑んだ。

「すまない、な……会いに、いけなくて」

 僕は首を横に振った。

「いいんだ。……でも、どうしてこんなことに」
「……俺が悪いんだ」

 ロベルトは苦しそうな顔をしながら呟いた。
 一体、ロベルトの何が悪かったのか、僕にはわからない。実の子が父親を刺すなんて。

「……こっち、に」

 ロベルトは僕を呼び、僕はロベルトの側に、顔が触れ合うほど近くに寄った。
 ロベルトの黒の瞳が僕の目を見る。
 言葉は何もなかったけれど、その目を見ているだけで僕にロベルトの気持ちが伝わってくる。

 “愛している、レスカチア”

 そう真っ黒な瞳で僕に訴えかけてくる。そして幾度となく僕に囁いてくれた言葉は言われなくても、僕の耳に聞こえてくる。

 この言葉を言われるだけで、僕は嬉しくてとても幸せだった。なのに、今はとても悲しい。これが最期の言葉になると、僕はわかってしまったから。

「い、嫌だっ、ロベルトッ! 僕を置いていかないで、僕を一人にしないでッ!」

 僕はロベルトに縋りついた。

 僕は生まれた時から一人だった。親も兄妹もなく、誰かが傍にいる事はなかった。僕は孤独だった。

 でも僕にはロベルトがいてくれた、それだけで僕には十分だった。

 たった一人、心を通わせられる人。僕を一心に愛してくれる人。僕に笑顔を向けてくれる大事な人。僕の孤独をいつも暖かい光のような笑顔で、溶かしてくれた。
 だから僕は寂しくなんかなかった。いつだってロベルトの存在があったから。

 けれど、その人がいなくなる。

 僕の足元は揺らいだ。地面がなくなったみたいに感じる。

 だからどうか、嘘だと言って。僕を一人にしないって言って。いつもみたいに笑って『冗談だ』とからかって!

 そう涙が零れそうな目で僕はロベルトに訴えた。けれど、ロベルトは僕を見つめるだけで、何も言わなかった。代わりにロベルトは最後の力を振り絞るかのように声を上げた。

「……次代の王はノイクに。皆、そのように……良いな」

 ロベルトの宣言に誰もが驚き、そして息を飲んだ。誰もノイクに次の王座が渡されるとは思っていなかったのだろう。
 しかしロベルトはそんな状況に微かに笑うと、波が引くようにすぅっと息を引き取った。すぐさま老医者が近寄り、脈を取る。

「……陛下は旅立たれました」

 悲しそうに老医者は言い、部屋にいた誰もが沈痛な表情を見せ、沈黙の中、涙を流した。
 勿論、僕も例外ではない。

「嘘だ、嘘ぉおぉぉぉッ!! ロベルトぉぉぉおおっ! いやだああああああっ!」

 僕はロベルトの胸に顔を伏せ、涙をぽろぽろと零した。涙は水晶になり、僕が見えない人たちにはロベルトの胸から水晶が不思議と溢れ出てくるように見えたのだろう。驚きの声が聞こえた。でも僕にはどうでもいい。

 ロベルトの心臓は静まり、何の音も聞こえない。熱も引いていく。

 僕は泣きながら動物達や精霊たちに言われた事を頭の端で思い出した。

『人間とはか弱い生き物です。すぐに死んでしまいますよ』と。

 ああ、本当だな。こんなにもあっさりと僕を置いていってしまうなんて。

 熱を失っていくロベルトを前に僕は思い知らされた。
 僕の感情に引きずられるように、また雨がぽつぽつと降り始めた。そして、しばらくした頃にノイクは息を切って戻ってきた。馬を走らせ、自らも走ってきたのだろう。

 雨に打たれたノイクはずぶ濡れだった。

「ロベルト様ッ!」

 ノイクは水を滴らせて、叫びながら部屋に入ってきたけれど、ロベルトがもう返事を返すことはなかった。そして次期王を知らされたノイクは悲しむ暇もなく、驚愕の表情を見せた。








『レスカチア、お前は変わらないな』

 ある日の事、日向ぼっこをしていた時にロベルトは突然僕にそう言った。見た目の事かな? と思って自分の体を見だけれど、そうじゃなかった。

『お前自身の事だよ』
『僕自身?』

 僕が問いかけるとロベルトはこくりと頷いた。

『いつだってお前は正直で、嘘がない。お前の傍にいると和らぐ。お前の前では俺は王でなく、ただの俺になれる』
『……? ロベルトはロベルトだよ?』

 僕はロベルトの言っている意味がわからなかった。そんな僕にロベルトは笑った。
 でも後に僕はロベルトの言う意味を理解することになる。

 王の周りは陰謀や策略、嘘や偽りにまみれ、真実は得難い。それでも国を束ね、民を守る為に気を休めることもできないのだと。王の孤独さをこの時は僕は知らなかった。

『レスカチア、俺の傍からいなくなったりしないでくれよ』

 木漏れ日の中、ロベルトは願うように僕に言った。
 でも、僕から離れていったのはロベルトの方だった。















 夜もすっかり更けた頃。

 誰もいないロベルトの寝室。僕と死んだロベルトの元にノイクが戻ってきた。そして僕はノイクの声で、昔の思い出から現実に引き戻された。

「レスカチア様、大丈夫ですか?」

 ノイクは人払いをさせ、遺体となったロベルトの体にしがみついたまま離れようとしない僕の背をそっと撫でた。それはとても優しい手つきだった。

 けれど、今の僕はとても大丈夫だとは答えられなかった。

 胸の奥が痛くて痛くて堪らない。心が引き裂かれて、散れ散れになってしまったみたい。水晶の球が床一面にころころと転がっている。そしてまた一粒の水晶が床に落ちた。

「ノイク……どうして、ロベルトがこんなことに」
「……レスカチア様」

 ノイクは痛々しそうな顔で僕を見つめた。そして僕は不意に、森でノイクに告げられたことを思い出した。

 ロベルトを刺した実子のトルネドの事を。

 思い出した途端、声にならない煮えたぎった思いが僕の身の内から湧き出てくる。それが怒りだと僕は知らなかった。怒りなんて、僕には無縁の事だったから。

「ノイク、ロベルトの子はどこにいる!」

 僕は今まで出した事のない声でノイクに尋ねた。

「トルネド様にお会いになって何をなされるつもりですか……?」

 ノイクに尋ねられて、僕はどう返答していいのかわからなかった。

 会ってどうする? 僕はどうしたらいい。この手で思いっきり殴ったら、僕の気は済むのだろうか? ロベルトと同じ目に遭わせれば気が済むのだろうか?

 ノイクの質問に、僕は考えたけれど、どれも違う気がした。
 そして何も答えない僕をノイクは静かに見つめた。

「残念ながらレスカチア様にお会いさせるわけにはいきません。会ったところで、貴方の悲しみが増すばかりだ」
「でも!」
「トルネド様には処罰を受けていただきます。ですから、どうかお任せください」

 ノイクは頭を下げて、丁寧に言った。けれど、それだけで納得なんてできなかった。
 僕の中の怒りが、許さない! と叫んでいた。それに何より、僕は理由が知りたかった。

 トルネドがロベルトを殺した……その理由を。




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