残虐王

神谷レイン

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花の名を君に

15 ノイクの告白

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「ノイク!」

 あの時のロベルトのようにノイクは湖の縁で僕が起きるのを待っていた。でもロベルトのように僕の姿を見て驚きはしなかった。
 きっと使い慣れない力を使うと僕が寝込んでしまうのをノイクはロベルトから聞いていたのだろう。

「レスカチア様」

 ノイクは落ち着いた様子で僕に声をかけた。けれどその右顔には包帯が巻かれ、痛々しく見えた。

「ノイク……大丈夫?」

 僕はノイクを見上げて尋ねた。でもノイクはなんてことない、って顔で笑った。

「大丈夫ですよ。見た目はあれですが、傷はそこまで深くはありませんから」
「そう。それならよかった。でも……右目は」

 切られた眼球は元の視力を取り戻すことはないだろう。

「……残念ながら。でも左目が残っています」

 ノイクはそう言ったけれど、これから不便な事が増えるだろう。僕はそっと手を伸ばし、ノイクの頬に触れた。

 僕がもっと早くに気が付けばノイクはこんな傷を負わなかっただろう。

「ノイク、ごめんね。気が付くのが遅くて」

 僕が謝るとノイクは驚いたように目を見開き、声を上げた。

「レスカチア様が謝られることなどありません! 貴方は私達を助けて下さいました! ……ただ、ロベルト様の願いを破ってしまった形になってしまいましたが」

 ノイクは申し訳なさそうに呟いた。
 やっぱりノイクはロベルトの意志を受け継いで、僕の為を思って言わなかったのだ。僕の力を人の争いに巻き込まないように。

 そんな相手に『どうして言わなかったの!?』とは言えなかった。ノイクは僕に力を使わせない為に黙っていた。きっと命を懸ける事も覚悟の上だったのだろう。
 結果的には僕が手助けするとになってしまったけど、そんな相手に非難の言葉をかける事はできなかった。

「けれど、しばらくは争いは起きないでしょう。レスカチア様、ありがとうございます」

 ノイクは頭を深々と下げた。そんな彼の頭を僕はぽんぽんっと撫でた。それはノイクが幼い時と同じように。

「いいんだよ、ノイク。君はいつも僕を助けてくれた、だから僕も君を助けたい。ただそれだけなんだから」

 僕がなでなでしながら言うと、ノイクは少し恥ずかしそうに顔を上げた。

「ありがとうございま、レスカチア様。……でも私はもう大人ですよ。頭ぽんぽんはダメです」

 照れくさそうにノイクは言い、少し顔を赤くしていたけれど、僕にとってどれだけ大きくなったって変わらない。

「僕にとって、ノイクはロベルトが連れて来た時と変わらない大事な子供だよ」

 僕が言うとノイクは嬉しそうに、でもどこか複雑そうな顔をした。

「……ノイク?」
「いえ……私にとってもレスカチア様はとても大事な方です」

 ノイクはそう僕に告げた。でももっと……何か言いたそうな顔をしていた。けれど、僕は何となく聞いてはいけない気がした。聞いてしまっては、何かが壊れるような気がしたんだ。
 でもそんな僕の前にノイクは片膝をついてしゃがみ込み、そして僕の手を取った。

「レスカチア様、もう二度と貴方の手を煩わせないよう、私はこの国に力を尽くします。この森を侵させない、強い国にしてみせます。ロベルト様がそうであったように。……貴方に誓います」

 ノイクは意志を持った黒の瞳で僕を見て言った。
 それはノイクではなく、新しい王としての言葉だった。ならば、僕もその言葉に精霊王と呼ばれる者として答えるべきだろう。

「君がロベルトの意志を継ぐと言うのなら、僕は君に力を貸そう。どうか、ロベルトが守ったこの国を、この森を、これからも守って」

 僕が言葉を返すと、ノイクは力強く「はい」と答えた。

 そうして僕はこの国を守るようになった。

 でも時の流れというのは、本当に残酷だと僕はこれから思い知らされる。















 それからノイクが王となって、数十年が経った。

 ノイクは森の入り口に建国碑を建て、森を王家の敷地として誰も入れないように森の前に城を築いた。そしてロベルトの意志を継いで、国に尽くし、小国ではあるが穏やかな国になった。ノイクは隻眼の王と呼ばれ、皆から慕われていた。

 だがノイクは誰とも婚姻を結ぶことなく、ロベルトの遠縁の子供を引き取ると、王としての教育を施し、しばらくしてその子に王位を譲った。

 だけど退位した頃にはノイクは五十を過ぎ、病に伏せるようになっていた。

 ロベルトは僕と交わっていたから全く容姿が変わる事はなかったが、ノイクは違う。ノイクは他の人間と同じように老い、茶髪の髪は今ではもう真っ白に変わっていた。

 若々しかった肌には皺が寄り、傷跡やシミが出来ていた。まるで生きてきた証のように。

 でも僕はまざまざと人の命の短さを見せつけられているようで、ノイクにはとても言えなかったけど恐ろしさを感じていた。

 僕は生まれた時から全く何一つ変わっていない。黄色のふわふわ頭、少し焼けた肌、老いを知らない顔。僕と人間は違うから、そんな事当たり前だけど。

 ノイクが遊びに来てくれる度、ノイクが歳を取り、老いる度に僕の心の奥は悲しさを覚えていった。胸が苦しいほど。

 そして冬のある日、その日は来てしまった。















「ノイク、遊びに来たよ」

 僕が声をかけると床に臥せていたノイクが、瞑っていた片目をゆっくりと開けた。そしてそっと黒の瞳が僕を見上げる。

「レスカチア様……」

 その声はか細く、ロベルトの最期の時を思い出してしまう。

「すみません、体が、起こせなくて」
「いいよ、そのままで」

 僕はノイクの頭を優しく撫でて言った。部屋の中は寒くならないように暖炉に火がたかれていたが、周りには誰もいなくて、時折侍女がノイクの様子を見に来るぐらいだった。

 城の離れに居を構え、先王だったはずのノイクの傍には今や数人の侍女しかついていない。ノイクが望んだのだろうが、僕には少し寂しいものに見えた。

 多くの者を従えて、王として活躍していた時の事を思い出すと余計に。
 でもそんな事を考えている僕とは変わって、ノイクはふふっと笑った。

「ノイク?」
「レスカチア様は、私が、こんな爺になっても、まだ子供、扱いですね」

 ゆっくりとノイクはそう言った。年を取った男に、ましてや先王だったノイクにこんな風に頭を撫でる者などいないのだろう。でも、僕にとってノイクはいつまでも可愛いロベルトが連れてきた子供だった。

「ノイクは大事な子だよ」

 僕が言うと、ノイクは嬉しそうに、でも微かに微笑んだ。

「実の親に、疎まれ、『死ね』とまで言われたのに……ふふ」

 ノイクは遠い目をして呟いた。きっと子供の頃を思い出しているのだろう。でも、その瞳はすっと僕を見つめた。

「レスカチア様……私はもう永くないでしょう」

 僕はノイクの言葉に息を詰めた。そんな事は知っている。でも認めたくなかった。

「なんで……そんな事を言うのっ」

 僕はついつい責めるようにノイクに言ってしまった。けれど、そんな僕にノイクは微笑んだ。

「最後の、我儘を聞いて、貰いたいから」

 思いもよらない言葉に僕は驚いた。

「最後の……我儘?」

 ノイクは僕に何を望む? 今まで彼は僕に何かを望んだことなどなかった。これだけ時間があったというのに、こんな最後に?

 戸惑う僕にノイクは微笑みながら、願いを、最後の我儘を告げた。


「レスカチア様……私に口づけて、くれませんか?」

 黒い瞳が熱望するように僕を見つめた。

「口づけ……」

 意外な願いに僕は戸惑う反面、どうしてノイクがそう願うのかわかってしまった。

 ノイクはこれまで何も言わなかった。

 どれだけ二人で湖の縁で語り合っても、ノイクは一度たりとも僕に友人以上を求めたりしなかった。でもその瞳はいつも熱を孕んでいたのを僕は気が付いていた。けど、僕はこの関係を壊したくなくていつも見ないフリをしていたんだ。
 その事にノイクもわかっていたから、今まで何も言わなかったのだろう。

「レスカチア様……」

 希うような声に僕はきゅっと唇を結ぶ。

「……ノイク」

 僕は横たわったままのノイクに覆いかぶさり、ゆっくりと身を屈めた。ノイクは瞳を閉じて僕の唇を待つ。

 でも僕は精霊という存在で、嘘はつけない。例え、こんな時でも。

 僕は身を屈めて、確かにちゅっと口づけた。でもそれは親愛の情を示すノイクの頬にだった。
 ノイクは僕の口づけを受けた後、瞳を開けた。けれど彼は怒らずに笑った。

「やはり、レスカチア様は正直ですね」

 くすくすと笑うノイク。でも僕は「ごめん」と小さく謝るしかなかった。
 僕が口づけたいのはロベルトで、口づけを許すのもロベルトだけだった。

「いいえ、無理な我儘だと、わかっていました、から」

 ノイクは穏やかに笑い、それから思い出すように天井を見上げた。

「貴方がロベルト様だけを愛していらっしゃるのは、子供の頃からよくわかっていました。私はそんな二人がとても羨ましかった、お互いに想いあっていて。……でもそんな二人を見ている内に、私も貴方を愛してしまった」

 ノイクは今まで口にしなかった言葉を僕に告げた。そして僕を見て、ゆっくりと手を差し伸べ、僕の頬を撫でた。

「愛しています、レスカチア様」
「……ノイク」
「わかっています、貴方にこの想いは迷惑な事。でも、最期だからどうか言わせて」

 ノイクは僕の頬を撫で、僕はその手を握ってノイクを見つめるしかできなかった。

「初めて会った時、こんなに美しい方がいるのか、と驚きました。でも貴方は見かけより、ずっと無邪気で……いつも素敵で、私は子供の頃から貴方に気に入られたかった。貴方に微笑んで欲しかった。ロベルト様のようになれたら、といつも思っていました。貴方の心に入れたらと……まあ、無理でしたが。……それでもレスカチア様、貴方を愛しています。貴方の一番になれなくても、レスカチア様を愛しています」

 ノイクは今まで黙っていた想いをぶつけるように、僕をじっと見て告げた。でもノイクの言う通り、僕はノイクの気持ちを受け取れない。
 だけどこんな風に言われて、その気持ちを無下になどできなかった。

「ノイク……ありがとう。僕もノイクの事、大好きだよ。ごめんね……でも、大好きだよ」

 僕は必至に言い、そんな僕をノイクは微笑んで見つめた。

「わかっています……レスカチア様」

 ノイクはそう言うと、ゴホゴホっと咳き込んだ。喋りすぎたのだ。

「大丈夫!? あ、お水飲む?」

 僕はテーブルに置かれていた水差しからコップに入れて、ノイクの口元に差し出した。ノイクは咳を落ち着かせ、それからこくりと水を一口含んだ。

「ありがとう、ございます。レスカチア様」

 ノイクは僕にお礼を言い、ほっと息を吐いた。僕はそれを見て、コップをテーブルに戻した。でも、少し視線を外した間にノイクの息は止まっていた。

 ノイクからは生気が感じられなかった。

「……ノイク? ……ねぇ、ノイク。どうしたの? ねぇ、ノイク。ノイクッ!!」

 僕はノイクの体を揺さぶったが、もうノイクの魂はここにはなかった。

「ノイクッ!!!!」

 どんなに呼んでもノイクは目を覚まさなかった。僕は大事な人をまた亡くし、水晶の球が床に散らばるしかなかった。




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