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第一話 『あれ』
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ある日、とある港町に引っ越していった元同僚で親友の冴子から連絡があった。
「冴子? 元気?! 久しぶりじゃん!!」
電話を受けて、懐かしさのあまり大きな声でそう言う私に対して冴子は暗い声で答える。
「うん、まぁ」
「なに、どうしたの? 冴子ってば念願叶って港町に引っ越したって言ってたから、楽しくて連絡する時間もないのかと思ってたのに。元気ないじゃん? なんかあったの?」
「うん。こんなことあんたに頼むのも変かもしれないんだけどさ」
そう言って冴子はなにがあったのかを話し始めた。
冴子の引っ越した港町は若者が減り都心からの移住支援をしていて、一年以上住んでくれれば土地代やそこに立っている建物も無償で譲渡してくれるという支援をしていた。
元々都会暮らしに不満を持っていた冴子は、この話に飛び付くとすぐに申し込み見事審査に通ることができた。
これまでに移住のためある程度お金を貯めていた冴子は、すぐに職場に辞表をだした。
冴子はその町へ越す前に一つ心配している事があった。その町がとても小さな集落で、住民のほとんどが顔見知りといった感じの町だったことだ。
町の役人が外からの移住者を求めていても、町の住民がそれを望んでいるかどうかはわからない。
町の住民に受け入れてもらえるだろうか?
だが、そんな冴子の心配をよそに隣近所に住む住民も、それどころか町の住民のほとんどが冴子にとても親切にしてくれた。
ところが、仲良くなればなるほど町の住民は『若い人は、この町には長く住まないほうがいい。一年も我慢して田舎暮らしをするより、となり町でもいいからもっと都心に住め』と口を揃えて忠告してきた。
もしかしたら表面上仲良くしているだけで、本当はそんなに歓迎していないのかもしれない。
冴子はそう思うようになっていった。
そんなある日、海辺を散歩していると町の外から来たとおぼしき人に道を聞かれた。冴子は道を教えると観光に来たのか尋ねた。
「いや、古い友人に会いにね。高野っていうんだが」
「あぁ! 高野さんですね。おじさんはこの時間は港に行っていていないかも。確かおじいちゃんとおばさんは家に居ると思いますよ」
「そうか、親切にありがとう。高野に親切にしてくれた人がいたって話しておきますよ。よければお名前を聞いても? その前に、自己紹介してませんでしたね。私の名前は中橋っていいます」
「私は冴子っていいます」
その人物は不思議そうに冴子を見つめると言った。
「あなたがこの町に移住してきたって娘さんかな?」
「はい、そうです。最近越してきました。移住してくる人って少ないんですね、こんなに住みやすい町なのに」
これは本当のことだった。小さな集落ではあるがまず自然が豊かだし、買い物に行こうと思えば車で十分程度のところにショッピングモールもある。
福祉施設も整っているし、なぜこんなに人口が少ないのか冴子には理由がわからなかった。
中橋は戸惑った様子で言った。
「この町には『あれ』が来るから誰も移住したがらないんでしょう」
「『あれ』ってなんですか? なにか来るんですか?」
冴子のその質問に、中橋は慌てたように言った。
「すまない、余計なことを言ってしまったみたいだ。あなたが今幸せならそれでいい」
そう言うと、中橋は足早に去っていってしまった。冴子はなんだったのだろうと思いつつも、特段気にすることなく家に戻った。
そうしてそんなことはすっかり忘れ、田舎暮らしを満喫し何事もなく過ごしていた。
ある日、たまたま近所に住んでいる杏子と照が会話している内容が耳に入ってきた。
「高野さんのところ、『あれ』が来たらしいわよ」
「そう言えばこの前知人が訪ねてきたとか言ってたものねぇ。よそ者と会うときは家に呼んじゃだめよねぇ」
「本当よ、じゃあその知人は結局ここに?」
「そうみたい。もう出られないわよ」
「じゃあ私たちも受け入れるしかないわねぇ」
冴子はその会話の内容に驚き、窓を開け二人に声をかける。
「杏子さん、照ちゃん、こんにちわ。あの、今の話ってなんの話ですか? 『あれ』が来るってどういうことでしょう?」
すると二人は冴子を見つめ無表情になった。冴子はそんな二人の様子を見て慌てた。
「盗み聞きするつもりはなかったんです。ごめんなさい!」
そう謝る冴子に、二人は怪訝そうな視線を送ると、そのままその場を立ち去ってしまった。
怒ったのかな? 盗み聞きなんてよくなかったよね。
そう思い反省した冴子は、あとで手土産を持って謝りに行くことにした。
ところが、この日から二人に避けられるようになった。家に訪ねても居留守を使われ、道端で合って挨拶をしても無視されるようになった。
しかも、冴子を避けるようになったのはこの二人だけではない。近所に住む住民のほとんどが、冴子を避けるようになってしまった。
せっかく仲良くなれたのに、なにがいけなかったのだろうか?
そう考え二人が話していた内容を思い出す。二人は高野家に来た知人の話をしていた。
それはきっと、数日前に冴子に道を訪ねて来た中橋のことに違いなかった。しかも、中橋も『あれ』と口にしていたし、杏子と照も『あれ』の話をしていた。
『あれ』とは一体なんなのだろう?
冴子は町の人間に聞いても答えてくれないだろうと思い、中橋に直接話を訊きに行くことにした。
翌日、高野家に行くとちょうど高野家の縁側で一人笑みを浮かべて海をぼんやり見つめている中橋がいた。
「中橋さん!」
そう声をかけると、中橋は笑顔を崩さずに冴子の方を向くとしばらく見つめたあと口を開いた。
「やぁ」
それだけ言うと、表情を崩さずに海に視線を戻した。なにか様子が変だと思いながら冴子は中橋のとなりに座る。
「中橋さん、少し質問したいことがあるんですが……」
すると中橋はこちらも向かずにゆっくりした口調で答える。
「なにかな?」
「あの、この前言っていた『あれ』って何ですか?」
中橋は相変わらず表情を変えずに、ゆっくりとこちらを向いた。だが、冴子と視線をあわせることはなく、焦点の合っていない目で空を見つめて言った。
「『あれ』はここにいるよ。『あれ』の話をすると『あれ』は来るんだ。それを知ると『あれ』が来るようになる。君のところにも近いうちに『あれ』が来る。そうすれば君もこの町の住民だ」
そう語ると中橋は、ゆっくりと海に視線を戻した。
なにかおかしい様子の中橋を見て、冴子はなにか得たいの知れない恐ろしさを感じ、慌ててその場をあとにしようとした。
すると背後から声をかけられる。
「冴子さん! あんた今、中橋と話したのか?!」
振り返ると、高野のおじさんがすごい形相でこちらを見ていた。冴子は勝手に敷地内に入ったことで怒られると思い、咄嗟に頭を下げる。
「勝手に入ってすみませんでした!」
「そうじゃない。話しをしたのか訊いている」
「はい、話しました。でも中橋さんの言っていることは要領を得なくて……」
高野はそれを聞いて慌てて冴子に駆け寄ると、冴子を問い詰める。
「なにを話した? なにを聞いた? 中橋はあんたになにを言った?」
「えっと、『あれ』が来るとか、話していると来るとか、なんだかよくわかりませんでした」
冴子がそう答えると、高野はあからさまにがっかりした顔をした。
「なんということだ……」
そう呟くと、冴子を睨みつけた。
「いいか、一週間以内にこの町から出ていけ」
「一週間以内にですか?!」
「そうだ。なんなら今日にでも出ていってほしいぐらいだ」
そう言うと、高野は大きくため息をついた。
「この町の住民は、もともとあんたに出ていってもらいたがっていたんだ。なぜだかわかるか?」
冴子は首をふった。すると高野は呆れたような顔をした。
「気づかなかったのか? みんなあんたが嫌いだからだよ。町長が町お越しとか勝手にやっているから今の今まで我慢して仲良くしてやったが、もううんざりだ。親切にしてやっていたことを感謝して欲しいぐらいだね」
あまりのことにショックで呆然と立ち尽くしていると、高野は追い討ちをかけるように言った。
「わかったら、早いところ荷物をまとめて出ていけ!」
高野はそう言うと家に戻り、ピシャリとすごい音をたてて引戸を閉めた。
冴子はしばらく閉じられた戸を見つめていたが、とぼとぼと自分の家に向かって歩き始めた。
家に帰るまでの間、これからどうするか考えた。もちろん、あそこまで言われてこの町に住み続けたいとは思わなかった。
冴子は引っ越しの段取りを整えて、とり合えずは実家に戻ることにした。
それにしても引っ越しまでのあいだ、こんな町に一人で一週間もいることが耐えられないと思い、冴子は友人を呼ぶことにした。
と、これが冴子の語った内容だった。私は他人事ながら、冴子に同情し他の同僚たちにも声をかけて冴子の家に遊びに行くと伝えた。
「ありがとう。助かる! この家無駄に広いから、何人でも連れてきていいよ。それにどうせなら、みんなで集まった方が楽しいしね」
「庭があるなら、バーベキューとかできる?」
「できるできる!」
「本当? じゃあ冴子はなんにも準備しなくていいよ! こっちが言い出したんだし。道具とかはこっちで準備するから」
「本当? いいの? あーなんか楽しくなってきたかも!!」
「そうだよ! せっかくなんだもん。楽しもう!」
そうして私は冴子の住む町に行く事になった。
同僚たちに声をかけると、私を含め六人ほど行く事になり早急に準備をした。
仲間の一人が車を出してくれることになり、その車に荷物を積むと私は乗りきらなかったので、先に電車で向かうことになった。
最寄りの駅に着くと、冴子が出迎えてくれた。
「住民に変な目で見られるかもしれないけど、気にしないでね」
冴子が申し訳なさそうにそう言ったが、私はまさかと思い信じていなかった。
ところが本当に道ですれ違う住民たちは冴子が挨拶をしても、挨拶を返してくることはなくただ黙ってこちらを見つめてくるだけだった。
それはとても異様な光景に見えた。
私たちはなるべく住民たちと目が合わないように、足早に町の中を通りすぎた。
冴子の借りている家は典型的な日本家屋で、瓦屋根に海の見える広い庭があり平屋で縁側がある。
納屋があり、そこにお風呂が付いていた。
「のんびりすごすのには最高な場所だね。近所の住民があんなじゃなければだけど」
私がそう皮肉を言うと、冴子は苦笑した。
「そうだけど、私は『あれ』っていうのが来ちゃうかもしれないと思って、ちょっと怖いかも」
「大丈夫じゃない? それに来たとしてもみんないるし。明日には引っ越しでしょ?」
「そうだよね、大丈夫だよね」
冴子は少し不安そうにそう言って笑った。
私と冴子は準備を整えると、みんなを出迎えた。みんな着く早々に景色を褒め、すぐに車に積んでいた荷物を運び出した。
バーベキューの準備に取りかかりながらみんなで『あれ』とはなんのことだろう? と話していたが、すぐに話題は職場の話や自分たちの近況、愚痴などに移った。
アルコールも入り楽しい時間を過ごしたあと、部屋の襖を外して布団を並べて敷いてそこへ雑魚寝することにした。
部屋は長い廊下に面しており、障子でしきられている。
冴子が廊下の窓の雨戸を閉めるのを全員で手伝うと、みんな適当に布団の上に寝転がった。
アルコールが入っていたのと、旅疲れでみんなすぐに寝息をたて始め私もあっという間に眠りに落ちていた。
「いやぁ!」
そんな叫び声で私は目を覚ました。寝入った時と同じく室内は常夜灯のみの明るさで、腕時計を見ると夜中の二時を指している。
一瞬自分がどこにいるのかわからなくなり、辺りを見回し、徐々に自分が冴子の家に遊びに来たことを思い出す。
そうして少し頭がスッキリしてきたところで、状況を確認する。
叫び声のした方を見ると、みんな一ヵ所に集まり布団を頭からかぶっていた。そのうちの一人が体を起こし、なにかに怯えながら廊下の方を指差している。
「あ、あれ、あれ……」
指差された方向を見ると、障子が少しずつゆっくりと開いた。だが、その先には真っ暗な闇が広がっているだけでなにも見えない。
なんだろう?
そう思ってじっとみつめていると、突然縦に並んだ大きな目玉が二つ現れた。あまりの恐ろしさに、声も出せずにそれを見つめた。
その目玉は充血し、血走っているように見えた。そして、それを見つめているうちに、その目玉が縦に並んでいるのではなく、巨大な顔を横にして何者かが部屋を覗き込んでいるのだと気づく。
「ひっ!」
そう小さく悲鳴を上げると、私はこれこそが冴子や住民たちの言っていた『あれ』なのだと理解する。
恐怖で怯えながらも私は『あれ』から目を話すことができずに、じっとそれをみつめていた。
『あれ』は全身真っ黒な巨大な何かだった。
すると『あれ』は室内に真っ黒な手を差し入れ私を掴んだ。
その瞬間私は意識を手放した。
気がつくと、私は冴子の家の縁側に座って海をぼんやり見つめていた。なぜかわからないがふわふわしてとても幸せな気分だ。
そうしてキラキラと水面が輝く海を見つめ、いつまでもここにいたいと思った。
それ意外考えられなくなっていた。横には冴子や他の友人たちも並んで座っていて、みんな幸せそうにしている。
きっと私と同じ気持ちなのだろう。
そばには中年の男性二人が渋い顔をして立っていた。そのうちの一人が大きくため息をつく。
「冴子ちゃんは巻き込みたくなかった」
「すまない高野、俺がお前のところに訪ねてきたばかりに」
「いや、仕方ないよ中橋。お前には冴子ちゃんがまだ正式に住民になったと言ってなかったしな」
「それにしても、彼女たちがもとに戻るのはいつぐらいだ?」
「大体一週間ぐらいだろう。お前は五日でもとに戻ったがな」
「そうか」
「さて、彼女たちの家を用意しないとな。きっともとに戻っても、もう二度とこの町から出たいとは思わなくなるはずだからな」
そう言うと、二人は立ち去って言った。
彼らの言っていたことや、冴子から聞いていた話の意味が今なら全てわかる。
『あれ』はここにいる。私の中にいる。私は『あれ』の一部となった。私は『あれ』が住むここからは絶対に離れない。それが私の幸せなのだ。
そう思いながら、静かな海を見つめているところで目が覚めた。
「冴子? 元気?! 久しぶりじゃん!!」
電話を受けて、懐かしさのあまり大きな声でそう言う私に対して冴子は暗い声で答える。
「うん、まぁ」
「なに、どうしたの? 冴子ってば念願叶って港町に引っ越したって言ってたから、楽しくて連絡する時間もないのかと思ってたのに。元気ないじゃん? なんかあったの?」
「うん。こんなことあんたに頼むのも変かもしれないんだけどさ」
そう言って冴子はなにがあったのかを話し始めた。
冴子の引っ越した港町は若者が減り都心からの移住支援をしていて、一年以上住んでくれれば土地代やそこに立っている建物も無償で譲渡してくれるという支援をしていた。
元々都会暮らしに不満を持っていた冴子は、この話に飛び付くとすぐに申し込み見事審査に通ることができた。
これまでに移住のためある程度お金を貯めていた冴子は、すぐに職場に辞表をだした。
冴子はその町へ越す前に一つ心配している事があった。その町がとても小さな集落で、住民のほとんどが顔見知りといった感じの町だったことだ。
町の役人が外からの移住者を求めていても、町の住民がそれを望んでいるかどうかはわからない。
町の住民に受け入れてもらえるだろうか?
だが、そんな冴子の心配をよそに隣近所に住む住民も、それどころか町の住民のほとんどが冴子にとても親切にしてくれた。
ところが、仲良くなればなるほど町の住民は『若い人は、この町には長く住まないほうがいい。一年も我慢して田舎暮らしをするより、となり町でもいいからもっと都心に住め』と口を揃えて忠告してきた。
もしかしたら表面上仲良くしているだけで、本当はそんなに歓迎していないのかもしれない。
冴子はそう思うようになっていった。
そんなある日、海辺を散歩していると町の外から来たとおぼしき人に道を聞かれた。冴子は道を教えると観光に来たのか尋ねた。
「いや、古い友人に会いにね。高野っていうんだが」
「あぁ! 高野さんですね。おじさんはこの時間は港に行っていていないかも。確かおじいちゃんとおばさんは家に居ると思いますよ」
「そうか、親切にありがとう。高野に親切にしてくれた人がいたって話しておきますよ。よければお名前を聞いても? その前に、自己紹介してませんでしたね。私の名前は中橋っていいます」
「私は冴子っていいます」
その人物は不思議そうに冴子を見つめると言った。
「あなたがこの町に移住してきたって娘さんかな?」
「はい、そうです。最近越してきました。移住してくる人って少ないんですね、こんなに住みやすい町なのに」
これは本当のことだった。小さな集落ではあるがまず自然が豊かだし、買い物に行こうと思えば車で十分程度のところにショッピングモールもある。
福祉施設も整っているし、なぜこんなに人口が少ないのか冴子には理由がわからなかった。
中橋は戸惑った様子で言った。
「この町には『あれ』が来るから誰も移住したがらないんでしょう」
「『あれ』ってなんですか? なにか来るんですか?」
冴子のその質問に、中橋は慌てたように言った。
「すまない、余計なことを言ってしまったみたいだ。あなたが今幸せならそれでいい」
そう言うと、中橋は足早に去っていってしまった。冴子はなんだったのだろうと思いつつも、特段気にすることなく家に戻った。
そうしてそんなことはすっかり忘れ、田舎暮らしを満喫し何事もなく過ごしていた。
ある日、たまたま近所に住んでいる杏子と照が会話している内容が耳に入ってきた。
「高野さんのところ、『あれ』が来たらしいわよ」
「そう言えばこの前知人が訪ねてきたとか言ってたものねぇ。よそ者と会うときは家に呼んじゃだめよねぇ」
「本当よ、じゃあその知人は結局ここに?」
「そうみたい。もう出られないわよ」
「じゃあ私たちも受け入れるしかないわねぇ」
冴子はその会話の内容に驚き、窓を開け二人に声をかける。
「杏子さん、照ちゃん、こんにちわ。あの、今の話ってなんの話ですか? 『あれ』が来るってどういうことでしょう?」
すると二人は冴子を見つめ無表情になった。冴子はそんな二人の様子を見て慌てた。
「盗み聞きするつもりはなかったんです。ごめんなさい!」
そう謝る冴子に、二人は怪訝そうな視線を送ると、そのままその場を立ち去ってしまった。
怒ったのかな? 盗み聞きなんてよくなかったよね。
そう思い反省した冴子は、あとで手土産を持って謝りに行くことにした。
ところが、この日から二人に避けられるようになった。家に訪ねても居留守を使われ、道端で合って挨拶をしても無視されるようになった。
しかも、冴子を避けるようになったのはこの二人だけではない。近所に住む住民のほとんどが、冴子を避けるようになってしまった。
せっかく仲良くなれたのに、なにがいけなかったのだろうか?
そう考え二人が話していた内容を思い出す。二人は高野家に来た知人の話をしていた。
それはきっと、数日前に冴子に道を訪ねて来た中橋のことに違いなかった。しかも、中橋も『あれ』と口にしていたし、杏子と照も『あれ』の話をしていた。
『あれ』とは一体なんなのだろう?
冴子は町の人間に聞いても答えてくれないだろうと思い、中橋に直接話を訊きに行くことにした。
翌日、高野家に行くとちょうど高野家の縁側で一人笑みを浮かべて海をぼんやり見つめている中橋がいた。
「中橋さん!」
そう声をかけると、中橋は笑顔を崩さずに冴子の方を向くとしばらく見つめたあと口を開いた。
「やぁ」
それだけ言うと、表情を崩さずに海に視線を戻した。なにか様子が変だと思いながら冴子は中橋のとなりに座る。
「中橋さん、少し質問したいことがあるんですが……」
すると中橋はこちらも向かずにゆっくりした口調で答える。
「なにかな?」
「あの、この前言っていた『あれ』って何ですか?」
中橋は相変わらず表情を変えずに、ゆっくりとこちらを向いた。だが、冴子と視線をあわせることはなく、焦点の合っていない目で空を見つめて言った。
「『あれ』はここにいるよ。『あれ』の話をすると『あれ』は来るんだ。それを知ると『あれ』が来るようになる。君のところにも近いうちに『あれ』が来る。そうすれば君もこの町の住民だ」
そう語ると中橋は、ゆっくりと海に視線を戻した。
なにかおかしい様子の中橋を見て、冴子はなにか得たいの知れない恐ろしさを感じ、慌ててその場をあとにしようとした。
すると背後から声をかけられる。
「冴子さん! あんた今、中橋と話したのか?!」
振り返ると、高野のおじさんがすごい形相でこちらを見ていた。冴子は勝手に敷地内に入ったことで怒られると思い、咄嗟に頭を下げる。
「勝手に入ってすみませんでした!」
「そうじゃない。話しをしたのか訊いている」
「はい、話しました。でも中橋さんの言っていることは要領を得なくて……」
高野はそれを聞いて慌てて冴子に駆け寄ると、冴子を問い詰める。
「なにを話した? なにを聞いた? 中橋はあんたになにを言った?」
「えっと、『あれ』が来るとか、話していると来るとか、なんだかよくわかりませんでした」
冴子がそう答えると、高野はあからさまにがっかりした顔をした。
「なんということだ……」
そう呟くと、冴子を睨みつけた。
「いいか、一週間以内にこの町から出ていけ」
「一週間以内にですか?!」
「そうだ。なんなら今日にでも出ていってほしいぐらいだ」
そう言うと、高野は大きくため息をついた。
「この町の住民は、もともとあんたに出ていってもらいたがっていたんだ。なぜだかわかるか?」
冴子は首をふった。すると高野は呆れたような顔をした。
「気づかなかったのか? みんなあんたが嫌いだからだよ。町長が町お越しとか勝手にやっているから今の今まで我慢して仲良くしてやったが、もううんざりだ。親切にしてやっていたことを感謝して欲しいぐらいだね」
あまりのことにショックで呆然と立ち尽くしていると、高野は追い討ちをかけるように言った。
「わかったら、早いところ荷物をまとめて出ていけ!」
高野はそう言うと家に戻り、ピシャリとすごい音をたてて引戸を閉めた。
冴子はしばらく閉じられた戸を見つめていたが、とぼとぼと自分の家に向かって歩き始めた。
家に帰るまでの間、これからどうするか考えた。もちろん、あそこまで言われてこの町に住み続けたいとは思わなかった。
冴子は引っ越しの段取りを整えて、とり合えずは実家に戻ることにした。
それにしても引っ越しまでのあいだ、こんな町に一人で一週間もいることが耐えられないと思い、冴子は友人を呼ぶことにした。
と、これが冴子の語った内容だった。私は他人事ながら、冴子に同情し他の同僚たちにも声をかけて冴子の家に遊びに行くと伝えた。
「ありがとう。助かる! この家無駄に広いから、何人でも連れてきていいよ。それにどうせなら、みんなで集まった方が楽しいしね」
「庭があるなら、バーベキューとかできる?」
「できるできる!」
「本当? じゃあ冴子はなんにも準備しなくていいよ! こっちが言い出したんだし。道具とかはこっちで準備するから」
「本当? いいの? あーなんか楽しくなってきたかも!!」
「そうだよ! せっかくなんだもん。楽しもう!」
そうして私は冴子の住む町に行く事になった。
同僚たちに声をかけると、私を含め六人ほど行く事になり早急に準備をした。
仲間の一人が車を出してくれることになり、その車に荷物を積むと私は乗りきらなかったので、先に電車で向かうことになった。
最寄りの駅に着くと、冴子が出迎えてくれた。
「住民に変な目で見られるかもしれないけど、気にしないでね」
冴子が申し訳なさそうにそう言ったが、私はまさかと思い信じていなかった。
ところが本当に道ですれ違う住民たちは冴子が挨拶をしても、挨拶を返してくることはなくただ黙ってこちらを見つめてくるだけだった。
それはとても異様な光景に見えた。
私たちはなるべく住民たちと目が合わないように、足早に町の中を通りすぎた。
冴子の借りている家は典型的な日本家屋で、瓦屋根に海の見える広い庭があり平屋で縁側がある。
納屋があり、そこにお風呂が付いていた。
「のんびりすごすのには最高な場所だね。近所の住民があんなじゃなければだけど」
私がそう皮肉を言うと、冴子は苦笑した。
「そうだけど、私は『あれ』っていうのが来ちゃうかもしれないと思って、ちょっと怖いかも」
「大丈夫じゃない? それに来たとしてもみんないるし。明日には引っ越しでしょ?」
「そうだよね、大丈夫だよね」
冴子は少し不安そうにそう言って笑った。
私と冴子は準備を整えると、みんなを出迎えた。みんな着く早々に景色を褒め、すぐに車に積んでいた荷物を運び出した。
バーベキューの準備に取りかかりながらみんなで『あれ』とはなんのことだろう? と話していたが、すぐに話題は職場の話や自分たちの近況、愚痴などに移った。
アルコールも入り楽しい時間を過ごしたあと、部屋の襖を外して布団を並べて敷いてそこへ雑魚寝することにした。
部屋は長い廊下に面しており、障子でしきられている。
冴子が廊下の窓の雨戸を閉めるのを全員で手伝うと、みんな適当に布団の上に寝転がった。
アルコールが入っていたのと、旅疲れでみんなすぐに寝息をたて始め私もあっという間に眠りに落ちていた。
「いやぁ!」
そんな叫び声で私は目を覚ました。寝入った時と同じく室内は常夜灯のみの明るさで、腕時計を見ると夜中の二時を指している。
一瞬自分がどこにいるのかわからなくなり、辺りを見回し、徐々に自分が冴子の家に遊びに来たことを思い出す。
そうして少し頭がスッキリしてきたところで、状況を確認する。
叫び声のした方を見ると、みんな一ヵ所に集まり布団を頭からかぶっていた。そのうちの一人が体を起こし、なにかに怯えながら廊下の方を指差している。
「あ、あれ、あれ……」
指差された方向を見ると、障子が少しずつゆっくりと開いた。だが、その先には真っ暗な闇が広がっているだけでなにも見えない。
なんだろう?
そう思ってじっとみつめていると、突然縦に並んだ大きな目玉が二つ現れた。あまりの恐ろしさに、声も出せずにそれを見つめた。
その目玉は充血し、血走っているように見えた。そして、それを見つめているうちに、その目玉が縦に並んでいるのではなく、巨大な顔を横にして何者かが部屋を覗き込んでいるのだと気づく。
「ひっ!」
そう小さく悲鳴を上げると、私はこれこそが冴子や住民たちの言っていた『あれ』なのだと理解する。
恐怖で怯えながらも私は『あれ』から目を話すことができずに、じっとそれをみつめていた。
『あれ』は全身真っ黒な巨大な何かだった。
すると『あれ』は室内に真っ黒な手を差し入れ私を掴んだ。
その瞬間私は意識を手放した。
気がつくと、私は冴子の家の縁側に座って海をぼんやり見つめていた。なぜかわからないがふわふわしてとても幸せな気分だ。
そうしてキラキラと水面が輝く海を見つめ、いつまでもここにいたいと思った。
それ意外考えられなくなっていた。横には冴子や他の友人たちも並んで座っていて、みんな幸せそうにしている。
きっと私と同じ気持ちなのだろう。
そばには中年の男性二人が渋い顔をして立っていた。そのうちの一人が大きくため息をつく。
「冴子ちゃんは巻き込みたくなかった」
「すまない高野、俺がお前のところに訪ねてきたばかりに」
「いや、仕方ないよ中橋。お前には冴子ちゃんがまだ正式に住民になったと言ってなかったしな」
「それにしても、彼女たちがもとに戻るのはいつぐらいだ?」
「大体一週間ぐらいだろう。お前は五日でもとに戻ったがな」
「そうか」
「さて、彼女たちの家を用意しないとな。きっともとに戻っても、もう二度とこの町から出たいとは思わなくなるはずだからな」
そう言うと、二人は立ち去って言った。
彼らの言っていたことや、冴子から聞いていた話の意味が今なら全てわかる。
『あれ』はここにいる。私の中にいる。私は『あれ』の一部となった。私は『あれ』が住むここからは絶対に離れない。それが私の幸せなのだ。
そう思いながら、静かな海を見つめているところで目が覚めた。
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靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
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