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第四章

第三十四話

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「おっと、これはマルクスに話すなと言われていましたね」
「食われ……」

 エルが絶句した様子を見ながら、アルトは語る。

「人間は魔族に対して強く、魔族は妖精に対して強い。そして、妖精は人間に対して強い。人間は知能があり、知能で魔族に勝つことが可能です。人間ほどの知能がある魔族と言われれば、神話で登場するような魔王といった存在があげられるでしょう。それは夢の中の夢」

 アルトは楽しそうに語る。

「魔族が作る魔物や魔族を倒せれるのは人間だけ。そして、妖精は神秘です。魔族からすれば、神秘は極上のご飯ですかね。おっと、私は人の心があまり得意ではなく、すみませんね」
「いや、別に。俺は本当の母親の顔も知らないから、何とも言えない」

 エルは顔を逸らした。そして、拳を握りしめた。ずっと気になっていた事があったからだ。

「なあ、俺の母親を知っているってことは、あんた達は俺の存在を知っていたのか?」
「そうですねぇ」

 エルの言葉にアルトは目を瞑る。少しの間の後、アルトは目を開いて、頭上を眺めた。

「知っている、と答えることもできます。しかし、貴方の存在を知らなかったとも答えれます。貴方はどちらがいいですか?」

 聞いているのにも関わらず、はぐらかそうとしている。しかし、嘘をついている様子はない。嘘をつけば、エルにはすぐ分かるからだ。エルは唇を噛み締めた。

「どちらでも。いや、あんたらが知っていたとして、俺が変わったり、人生が大きく変わることがなかったということは理解出来るんだ」

 考えた言葉は言うつもりにはなれなかった。どうして、助けてくれなかったのかと。この言葉を彼にぶつけるのは、少し違う。

「少し、風に当たってくる」
「ええ。行ってらっしゃい。レイジ、よろしくお願いしますよ」
「はい」

 外に出れば、少し冷たい海風と日差しが出迎えてくれた。
 立ち止まって、小さく息をつく。すると、背後から背中を軽く叩かれ、エルの肩が跳ねる。

「なんだよ?」
「いえ、何となくです」

 叩いたのはレイジだった。彼は何も言わずに前を歩き出した。
 恐らく、励まそうとしてくれたのだろう。彼なりの優しさにエルは思わず噴出した。
 海ではメルディやレイナを初めとする女性の笑う顔。メルディ以外が青い宝石を水着につけており、なんとも不思議な空間だった。

「私はレイナも素敵だと思うよ」

 突然響いた声にエルとレイジの肩が跳ねた。
 先客だ。マルクスが砂浜とレンガの境界に腰を下ろしていた。
 白い海パンを着ており、少し遊んでいたのだろう。メルディの持っていた上着を手には持っていた。

「すまないね。あそこの部屋の会話はここに筒抜けなんだ。部屋の前や部屋の外の会話は気をつけるといい。ああ、でも。海で遊ぶあちら側までは聞こえないから、安心してくれ。それと、レイジ。すまないが、飲み物をお願いできるかな?」
「はい」

 屋敷の中へレイジが走り出した。マルクスはエルに隣へ座るように促す。エルはしぶしぶ彼の隣へ腰を下ろした。
 向こうでは明るい声が響き渡る。しかし、エルの傍は静寂だった。
 しかし、それが悪いとも思えない。少しだけ心地良さを感じ始めた頃だ。

「アルトが色々失礼したね」
「いや……」
「彼の父親は種族研究者だったんだ。幼い頃、彼の父親であるアンバーは私の家庭教師のような存在だったからさ。何となく、アルトの気持ちも理解できる。少し彼は人間離れした思考を持つけど、良いやつだよ。これだけは言っておく」

 そう語るマルクスは遠い目をしていた。

「俺の母親はどうして人間のいるところに? 普通、ダブルムーン以外、妖精は人間のエリアには来ないはずなのに」
「それは私のせいでもあるかな。でも、言うことはできない。君にはまだ」

 悲しそうに笑うマルクスはエルの頭を乱暴に撫でると立ち上がる。そして、メルディの方へ歩いていった。
 エルは乱れた髪を手で治すと、ゆっくりと立ち上がった。

「どいてくださーい!」

 突然背後から聞こえた声。エルがすぐに避ければ、大きな焼き台がエルの横へ抜けていった。
 その後ろから飲み物を二つ持ったレイジが現れる。

「マルクス陛下は?」
「メルディ皇女の方にいったぞ」

 レイジとエルの視線の先。そこには海の中でメルディを抱き上げるマルクスがいた。幸せそうな空間にエルはため息をつく。

「俺もあんな家族が欲しかった」
「奇遇ですね。俺もです」

 すると、向こうで遊んでいたマルクスが二人に視線を投げかけ、手招きし始めた。レイジがふっと笑った。エルは「地獄耳かよ」と呟き、そっぽを向く。少しだけ恥ずかしくなったエルはその場に座り込んだ。

「なんか、だっせぇ」

 エルの呟きにレイジが笑った。
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