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40.天上の楽園

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伯爵との会食を終えたあと、フェンリルは自室で考えをまとめていた。


ーー恐らく、伯爵はローゼリアの誘拐には関与していない。

では、誰が?

そして、ローゼリアの姿で周囲を惑わしているは何者なのか……


すると、そこへ問題の人物が訪れた。
ノックの音と入室の許可を求める声がする。声まで、リアそっくりだ。


「………。」


少し悩んだが、ここで避けてもがローゼリアの姿を取り続ける限り接触は避けられない。
そう判断したフェンリルは、得体の知れない相手を部屋に招き入れた。


「………フェンリル様?突然、申し訳ありません。屋敷の使用人から『伯爵邸自慢の庭を、婚約者のガーネット公爵と散歩されてみてはどうか』と勧められましたの。伯爵邸の庭は限られた者しか見ることが叶わない、特別な庭なのですって。一緒に行きませんこと?」


上目遣いに甘えてくる


……外も陽が落ちて薄暗くなっている。視界が悪くなった夜の庭で、自分を襲わせるつもりなのか?


「……それはいいね。では、一緒に行こうか。」


警戒心を抱いたはずなのに、結局は快諾し、の手を取り庭へ向かうこととなる。


ーーくそっ!!やはり、惑わされてしまう!この不思議な力は何なんだ?!


目が合えば惑わされると気付いてから、なるべく、と目を合わせないように気をつけている。

おかげで意のままに操られるということはないが、肝心の所で相手の要望にという強迫観念に駆られ、逆らうことができない。

これは大変危険なことだ。

そのうち、この危機感さえ感じなくなるのではないか、とさすがの自分も恐怖を感じる。


(フェンリル・ド・ガーネット!気をしっかりもて!!自分がおかしくなってしまったら、誰が、愛しいリアを救うのだ!?)


ぎゅっと拳を握りしめ、隠し持つ剣に触れる。いざとなればこの懐剣で自らを傷つけて、痛みで正気を保つことを決意した。


そうして、をエスコートして魔石の放つ光が幻想的で美しい、伯爵邸自慢の庭に着いた。


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『ーーねぇ、ご存じ?コレワ伯爵邸の庭は【天上の楽園】。それは美しいのですって。』

『【天上の楽園】だなんて…さぞ美しいのでしょうねぇ。是非一度、拝見したいものですわ。』

『まぁ!…なら、貴女、伯爵におねだりしてみてはいかが?なんなら、そのまま かの方の婚約者になれば、毎日、その庭を見ることが出来ましてよ?』

『あら、やだ!冗談はおよしになって!!あの方の婚約者なんて、とんでもないっ。』

『ふふっ、ごめんなさい。そうよね、いくら【天上の楽園】が見てみたくても、彼の婚約者なんて、絶対になりたくないわよね。』

ーーあの見た目ですものーー

ーーねぇ?ーー

ーーーほほほ、ふふふーーー



以前、公爵として出席した夜会で聞いたご婦人方の噂話である。
伯爵の酷い言われように、同情したことを覚えている。

しかし、【天上の楽園】と言われるほどの見事な庭か……

草花にそれほど興味はないが、高位貴族として、美しいものは人並みに好きなフェンリルは、この時から伯爵邸の庭には興味があった。


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目的地へ到着すると、目の前に広がる光景に、エスコートしていた手が思わず震えた。

それほど、その庭は素晴らしかった。

フェンリルは、抱いていた警戒心を一瞬忘れ見惚れる。



庭師が手塩にかけて育てたのだろう。
咲き乱れる草花も勿論美しい。


だが、なによりその庭を、現実離れした美しさまで引き上げているのは、【自然発光する魔石】の存在が大きいだろう。


優しい光が、時折、光量や色を変えて光っている。


一貫性の無い光のまたたき。
なのに、庭全体がまるで一つの生き物のような一体感もある。


なにより、この庭へ出た途端、緊張感や警戒心といったものが吹き飛んだ。




ーーこの庭で、悪しきことを出来る者はいないーー




それは本能的に分かるような、不思議な感覚であった。


(【天上の楽園】と言われるのもわかるな。まるで、聖地にいるかのような気分だ。)


フェンリルが目の前の光景に意識を奪われていると、真横から苦しげな呻き声が聞こえてきた。


……苦しんでいるのか?


ローゼリアの見た目をしたが、顔をしかめてこれ以上、庭に近付くのを嫌がる素振りを見せる。


……自分から誘ってきたくせに、なぜ嫌がる?


「……どうしたんだ?体調が悪いなら、部屋に戻って休むといい。確かにこの庭は素晴らしいが、また後日、体調の良い時に来たらいいのだから。」


「………いえ…。大丈夫ですわ。」


(とても大丈夫そうには見えないが……まぁ、敵に情けは不要だな。)


「君がそう言うのなら、少しこの素晴らしい庭を散策しようか。」


そう言って、エスコートする手に行き先を示すよう力を入れる。

余程、庭に近付きたくないのか、最初抵抗するようにの体が強張るのを感じたが、最後は諦めたようにフェンリルのエスコートに従った。


(さて、どうなることか……)


敵の出方を待つしかないフェンリルは、覚悟を決めて、その清浄な空気に包まれた庭へ向けて足を一歩踏み出したーー







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