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終わりに向けての始まり
仄暗く愛おしい
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長い黒髪が雨と泥に濡れ、奇麗な顔を汚していた。彼女は道路に膝をつき、声を殺して泣いていた。傍らには、一人の青年が横たわり彼らを取り囲むように多くの少年達が集っていた。
(許して・・・・・鏡乃信)
声を出すこともできず、彼女は肩を震わせ泣いていた。
(あの時、私さえしっかりしていれば。)
どんなに後悔しても、過ぎた時間は戻らない。彼女はそれを痛いほど実感していた。
(なんで、私なんか助けたの?)
静かに横たわる青年を見つめながら、彼女は自分自身を呪った。
夜の街を徘徊する少年少女達。彼らは家や学校に自分の居場所を見出せない子供達。社会からはゴミのような存在だと言われている、暴走族。どこにも居場所を見つけられなかった彼らは、そこにようやく自分の居場所を見つけられる。
「今日の集会、どうする?こんな雨降りじゃ、危なくないか?」
土砂降りの空を見上げながら、一人の青年が口を開いた。
「う~ん、どうしようか?
毎月恒例って言っても、この天気じゃ無理に走ったりしたら事故るの目に見えているしね。
鏡乃信、どうする?」
青年の言葉を受け、少女は自分の隣にる彼に問いかけた。
「俺は、別にどっちでも良いけど。瑞樰と一久がやりたいならやっても良いんじゃないか。」
鏡乃信は少しだけ面倒くさそうにそう言うと、大きな欠伸をした。
「おいおい、それは無いだろう。お前は仮にもウチの総長なんだぜ?そのお前が、どっちでも良いって言ったんじゃ、下に示しがつかねえだろうが。なあ、瑞樰。」
一久と呼ばれた青年が、呆れたように呟く。それを見ていた少女、瑞樰がくすくすと忍び笑いを漏らした。
「私も、どっちでも良いかな。まあ、出来ればあまり無理はしたくないけど。こんな天気の日に走りに行って、怪我人出したくないし。」
窓の外に見える街を見ながら、瑞樰は鏡乃信の言葉を待った。彼はソファにゆったりと腰を据えながら暫くの間、何かを考えていた。
「一久、この頃『白蘭』の動きはどうなんている?」
不意に、押し殺したような声で鏡乃信が訊ねた。
「ああ、白蘭?
あんまし、言いたくねえけど。あいつらこの頃、手当たり次第に手を出してきている。怪我人なんか、もうかなりの数が出ている。」
面白くなさそうに一久がそう言うと、傍で聞いていた瑞樰が不安そうに二人を見つめた。
「鏡乃信、白蘭がどうかしたの?うちとは、シマが違うからそんなに気にしなくても良いでしょう?」
険しい顔をしている彼に、瑞樰は一抹の不安を覚えた。彼がこんな顔をする時は大抵自分達の身の回りに何かが起きているときだからだ。一久も、鏡乃信のそれに気が付いた。
「確定情報じゃないが、うちの若いのが何人かやられてるらしい。確定じゃないから詳しくは分からないが、たぶん相手は白蘭で間違いはないと思う。これ以上、何もなければ黙っていようと思うが。もしも、今後何かあったらその時は黙っていられない。一応、これだけは二人に話しておこうと思って。」
一久と瑞樰の顔に、緊張が走った。
(喧嘩になる。)
「まあ、とりあえず今日は軽く流す程度の集まりにして。一応、集会はあるってことで皆に伝達してくれ。」
さっきまでも、険しい顔が嘘のように飄々とした態度で鏡乃信はそう言うとソファから立ち上がった。
「は~い、了解しましたっと。それじゃ、俺は皆に伝えとくから。」
溜息を一つ吐き出してそう言うと、一久はその場から離れていった。
「鏡乃信、もしも喧嘩になったら?」
不安そうな声で瑞樰が訊ねた。
「ん~?大丈夫だろう。うちに喧嘩吹っ掛けてくるような馬鹿はそういういやしないって。」
心配性だなと言いながら、瑞樰の頭を優しく撫でた。
「だって、手当たり次第だって。それに、この頃マジで見境なく喧嘩吹っ掛けてくる連中増えてきているし。鏡乃信に、なにかあったらって思うと・・・・・・・」
今にも泣きそうな表情で、瑞樰は鏡乃信を見つめた。そんな彼女を見て、初めて彼は困った様な情けない顔をした。
「泣くなよ、俺はお前に泣かれるのが一番苦手なんだから。大丈夫、俺はそんな卑怯な奴らにヤられるほど弱くない。瑞樰をおいて逝くようなことは無いから。」
軽く、彼女の腕を引き抱きしめた。
「約束して、危なくなったら必ず私を呼ぶって。」
小さな声で、瑞樰が呟いた。彼を守ると、自分自身に誓いを立てていた。
「ああ、約束する。でも、お前も俺を呼べよ?そしたら、何があっても、必ずお前を守るから。」
優しく微笑んで、鏡乃信は瑞樰の額に口付けた。
「私は、鏡乃信のガードなんだよ?その私が、鏡乃信に守られたら意味がないじゃん。」
少しだけ唇を尖らせて、瑞樰は抗議した。時折、子供のような反応をする彼女を鏡乃信は心から愛おしいと思った。
「はいはい、それもちゃんと分かっているって。」
瑞樰の頭をポンポンと軽く叩きながら微笑んだ。
薄暗い夕闇の中、鏡乃信達は数十人の少年達を従え街を疾走していた。何台もの単車と四輪。彼等が走るたびに街は騒がしくなる。騒音だけではなく、敵対するチームとの諍いも起きるからだ。まだ小雨が降る中、彼らは割合ゆっくりとしたペースで街を走っていた。何時もの彼らからすれば、ゆっくりとしたペースではあるが一般人から見れば無謀な走り方にしか見えない。
「この後、流れ解散するからみんな気ぃつけて帰れよぅ。」
一久が、四輪に備え付けている連絡用ツールで仲間にそう伝えると彼らはゆっくりと減速していった。
「鏡乃信、お疲れ様。」
鏡乃信の運転する四輪の助手席に乗っている瑞樰が、ほっとしたような表情で声をかけた。
「私ね、もしかしたら白蘭が何か仕掛けてくるんじゃないかって思っていたから。今日の走りかなり緊張してたんだ。ずっと、ピリピリしててごめんなさい。」
柄にもないと苦笑いしながら、瑞樰は鏡乃信の横顔を見つめた。
「まあ、あんな話した後じゃ無理もないけどな。俺も、少しは気になってたけど無事に終わって良かったよ。」
「お~い!お二人さん。この後どうする?
何人かまだ、走り足りないっての居るけど今夜は止めさせとくだろ?何か、食べにでも行くか?」
後方を走っている一久から、呼びかけがあった。
「どうする、疲れているなら断ろうか?」
瑞樰の様子を伺いながら、鏡乃信は返事を待った。
「私は、大丈夫だよ。鏡乃信も、まだ遊び足りないんでしょ?一久と一緒なら、心配ないから行くよ。」
これが、悪夢の始まり。ゆっくりと静かに、悪魔は彼らの足元に近づいていた。
行きつけの喫茶店とはいえ、夜にはBARにもなるその店で瑞樰達は夢中で話をしていた。今日の集会のこと、明日の予定。いま、どんなものにハマっているかなど他愛もないことを。
「瑞樰は、飲まないのか?」
何時もならば何かしらアルコールを注文する彼女が、この日に限ってジュースしか口にしていないのを見て一久が不思議そうに問いかけてきた。
「うん、鏡乃信けっこう飲んでるから帰りは私が車動かそうかと思って。やっぱり、危ないしね。雨降りで、飲酒は。」
ジュースのグラスを口に運びながら、瑞樰がそう言うと一久もなるほどといった表情をした。
「でも、この雨には参るよな。走り始めたころはまだ小雨だったのに今は土砂降りだ。単車の連中はこれじゃ、走れない。」
窓の外に顔を向け、一久はぼやいた。窓を討つ雨は激しくなっていた。
「そろそろ、お開きにしようか?これ以上、雨酷くなると帰れなくなるし。」
同じように窓を見ていた瑞樰がそう言うと、何人かの少年達がそれに同意した。
「そういや、なんで単車のこいつらが居るんだ?」
不意に鏡乃信が、瑞樰の言葉に同意した少年達を見て不思議そうに問いかけた。
「おいおい、それはちっと酷ってもんだろ。こいつらは、瑞樰のガードだぜ?瑞樰が行くって言えば何処にでもついて行く、瑞樰命な奴らだぜ。」
鏡乃信の言葉に、一久はからかい口調でケラケラと笑いながら答えた。
「別に、私のって訳じゃないでしょう。そんな風に言ったら、悪いよ。」
一久のからかいを諫めるように瑞樰がそう言うと、少年の一人がその言葉を止めた。
「俺達は、確かにチームのガードでもあるけど。貴女を夜叉姫を守るための兵隊でもあるんです。だから、一久さんの言ったことは間違いじゃないですよ。」
優し気な面立ちの彼がそう言うと、他の少年達もそれに頷いた。
「菖蒲まで、そんなことを言ったら皆が混乱するでしょう。」
瑞樰は困ったようにそう言うと、先ほど発言した少年を見た。
「でも、こればっかりはしょうがないっすよ。俺達はマジで貴女を守りたいって思っているんだから。」
菖蒲は少し照れたようにそう言うと、自分の周りにいる仲間に同意を求めた。
「そうっすよ、俺達なんか夜叉姫の傍に居ることなんか出来ないって分かっているけど。それでも、少しでも傍に居たいって思って。皆、貴女に憧れているし貴女のこと好きだからこうやって集まっているんです。」
だから、なにも気にしなくて良いです。俺達は、俺たちの意思で動いているんですから。」
菖蒲の言葉に頷きながら、みんな口々に話し始めた。一番年少だと思われる少年の一人が、熱を帯びたように語り始めた。その少年につられるように、憧れを込めた視線で皆が同じように瑞樰を見つめた。
「えらい人気だな、ウチのガーディアンさんは。普通、ガードなんてのはチームの中じゃ嫌われるもんなのに。瑞樰その逆だ。」
茶化すように一久は肩をすくめながら、瑞樰を見た。瑞樰は困ったように小首を傾げて、少年達を見つめた。
「あの、前にも言ったけど喧嘩の時以外は夜叉姫って呼ぶのは止めてほしいの。もしも、他のチームの人に聞かれたら私みたいなのがチームのガードだって分かったらカッコ悪いじゃない。」
自分を過小評価する癖のある瑞樰は、そんなに喧嘩で勝ち星を挙げても自分だけの功績といったことは無い。チームのガードとは言っているが、女の身で務まるほどガードは甘い役目ではない。瑞樰の喧嘩の実力は、冗談抜きでチームの中で抜きんでている。
「瑞樰の言うことも、一理あるな。誰がいつどこで聞き耳立てているか分からないから。無闇に、チームの名前を言ったりしないほうが良い。このところ、色々と物騒だし。それに、万が一にでも瑞樰に何かあってからじゃ間に合わないからな。」
それまで、黙って話を聞いていた鏡乃信が静かにそう言うと少年達ははっと息を飲み彼の言葉に頷いた。
「菖蒲、お前は瑞樰のサブだから特に気を付けてくれ。夜叉姫の名前は大抵のチームは知っていても誰が夜叉姫かまではそれほど知られていないはずだから。」
念を押すように、鏡乃信はそう言うとさっさと席を立った。
「おい、帰るのか?」
立ち上がった鏡乃信に一久が声をかけた。
「ああ、これ以上ここに居たら俺の忍耐が持たねぇ。瑞樰にこれ以上、俺以外の奴が話しかけるのがうぜえー。」
焼き餅を隠そうともしないで、鏡乃信は毒づいた。
「はいはい、惚気てくれるぜ。それじゃ、今夜はこれでお開きにする。」
一久がそう言うと、少年達は一斉に席を立ち口々に挨拶をし出口へと向かった。
一人、先に店を出ようとしていた鏡乃信の元に見知らぬ男が突進してきた。男は鏡乃信体当たりをすると、そのまま暫くの間動こうとしなかった。体当たりを受けた鏡乃信は、初めこそ訝し気な表情を浮かべたが直ぐにそれは驚愕に変わった。目を大きく見開き、ぶつかってきた男を凝視した。
「ざまあみろ、」
男はそう言うと、足早に鏡乃信から離れると逃げるように店を出て行った。
「ぐぅ、ちくしょう・・・・・・・・」
片膝をつき、鏡乃信はその場に蹲った。
「え?鏡乃信、どうしたの?」
直ぐに彼の後を追ってきた瑞樰が、蹲った鏡乃信に、声尾をかけた。瞬間、店内に悲鳴が走った。
蹲った鏡乃信の足元に大きな血溜まりが出来ていた。それを見た瑞樰が、思わず悲鳴を上げてしまった。彼女の悲鳴を聞きつけ、帰り支度をしていたメンバーが急いで駆け付けた。
「鏡乃信、しっかりして。ねえ、お願い。」
名前を呼びながら真っ青な顔をしている彼に、瑞樰は何度も呼び掛けた。
「瑞樰、落ち着け。何が、あったんだ?」
駆け付けた一久が取り乱している瑞樰に、大声で問いかけた。
「わ、分からない。私が、来たときはもう鏡乃信・・・・・・」
泣きながら瑞樰は、一久に訴えた。その間も、鏡乃信の体を支えている瑞樰の全身は恐怖で震えていた。
「早くっ、救急車!」
自分の後ろで愕然としている少年達に、一久は怒鳴りつけた。
「瑞樰、大丈夫だ。しっかりしろ、いま救急車が来るから。」
鏡乃信の体を抱きしめて、ぶるぶると震えている瑞樰を支えるように励ました。
「だ、い・・じょうぶだ。泣くな、瑞樰。」
苦しそうに言葉を吐き出し、鏡乃信は泣いている瑞樰に笑いかけた。
「しゃべるな、馬鹿っつ!黙ってろ、いま救急車が来るからそれまで黙ってろ。」
真っ青な顔をして無理に笑おうとする鏡乃信を、一久は叱りつけた。
「瑞樰・・・」
やけにはっきりとした口調で、鏡乃信は彼女の名前を呼ぶと力の入らぬ手で彼女の頬を優しく撫でた。
「泣くな、瑞樰。」
触れられた手の冷たさに、瑞樰の不安は大きくなるばかりだった。不意に、鏡乃信が苦しそうに瞼を閉じたかと思うと、瑞樰に触れていた手が一気に力を失い床に落ちた。鏡乃信の体を支えていた瑞樰は、その瞬間に彼の体がぐんと重くなったように感じた。支える手の力を抜いてわけじゃない、逆に力を込めて支えなおしたばかりだった。
瑞樰は、鏡乃信の体を揺さぶった。
「鏡乃信、ねえ返事して。お願いdから、
殆ど、半狂乱になりながら瑞樰は鏡乃信の名前を呼んでいた。
「駄目だ、瑞樰。しっかりしろ、いまそんな風に鏡乃信の体動かしたら駄目だ。」
取り乱す瑞樰を、押さえつけるように一久は宥めた。
「でも、鏡乃信がっ、」
瑞樰が何かを言いかけた時、漸く救急車が到着した。
救急隊員が素早く状態を確認し、搬送の手続きを行っていく。
「誰か、一人付き添いをお願いします。他の人は、下がってください。」
隊員の言葉に、瑞樰はぶるぶると震えるばかりで動けなかった。
「付き添いは、二人でもいいっすか?」
震える瑞樰を支えながら、一久がその場を取り仕切った。
「じゃ、急いで乗ってください。」
隊員は素早く答えると、二人に救急車に乗り込むよう指示した。
「菖蒲、チームに収集かけて犯人探せ。」
救急車に乗り込む寸前、一久は後ろに控えていた菖蒲に鋭く命令した。
一久等を乗せた救急車が、走り去ったその場に冷え切った空気と緊張が残された。下された命令に、残された少年達は青ざめながらも支持を遂行しようと動き始めた。
「鏡乃信、しっかりして。」
冷たくなっていく手を握り締めながら、瑞樰は何度も鏡乃信の名前を呼んだ。そうすることが、彼の命を繋ぎとめる唯一の方法のように。
鏡乃信の死亡が知らされたのは、それから数時間後のことだった。病院に着くまでは何とか意識があったらしいが、余りにも出血量が多くとこじゃない処置室に運び込まれた時には手の施しようが無かった。
彼の死は街の少年達に少なからず、影響を与えた。彼を慕う者達、敵対する者達、そのどちらにも彼は大きな影響力を持っていた。
「夜叉姫のトップ、殺されたって。もう、知ってるか?」
「殺された?マジか?」
「いきなり刺されたらしいぜ。」
鏡乃信のチーム以外の者達も、我が事のように話をした。
「あそこは、恨みを買うようなチームじゃないだろう?」
「喧嘩は強いけど、自分から仕掛けたりするようなとこじゃないし。」
「最近増えている、無差別ってやつだろ?」
少年達は口々に鏡乃信の噂話に花を咲かせた。他人にとって、この事件は格好の退屈しのぎになる。
「あそこのチーム、女もいるだろ?」
「ガードの中に、何人かいるみたいだぜ。」
「トップとデキてるのがいたって噂だぜ?」
「マジか?ヤバくないか?同じチームに、自分の彼女とかいたら、何かあったとき的にされんじゃん。」
「でもさ、死んだんだろ?これから、あのチームどうすんだろ・・・・・」
「次のトップって、やっぱり副やってる人がなのるかな?」
噂話は、どこまでも広がっていった。本人達とは全く関係の無いところで。
鏡乃信が死んで、まだ一日と経っていないというのに彼を失ってしまったチームは既に崩壊しかけていた。
要となるトップを突然失ってしまい、これから先どうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
「一久さん、どうしてこんな事になってしまったんですか?」
サブを勤めている一久に、何人もの少年達が問い掛けてきた。
「夜叉姫が、傍に居てどうして守れなかったんだ。ガーディアンのあんたが本当ならトップのこと体張って守んなきゃいけなかったんだ。」
一久の隣で、放心したようにうつろな目をしている瑞樰に罵声が浴びせられた。
「やめろ、瑞樰を責めるな。あれは、あの場にいた誰にも予測できなかった事態なんだ。誰のせいでもない。」
一久が罵声から瑞樰を庇うように、遠ざけようとした。
「でも、どうしてトップ死ななきゃいけないんだ?」
「俺達、これからどうすりゃいいのか全然分かんねぇよ。」
道しるべを失ってしまった旅人のように不安で心許ない目を、少年達は一久に向けた。
「俺達が今やらなきゃいけないことは鏡乃信の敵討ちだ。これら一応、殺人事件として警察でも犯人を捜しているけど俺達は俺達で、犯人を見つけ出して制裁を加えなきゃ意味が無いだろう?いま、菖蒲達が犯人を捜しに走り回っている。連絡が入り次第、全員で速攻攻撃を開始する。」
静かな声で、一久は現在起こしている行動を説明した。少年達は黙ってその言葉に頷いた。
「夜叉姫は、どうするんすか?」
一人の少年が遠慮がちに問いかけた。瑞樰は先ほどからずっと、心ここに在らずといった状態だった。
「これは、鏡乃信の復讐なんだ。瑞樰も、参加する。」
一久がそういった途端、それまで何もしゃべらなかった瑞樰がゆっくりと口を開いた。
「私が、不甲斐ないばかりに鏡乃信を失ってしまった。私は、犯人をどうしても許すことはできない。見つけたらきっと、殺してしまう。
でも、それでも良いと思っている。あの人を奪った人間なんて死んでしまえばいいって。」
低く暗い声で呟くと、瑞樰は目の前にいる少年達を見つめた。その瞳にはギラギラとした憎しみの焔が宿っていた。少年達は、そんな彼女の顔を見て一様に息を飲んだ。彼らは、今まで瑞樰のこんな顔を見たことが無かった。何時も、穏やかにトップの傍で微笑んでいる瑞樰しか知らなかった。その穏やかな彼女の内に、これほどまでに暗い焔が燃え上がっているのを初めてみた。
「誰が、止めても私は攻撃に参加する。」
そう言うと、瑞樰はきつく唇を噛み締めた。
「覚悟ができているのなら、行くしかないだろう?
俺は最初から、瑞樰と二人だけでも行くつもりだったからな。お前らは、好きにして良いぞ。義理としちゃ、参加するべきだろうけど無理強いは出来ないからな。」
一久がそう言うと、少年達は互いに顔を見合わせた。
「俺達は、鏡乃信さんと一久さんと夜叉姫が好きでここにあつまったんです。俺達も一緒に連れて行ってください。」
最後まで一緒についていくというと、少年達は瑞樰と一久を交互に見つめた。
「そうか、ありがとうな。それじゃ、これからのこと少し話をしておく必要があるな。」
少年達の言葉が嬉しくて、一久は照れたように顔を背けた。
数時間後、鏡乃信が殺害されてから約半日ほどが過ぎたころに犯人と思われる人物が割り出された。
「やっぱり、あいつらの仲間か。」
「白蘭の下っ端にそれらしいのが居るのを確認しましたが、それ以上は無理でした。あとで、もう一度探りを入れてみます。」
偵察に出ていた菖蒲が、申し訳なさそうに謝った。
「何を言っているの?これだけ分かれば十分でしょう。一久、これ以上何か必要な情報があるの?」
薄らと笑みを浮かべて瑞樰は一久に問いかけた。菖蒲はその表情を見た瞬間、背筋に冷たいものを流し込まれたような錯覚を起こした。
「いや、こんだけ分かればもう十分だ。後は、攻撃仕掛けるだけだ。」
一久は静かに目を閉じて、瑞樰を極力見ないようにして呟いた。
「そうだよね、これ以上の情報は必要は無いよ。だって、ヤッたかもしれないなんて温いこと言ってるようじゃ私達の逆鱗に触れるって事がどういう意味なのかしっかりと教えておかなきゃいけないでしょう?」
虫も殺さないような顔をして、瑞樰は恐ろしい事を口にしていた。
(これが、本当にあの優しい夜叉姫なにか?あんなにも、穏やかだった人がこんな残酷なことを口にするなんて。)
瑞樰の様子を探りながら、菖蒲は内心酷く混乱していた。今まで自分が見てきた瑞樰と、今目の前にいる瑞樰。いったい、どちらが本当の彼女なのだろうかと・・・・・。
「それじゃ、面倒なのは嫌だから今夜さっそくヤルか。菖蒲、動かせるだけのメンバー全員集めておいてくれ。今夜、白蘭に喧嘩吹っ掛けに行くって。」
「一久、喧嘩じゃなくて潰しに行くんだよ。」
一久の命令を聞いていた菖蒲は次の瞬間、瑞樰が発した言葉に背筋が冷たくなった。何時もなら、些細な喧嘩さえも嫌がる瑞樰がチーム一つを潰してしまうと言っているのだ。
「それで、お前の気が済むならそれでいい。」
一久は瑞樰のことを痛々しそうに見つめながら、菖蒲に連絡を入れるよう指示した。
夜の街を少年達の運転する四輪や単車が道路を占領していた。様々な形に改造したそれらが道路を走るたびに、ごく普通の車両は慌てて減速したり横道に入って行ったりした。
紺色の生地に白抜きの文字で大きく「夜叉姫」と書かれたチームのコスチュームを身に纏いながら、瑞樰達は白蘭がいつも集まっている場所を目指して走っていた。その数は、ざっと50人余り。
彼らはそろいのコスチュームを身に纏い、先導する車の後をついて走っていった。車の中には、紺色の生地に金文字で胸の所にチーム名が刺繍された物を着た一久と、藤色の生地に一久同様胸に金文字で刺繍を施されたコスチュームを着た瑞樰が乗っていた。このチームで、唯一「夜叉姫」と呼ばれる彼女だけが藤色のコスチュームを身に纏っている。「藤色の夜叉姫」それが、この辺りでの瑞樰の通り名。
「瑞樰、本当に大丈夫か?」
四輪を走らせながら、一久は隣に座っている瑞樰に問いかけた。
「なにが?」
彼の問いかけに、瑞樰は酷く冷めた声で問い返した。
「お前、本当は喧嘩なんて大嫌いだろう。前線には、出なくても誰もお前のこと責めたりしないから。」
何かに耐えるように顔を歪めながら、一久は瑞樰に総言った。
「駄目だよ、誰が許してくれても私が自分を許せない。あの時、ちゃんと鏡乃信のことを守れなかったのは私の責任だもん。だから、これは私のけじめなの。」
それ以外に、鏡乃信に対して償えるものが無いと言うと瑞樰はそれきり黙ってしまった。
(鏡乃信、どうすればいい?瑞樰は変わってしまうかもしれない、またあの頃のように笑わなくなってしまうかもしれない。どうすればいい?)
赤信号を無視し、交叉点を走り抜けながら一久は心の中で鏡乃信に問いかけていた。
その日の夜、街には一つの伝説が生まされた。少年達の間で囁かれる都市伝説。
夜叉姫の奇襲を受けた白蘭は、成す術もなくただ襲い掛かってくる敵から逃げ出そうとするだけで精一杯だった。
「一人も逃がすんじゃねぇ、きっちり体に教えておけ。こいつらが、誰を敵に回したかってことを。」
逃げ惑う敵を一人一人、捕まえては徹底的に叩きのめして一久はチームの仲間達を怒鳴りつけた。
「生まれてきたこと後悔するくらい、痛めつけておけ。じゃないと、また勘違い起こされると面倒だからな。」
手近にいた男を殴り飛ばしながらそう言うと、一久は瑞樰の姿を捜した。さっきまで、自分の直ぐ傍に居たはずの彼女の姿がどこにも見当たらない。
(どこに、行ったんだ?)
逃げ惑う敵とそれを捕らえる仲間達。入り乱れる中、藤色の生地を必死に探した。
「菖蒲、瑞樰を捜せ!この騒ぎで、見失った・・あいつは、喧嘩なんて出来る女じゃない。すぐに、捜せ!」
近くで敵を殴りつけていた菖蒲に、一久は命令すると自分も瑞樰を捜すために移動を始めた。
(もしも、瑞樰が昔のようになってしまっていたらアイツは敵を殺してしまう。手加減なんて温い真似が出来るような奴じゃない。)
逃げようとしている敵を殴りつけながら、一久は道を進んだ。溜まり場となっている古い倉庫は薄暗い明りの中、惨劇の場と化していた。
「瑞樰、どこだっ!」
「一久さん、居ました!瑞樰さん、あそこに。」
菖蒲がそう叫ぶと同時に、凄まじい悲鳴が上がった。それは、瑞樰と対峙していた男から上がったものだった。
「なにを、そんなに大げさな声を出しているの?痛いわけないでしょう、こんな小さな傷程度で。だって、鏡乃信はもっともっと痛かったんだから。この程度で、痛いなんてあるわけないでしょう?」
薄らと笑いながら、瑞樰は男の顔を殴りつけた。殴られた男の太ももには、折れた木材が突き刺さっていた。
「随分と、演技が達者だね。でも、そんな事で同情を買おうっていうならムカつくだけだよ!」
静かに淡々と喋りながら瑞樰は倒れた男を蹴りつけた。血を流し、激痛に呻いている人間を笑みを浮かべながら何度も蹴りつける。
「一久さん、あれは本当に瑞樰さんなんですか?」
目の前で惨い真似を行っているのが本当に彼女なのかと菖蒲は声を震わせ問い掛けてきた
「瑞樰は、鏡乃信がいないとダメなんだ。」
一久は自分の嫌な予感が的中してしまったのを確信した。
「ねぇ、なに倒れているの?ちゃんと起きて、私の相手をしなさい。」
もはや、意識もない相手をそれでも蹴り続けながら瑞樰は話しかけた。
「瑞樰、もう良いだろう?これ以上、やったら本当に死んじまう。そんなことしても、鏡乃信は、喜ばない。」
まだ、男を蹴りつけようとしている瑞樰に近づくと一久はそっと彼女の肩に手を添えて動きを止めた。
「だって、この人だもん。鏡乃信を射したの、この人だもの。どうして、殺しちゃいけないの。」
ガツンと蹴りつけられ、男はコンクリートの床を転がった。
「それでも、お前にこんなことさせられない。本当なら、此処にも連れてきたくなかった。静かに、穏やかに暮らしていてほしかった。それが、俺と鏡乃信の願いだった。だから、瑞樰これ以上は思い止まってくれ。」
静かに語りながら、一久は瑞樰の肩を強く抱きしめた。
「イヤだ、嫌だ、放して。どうして、こいつを許さなきゃいけないの?私が静かに暮らしたいって思ったのは鏡乃信の傍だけなの。鏡乃信が居なきゃ何も意味が無い。鏡乃信が居ないなら、私が居る意味もない。」
一気に叫ぶと、瑞樰は泣き崩れるようにその場に座り込んだ。
「菖蒲、この後の始末頼んだぞ。ここの奴ら一人残らず叩いておけ。それと、今日からここはウチの縄張りだって事他のチームに連絡しておけ。」
泣き崩れる瑞樰を支えながらそう言うと、一久は彼女を連れて倉庫を後にした。
「了解しました。」
出ていく二人を見つめながら、菖蒲は酷く泣きたい気分になった。
(俺は、いつも穏やかに笑っている瑞樰さんのことが好きだったんだ。)
柔らかな日差しのようにいつも優しく笑み、鏡乃信と共にいた瑞樰の姿が思い出されて胸が切なくなった。さっきまで、目にしていた彼女の姿は見ているほうが辛かった。正気を失いかけ、それでも最愛の者の敵を討とうと不必要なほど攻撃を繰り返す。
(あんなのは、辛いだけだ。)
心の中で、どうか瑞樰が元のように微笑みを取り戻してくれるよう祈りながら菖蒲はチームの少年達に一久からの指示を伝えた。
白蘭が、奇襲を受けた。襲ったのは、夜叉姫。夜叉姫の恋人を白蘭が殺したから姫が復讐をした。夜叉姫は、白蘭の全てを叩きのめした。白蘭のアジトは血の海になった。白蘭の誰かは殺されたに違いない。いや、白蘭の者はみな殺された。夜叉姫は、白蘭を許さない。もしも、白蘭を名乗るものが居たら姫に殺される。
この夜以降、街の少年達の中で静かに語られる都市伝説。
白蘭が奇襲を受けてから、半日。昼の街中を、瑞樰を連れ一久はフラフラとウィンドウショッピングしていた。
未だ放心状態の瑞樰を連れ、出来るだけに賑やかな場所を見て回っていた。
「お、これなんか良いんじゃないか?」
ショーケースの中を覗きながら、服やアクセサリーを指さしながら一久は瑞樰に話しかけた。
「俺的には、こっちのも捨てがたいけど。」
陳列されている商品を右手で指さしながら、左手は瑞樰の手を強く握っていた。
「あんまし、買い物って気分じゃないのは分かるけど。こうやって、外にいたほうが気が紛れるだろう?」
何も話そうとしない瑞樰に、一久は話し続けた。昨夜から、瑞樰は一言も口を効こうとしなかった。無表情で、何を語りかけても反応を示さない。
「お前、これから先ずっとそうやっていくつもりなのか?」
ショーケースから視線を外すと、一久は瑞樰を見つめた。通りを行く人々が、二人を不思議そうに見ていたが一久はそんなことはどうでも良かった。
「手を放して欲しい。」
小さな声で、瑞樰が昨夜以降初めて口を開いた。車の音や行きかう人々の声で、殆どかき消されるような本当に小さな声で。
「駄目だ!お前、俺が何も気が付いてないと思っているのか?俺が手を離した隙に、車にでも突っ込もうとか思っているだろう?そんなこと、させられ更にるか。昨日から、今まで何回死のうとした?」
瑞樰の手を更に強く握りしめて、一久は怒気を孕んだ声で叱りつけた。瑞樰はそんな彼を見てもまだ、表情を変えない。ただ、小さく溜息を吐いた。
「瑞樰、死んで楽になろうなんて思うな。死んでも、鏡乃信は喜ばないからな。」
無表情に通りを走る車を眺めている瑞樰に、一久は静かに語りかけた。
(今は、何を言っても無駄かもしれねぇ。それでも、俺は瑞樰に死んでほしくない。)
右手の拳を握り締め、一久は祈るように瑞樰を見た。瞬間、瑞樰は一久と目が合うと初めて表情を崩しふわりと微笑んだ。
「瑞樰、」
彼女の笑みを見て、気を許した一久のほんの一瞬の隙をついて瑞樰は彼の手を振り解き車道へと身を躍らせた。
車のクラクションと急ブレーキ、人々の悲鳴が辺りを包んだ。
「た、大変だっ!女の子が、跳ねられた。」
誰かがそう叫ぶまで、一久は声も出せずにその場に立ち尽くしていた。
「な、瑞樰、瑞樰、」
慌てて車道に飛び出すと、一久は瑞樰の姿を捜した。
「ねぇ、大丈夫?いきなり、車の前に飛び出してきちゃ危ないよ。今回は、たまたま運がよくてぶつからなかったけど死んじゃうところだったんだよ?」
瑞樰が飛び込んだ車から、ドライバーと同乗者が降りてきて、彼女を介抱していた。
「瑞樰、大丈夫か?怪我とかしてないか。」
それを見つけた一久は、小走りで近寄って行った。
「あ、この人の知り合い?彼女さ、さっきから全然口きいてくれなくって。車とはぶつかってないんだけど。」
ドライバーと思われる男性が、一久の存在に気づき話しかけてきた。
近寄ってきた男性を見て、一久は思わず一歩引いてしまった。金髪に青い瞳、おまけに黒い肌。明らかに外国人。さらに、並の女性よりも綺麗に整った顔によく通る澄んだ綺麗な声。
(俺、このタイプ苦手なんだよな。)
こんな緊急時に何を呑気に好みを分析しているのやら、一久は男性をじっと見つめてそんなことを思った。
「車を、運転していたのは俺だから間違いはないんだけど。車とは、接触はしていないはずだ。」
男性が再度、同じことを一久に説明した。
「ああ、見た感じ瑞樰に怪我はなさそうだし。本当に、悪かったと思っている。俺が一瞬、気を許したばっかりにあんた達に迷惑かけて。」
一久が潔く頭を下げると、男性は気にするなというように笑って見せた。
「ねぇ、本当に大丈夫かな?さっきから、何を言っても反応しないんだけど。」
瑞樰の隣に座り込んで、彼女の様子を見ていた少年が心配そうに二人を仰いだ。
「失礼だけど、彼女は病気か何かなのか?車の前に突然飛び出すなんて行動といい、話しかけても反応を返さない事といい。」
心が病んでいるのかと、遠回しに問いかけられ一久は苦く笑った。
「昨日、こいつの恋人が殺されたんだ。こいつの目の前でな。瑞樰はそれからほとんど口も利かないし話しかけても反応を返さなくなってしまった。少しでも、気が紛れるようと思って外に連れ出してみたけど今度は何度も車に飛び込もうとする。」
如何すれば良いか分からないと言いたげに、一久が告白すると男性は少しだけ驚いたような表情をした。
「初対面の、あんたにいきなりこんな話して悪かったな。」
男性の驚いた顔を見て、一久は一言そう誤った。確かに、初めて会った人間にする話ではなかった。が、一久自身も精神的に大きな支えを失い参っていた。目の前で恋人を失った瑞樰ほどでは無いにしろ、一久にとっても鏡乃信は掛け替えのない大切な幼馴染で友だった。
「気にすることは無いさ、確かに少しばかり驚いたけど。」
「そう言ってもらえると、助かるよ。」
男性の心遣いが、一久の心を少しだけ軽くした。
「クリス、このままこの人のこと放っておくなんて出来ないよね?いくら、怪我とかないって言っても女の人を撥ねそうになったのに変わりは無いんだから。だから、このまま家まで一緒に行って彼女が落ち着くまで少し話でもしようよ。」
瑞樰の隣に座り込んでいた少年が、一久と話をしていた男性にそう言うと彼の返事を待った。この少年も、見た目は少女と見間違うような華奢な印象を受けるがちゃんと男だということが分かる。少年は大人しく男性、クリスの言葉を待った。
「俺もそれは思ってはいたけど、まずはこちらさんの都合もあるだろうからそれを聞かないうちは何とも返事が出来ないな。」
クリスはそう言うと一久に問いかけた。
「これから、何か予定はありますか?特に、急ぎの用事が無ければ一緒にお茶でもいかがですか?うちの、尊が彼女のことをいたく気にかけているので。できれば、俺も気になっているので良い返事を貰いたいのですが。」
丁寧な日本語を流暢に操り、クリスはその青い瞳で一久を見つめた。
「そっちが、迷惑でないなら。瑞樰はあんな状態だから。それに、あんたの連れの人あれだけ近くにいるのに瑞樰が全く警戒してないし。できれば、もう少しだけ瑞樰の傍に居てやってほしいんだ。」
弱音を吐くようにそう言うと、一久はクリスの申し出を受け入れた。
「尊、OKだって。それじゃ、早速行きますか?
これ以上、此処にいると野次馬増える一方ですし。」
ちらっと周りを見回してそう言うと、クリスは一久を車へと促した。
「これから、ウチで一緒にお茶を飲むことになったから僕と一緒に車に乗ろう?」
座り込んでいる瑞樰を、少年が何とか立たせようと話しかけた。
「瑞樰、そこに居たら車の邪魔になるだろう?」
ゆっくりと近づいてそう言うと、一久は彼女をひょいと抱き上げた。瑞樰が自分から立とうとするのを待っていては日が暮れてしまう。
「後部席に乗って、尊は助手席。鍵は開いているから。」
一足先に運転席に乗り込んだクリスが、三人にそう言った。
「迷惑かけて、悪いな。」
心配そうに瑞樰を見ていた尊に、一久は苦笑しながら礼を言った。
「いいえ、気にしないでください。僕が、彼女のことを放って置けなくて勝手にやっているだけですから。」
にっこりと微笑んでそう言うと、彼は親切にも車のドアを開けてくれた。
「サンキュ、そう言えばまだ名前言ってなかったよな?
俺は、高橋一久。こいつは、鈴木瑞樰っていうんだ。」
車に乗り込みながら、一久は手短に自己紹介をした。
三人が車に乗ったのを確認したクリスは、静かにその場から発進した。
「僕は、玻杜尊といいます。」
「俺は、クリスでいいよ。年は、今年で28で尊は23だよな?」
自分の紹介をしながら、クリスは尊に年を確認した。
「うん、そうだよ。」
クリスの問いかけに答えると、バックミラー越しに尊が一久に「高橋さんは?」と問いかけた。
「ああ、俺は今年で21になる。瑞樰は19だ。それと、一久でいいよ。」
答えながら、一久は尊の顔を思い浮かべていた。
(あれで、23歳?めちゃくちゃ、童顔だな。そのうえ、マジで男なんだよな?)
瑞樰も年の割には幼い感じが抜けきれていないが、尊に比べるとちゃんと年相応に見える。
「へえ、意外だった。俺はてっきり一久さんと尊は同い年くらいかと思ったんだけど。それに、彼女も。」
クリスが何気なくそう言うと、尊がちらっと後ろを後ろを振り返った。
「お二人は、お友達なんですか?」
未だ無表情で何も話そうとしない瑞樰を、視線の端に捕らえながら尊は問い掛けた。一久も少しだけ視線を動かし、瑞樰の表情を見たが変化は全くなかった。
「ああ、友達っていうか幼馴染みってやつ。俺と、瑞樰とあともう一人。鏡乃信っていうのが居たんだけど。」
鏡乃信の名前が出た瞬間だけ、瑞樰の表情が僅かに動いたように感じられた。
「もう少しで、着くから。悪いね、道が混んでいて。」
話が途切れた一瞬を狙い、㎞瓜単がそう言うと程なく目の前に大きなマンションが見えてきた。この辺りでは、割と名の知れたマンションで住んでいるのは結構な資産家やそこそこの収益の在る者が多いと言われている。
「あんたら、金持ちなんだな。ここって、結構高いって有名だぜ?」
「そう?でも、住んでみると割と普通の所だよ。特に何か設備があるってわけじゃないし。」
車をマンションの入り口に横付けすると、三人に先に部屋に行っていてくれとクリスは指示した。自分は車を駐車場へ持っていってから部屋へ戻るといった。
フロアにあるエレベーターを使い、5階まで上るとそこにはドアが一つしか無かった。どうやら、5階はフロア全部を使った大きな一つの部屋になっているようだった。
「ここが、僕たちの部屋です。」
ドアのカギを開けながら、尊がそう言うとそれまで大人しく一久の腕に抱かれていた瑞樰がその腕から逃れようと1身を捩った。
「瑞樰、駄目だ!!」
逃れようとする瑞樰を押さえつけながら、一久は尊に向かって叫んだ。
「部屋の窓を、全部閉めて鍵をかけてくれ。あと、刃物はどこか目につかない場所に。」
激しい抵抗ではないから何とか一人でも押さえつけておけるが、少しでも気を抜いたら先ほどの二の舞になってしまうと一久は焦った。尊も一久に言われた通りに、急いで窓の施錠を確認すると手近に出ていた刃物を全て引き出しに
仕舞った。
「一久さん、もう大丈夫ですよ。」
部屋の中から、尊の声が返ってくると同時に瑞樰は大人しくなってしまった。
(そんなに、死にたいのか・・・・)
また表情を消した瑞樰を見て、一久は悔しさを覚えた。
「何度も迷惑をかけて、悪いな。」
部屋の中に招かれながら、一久は尊に謝った。
「僕は、大丈夫ですよ。それよりも、瑞樰さんは大丈夫ですか?」
一久に抱きかかえながら入ってきた瑞樰を、心配そうに見ながら尊は訊ねた。
「今は、落ち着いているから大丈夫だと思う。昨日の夜から、もう何度も同じことの繰り返しなんだ」
促されたソファに瑞樰を下すと、一久は自分も座った。腰を下ろした一久の顔には疲労の色が出始めたていた。これ以上、同じ事が続けば彼のほうが先に参ってしまうだろう。
「瑞樰さんは、どうしてそんなにも死にたいって思うの?」
尊が静かな口調で、瑞樰に問いかけた。そんな彼から顔を背けるように、瑞樰は視線を窓のほうへと転じた。何も話したくない、誰の言葉も聞きたくないと態度で示すかのように。瑞樰は尊からも一久からも、心を遮断しようとしていた。
(あの人の、言葉以外なにも聞きたくはない。)
「一久さんが、こんなにも心配しているのにどうして死のうなんて思うの?世の中には、誰方も心配してもらえない人だっているのに。」
痛ましそうに顔を歪めて、尊は瑞樰に語り続けた。どうにかして、彼女を助けたいと思っていた。尊にとって通りすがりでしか無い瑞樰を助ける義務など、欠片らも無いのに。それでも、彼女を切り捨ててはおけないと思った。
(瑞樰さんの心は、ずっと泣いている。)
その瞳の中に、瑞樰の本当の姿を映し出すように尊は瑞樰を見つめ続けた。
「こいつが、死にたいって思うのは恋人の事が原因なんだ。鏡乃信を守れなかった、あいつを死なせてしまったのは自分の責任だ、そう思い込んでいるんだ。だから、瑞樰は死にたがっている。死んで償おうとしている。」
答えない瑞樰の代わりに、一久が低い声で尊に話しかけた。
「いくら、俺達が瑞樰の責任じゃないって言っても聞きやしねぇ。こいつには、鏡乃信の言葉が絶対だったから。それ以外の奴の言葉じゃ意味をなさない。瑞樰を動かせない。」
「でも、瑞樰さん酷く辛そうです。死にたいなんて願うほど、心が悲鳴を上げているのなら僕は助けてあげたい。」
尊は自分も辛そうな顔をして、一久を見つめた。華奢ないるの印象の彼が表情を曇らせると、まるで自分が尊を虐めている様な錯覚に陥りそうになるのを感じ一久は戸惑った。同じ男なのに、尊といいクリスといい余りにも世間一般の青年男児とはルックスが違いすぎているようで対応に困るのだ。
「尊~、一久さん達に出すお茶菓子の場所分かった?」
車を駐車場に置いてきたクリスが、少し遅れて部屋に入ってきた。
「場所変えたの、言うの忘れてたから。」
言いながら三人の居るリビングまで来ると、まだお茶が出されていないことに気が付いた。
「なんだ、まだだったんだ。良かった、それじゃすぐに入れるからもう少し待っていて。」
そう言うと、クリスはキッチンへと向かった。
「それじゃ、僕もクリスの手伝いをしてくるから。」
尊もそう言うと、いそいそとキッチンへと姿を消した。後に残された一久は、大きな溜息を吐き沈んだ表情で瑞樰を見つめた。瑞樰は先ほどと同じように視線を窓の外へと向けたまま、表情を消していた。
(このまま、生き続けるのが本当に瑞樰のためになるのか?もしも、また昔みたいになったら俺は如何すれば良い?)
昨夜の瑞樰の姿が何度も頭の中を過ぎって行った。無抵抗の相手を、憎しみに支配されるまま何度も何度も繰り返し痛めつける。
(あいつはもう、普通の生活には戻れない。あの足じゃ、歩けるようになるかどうかも・・・・・)
瑞樰に痛めつけられていた少年の姿を思い出し、一久は身震いした。
(瑞樰を、止められるのはお前だけなんだ。)
祈るように手を組み合わせ、一久は鏡乃信の姿を瞼の裏に思い描いた。少し長めの黒髪を、切れ長の目を、低い声を、思い出そうと意識しなくても次々に溢れ出てくる。
「はい、はい~。お待たせ~。お茶が入りましたよ、紅茶にしたけど良かったかな?」
トレーを運びながら、クリスは一久に問いかけた。それまで、一久は自分の考えに夢中で此処が何処なのか一瞬忘れてしまっていた。
「ああ、特に好き嫌いは無いから。気を使わなくてもいいよ。」
そう言うと、一久は自分の隣に座っているはずの瑞樰の姿を確認しようと視線を転じた。
次の瞬間、一久は眼を見開き叫んでいた。さっきまで此処に居たはずの瑞樰が、窓に足をかけ身を乗り出していたのだ。少しでもバランスを崩せばそのまま、転落してしまうだろう危うい体制で瑞樰は、ゆっくりとこちらに顔を向けた。その表情は、酷く安らいでいた。
「ごめんね。」
ふわりと微笑みそう言うと、瑞樰は窓の外へと身を乗り出した。体重を外へと持っていき、あとは重力に従って落下するはずだった。が、落ちていこうとしていた彼女の体を必死に支えていた人物がいた。
「放してっ!」
自分の腕をつかんで落ちるのを止めている人物に向かって、瑞樰は叫んだ。
「誰が離すもんか。瑞樰さん、俺の目の前でそう簡単に死ねるなんて思わないほうが良いよ。」
いつの間に窓に近づいていたのか、クリスが瑞樰の腕を掴んで助けていた。その細い体のどこに、そんな力があるのかと思うほど彼はほんの少し腕に力を込めると瑞樰の体を窓の内側に引き上げた。
どさりと、床に座り込んで瑞樰はクリスを睨みつけた。
「どうして、死なせてくれないの?」
高く澄んだ綺麗な声で、瑞樰はクリスを責めた。
「どうして、私を鏡乃信の傍に逝かせてくれないの?」
いつの間にか涙を流しながら、瑞樰はクリスを責め続けた。
「俺は、別に親切な人間じゃないから善意で貴女を助けたわけじゃないよ。ただ、俺の目の前で誰かが死ぬのを見たくないだけだから助けたんだ。それに、自殺したらあなたの大切な人と同じ場所には行けないよ。自殺は、最も重い罪だからね。」
泣きながら自分を睨みつけている瑞樰に、クリスはそう言うと掴んでいた彼女の腕を放し窓に鍵を掛け直した。
「それに、貴女を心配してくれている人がいるのに勝手に死にたいなんて言うもんじゃないですよ。その人に悪いと思わないんですか?」
青ざめた表情で瑞樰を見ている一久と、同じように表情を強張らせている尊を振り返りクリスは厳しく言葉を放つ。
「どんなに辛くても、生きていることには何か意味があるのだから。いま生きていることの意味を考え自分に出来ることを捜して毎日を精一杯生きて下さい。」
クリスがそっと、瑞樰の肩に触れようとしたその手を彼女は激しく拒絶した。
バシッと音が聞こえるほど強く彼の手を打ち据え、先程よりも一層強くクリスを睨みつけた。
「あの人以外に、誰も私を愛してはくれなかった。私のことを人として、見てはくれなかった。あの人を失ってまで生きていたくなんてない。」
両手を握り締めて声を絞り出した叫びだった。抑え込んでいた感情が溢れ出すかのように、瑞樰はクリスに向かって叫び続けた。
「貴女は、それで良いかもしれないけど残された人の気持ちを少しは考えてください。必死に貴女を守ろうとしている彼のことを考えてあげてください。」
「それでも、私は死にたい・・・・・・・」
大粒の涙を零しそう言うと、瑞樰はそれっきりまた何も話さなくなってしまった。
「瑞樰・・・・」
声もなく、ただ立ち尽くしていた一久は彼女の姿を見て喉を詰まらせた。同じように尊も目の前で起きた事態にショックの色を隠せずに、大きな目をことさら大きく見開いていた。
「一久さん、大丈夫ですか?真っ青ですけど、少し休んだほうが良いんじゃ?」
立ち尽くしている一久にクリスが声をかけた。今この場で一番冷静ないうのは、彼のようだ。
「ああ、大丈夫だ・・・。本当に、あんたには迷惑しか掛けなくて申し訳ない。」
クリスに促されたソファに腰を下ろして、一久は深く頭を下げた。実際、赤の他人のクリスにこれ程までに多大な迷惑をかけるなど思ってもいなかったことなのだ。
「一久さん、もしよければ今夜はウチに泊って行ってはどうですか?このまま、帰宅されても何も良い結果は生まれなさそうですし。」
青ざめたままの一久にそっと囁くように、クリスは語りかけた。その綺麗な青い瞳に見つめられながら言葉を聞いていると、何故かその通りにしなければいけないという気持ちいると、何故かしら心の内が見透かされるようなそんな気になってしまう。一久は胸の内の不安を全て、彼に打ち明けたいと思い始めていた。
(駄目だ!!それは、出来ないっ!)
自分一人で抱えるには重すぎる、瑞樰の過去。今は亡き、鏡乃信と共に守り続けた彼女のことを。一久はこの青年に話し助けてほしいと思った。
「僕は、クリスの意見に賛成。このまま、帰ったらきっと瑞樰さんはまた同じことを繰り返すと思う。そして、一久さんにはもう瑞樰さんを止める術がない。」
クリスの隣に座っていた尊が、静かに確信をついた言葉を紡いだ。それは余りにも的を射ていたため、一久はとっさに反論することが出来なかった。
「尊の言う通りですよ、今はたまたま俺が助けられたけど次に同じようなことが起きたら助ける自信なんて無いですから。それに、一久さんはすでに精神的に参ってしまっているし。二人のためにも、今夜はここに泊っていくことを勧めますよ。」
畳みかけるようにクリスがそう言うと、隣で尊が何度も首を縦に振っていた。
「だけど、これ以上あんた達に迷惑は掛けられない。多分・・・・あんた達の言う通り瑞樰はまた自殺しようとすると思う。そして、俺にはもうそれを止めることは出来ないかもしれない。けど、もう瑞樰が望むならって・・・・。それでも、良いかって思うんだ。このまま、生き続けるよりは。
鏡乃信との、約束は破ることになるけど・・・・・」
顔を歪ませ苦しそうにそう言うと、一久は両手で顔を覆った。その姿は全てに疲れ切ってしまった人間のようでもあり、救いを求める者のようでもあった。
「一久さんが、そんな弱気でどうするんですか?
僕はまだ、知り合って数時間しか経ってないからその間の貴方の事しか知らないけど。貴方が瑞樰さんを支えてあげなきゃ、瑞樰さんは本当に駄目になる。そして、貴方も!
死んでしまうのが、本当の望みだなんてそんな事ある訳がない。」
やや興奮気味に尊がそう言うと、クリスが彼の肩に手を置いてそれを止めた。
「尊の言うこと、少しは分かってあげてください。貴方にとっては押しつけがましい言葉だろうけど。
死を望む人間の傍には必ずプラス思考の人間が居なければその人を助けることが出来ないんです。瑞樰さんにとって、貴方がそれにならなければいけないんです。だから、どうか気を強く持って。」
励ますようにクリスはそう言うと、一久の肩をポンポンと軽く叩いた。それだけの行為なのに不思議と、胸の中から暖かなものが滲み出してきた。
「俺よりも、玻杜のほうがメチャクチャ向いているんじゃないか?プラス思考ってやつに。
瑞樰は、あんたの傍に居る時は幾らか穏やかになってるみたいだし。」
口の端を少し持ち上げて、苦笑を見せると一久は尊に向かって片目を瞑って見せた。その仕種は彼なりの照れ隠しのようだった。
「確かに、尊はかなりのプラス思考の持ち主だけど。どうして、尊の傍に居る時は瑞樰さんは心が穏やかになるんだろう?」
チラッと瑞樰を見ながら、クリスが不思議そうに問いかけた。視線の先の彼女は、先程と同じように床に座り込んでいた。
「何かに似てるのかもな、瑞樰が気を許すようなものに。」
(犬とか猫なんて言ったら、きっと怒るだろうな・・・・)
思ったことは口にせず言葉を濁して、一久は尊を見つめた。尊はきょとんとした顔をしたまま、一久を見返していた。その様子が殊更に小さな子犬のようで一久はさっき思いついたことを口に出すことが出来なかった。
「それじゃ、こういうのはどうですか?
瑞樰さんだけでも、個々に泊めるっていうのは?」
ぽんと手を打って、クリスが名案だとばかりにそう言うと尊もぱっと顔を輝かせ声を上げた。
「それ、良いかも!!
本当は、一久さんにも頑張ってほしいけど今は限界っぽいし。少し離れてみたら幾らかは落ち着くだろうし。
一久さん、どう思いますか?」
大きな瞳でじっと一久を見つめながら、尊は彼の返事を待った。
(うわっ、俺こういうの苦手だ。小さな犬とか猫みたいな・・・止めてくれよ、その縋り付くような目。)
尊にじっと、見つめられながら一久は内心とても焦っていた。自分が、弱いものを虐めている様な錯覚を起こしそうになって。尊本人が意図的に行っている訳では無いだろうが。
「ね、一久さん。どう思いますか?」
なかなか、返事をしない一久に、焦れたように尊は催促をした。
(瑞樰の事、玻杜たちに任せても良いのか?瑞樰の傍を離れるのは、こいつを見捨てることにはならないか?
瑞樰の傍を離れるのを、俺は耐えられるか?)
自問自答しながらも、普通に考えて知り合ったばかりの他人にこれ以上迷惑をかけることは出来ないと結論付けた。
「悪ぃ、ありがたいけど・・・それは出来ない。会ったばかりのあんた達にこれ以上の迷惑は、」
「ああ、それはもう気にしなくて良いですよ。これはもう、俺達が好きで首を突っ込んでいるんだから。俺達が瑞樰さんに興味があって、彼女の事を知りたい助けたいってだけだから。」
一久の言葉をクリスが途中で遮った。
「うん、僕も瑞樰さんのこと気になって仕方がないんだ。これはもう、僕個人の感情だから。だから、一久さんが気に病まなくても大丈夫。」
クリスと同じように尊もそう言うと、にっこりと笑った。少女めいた風貌がより一層、可愛らしく見えた。
(また、この顔っ!)
尊のそういった表情は、一久の苦手とするものだった。彼は、女子供に滅法弱い。女子供の頼みを断ることが出来ない性質だ。例えそれが、どんな内容のものだとしても。小さく可愛らしい生き物に見つめられると、無駄に保護欲が刺激され彼らの言うことを何でも聞いてあげたくなってしまう。
結果、一久は尊の申し出をすんなりと受け入れてしまった。
「迷惑しか掛けないって、分かっているけどどうか瑞樰の事よろしく頼みます。」
深々と頭を下げて、一久は二人に瑞樰の事を託した。
「はい、確かに。瑞樰さんの事しっかりとお預かりします。」
「僕も、瑞樰さんの事しっかりお預かりします。」
二人はそう言うと力強く頷いた。二人のそんな表情を見て、一久は心が軽くなるのを感じた。
「それじゃ、俺はもうこれで失礼させてもらうよ。」
そう言うと一久は立ち上がって、二人にもう一度頭を下げた。そんな彼に二人はもう一度深く、頷いて見せた。
一久は二人の顔を見ると、口の端を持ち上げて少しだけ笑うと部屋を後にした。
(許して・・・・・鏡乃信)
声を出すこともできず、彼女は肩を震わせ泣いていた。
(あの時、私さえしっかりしていれば。)
どんなに後悔しても、過ぎた時間は戻らない。彼女はそれを痛いほど実感していた。
(なんで、私なんか助けたの?)
静かに横たわる青年を見つめながら、彼女は自分自身を呪った。
夜の街を徘徊する少年少女達。彼らは家や学校に自分の居場所を見出せない子供達。社会からはゴミのような存在だと言われている、暴走族。どこにも居場所を見つけられなかった彼らは、そこにようやく自分の居場所を見つけられる。
「今日の集会、どうする?こんな雨降りじゃ、危なくないか?」
土砂降りの空を見上げながら、一人の青年が口を開いた。
「う~ん、どうしようか?
毎月恒例って言っても、この天気じゃ無理に走ったりしたら事故るの目に見えているしね。
鏡乃信、どうする?」
青年の言葉を受け、少女は自分の隣にる彼に問いかけた。
「俺は、別にどっちでも良いけど。瑞樰と一久がやりたいならやっても良いんじゃないか。」
鏡乃信は少しだけ面倒くさそうにそう言うと、大きな欠伸をした。
「おいおい、それは無いだろう。お前は仮にもウチの総長なんだぜ?そのお前が、どっちでも良いって言ったんじゃ、下に示しがつかねえだろうが。なあ、瑞樰。」
一久と呼ばれた青年が、呆れたように呟く。それを見ていた少女、瑞樰がくすくすと忍び笑いを漏らした。
「私も、どっちでも良いかな。まあ、出来ればあまり無理はしたくないけど。こんな天気の日に走りに行って、怪我人出したくないし。」
窓の外に見える街を見ながら、瑞樰は鏡乃信の言葉を待った。彼はソファにゆったりと腰を据えながら暫くの間、何かを考えていた。
「一久、この頃『白蘭』の動きはどうなんている?」
不意に、押し殺したような声で鏡乃信が訊ねた。
「ああ、白蘭?
あんまし、言いたくねえけど。あいつらこの頃、手当たり次第に手を出してきている。怪我人なんか、もうかなりの数が出ている。」
面白くなさそうに一久がそう言うと、傍で聞いていた瑞樰が不安そうに二人を見つめた。
「鏡乃信、白蘭がどうかしたの?うちとは、シマが違うからそんなに気にしなくても良いでしょう?」
険しい顔をしている彼に、瑞樰は一抹の不安を覚えた。彼がこんな顔をする時は大抵自分達の身の回りに何かが起きているときだからだ。一久も、鏡乃信のそれに気が付いた。
「確定情報じゃないが、うちの若いのが何人かやられてるらしい。確定じゃないから詳しくは分からないが、たぶん相手は白蘭で間違いはないと思う。これ以上、何もなければ黙っていようと思うが。もしも、今後何かあったらその時は黙っていられない。一応、これだけは二人に話しておこうと思って。」
一久と瑞樰の顔に、緊張が走った。
(喧嘩になる。)
「まあ、とりあえず今日は軽く流す程度の集まりにして。一応、集会はあるってことで皆に伝達してくれ。」
さっきまでも、険しい顔が嘘のように飄々とした態度で鏡乃信はそう言うとソファから立ち上がった。
「は~い、了解しましたっと。それじゃ、俺は皆に伝えとくから。」
溜息を一つ吐き出してそう言うと、一久はその場から離れていった。
「鏡乃信、もしも喧嘩になったら?」
不安そうな声で瑞樰が訊ねた。
「ん~?大丈夫だろう。うちに喧嘩吹っ掛けてくるような馬鹿はそういういやしないって。」
心配性だなと言いながら、瑞樰の頭を優しく撫でた。
「だって、手当たり次第だって。それに、この頃マジで見境なく喧嘩吹っ掛けてくる連中増えてきているし。鏡乃信に、なにかあったらって思うと・・・・・・・」
今にも泣きそうな表情で、瑞樰は鏡乃信を見つめた。そんな彼女を見て、初めて彼は困った様な情けない顔をした。
「泣くなよ、俺はお前に泣かれるのが一番苦手なんだから。大丈夫、俺はそんな卑怯な奴らにヤられるほど弱くない。瑞樰をおいて逝くようなことは無いから。」
軽く、彼女の腕を引き抱きしめた。
「約束して、危なくなったら必ず私を呼ぶって。」
小さな声で、瑞樰が呟いた。彼を守ると、自分自身に誓いを立てていた。
「ああ、約束する。でも、お前も俺を呼べよ?そしたら、何があっても、必ずお前を守るから。」
優しく微笑んで、鏡乃信は瑞樰の額に口付けた。
「私は、鏡乃信のガードなんだよ?その私が、鏡乃信に守られたら意味がないじゃん。」
少しだけ唇を尖らせて、瑞樰は抗議した。時折、子供のような反応をする彼女を鏡乃信は心から愛おしいと思った。
「はいはい、それもちゃんと分かっているって。」
瑞樰の頭をポンポンと軽く叩きながら微笑んだ。
薄暗い夕闇の中、鏡乃信達は数十人の少年達を従え街を疾走していた。何台もの単車と四輪。彼等が走るたびに街は騒がしくなる。騒音だけではなく、敵対するチームとの諍いも起きるからだ。まだ小雨が降る中、彼らは割合ゆっくりとしたペースで街を走っていた。何時もの彼らからすれば、ゆっくりとしたペースではあるが一般人から見れば無謀な走り方にしか見えない。
「この後、流れ解散するからみんな気ぃつけて帰れよぅ。」
一久が、四輪に備え付けている連絡用ツールで仲間にそう伝えると彼らはゆっくりと減速していった。
「鏡乃信、お疲れ様。」
鏡乃信の運転する四輪の助手席に乗っている瑞樰が、ほっとしたような表情で声をかけた。
「私ね、もしかしたら白蘭が何か仕掛けてくるんじゃないかって思っていたから。今日の走りかなり緊張してたんだ。ずっと、ピリピリしててごめんなさい。」
柄にもないと苦笑いしながら、瑞樰は鏡乃信の横顔を見つめた。
「まあ、あんな話した後じゃ無理もないけどな。俺も、少しは気になってたけど無事に終わって良かったよ。」
「お~い!お二人さん。この後どうする?
何人かまだ、走り足りないっての居るけど今夜は止めさせとくだろ?何か、食べにでも行くか?」
後方を走っている一久から、呼びかけがあった。
「どうする、疲れているなら断ろうか?」
瑞樰の様子を伺いながら、鏡乃信は返事を待った。
「私は、大丈夫だよ。鏡乃信も、まだ遊び足りないんでしょ?一久と一緒なら、心配ないから行くよ。」
これが、悪夢の始まり。ゆっくりと静かに、悪魔は彼らの足元に近づいていた。
行きつけの喫茶店とはいえ、夜にはBARにもなるその店で瑞樰達は夢中で話をしていた。今日の集会のこと、明日の予定。いま、どんなものにハマっているかなど他愛もないことを。
「瑞樰は、飲まないのか?」
何時もならば何かしらアルコールを注文する彼女が、この日に限ってジュースしか口にしていないのを見て一久が不思議そうに問いかけてきた。
「うん、鏡乃信けっこう飲んでるから帰りは私が車動かそうかと思って。やっぱり、危ないしね。雨降りで、飲酒は。」
ジュースのグラスを口に運びながら、瑞樰がそう言うと一久もなるほどといった表情をした。
「でも、この雨には参るよな。走り始めたころはまだ小雨だったのに今は土砂降りだ。単車の連中はこれじゃ、走れない。」
窓の外に顔を向け、一久はぼやいた。窓を討つ雨は激しくなっていた。
「そろそろ、お開きにしようか?これ以上、雨酷くなると帰れなくなるし。」
同じように窓を見ていた瑞樰がそう言うと、何人かの少年達がそれに同意した。
「そういや、なんで単車のこいつらが居るんだ?」
不意に鏡乃信が、瑞樰の言葉に同意した少年達を見て不思議そうに問いかけた。
「おいおい、それはちっと酷ってもんだろ。こいつらは、瑞樰のガードだぜ?瑞樰が行くって言えば何処にでもついて行く、瑞樰命な奴らだぜ。」
鏡乃信の言葉に、一久はからかい口調でケラケラと笑いながら答えた。
「別に、私のって訳じゃないでしょう。そんな風に言ったら、悪いよ。」
一久のからかいを諫めるように瑞樰がそう言うと、少年の一人がその言葉を止めた。
「俺達は、確かにチームのガードでもあるけど。貴女を夜叉姫を守るための兵隊でもあるんです。だから、一久さんの言ったことは間違いじゃないですよ。」
優し気な面立ちの彼がそう言うと、他の少年達もそれに頷いた。
「菖蒲まで、そんなことを言ったら皆が混乱するでしょう。」
瑞樰は困ったようにそう言うと、先ほど発言した少年を見た。
「でも、こればっかりはしょうがないっすよ。俺達はマジで貴女を守りたいって思っているんだから。」
菖蒲は少し照れたようにそう言うと、自分の周りにいる仲間に同意を求めた。
「そうっすよ、俺達なんか夜叉姫の傍に居ることなんか出来ないって分かっているけど。それでも、少しでも傍に居たいって思って。皆、貴女に憧れているし貴女のこと好きだからこうやって集まっているんです。」
だから、なにも気にしなくて良いです。俺達は、俺たちの意思で動いているんですから。」
菖蒲の言葉に頷きながら、みんな口々に話し始めた。一番年少だと思われる少年の一人が、熱を帯びたように語り始めた。その少年につられるように、憧れを込めた視線で皆が同じように瑞樰を見つめた。
「えらい人気だな、ウチのガーディアンさんは。普通、ガードなんてのはチームの中じゃ嫌われるもんなのに。瑞樰その逆だ。」
茶化すように一久は肩をすくめながら、瑞樰を見た。瑞樰は困ったように小首を傾げて、少年達を見つめた。
「あの、前にも言ったけど喧嘩の時以外は夜叉姫って呼ぶのは止めてほしいの。もしも、他のチームの人に聞かれたら私みたいなのがチームのガードだって分かったらカッコ悪いじゃない。」
自分を過小評価する癖のある瑞樰は、そんなに喧嘩で勝ち星を挙げても自分だけの功績といったことは無い。チームのガードとは言っているが、女の身で務まるほどガードは甘い役目ではない。瑞樰の喧嘩の実力は、冗談抜きでチームの中で抜きんでている。
「瑞樰の言うことも、一理あるな。誰がいつどこで聞き耳立てているか分からないから。無闇に、チームの名前を言ったりしないほうが良い。このところ、色々と物騒だし。それに、万が一にでも瑞樰に何かあってからじゃ間に合わないからな。」
それまで、黙って話を聞いていた鏡乃信が静かにそう言うと少年達ははっと息を飲み彼の言葉に頷いた。
「菖蒲、お前は瑞樰のサブだから特に気を付けてくれ。夜叉姫の名前は大抵のチームは知っていても誰が夜叉姫かまではそれほど知られていないはずだから。」
念を押すように、鏡乃信はそう言うとさっさと席を立った。
「おい、帰るのか?」
立ち上がった鏡乃信に一久が声をかけた。
「ああ、これ以上ここに居たら俺の忍耐が持たねぇ。瑞樰にこれ以上、俺以外の奴が話しかけるのがうぜえー。」
焼き餅を隠そうともしないで、鏡乃信は毒づいた。
「はいはい、惚気てくれるぜ。それじゃ、今夜はこれでお開きにする。」
一久がそう言うと、少年達は一斉に席を立ち口々に挨拶をし出口へと向かった。
一人、先に店を出ようとしていた鏡乃信の元に見知らぬ男が突進してきた。男は鏡乃信体当たりをすると、そのまま暫くの間動こうとしなかった。体当たりを受けた鏡乃信は、初めこそ訝し気な表情を浮かべたが直ぐにそれは驚愕に変わった。目を大きく見開き、ぶつかってきた男を凝視した。
「ざまあみろ、」
男はそう言うと、足早に鏡乃信から離れると逃げるように店を出て行った。
「ぐぅ、ちくしょう・・・・・・・・」
片膝をつき、鏡乃信はその場に蹲った。
「え?鏡乃信、どうしたの?」
直ぐに彼の後を追ってきた瑞樰が、蹲った鏡乃信に、声尾をかけた。瞬間、店内に悲鳴が走った。
蹲った鏡乃信の足元に大きな血溜まりが出来ていた。それを見た瑞樰が、思わず悲鳴を上げてしまった。彼女の悲鳴を聞きつけ、帰り支度をしていたメンバーが急いで駆け付けた。
「鏡乃信、しっかりして。ねえ、お願い。」
名前を呼びながら真っ青な顔をしている彼に、瑞樰は何度も呼び掛けた。
「瑞樰、落ち着け。何が、あったんだ?」
駆け付けた一久が取り乱している瑞樰に、大声で問いかけた。
「わ、分からない。私が、来たときはもう鏡乃信・・・・・・」
泣きながら瑞樰は、一久に訴えた。その間も、鏡乃信の体を支えている瑞樰の全身は恐怖で震えていた。
「早くっ、救急車!」
自分の後ろで愕然としている少年達に、一久は怒鳴りつけた。
「瑞樰、大丈夫だ。しっかりしろ、いま救急車が来るから。」
鏡乃信の体を抱きしめて、ぶるぶると震えている瑞樰を支えるように励ました。
「だ、い・・じょうぶだ。泣くな、瑞樰。」
苦しそうに言葉を吐き出し、鏡乃信は泣いている瑞樰に笑いかけた。
「しゃべるな、馬鹿っつ!黙ってろ、いま救急車が来るからそれまで黙ってろ。」
真っ青な顔をして無理に笑おうとする鏡乃信を、一久は叱りつけた。
「瑞樰・・・」
やけにはっきりとした口調で、鏡乃信は彼女の名前を呼ぶと力の入らぬ手で彼女の頬を優しく撫でた。
「泣くな、瑞樰。」
触れられた手の冷たさに、瑞樰の不安は大きくなるばかりだった。不意に、鏡乃信が苦しそうに瞼を閉じたかと思うと、瑞樰に触れていた手が一気に力を失い床に落ちた。鏡乃信の体を支えていた瑞樰は、その瞬間に彼の体がぐんと重くなったように感じた。支える手の力を抜いてわけじゃない、逆に力を込めて支えなおしたばかりだった。
瑞樰は、鏡乃信の体を揺さぶった。
「鏡乃信、ねえ返事して。お願いdから、
殆ど、半狂乱になりながら瑞樰は鏡乃信の名前を呼んでいた。
「駄目だ、瑞樰。しっかりしろ、いまそんな風に鏡乃信の体動かしたら駄目だ。」
取り乱す瑞樰を、押さえつけるように一久は宥めた。
「でも、鏡乃信がっ、」
瑞樰が何かを言いかけた時、漸く救急車が到着した。
救急隊員が素早く状態を確認し、搬送の手続きを行っていく。
「誰か、一人付き添いをお願いします。他の人は、下がってください。」
隊員の言葉に、瑞樰はぶるぶると震えるばかりで動けなかった。
「付き添いは、二人でもいいっすか?」
震える瑞樰を支えながら、一久がその場を取り仕切った。
「じゃ、急いで乗ってください。」
隊員は素早く答えると、二人に救急車に乗り込むよう指示した。
「菖蒲、チームに収集かけて犯人探せ。」
救急車に乗り込む寸前、一久は後ろに控えていた菖蒲に鋭く命令した。
一久等を乗せた救急車が、走り去ったその場に冷え切った空気と緊張が残された。下された命令に、残された少年達は青ざめながらも支持を遂行しようと動き始めた。
「鏡乃信、しっかりして。」
冷たくなっていく手を握り締めながら、瑞樰は何度も鏡乃信の名前を呼んだ。そうすることが、彼の命を繋ぎとめる唯一の方法のように。
鏡乃信の死亡が知らされたのは、それから数時間後のことだった。病院に着くまでは何とか意識があったらしいが、余りにも出血量が多くとこじゃない処置室に運び込まれた時には手の施しようが無かった。
彼の死は街の少年達に少なからず、影響を与えた。彼を慕う者達、敵対する者達、そのどちらにも彼は大きな影響力を持っていた。
「夜叉姫のトップ、殺されたって。もう、知ってるか?」
「殺された?マジか?」
「いきなり刺されたらしいぜ。」
鏡乃信のチーム以外の者達も、我が事のように話をした。
「あそこは、恨みを買うようなチームじゃないだろう?」
「喧嘩は強いけど、自分から仕掛けたりするようなとこじゃないし。」
「最近増えている、無差別ってやつだろ?」
少年達は口々に鏡乃信の噂話に花を咲かせた。他人にとって、この事件は格好の退屈しのぎになる。
「あそこのチーム、女もいるだろ?」
「ガードの中に、何人かいるみたいだぜ。」
「トップとデキてるのがいたって噂だぜ?」
「マジか?ヤバくないか?同じチームに、自分の彼女とかいたら、何かあったとき的にされんじゃん。」
「でもさ、死んだんだろ?これから、あのチームどうすんだろ・・・・・」
「次のトップって、やっぱり副やってる人がなのるかな?」
噂話は、どこまでも広がっていった。本人達とは全く関係の無いところで。
鏡乃信が死んで、まだ一日と経っていないというのに彼を失ってしまったチームは既に崩壊しかけていた。
要となるトップを突然失ってしまい、これから先どうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
「一久さん、どうしてこんな事になってしまったんですか?」
サブを勤めている一久に、何人もの少年達が問い掛けてきた。
「夜叉姫が、傍に居てどうして守れなかったんだ。ガーディアンのあんたが本当ならトップのこと体張って守んなきゃいけなかったんだ。」
一久の隣で、放心したようにうつろな目をしている瑞樰に罵声が浴びせられた。
「やめろ、瑞樰を責めるな。あれは、あの場にいた誰にも予測できなかった事態なんだ。誰のせいでもない。」
一久が罵声から瑞樰を庇うように、遠ざけようとした。
「でも、どうしてトップ死ななきゃいけないんだ?」
「俺達、これからどうすりゃいいのか全然分かんねぇよ。」
道しるべを失ってしまった旅人のように不安で心許ない目を、少年達は一久に向けた。
「俺達が今やらなきゃいけないことは鏡乃信の敵討ちだ。これら一応、殺人事件として警察でも犯人を捜しているけど俺達は俺達で、犯人を見つけ出して制裁を加えなきゃ意味が無いだろう?いま、菖蒲達が犯人を捜しに走り回っている。連絡が入り次第、全員で速攻攻撃を開始する。」
静かな声で、一久は現在起こしている行動を説明した。少年達は黙ってその言葉に頷いた。
「夜叉姫は、どうするんすか?」
一人の少年が遠慮がちに問いかけた。瑞樰は先ほどからずっと、心ここに在らずといった状態だった。
「これは、鏡乃信の復讐なんだ。瑞樰も、参加する。」
一久がそういった途端、それまで何もしゃべらなかった瑞樰がゆっくりと口を開いた。
「私が、不甲斐ないばかりに鏡乃信を失ってしまった。私は、犯人をどうしても許すことはできない。見つけたらきっと、殺してしまう。
でも、それでも良いと思っている。あの人を奪った人間なんて死んでしまえばいいって。」
低く暗い声で呟くと、瑞樰は目の前にいる少年達を見つめた。その瞳にはギラギラとした憎しみの焔が宿っていた。少年達は、そんな彼女の顔を見て一様に息を飲んだ。彼らは、今まで瑞樰のこんな顔を見たことが無かった。何時も、穏やかにトップの傍で微笑んでいる瑞樰しか知らなかった。その穏やかな彼女の内に、これほどまでに暗い焔が燃え上がっているのを初めてみた。
「誰が、止めても私は攻撃に参加する。」
そう言うと、瑞樰はきつく唇を噛み締めた。
「覚悟ができているのなら、行くしかないだろう?
俺は最初から、瑞樰と二人だけでも行くつもりだったからな。お前らは、好きにして良いぞ。義理としちゃ、参加するべきだろうけど無理強いは出来ないからな。」
一久がそう言うと、少年達は互いに顔を見合わせた。
「俺達は、鏡乃信さんと一久さんと夜叉姫が好きでここにあつまったんです。俺達も一緒に連れて行ってください。」
最後まで一緒についていくというと、少年達は瑞樰と一久を交互に見つめた。
「そうか、ありがとうな。それじゃ、これからのこと少し話をしておく必要があるな。」
少年達の言葉が嬉しくて、一久は照れたように顔を背けた。
数時間後、鏡乃信が殺害されてから約半日ほどが過ぎたころに犯人と思われる人物が割り出された。
「やっぱり、あいつらの仲間か。」
「白蘭の下っ端にそれらしいのが居るのを確認しましたが、それ以上は無理でした。あとで、もう一度探りを入れてみます。」
偵察に出ていた菖蒲が、申し訳なさそうに謝った。
「何を言っているの?これだけ分かれば十分でしょう。一久、これ以上何か必要な情報があるの?」
薄らと笑みを浮かべて瑞樰は一久に問いかけた。菖蒲はその表情を見た瞬間、背筋に冷たいものを流し込まれたような錯覚を起こした。
「いや、こんだけ分かればもう十分だ。後は、攻撃仕掛けるだけだ。」
一久は静かに目を閉じて、瑞樰を極力見ないようにして呟いた。
「そうだよね、これ以上の情報は必要は無いよ。だって、ヤッたかもしれないなんて温いこと言ってるようじゃ私達の逆鱗に触れるって事がどういう意味なのかしっかりと教えておかなきゃいけないでしょう?」
虫も殺さないような顔をして、瑞樰は恐ろしい事を口にしていた。
(これが、本当にあの優しい夜叉姫なにか?あんなにも、穏やかだった人がこんな残酷なことを口にするなんて。)
瑞樰の様子を探りながら、菖蒲は内心酷く混乱していた。今まで自分が見てきた瑞樰と、今目の前にいる瑞樰。いったい、どちらが本当の彼女なのだろうかと・・・・・。
「それじゃ、面倒なのは嫌だから今夜さっそくヤルか。菖蒲、動かせるだけのメンバー全員集めておいてくれ。今夜、白蘭に喧嘩吹っ掛けに行くって。」
「一久、喧嘩じゃなくて潰しに行くんだよ。」
一久の命令を聞いていた菖蒲は次の瞬間、瑞樰が発した言葉に背筋が冷たくなった。何時もなら、些細な喧嘩さえも嫌がる瑞樰がチーム一つを潰してしまうと言っているのだ。
「それで、お前の気が済むならそれでいい。」
一久は瑞樰のことを痛々しそうに見つめながら、菖蒲に連絡を入れるよう指示した。
夜の街を少年達の運転する四輪や単車が道路を占領していた。様々な形に改造したそれらが道路を走るたびに、ごく普通の車両は慌てて減速したり横道に入って行ったりした。
紺色の生地に白抜きの文字で大きく「夜叉姫」と書かれたチームのコスチュームを身に纏いながら、瑞樰達は白蘭がいつも集まっている場所を目指して走っていた。その数は、ざっと50人余り。
彼らはそろいのコスチュームを身に纏い、先導する車の後をついて走っていった。車の中には、紺色の生地に金文字で胸の所にチーム名が刺繍された物を着た一久と、藤色の生地に一久同様胸に金文字で刺繍を施されたコスチュームを着た瑞樰が乗っていた。このチームで、唯一「夜叉姫」と呼ばれる彼女だけが藤色のコスチュームを身に纏っている。「藤色の夜叉姫」それが、この辺りでの瑞樰の通り名。
「瑞樰、本当に大丈夫か?」
四輪を走らせながら、一久は隣に座っている瑞樰に問いかけた。
「なにが?」
彼の問いかけに、瑞樰は酷く冷めた声で問い返した。
「お前、本当は喧嘩なんて大嫌いだろう。前線には、出なくても誰もお前のこと責めたりしないから。」
何かに耐えるように顔を歪めながら、一久は瑞樰に総言った。
「駄目だよ、誰が許してくれても私が自分を許せない。あの時、ちゃんと鏡乃信のことを守れなかったのは私の責任だもん。だから、これは私のけじめなの。」
それ以外に、鏡乃信に対して償えるものが無いと言うと瑞樰はそれきり黙ってしまった。
(鏡乃信、どうすればいい?瑞樰は変わってしまうかもしれない、またあの頃のように笑わなくなってしまうかもしれない。どうすればいい?)
赤信号を無視し、交叉点を走り抜けながら一久は心の中で鏡乃信に問いかけていた。
その日の夜、街には一つの伝説が生まされた。少年達の間で囁かれる都市伝説。
夜叉姫の奇襲を受けた白蘭は、成す術もなくただ襲い掛かってくる敵から逃げ出そうとするだけで精一杯だった。
「一人も逃がすんじゃねぇ、きっちり体に教えておけ。こいつらが、誰を敵に回したかってことを。」
逃げ惑う敵を一人一人、捕まえては徹底的に叩きのめして一久はチームの仲間達を怒鳴りつけた。
「生まれてきたこと後悔するくらい、痛めつけておけ。じゃないと、また勘違い起こされると面倒だからな。」
手近にいた男を殴り飛ばしながらそう言うと、一久は瑞樰の姿を捜した。さっきまで、自分の直ぐ傍に居たはずの彼女の姿がどこにも見当たらない。
(どこに、行ったんだ?)
逃げ惑う敵とそれを捕らえる仲間達。入り乱れる中、藤色の生地を必死に探した。
「菖蒲、瑞樰を捜せ!この騒ぎで、見失った・・あいつは、喧嘩なんて出来る女じゃない。すぐに、捜せ!」
近くで敵を殴りつけていた菖蒲に、一久は命令すると自分も瑞樰を捜すために移動を始めた。
(もしも、瑞樰が昔のようになってしまっていたらアイツは敵を殺してしまう。手加減なんて温い真似が出来るような奴じゃない。)
逃げようとしている敵を殴りつけながら、一久は道を進んだ。溜まり場となっている古い倉庫は薄暗い明りの中、惨劇の場と化していた。
「瑞樰、どこだっ!」
「一久さん、居ました!瑞樰さん、あそこに。」
菖蒲がそう叫ぶと同時に、凄まじい悲鳴が上がった。それは、瑞樰と対峙していた男から上がったものだった。
「なにを、そんなに大げさな声を出しているの?痛いわけないでしょう、こんな小さな傷程度で。だって、鏡乃信はもっともっと痛かったんだから。この程度で、痛いなんてあるわけないでしょう?」
薄らと笑いながら、瑞樰は男の顔を殴りつけた。殴られた男の太ももには、折れた木材が突き刺さっていた。
「随分と、演技が達者だね。でも、そんな事で同情を買おうっていうならムカつくだけだよ!」
静かに淡々と喋りながら瑞樰は倒れた男を蹴りつけた。血を流し、激痛に呻いている人間を笑みを浮かべながら何度も蹴りつける。
「一久さん、あれは本当に瑞樰さんなんですか?」
目の前で惨い真似を行っているのが本当に彼女なのかと菖蒲は声を震わせ問い掛けてきた
「瑞樰は、鏡乃信がいないとダメなんだ。」
一久は自分の嫌な予感が的中してしまったのを確信した。
「ねぇ、なに倒れているの?ちゃんと起きて、私の相手をしなさい。」
もはや、意識もない相手をそれでも蹴り続けながら瑞樰は話しかけた。
「瑞樰、もう良いだろう?これ以上、やったら本当に死んじまう。そんなことしても、鏡乃信は、喜ばない。」
まだ、男を蹴りつけようとしている瑞樰に近づくと一久はそっと彼女の肩に手を添えて動きを止めた。
「だって、この人だもん。鏡乃信を射したの、この人だもの。どうして、殺しちゃいけないの。」
ガツンと蹴りつけられ、男はコンクリートの床を転がった。
「それでも、お前にこんなことさせられない。本当なら、此処にも連れてきたくなかった。静かに、穏やかに暮らしていてほしかった。それが、俺と鏡乃信の願いだった。だから、瑞樰これ以上は思い止まってくれ。」
静かに語りながら、一久は瑞樰の肩を強く抱きしめた。
「イヤだ、嫌だ、放して。どうして、こいつを許さなきゃいけないの?私が静かに暮らしたいって思ったのは鏡乃信の傍だけなの。鏡乃信が居なきゃ何も意味が無い。鏡乃信が居ないなら、私が居る意味もない。」
一気に叫ぶと、瑞樰は泣き崩れるようにその場に座り込んだ。
「菖蒲、この後の始末頼んだぞ。ここの奴ら一人残らず叩いておけ。それと、今日からここはウチの縄張りだって事他のチームに連絡しておけ。」
泣き崩れる瑞樰を支えながらそう言うと、一久は彼女を連れて倉庫を後にした。
「了解しました。」
出ていく二人を見つめながら、菖蒲は酷く泣きたい気分になった。
(俺は、いつも穏やかに笑っている瑞樰さんのことが好きだったんだ。)
柔らかな日差しのようにいつも優しく笑み、鏡乃信と共にいた瑞樰の姿が思い出されて胸が切なくなった。さっきまで、目にしていた彼女の姿は見ているほうが辛かった。正気を失いかけ、それでも最愛の者の敵を討とうと不必要なほど攻撃を繰り返す。
(あんなのは、辛いだけだ。)
心の中で、どうか瑞樰が元のように微笑みを取り戻してくれるよう祈りながら菖蒲はチームの少年達に一久からの指示を伝えた。
白蘭が、奇襲を受けた。襲ったのは、夜叉姫。夜叉姫の恋人を白蘭が殺したから姫が復讐をした。夜叉姫は、白蘭の全てを叩きのめした。白蘭のアジトは血の海になった。白蘭の誰かは殺されたに違いない。いや、白蘭の者はみな殺された。夜叉姫は、白蘭を許さない。もしも、白蘭を名乗るものが居たら姫に殺される。
この夜以降、街の少年達の中で静かに語られる都市伝説。
白蘭が奇襲を受けてから、半日。昼の街中を、瑞樰を連れ一久はフラフラとウィンドウショッピングしていた。
未だ放心状態の瑞樰を連れ、出来るだけに賑やかな場所を見て回っていた。
「お、これなんか良いんじゃないか?」
ショーケースの中を覗きながら、服やアクセサリーを指さしながら一久は瑞樰に話しかけた。
「俺的には、こっちのも捨てがたいけど。」
陳列されている商品を右手で指さしながら、左手は瑞樰の手を強く握っていた。
「あんまし、買い物って気分じゃないのは分かるけど。こうやって、外にいたほうが気が紛れるだろう?」
何も話そうとしない瑞樰に、一久は話し続けた。昨夜から、瑞樰は一言も口を効こうとしなかった。無表情で、何を語りかけても反応を示さない。
「お前、これから先ずっとそうやっていくつもりなのか?」
ショーケースから視線を外すと、一久は瑞樰を見つめた。通りを行く人々が、二人を不思議そうに見ていたが一久はそんなことはどうでも良かった。
「手を放して欲しい。」
小さな声で、瑞樰が昨夜以降初めて口を開いた。車の音や行きかう人々の声で、殆どかき消されるような本当に小さな声で。
「駄目だ!お前、俺が何も気が付いてないと思っているのか?俺が手を離した隙に、車にでも突っ込もうとか思っているだろう?そんなこと、させられ更にるか。昨日から、今まで何回死のうとした?」
瑞樰の手を更に強く握りしめて、一久は怒気を孕んだ声で叱りつけた。瑞樰はそんな彼を見てもまだ、表情を変えない。ただ、小さく溜息を吐いた。
「瑞樰、死んで楽になろうなんて思うな。死んでも、鏡乃信は喜ばないからな。」
無表情に通りを走る車を眺めている瑞樰に、一久は静かに語りかけた。
(今は、何を言っても無駄かもしれねぇ。それでも、俺は瑞樰に死んでほしくない。)
右手の拳を握り締め、一久は祈るように瑞樰を見た。瞬間、瑞樰は一久と目が合うと初めて表情を崩しふわりと微笑んだ。
「瑞樰、」
彼女の笑みを見て、気を許した一久のほんの一瞬の隙をついて瑞樰は彼の手を振り解き車道へと身を躍らせた。
車のクラクションと急ブレーキ、人々の悲鳴が辺りを包んだ。
「た、大変だっ!女の子が、跳ねられた。」
誰かがそう叫ぶまで、一久は声も出せずにその場に立ち尽くしていた。
「な、瑞樰、瑞樰、」
慌てて車道に飛び出すと、一久は瑞樰の姿を捜した。
「ねぇ、大丈夫?いきなり、車の前に飛び出してきちゃ危ないよ。今回は、たまたま運がよくてぶつからなかったけど死んじゃうところだったんだよ?」
瑞樰が飛び込んだ車から、ドライバーと同乗者が降りてきて、彼女を介抱していた。
「瑞樰、大丈夫か?怪我とかしてないか。」
それを見つけた一久は、小走りで近寄って行った。
「あ、この人の知り合い?彼女さ、さっきから全然口きいてくれなくって。車とはぶつかってないんだけど。」
ドライバーと思われる男性が、一久の存在に気づき話しかけてきた。
近寄ってきた男性を見て、一久は思わず一歩引いてしまった。金髪に青い瞳、おまけに黒い肌。明らかに外国人。さらに、並の女性よりも綺麗に整った顔によく通る澄んだ綺麗な声。
(俺、このタイプ苦手なんだよな。)
こんな緊急時に何を呑気に好みを分析しているのやら、一久は男性をじっと見つめてそんなことを思った。
「車を、運転していたのは俺だから間違いはないんだけど。車とは、接触はしていないはずだ。」
男性が再度、同じことを一久に説明した。
「ああ、見た感じ瑞樰に怪我はなさそうだし。本当に、悪かったと思っている。俺が一瞬、気を許したばっかりにあんた達に迷惑かけて。」
一久が潔く頭を下げると、男性は気にするなというように笑って見せた。
「ねぇ、本当に大丈夫かな?さっきから、何を言っても反応しないんだけど。」
瑞樰の隣に座り込んで、彼女の様子を見ていた少年が心配そうに二人を仰いだ。
「失礼だけど、彼女は病気か何かなのか?車の前に突然飛び出すなんて行動といい、話しかけても反応を返さない事といい。」
心が病んでいるのかと、遠回しに問いかけられ一久は苦く笑った。
「昨日、こいつの恋人が殺されたんだ。こいつの目の前でな。瑞樰はそれからほとんど口も利かないし話しかけても反応を返さなくなってしまった。少しでも、気が紛れるようと思って外に連れ出してみたけど今度は何度も車に飛び込もうとする。」
如何すれば良いか分からないと言いたげに、一久が告白すると男性は少しだけ驚いたような表情をした。
「初対面の、あんたにいきなりこんな話して悪かったな。」
男性の驚いた顔を見て、一久は一言そう誤った。確かに、初めて会った人間にする話ではなかった。が、一久自身も精神的に大きな支えを失い参っていた。目の前で恋人を失った瑞樰ほどでは無いにしろ、一久にとっても鏡乃信は掛け替えのない大切な幼馴染で友だった。
「気にすることは無いさ、確かに少しばかり驚いたけど。」
「そう言ってもらえると、助かるよ。」
男性の心遣いが、一久の心を少しだけ軽くした。
「クリス、このままこの人のこと放っておくなんて出来ないよね?いくら、怪我とかないって言っても女の人を撥ねそうになったのに変わりは無いんだから。だから、このまま家まで一緒に行って彼女が落ち着くまで少し話でもしようよ。」
瑞樰の隣に座り込んでいた少年が、一久と話をしていた男性にそう言うと彼の返事を待った。この少年も、見た目は少女と見間違うような華奢な印象を受けるがちゃんと男だということが分かる。少年は大人しく男性、クリスの言葉を待った。
「俺もそれは思ってはいたけど、まずはこちらさんの都合もあるだろうからそれを聞かないうちは何とも返事が出来ないな。」
クリスはそう言うと一久に問いかけた。
「これから、何か予定はありますか?特に、急ぎの用事が無ければ一緒にお茶でもいかがですか?うちの、尊が彼女のことをいたく気にかけているので。できれば、俺も気になっているので良い返事を貰いたいのですが。」
丁寧な日本語を流暢に操り、クリスはその青い瞳で一久を見つめた。
「そっちが、迷惑でないなら。瑞樰はあんな状態だから。それに、あんたの連れの人あれだけ近くにいるのに瑞樰が全く警戒してないし。できれば、もう少しだけ瑞樰の傍に居てやってほしいんだ。」
弱音を吐くようにそう言うと、一久はクリスの申し出を受け入れた。
「尊、OKだって。それじゃ、早速行きますか?
これ以上、此処にいると野次馬増える一方ですし。」
ちらっと周りを見回してそう言うと、クリスは一久を車へと促した。
「これから、ウチで一緒にお茶を飲むことになったから僕と一緒に車に乗ろう?」
座り込んでいる瑞樰を、少年が何とか立たせようと話しかけた。
「瑞樰、そこに居たら車の邪魔になるだろう?」
ゆっくりと近づいてそう言うと、一久は彼女をひょいと抱き上げた。瑞樰が自分から立とうとするのを待っていては日が暮れてしまう。
「後部席に乗って、尊は助手席。鍵は開いているから。」
一足先に運転席に乗り込んだクリスが、三人にそう言った。
「迷惑かけて、悪いな。」
心配そうに瑞樰を見ていた尊に、一久は苦笑しながら礼を言った。
「いいえ、気にしないでください。僕が、彼女のことを放って置けなくて勝手にやっているだけですから。」
にっこりと微笑んでそう言うと、彼は親切にも車のドアを開けてくれた。
「サンキュ、そう言えばまだ名前言ってなかったよな?
俺は、高橋一久。こいつは、鈴木瑞樰っていうんだ。」
車に乗り込みながら、一久は手短に自己紹介をした。
三人が車に乗ったのを確認したクリスは、静かにその場から発進した。
「僕は、玻杜尊といいます。」
「俺は、クリスでいいよ。年は、今年で28で尊は23だよな?」
自分の紹介をしながら、クリスは尊に年を確認した。
「うん、そうだよ。」
クリスの問いかけに答えると、バックミラー越しに尊が一久に「高橋さんは?」と問いかけた。
「ああ、俺は今年で21になる。瑞樰は19だ。それと、一久でいいよ。」
答えながら、一久は尊の顔を思い浮かべていた。
(あれで、23歳?めちゃくちゃ、童顔だな。そのうえ、マジで男なんだよな?)
瑞樰も年の割には幼い感じが抜けきれていないが、尊に比べるとちゃんと年相応に見える。
「へえ、意外だった。俺はてっきり一久さんと尊は同い年くらいかと思ったんだけど。それに、彼女も。」
クリスが何気なくそう言うと、尊がちらっと後ろを後ろを振り返った。
「お二人は、お友達なんですか?」
未だ無表情で何も話そうとしない瑞樰を、視線の端に捕らえながら尊は問い掛けた。一久も少しだけ視線を動かし、瑞樰の表情を見たが変化は全くなかった。
「ああ、友達っていうか幼馴染みってやつ。俺と、瑞樰とあともう一人。鏡乃信っていうのが居たんだけど。」
鏡乃信の名前が出た瞬間だけ、瑞樰の表情が僅かに動いたように感じられた。
「もう少しで、着くから。悪いね、道が混んでいて。」
話が途切れた一瞬を狙い、㎞瓜単がそう言うと程なく目の前に大きなマンションが見えてきた。この辺りでは、割と名の知れたマンションで住んでいるのは結構な資産家やそこそこの収益の在る者が多いと言われている。
「あんたら、金持ちなんだな。ここって、結構高いって有名だぜ?」
「そう?でも、住んでみると割と普通の所だよ。特に何か設備があるってわけじゃないし。」
車をマンションの入り口に横付けすると、三人に先に部屋に行っていてくれとクリスは指示した。自分は車を駐車場へ持っていってから部屋へ戻るといった。
フロアにあるエレベーターを使い、5階まで上るとそこにはドアが一つしか無かった。どうやら、5階はフロア全部を使った大きな一つの部屋になっているようだった。
「ここが、僕たちの部屋です。」
ドアのカギを開けながら、尊がそう言うとそれまで大人しく一久の腕に抱かれていた瑞樰がその腕から逃れようと1身を捩った。
「瑞樰、駄目だ!!」
逃れようとする瑞樰を押さえつけながら、一久は尊に向かって叫んだ。
「部屋の窓を、全部閉めて鍵をかけてくれ。あと、刃物はどこか目につかない場所に。」
激しい抵抗ではないから何とか一人でも押さえつけておけるが、少しでも気を抜いたら先ほどの二の舞になってしまうと一久は焦った。尊も一久に言われた通りに、急いで窓の施錠を確認すると手近に出ていた刃物を全て引き出しに
仕舞った。
「一久さん、もう大丈夫ですよ。」
部屋の中から、尊の声が返ってくると同時に瑞樰は大人しくなってしまった。
(そんなに、死にたいのか・・・・)
また表情を消した瑞樰を見て、一久は悔しさを覚えた。
「何度も迷惑をかけて、悪いな。」
部屋の中に招かれながら、一久は尊に謝った。
「僕は、大丈夫ですよ。それよりも、瑞樰さんは大丈夫ですか?」
一久に抱きかかえながら入ってきた瑞樰を、心配そうに見ながら尊は訊ねた。
「今は、落ち着いているから大丈夫だと思う。昨日の夜から、もう何度も同じことの繰り返しなんだ」
促されたソファに瑞樰を下すと、一久は自分も座った。腰を下ろした一久の顔には疲労の色が出始めたていた。これ以上、同じ事が続けば彼のほうが先に参ってしまうだろう。
「瑞樰さんは、どうしてそんなにも死にたいって思うの?」
尊が静かな口調で、瑞樰に問いかけた。そんな彼から顔を背けるように、瑞樰は視線を窓のほうへと転じた。何も話したくない、誰の言葉も聞きたくないと態度で示すかのように。瑞樰は尊からも一久からも、心を遮断しようとしていた。
(あの人の、言葉以外なにも聞きたくはない。)
「一久さんが、こんなにも心配しているのにどうして死のうなんて思うの?世の中には、誰方も心配してもらえない人だっているのに。」
痛ましそうに顔を歪めて、尊は瑞樰に語り続けた。どうにかして、彼女を助けたいと思っていた。尊にとって通りすがりでしか無い瑞樰を助ける義務など、欠片らも無いのに。それでも、彼女を切り捨ててはおけないと思った。
(瑞樰さんの心は、ずっと泣いている。)
その瞳の中に、瑞樰の本当の姿を映し出すように尊は瑞樰を見つめ続けた。
「こいつが、死にたいって思うのは恋人の事が原因なんだ。鏡乃信を守れなかった、あいつを死なせてしまったのは自分の責任だ、そう思い込んでいるんだ。だから、瑞樰は死にたがっている。死んで償おうとしている。」
答えない瑞樰の代わりに、一久が低い声で尊に話しかけた。
「いくら、俺達が瑞樰の責任じゃないって言っても聞きやしねぇ。こいつには、鏡乃信の言葉が絶対だったから。それ以外の奴の言葉じゃ意味をなさない。瑞樰を動かせない。」
「でも、瑞樰さん酷く辛そうです。死にたいなんて願うほど、心が悲鳴を上げているのなら僕は助けてあげたい。」
尊は自分も辛そうな顔をして、一久を見つめた。華奢ないるの印象の彼が表情を曇らせると、まるで自分が尊を虐めている様な錯覚に陥りそうになるのを感じ一久は戸惑った。同じ男なのに、尊といいクリスといい余りにも世間一般の青年男児とはルックスが違いすぎているようで対応に困るのだ。
「尊~、一久さん達に出すお茶菓子の場所分かった?」
車を駐車場に置いてきたクリスが、少し遅れて部屋に入ってきた。
「場所変えたの、言うの忘れてたから。」
言いながら三人の居るリビングまで来ると、まだお茶が出されていないことに気が付いた。
「なんだ、まだだったんだ。良かった、それじゃすぐに入れるからもう少し待っていて。」
そう言うと、クリスはキッチンへと向かった。
「それじゃ、僕もクリスの手伝いをしてくるから。」
尊もそう言うと、いそいそとキッチンへと姿を消した。後に残された一久は、大きな溜息を吐き沈んだ表情で瑞樰を見つめた。瑞樰は先ほどと同じように視線を窓の外へと向けたまま、表情を消していた。
(このまま、生き続けるのが本当に瑞樰のためになるのか?もしも、また昔みたいになったら俺は如何すれば良い?)
昨夜の瑞樰の姿が何度も頭の中を過ぎって行った。無抵抗の相手を、憎しみに支配されるまま何度も何度も繰り返し痛めつける。
(あいつはもう、普通の生活には戻れない。あの足じゃ、歩けるようになるかどうかも・・・・・)
瑞樰に痛めつけられていた少年の姿を思い出し、一久は身震いした。
(瑞樰を、止められるのはお前だけなんだ。)
祈るように手を組み合わせ、一久は鏡乃信の姿を瞼の裏に思い描いた。少し長めの黒髪を、切れ長の目を、低い声を、思い出そうと意識しなくても次々に溢れ出てくる。
「はい、はい~。お待たせ~。お茶が入りましたよ、紅茶にしたけど良かったかな?」
トレーを運びながら、クリスは一久に問いかけた。それまで、一久は自分の考えに夢中で此処が何処なのか一瞬忘れてしまっていた。
「ああ、特に好き嫌いは無いから。気を使わなくてもいいよ。」
そう言うと、一久は自分の隣に座っているはずの瑞樰の姿を確認しようと視線を転じた。
次の瞬間、一久は眼を見開き叫んでいた。さっきまで此処に居たはずの瑞樰が、窓に足をかけ身を乗り出していたのだ。少しでもバランスを崩せばそのまま、転落してしまうだろう危うい体制で瑞樰は、ゆっくりとこちらに顔を向けた。その表情は、酷く安らいでいた。
「ごめんね。」
ふわりと微笑みそう言うと、瑞樰は窓の外へと身を乗り出した。体重を外へと持っていき、あとは重力に従って落下するはずだった。が、落ちていこうとしていた彼女の体を必死に支えていた人物がいた。
「放してっ!」
自分の腕をつかんで落ちるのを止めている人物に向かって、瑞樰は叫んだ。
「誰が離すもんか。瑞樰さん、俺の目の前でそう簡単に死ねるなんて思わないほうが良いよ。」
いつの間に窓に近づいていたのか、クリスが瑞樰の腕を掴んで助けていた。その細い体のどこに、そんな力があるのかと思うほど彼はほんの少し腕に力を込めると瑞樰の体を窓の内側に引き上げた。
どさりと、床に座り込んで瑞樰はクリスを睨みつけた。
「どうして、死なせてくれないの?」
高く澄んだ綺麗な声で、瑞樰はクリスを責めた。
「どうして、私を鏡乃信の傍に逝かせてくれないの?」
いつの間にか涙を流しながら、瑞樰はクリスを責め続けた。
「俺は、別に親切な人間じゃないから善意で貴女を助けたわけじゃないよ。ただ、俺の目の前で誰かが死ぬのを見たくないだけだから助けたんだ。それに、自殺したらあなたの大切な人と同じ場所には行けないよ。自殺は、最も重い罪だからね。」
泣きながら自分を睨みつけている瑞樰に、クリスはそう言うと掴んでいた彼女の腕を放し窓に鍵を掛け直した。
「それに、貴女を心配してくれている人がいるのに勝手に死にたいなんて言うもんじゃないですよ。その人に悪いと思わないんですか?」
青ざめた表情で瑞樰を見ている一久と、同じように表情を強張らせている尊を振り返りクリスは厳しく言葉を放つ。
「どんなに辛くても、生きていることには何か意味があるのだから。いま生きていることの意味を考え自分に出来ることを捜して毎日を精一杯生きて下さい。」
クリスがそっと、瑞樰の肩に触れようとしたその手を彼女は激しく拒絶した。
バシッと音が聞こえるほど強く彼の手を打ち据え、先程よりも一層強くクリスを睨みつけた。
「あの人以外に、誰も私を愛してはくれなかった。私のことを人として、見てはくれなかった。あの人を失ってまで生きていたくなんてない。」
両手を握り締めて声を絞り出した叫びだった。抑え込んでいた感情が溢れ出すかのように、瑞樰はクリスに向かって叫び続けた。
「貴女は、それで良いかもしれないけど残された人の気持ちを少しは考えてください。必死に貴女を守ろうとしている彼のことを考えてあげてください。」
「それでも、私は死にたい・・・・・・・」
大粒の涙を零しそう言うと、瑞樰はそれっきりまた何も話さなくなってしまった。
「瑞樰・・・・」
声もなく、ただ立ち尽くしていた一久は彼女の姿を見て喉を詰まらせた。同じように尊も目の前で起きた事態にショックの色を隠せずに、大きな目をことさら大きく見開いていた。
「一久さん、大丈夫ですか?真っ青ですけど、少し休んだほうが良いんじゃ?」
立ち尽くしている一久にクリスが声をかけた。今この場で一番冷静ないうのは、彼のようだ。
「ああ、大丈夫だ・・・。本当に、あんたには迷惑しか掛けなくて申し訳ない。」
クリスに促されたソファに腰を下ろして、一久は深く頭を下げた。実際、赤の他人のクリスにこれ程までに多大な迷惑をかけるなど思ってもいなかったことなのだ。
「一久さん、もしよければ今夜はウチに泊って行ってはどうですか?このまま、帰宅されても何も良い結果は生まれなさそうですし。」
青ざめたままの一久にそっと囁くように、クリスは語りかけた。その綺麗な青い瞳に見つめられながら言葉を聞いていると、何故かその通りにしなければいけないという気持ちいると、何故かしら心の内が見透かされるようなそんな気になってしまう。一久は胸の内の不安を全て、彼に打ち明けたいと思い始めていた。
(駄目だ!!それは、出来ないっ!)
自分一人で抱えるには重すぎる、瑞樰の過去。今は亡き、鏡乃信と共に守り続けた彼女のことを。一久はこの青年に話し助けてほしいと思った。
「僕は、クリスの意見に賛成。このまま、帰ったらきっと瑞樰さんはまた同じことを繰り返すと思う。そして、一久さんにはもう瑞樰さんを止める術がない。」
クリスの隣に座っていた尊が、静かに確信をついた言葉を紡いだ。それは余りにも的を射ていたため、一久はとっさに反論することが出来なかった。
「尊の言う通りですよ、今はたまたま俺が助けられたけど次に同じようなことが起きたら助ける自信なんて無いですから。それに、一久さんはすでに精神的に参ってしまっているし。二人のためにも、今夜はここに泊っていくことを勧めますよ。」
畳みかけるようにクリスがそう言うと、隣で尊が何度も首を縦に振っていた。
「だけど、これ以上あんた達に迷惑は掛けられない。多分・・・・あんた達の言う通り瑞樰はまた自殺しようとすると思う。そして、俺にはもうそれを止めることは出来ないかもしれない。けど、もう瑞樰が望むならって・・・・。それでも、良いかって思うんだ。このまま、生き続けるよりは。
鏡乃信との、約束は破ることになるけど・・・・・」
顔を歪ませ苦しそうにそう言うと、一久は両手で顔を覆った。その姿は全てに疲れ切ってしまった人間のようでもあり、救いを求める者のようでもあった。
「一久さんが、そんな弱気でどうするんですか?
僕はまだ、知り合って数時間しか経ってないからその間の貴方の事しか知らないけど。貴方が瑞樰さんを支えてあげなきゃ、瑞樰さんは本当に駄目になる。そして、貴方も!
死んでしまうのが、本当の望みだなんてそんな事ある訳がない。」
やや興奮気味に尊がそう言うと、クリスが彼の肩に手を置いてそれを止めた。
「尊の言うこと、少しは分かってあげてください。貴方にとっては押しつけがましい言葉だろうけど。
死を望む人間の傍には必ずプラス思考の人間が居なければその人を助けることが出来ないんです。瑞樰さんにとって、貴方がそれにならなければいけないんです。だから、どうか気を強く持って。」
励ますようにクリスはそう言うと、一久の肩をポンポンと軽く叩いた。それだけの行為なのに不思議と、胸の中から暖かなものが滲み出してきた。
「俺よりも、玻杜のほうがメチャクチャ向いているんじゃないか?プラス思考ってやつに。
瑞樰は、あんたの傍に居る時は幾らか穏やかになってるみたいだし。」
口の端を少し持ち上げて、苦笑を見せると一久は尊に向かって片目を瞑って見せた。その仕種は彼なりの照れ隠しのようだった。
「確かに、尊はかなりのプラス思考の持ち主だけど。どうして、尊の傍に居る時は瑞樰さんは心が穏やかになるんだろう?」
チラッと瑞樰を見ながら、クリスが不思議そうに問いかけた。視線の先の彼女は、先程と同じように床に座り込んでいた。
「何かに似てるのかもな、瑞樰が気を許すようなものに。」
(犬とか猫なんて言ったら、きっと怒るだろうな・・・・)
思ったことは口にせず言葉を濁して、一久は尊を見つめた。尊はきょとんとした顔をしたまま、一久を見返していた。その様子が殊更に小さな子犬のようで一久はさっき思いついたことを口に出すことが出来なかった。
「それじゃ、こういうのはどうですか?
瑞樰さんだけでも、個々に泊めるっていうのは?」
ぽんと手を打って、クリスが名案だとばかりにそう言うと尊もぱっと顔を輝かせ声を上げた。
「それ、良いかも!!
本当は、一久さんにも頑張ってほしいけど今は限界っぽいし。少し離れてみたら幾らかは落ち着くだろうし。
一久さん、どう思いますか?」
大きな瞳でじっと一久を見つめながら、尊は彼の返事を待った。
(うわっ、俺こういうの苦手だ。小さな犬とか猫みたいな・・・止めてくれよ、その縋り付くような目。)
尊にじっと、見つめられながら一久は内心とても焦っていた。自分が、弱いものを虐めている様な錯覚を起こしそうになって。尊本人が意図的に行っている訳では無いだろうが。
「ね、一久さん。どう思いますか?」
なかなか、返事をしない一久に、焦れたように尊は催促をした。
(瑞樰の事、玻杜たちに任せても良いのか?瑞樰の傍を離れるのは、こいつを見捨てることにはならないか?
瑞樰の傍を離れるのを、俺は耐えられるか?)
自問自答しながらも、普通に考えて知り合ったばかりの他人にこれ以上迷惑をかけることは出来ないと結論付けた。
「悪ぃ、ありがたいけど・・・それは出来ない。会ったばかりのあんた達にこれ以上の迷惑は、」
「ああ、それはもう気にしなくて良いですよ。これはもう、俺達が好きで首を突っ込んでいるんだから。俺達が瑞樰さんに興味があって、彼女の事を知りたい助けたいってだけだから。」
一久の言葉をクリスが途中で遮った。
「うん、僕も瑞樰さんのこと気になって仕方がないんだ。これはもう、僕個人の感情だから。だから、一久さんが気に病まなくても大丈夫。」
クリスと同じように尊もそう言うと、にっこりと笑った。少女めいた風貌がより一層、可愛らしく見えた。
(また、この顔っ!)
尊のそういった表情は、一久の苦手とするものだった。彼は、女子供に滅法弱い。女子供の頼みを断ることが出来ない性質だ。例えそれが、どんな内容のものだとしても。小さく可愛らしい生き物に見つめられると、無駄に保護欲が刺激され彼らの言うことを何でも聞いてあげたくなってしまう。
結果、一久は尊の申し出をすんなりと受け入れてしまった。
「迷惑しか掛けないって、分かっているけどどうか瑞樰の事よろしく頼みます。」
深々と頭を下げて、一久は二人に瑞樰の事を託した。
「はい、確かに。瑞樰さんの事しっかりとお預かりします。」
「僕も、瑞樰さんの事しっかりお預かりします。」
二人はそう言うと力強く頷いた。二人のそんな表情を見て、一久は心が軽くなるのを感じた。
「それじゃ、俺はもうこれで失礼させてもらうよ。」
そう言うと一久は立ち上がって、二人にもう一度頭を下げた。そんな彼に二人はもう一度深く、頷いて見せた。
一久は二人の顔を見ると、口の端を持ち上げて少しだけ笑うと部屋を後にした。
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