その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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最終章 その日の空は蒼かった

白濁の微睡の中で: エスカリーナに提示される未来への道

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「これで、エスカリーナの『使命』は、果たされたのですね」

「シュトカーナ様。 まだです。 まだなのです。 この穢された大地の浄化が、精霊様より戴いた、『最後の使命』 これを成さずに、全てを成したとは、云えません」

「…………そうなのですね。 貴女と云う人は…… それほどまでに、『精霊誓約』を遵守するのですか。 ノクターナル様もそこまでの献身は望まれていらっしゃらないのでは?」



 やれやれと云う様な御顔をされたシュトカーナ様。 彼女の言葉の真意は理解しているつもり。 このままでも、気の遠くなるほどの時を重ねれば、いずれは落ち着くと思うわ。 でも、それは精霊様方は良しとはされない。 私が誓った「薬師の誓い」からも、外れる。

『癒し、助け、救え』

 は、この世界に生きる、生きとし生ける者達への慈愛の約束。 そして、私が『原初の人プリメディアン』として、再誕した際に魂に刻み込まれた、わたし・・・の薬師の誓い。 『原初の人』となって、全ての人型の生き物の祖の種族に立ち返り、数多の精霊様の御加護を無制限に受け入れられる形となった私の誓約は、その範囲が拡大されたのよ。

 そう、生きとし生けるモノとは、この世界の全て。 生物だけじゃなくて、無生物も、自然も。 山や川、大地も…… 病んでいるのならば、私が癒し、助け、救わねば成らないの。 眼下に見えるこの穢された大地も、その対象に含まれるわ。

 こんなにも…… こんなにも病んで、膿んだ大地だもの。 その再生には、途轍もない時が掛かり、その為には、多大な対価も要求されるわ。 これから、この地に生まれるモノ達は、全て、そんな大地に穢れに触れてしまうのよ。 そして、それは、強い呪いの様に子々孫々に受け継がれることに成り、きっと、他種族から疎まれる…… 許してよい事では無いわ。

 状況が改善されるのは、本当に長い時を経てから。 その間にこの地に生れしモノ達の塗炭の苦しみは、想像すると、心が張り裂けそうになるの。 だから、決めたの。 この地の…… 大森林ジュノーの浄化は、私が為すべき「誓約」の一つにして、最大のモノだとね。

 私のちっぽけな魂を全て魔力に変換しても、この広大な大森林ジュノーに『魔法陣』を行き渡らせる事は出来ないかもしれない。 でも…… 少なくとも、この爆心地だけは、どうしてもッ! ってね。 用いる『魔法』は、【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】。 今まで、私が紡いだ様に、この場で紡いでも十分な効果は望めない。

 でもね、やり方は有るの。 私の魔力だけで、何処までやれるかは判らないけれど、でも、きっと、多分……



「シュトカーナ様。 わたくしは、やはり、何処まで行っても薬師錬金術師のリーナ。 『原初の人プリメディアン』と成ったとしても、薬師錬金術師なのです。 『癒し』『助け』『救う』のは、わたくしの薬師錬金術師の使命。 それは、わたくしの魂に刻み込まれた、誓約なのです」

「貴女と云う人は…… 貴女の存在を賭して、この森だった場所を『癒す』と云うのですね」

「はい。 しかし、魂だけの状態で…… 『魂』以外、何も持たぬ私では、これまでの様にはいかないと、そう感じております。 穢された大地の範囲は、あまりにも広大。 『大召喚魔法陣』の破壊により影響を受けた範囲です。 つまりは、大森林ジュノーの大半にあたります。 ゆえに、今までの方法で、私が紡げる【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】では、その効果範囲に不安が御座います」

「広大な範囲ですものね。 それで?」

「方策は御座います。 お母さまが用いられた『術式』を利用いたします」

「可能なのですか?」

「はい。 お母様…… いえ、ノクターナル様の眷属様の御恩寵により取得した『起動魔法陣』が御座いますので。 それに、あの『大召喚魔法陣』の中に含まれた「術式」も応用できます」

「実際には?」

「はい、紡ぐ【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】の術式を連結術式で使用し、複製増殖しながら、その効果範囲を広げる事が可能と考えます。 無限…… という訳にはいきませんが、わたくしの内包魔力と、魂を魔力に変換すれば、かつての大森林ジュノーの『浄化』は、可能だと……」

「重合連結では無く、転写増幅連結で…… と、云う事なのですね」

「はい。 極限られた範囲で【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】の基本術式を、小さく紡ぎ出し、後は転写増幅連結していく為の魔力を投入し続ければ…… 可能だと」

「あなた一人の『魔力・・』で……、ですか?」

「これは、わたくしが受けた、精霊様の願い。 そして、『使命』 ならば、是非もなく」

「魂までも『魔力』に変え、術式に注ぎ込むと? そんな事をすれば、貴女の魂は磨滅し、帰れなくなりますよ?」

「はい…… これは、わたくしが為すべき事。 これからを考えると、シュトカーナ様に御力添えを頂くわけにはいかぬのです。 それに…… 貴女の中には、わたくしの大切な御方・・・・・・・・・・が居られますもの……  でも、少しでも…… ほんの少しでも、『わたくし・・・・』が残って居れば、皆との約束は果たされます。 石化した体に帰る『わたくしの魂』は、ほんの少しでも…… 良いと、そう思っております。 たとえ、命の時間は短く成ろうとも、必ず、彼らの元に戻ります。 たとえ、どんな形であれ…… 必ず・・

「頑固ですね。 ……一つ、わたくしにも方策が有ります。 出来るだけ、エスカリーナの魂が失われぬ方策が。 ……受け入れなさい。 枯れ木の様に、命の炎が潰えようとした貴女が、彼らの元に還ったとしても、彼らは喜びません。 多くのモノ達が、心に闇を抱え込むことと成ります。 そして、それを精霊様方は、『良し』とは、されないでしょうから」



 シュトカーナ様は、私に強い視線を向けるの。 ええ、とても、とても強い視線よ。 そして、周囲にその視線を走らせるの。 彼女の視線の先には、大小さまざまな、かつて大森林ジュノーに君臨した、獣人達の国の貴族達の魂。 崇高なる矜持を折られ、長き年月を『大召喚魔法陣』に囚われていた、ジュバリアンの高貴な方々の魂だったの。

 見た事が有るわ……

 高貴で矜持高い方の魂。 とても強い光を放っておられるんだもの。 ブルシャトの森で出逢った、穴熊族の王様と同じような強い光に包まれた方々…… 強い視線を方々に向けられたまま、シュトカーナ様は言葉を紡ぎ出されたの。



「森の民たるジュバリアンの王侯。 我、パエシア一族が生き残り、シュトカーナ=パエシア。 そなたたちを縛り付け、魂を削っていた憎き魔法は分解昇華されました。 しかし、後に残るは惨禍の傷跡。 このままでは、母なる森の褥に『呪い』が刻み込まれましょう。 しかし、創造神様は、神様の生み出された精霊様方は、『原初の人プリメディアン』の高位魔術師であり、薬師錬金術師を呼び寄せられました。 この病んだ大地を『癒し』『助け』『救う』為に。 かつての…… 遠きいにしえの昔、”大森林ジュノーが壊滅の危機に晒された時 ”と同じように、力ある魔術師を呼び寄せられたのです。 この穢された大地を浄化し、大森林の再生を願うのならば、そなた達助力が必要です。 今の其方達ならば、理解し得ましょう。 どのような筋道で『ブルシャトの森』が再生されたのか。 そして、それが、誰の手に依って成されたのか。 大森林ジュノーの守護者たるパエシア一族が祈りと願いは、ただ一つ。 森の再生です」



 震える光達。 モノ言わぬ彼等は、その場で震えるのみ。 今の私…… 魂だけの存在の私では、彼らの言葉は聞こえないのか…… でも、それでもね、シュトカーナ様の表情で、なんとなくだけど、皆さんがどう答えられたのかは、想像が付いたの。 シュトカーナ様は、大きく微笑んで、何度も何度も頷かれていたんだもの……

 皆さんも、この惨状を憂い、とても遠き時の輪の接する処へ向かわれようとは思わなかったみたいね。 まるで、穴熊族のバハムート王の様に、悲劇を紡ぎ出した者だとそう御思いになり、深い悔恨を覚えられていたのかもしれないわ。



「皆の賛同と、協力の申し出にシュトカーナ…… いや、パエシア一族の最後の生き残りとして、深く感謝する。 『原初の人プリメディアン』が薬師錬金術師、エスカリーナ。 彼等の想いを、大地の浄化を成して欲しい」

「承知いたしました。 皆様の御力添えが在らば、この穢されし大地は必ずや清浄の地と成りましょう。 そして、いつの日か大森林ジュノーの復活の日が訪れましょう。 非才な我が身では御座いますが、精一杯お勤めいたします」



 深く微笑んだシュトカーナ様が大きく手を振り上げられ、天空に風を起こされる。 風の精霊様に祈願し、雲を集め雨を呼ぶ。 焼けてガラス化した大地に降り注いだ雨が、シュウシュウと冷やし固めてゆく。

 私は一つの呪文を口にする。 大地の精霊様に祈願し、足下に深い穴を穿つ。 深く深く、穢れが届いていない地の奥底に届くまで。 差し渡しは私の背丈ほどの円形に。 汚染が無い場所まで到達したわ。 ええ、この先は清浄なる大地の内懐。 

 今までの方法では、対象がこんなにも広大だと、定義するのに困ってしまう。 見えぬ先まで魔法陣を紡ぐことは、困難を極めるのだもの。 だから、方策を変更したの。 魂の私なら、新しい魔法術式を編む事も凄く簡単に思えるのよ。 きっと、魂の器肉体が、魔法を編むのに、何らかの制限となっているのかもしれないわね。


 ――― 要検証の研究になるわね。


 綴るのは、小さい円環の術式。 でも、とても縦に長い円環。 円筒形の術式を編むことにしたの。 私の魔力を使って編み紡ぎ出した特別製の【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】は、大地に穿った穴の底から立ち上がり、上端は魔人様が綴られた【障壁結界】に至るまで。

 この魔法陣は、攻撃用の魔法陣じゃない。 私の『魂』から紡ぎ出された、『この世界の魔力』であり、【障壁結界】自身が目指している異界の魔力の浄化を織り込んでいる事もある。 【障壁結界】が敵意を向ける事も無い筈。 そして、きっと…… すり抜けられる筈よ。

 手から紡ぎ出す魔法陣は、ドンドンと高度を上げ、やがて、【障壁結界】が作り出していた天井に至る。そして、思惑通り、私の特別製の【清浄浄化メンダリクピュリファリオン】は、【障壁結界】の上端をすり抜けられたわ。 

 あの高さまでは、異界の魔力も到達していない。 そして、今私の居る場所が最も汚染が進んでいた場所に他ならない。 だって、『大召喚魔法陣』が在り、次元の裂け目が存在していた場所なんだもの。 術式の編み込み綴りだしは終わったわ。 そんなに大きく魔力を消費した感じはしない。

 お母様から頂いた『起動魔法陣』を紡ぎ出し、徐々に魔力を貯めていくの。 あの時と同じように、多くの魔力は要求されない。 本当に優れものね。 後は、思い描いた通りの効果を発揮してくれることを願うばかり。

 ゆっくりと詠唱を始める。 



 Fiat voluntas Tuaみこころが天に行われるとおり

 Sicut in caelo, et in terra地にも行われますように。

 Et dimitte nobis debita nostraわたしたちの罪をおゆるしください。

 Gloria Pet, Si Santo, sicut erat inPrincipio願わくは、創造神と聖霊とに栄えあらんことを!

 Et nunc et semper et in saecula saeculorum. 始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで! 



「今ここに、異界からの穢れを払い、清浄なる土地をよみがえらせん! 起動! 【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】!!!」



 励起状態の【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】が稼働を始めるの。 目の前に有るのは、黄金色に輝く光の柱。 脈動が柱に漣を起こし、それが柱全体に広がっていく。 ガラス化した大地と、輝く柱が接する処から、盛大に光の粒が吹き上がるの。

 まるで、蝶が何万羽も羽搏き飛び立つが如く……

 術式は、綴った通りの動きを始めるわ。 転写して増幅を始め、成った魔法術式が新たに光の柱に連結される。 それが、柱の上から下まで一斉に同時に行われるの。 外周が一回り大きく成るわ。 そして、それが、魔力の続く限り、この侵された北の大地…… 大森林ジュノー全域に広がるまで。

『光の珠』が私の傍にやって来るの。 肩に複数の…… 幾つもの手が添えられるのが判る。 とても、とても、力強い、神々しい、そして、何よりも慈愛に満ちた魔力が私の中を通って【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】へと流れ込む。

 皆様…… ありがとう。 疲弊し、後悔し、恨みも嫌悪もあったでしょうに…… それを全て投げ捨て、こんな私に…… かつて人族であった私に力添えを下さる。 涙がとめどもなく流れ行く。 その暖かさに…… その矜持に…… なにより、その誇り高さに。

 皆さんにお会いできてよかった。

聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】は、その円筒の周囲がドンドンと広がり、穢された大地を浄化していく。 濛々もうもうと立ち上る水蒸気と、滾々こんこんと降りしきる雨の中、吹き上がる金色の粒は更に多く、強い風が高く高く天空に吹き散らしてゆくの。

 やがて、浄化の膜は、私を取り込み、そして通り抜ける。 見上げると、其処には蒼い空。 高く高く、深い色をした、夜明け前の蒼い空が其処に在ったわ。 【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】の円筒の円環は速度を速め外へ外へと突き進むの。 眼下に広がる大地には、もう穢れの痕跡も残らない。

 ガラス化した、不毛の大地だった場所に、緑の粒が広がっていく。



「シュトカーナ様。 あの時と同じですのね」

「そうね、風の精霊様にお願いして、種を勧請して頂きました。 清浄なる大地に、種を。 水の精霊様も、ご協力して頂きました。 浄化された水が、今も風に乗って優しく『種の褥大地』を潤しています。 樹の精霊様の御加護が与えられた植物の生育はとても早く、もう芽吹いて…… ほら、そこかしこに……」

「精霊様の加護と祝福が多き場所なれば、野心深き者は排除せねばなりますまい」



 ぼそりと呟く私に、シュトカーナ様は眉を寄せるの。 別に、なんていう事は無いわ。 ただ、護りたいだけ。 この美しくも弱い場所をね。



「……なにか、仕込んだの?」

「大森林ジュノーの在った場所。 あの【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】が行きついた場所で、アレの術式構成は変化します」

「……と云うと?」

「我が異界の師、異界の魔人様が編まれた【障壁結界】と同じ作用をする結界と成ります。 使用するのは、祈りの力。 大森林ジュノーを護りたいと云う、祈りの力。 聖壇は使用しません。 術式に、直接に織り込んでおります。 森の民が…… そして、樹人族の方が祈られれば、魔力はずっと供給され続けます」

「色々と…… 無茶な魔法を構築したのね」

「ええ、もう悲劇はこりごりなんですもの」

「フフフ」

「フフフ」



 遠く、遠く、光の壁となった【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】は突き進む。 やがてそれは、この広大な大森林ジュノー全域を覆い、その境界たる部分に到達する。 そこで、その役割を変え、【障壁結界】となるのよ。 結界を抜けられるのは、森の民ジュバリアンと、ジュバリアンが招聘した者だけ。 

 清く弱い場所の保護は…… この私の在り方とも云えるわ。

 だって、私は……

 薬師錬金術師なんだもの。

 私の手から紡ぎ出されていた、膨大な量の魔力がやがて押し戻されたの。 どのくらいの時間が経ったのか、空はとても美しく、青空が何処までも広がっていたわ。 どのくらいの浄化が終了したのか。 それは、判らない。 でも、その事実から大森林ジュノー全域へ【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】は広がり、そして、【障壁結界】と変化したのは、理解できたの。

 肩から手が下ろされて行く。 一つ、また一つと。 振り返ると、色々な樹人族の方々が満足げな表情を浮かべ浮かんでおられたの。
 そんな方々と、色とりどりの、光の珠が、上昇を始めている…… 遠き時の輪の接するその場所への回帰。 輪廻の輪への帰還…… これで、やっと…… やっと…… 彼等も、この世界のことわりの輪の中に帰還する事が出来たんだ……



「 魂が帰りし場所、遠き時の接する場所。 願わくば、『闇の精霊』ノクターナル様に、彼等の魂を導いきその場所へ送り届けて下さる事…… ノクターナル様のご加護を…… 魂の安寧を…… 伏し願い奉ります」



 葬送の贈り言葉を口にする。 これでやっと、彼等は眠れる。 ゆっくりと輪廻の時をめぐり、やがて再び、この地上に命として帰って来るその時まで…… お眠り下さい……



 ”・・・・・ありがとう ”

                ”・・・・・ありがとう ”

          ”・・・・・ありがとう ”

 ”・・・・・ありがとう ”

                ”・・・・・ありがとう ” 

          ”・・・・・ありがとう ”



 魂がそう呟きながら、虚空に消えていく……
 緑に絨毯となった、荒野から天空に……

 終わった…… これでで……

 私が闇の精霊様から頂いた、『使命』は全て完了した。 ええ…… 本当に…… 終える事が出来たわ。 心の中に達成感が満ち溢れ、とても嬉しく、そして満足感を覚えたの。 傍らに居られるシュトカーナ様に、会心の笑みを浮かべつつ、宣言するの。


「すべて、終わりました。 時が満ち、この地に大森林ジュノーが帰ってきます。 世界は…… 世界は、救われました」

「そうね…… ええ、そうね。 エスカリーナ。 還りましょう。 貴女の魂の器の元に。 皆が待っているわ。 きっと、この光景を見たジュバリアン達が皆、貴女に感謝するわ。 ええ、それは、間違いない。 私は…… シュトカーナ=パエシアは、貴女に万感の想いを込めて、貴女の献身と努力に、 か ん し  ゃ  …………」


 突然、途切れるシュトカーナ様の御言葉。 轟音が響き渡る。 激しい揺れが魂たる私を揺さぶるの。 それは、もう、猛烈な揺れ。 魂は、実体を持たない。 なのに何故? 慌てているシュトカーナ様。 周囲を素早く見渡し、私の手を取ろうとするのだけど、そんな事さえ困難になる程の揺れが、私達を襲ったの。





         グアァァァン


                   グアァァァン


   ギュアァァァァン



 歪に聞こえる、荘厳な鐘の音。 精霊様の御顕現の時に聞こえる筈の、その鐘の音が気持ちの悪い音を響かせている。 嵐の海に漂う小舟の様に、わたしは翻弄され、既にシュトカーナ様の姿さえ見えない。 

 視界が歪み、青く高い空が瞬く間に白い靄に覆われる。

 此処現界では無いどこかに吹き飛ばされる感覚。

 強い衝撃が何度も何度も、私を打ち据えるの。

 息が詰まって

 眼が見え無くなって

 上下も左右も感覚が無くなって

 久しぶりに…… 本当に、久しぶりに……




 私は意識を失ってしまった。





   ――――― § ――――― § ―――――





 〈 すまぬ…… エスカリーナ 〉

 その言葉に、意識が浮かび上がる。 真っ白な空間。 白い闇とも云える、目の前すら見えない場所。 自分の手を見ようとしても、あるはずの手が其処には無かったの。

 ― だ、誰…… ですか? ―

 〈 我は刻の精霊。  エスカリーナよ、すまなんだ 〉

 ― な、なにを、謝罪されているのですか? 私は…… 私に…… 何が起こったのですか? それに、此処は? ―

 〈 次元震が起こった。 長く歪んだ刻のたわみが、その原因が解消された故に、一気にひずみを解放しよった。 刻を司るわらわの失態。 ……ここはの、次元の狭間。 狭間の空間。 エスカリーナが知る名では『幽界』 〉

 ― ええッ! も、戻っちゃったの? で、でも、な、なんで? ―

 〈 エスカリーナの魂は、行き場を失った。 現界へ還る道標を失ってしまったのだ。 お前自身の力では、もう…… どうする事も出来ぬ 〉

 ― そ、そんなぁ…… ー

 〈 揺り戻しがあまりに早く、大きく、魂と器の間にある繋がりが千切れてしもうた…… 〉

 ― えっ? それじゃぁ…… シュトカーナ様は? 彼女は! ー

 〈 樹人の姫は辛うじて間におうた。 樹人族は強きモノ故、器との繋がりも、人族とは違い強固でな。 現界に無事戻った 〉

 ― じゃ、じゃぁ…… 妖精族の方々は? ー

 〈 樹人の姫と繋がって居った故、共に…… 〉

 ー そ、そっかぁ…… 良かった。 みんな、還れたんだ…… 結局…… 私は、還れなかったのか…… 約束してたんだけどなぁ…… やっぱり、こうなっちゃうのか…… ちょっぴり…… 残念だなぁ…… あっ! そうだ、現界は、どうなったのですか? ―

 〈 次元震は強く穢されていた場所で起こった。 強く穢されていた場所が浄化され、その原因が解消された故に、一気にひずみを解放しよったのだ 〉

 ― つまり…… 私の、【聖浄浄化メンダリクピュリファリオン】が浄化した場所で、次元震が引き起こされたって事…… なのかな? えっと、大森林ジュノー全域でって事? ど、どうしよう…… みんな、大森林ジュノーの中に居るのよ。 あんな、衝撃が在ったら…… ー

 〈 その心配は無用。 あれだけの揺れを観測したのは、あの異界の魔人が敷設した【障壁結界】の内側のみ。 外側にはそれほどの衝撃は走って居らぬ。 しかしの…… 〉

 ― なにか…… 悪い事が起こってしまったのですか? 皆は…… 皆は無事なのですか? ー

 〈 領域全体のひずみが解放されてしまったため、刻の進みが解放されたのだ。 折り畳まれた刻が、外側の刻と同じに刻を刻むためにの。 ……大きく刻が進んだと考えて良い 〉

 ー 刻が進んだと? 闇の禁呪を使わずにですか? ー

 〈 そうだ。 ゆえに次元震と云う。 さもなくば、次元の亀裂があちこちに走る事になったであろうな。 世界の自然治癒と云えば、薬師錬金術師としては、理解が早かろう 〉

 ― な、成程。 自身で、自身の傷を治した…… と、そう云う事なのですね。 では、この先は周囲と同一の時間を共に歩めるのですね。 …………よかった。 ー

 〈 エスカリーナが受けし『使命』は全て完遂された。 ぬしの研鑽と献身の結果、時は正確に未来に向かって刻まれ、異界の干渉も無くなった。 この世界は安定して、内包するモノ達の『意思』を以て、未来への道を切りひらけるようになった。 ……創造神もたいそうお慶びになり、やっと、本来の力を取り戻された。 やっとだ…… よくやった、エスカリーナ 〉

 ー 有難き御言葉。 ですが、わたくし一人の力ではありません。 皆で力を合わせた結果です。 そして、なによりも、光への道を掴もうとした方々の必死の献身在らばこそに御座いましょう。 ー

 〈 うむ…… それも、あるの 〉

 ー あの…… わたくしは…… これから…… どうなるのでしょうか? ー



 真剣な御顔をされた、刻の精霊様。 静かに、これから私がどうなるのか、何ができるのかを、お話して下さったの。 でも…… 決めるのは私。 そう、私の意思で、私の未来が決まるの。



 〈 …………それについては、エスカリーナには三つの行ける道が在る。

 一つ目は、闇の精霊が領域エボンメイヤに於いて、アレの眷属となる。 多大な加護を与えておった、愛し子であるエスカリーナを喜んで迎えようと、そう申して居る。 エスカリーナの母たる者、父たる者も居るでな。 彼の地で、親子として暮らすのも良いであろうな。 絶大なノクターナルの加護の元でな。 

 二つ目は、精霊として現界に立ち戻る事。 現界での、研鑽と献身により、お前の魂は既に精霊の域に達しておるのでな。 「魂の器肉体」は、次元震により、相当に刻が進んだ。 処置していなければ、朽ち果てておろう。 たとえ、処置してしていたとしても、その中に魂が帰る事は甚だ難しい。 お前は、霊体として、精霊として、樹人シュトカーナ=パエシアと共に、聖域内に暮らすと良い。 アレならば、精霊になったお前を認識できよう。

 三つ目は…… 助けを待つ。 この次元の狭間に於いて、お前を助けようとする者達を待つ。 果てしも無く希望は薄い。 勧めはせぬ。 刻が経てば経つほど、お前がお前を定義する事が難しくなる。 助けに来ることが出来ず、長き刻を待つ事にならば、お前がお前で無くなり、魂は霧散する。 それに、この狭間の地に於いてだけは、我らが精霊の加護は与える事が出来ぬ。 あれほどの献身と研鑽を示したお前に、何も報いてやることが出来ぬのだ…… 〉

 ー 現界に…… 限界に私として還る事は出来ないと? そう、仰られますか? ー

 〈 三つ目の選択のみ、その可能性があると…… 限りなく、限りなく薄い可能性なのだがな 〉

 ー …………そうですか。 ー



 そっかぁ…… お母様の所に行くか、シュトカーナの元に行くか…… か…… でも、でも、私は約束したんだよ。 そうだよ、約束したんだ。 何が在っても、どんなことが有っても、還るって! だから…… だから、私は…… 待ちたい…… 私を現界に連れ戻してくれる人を、この幽界で、待って居たいのッ!!

 でも…… 意思が…… 薄らいだら…… 私が、私でなくなったら…… 魂が磨滅してしまったら…… 虚空に消えてしまう…… どうしたら…… どうしたらいいの?




 〈 …………待つ時間は長い。 あの異界の魔人がそうであった。 が、あ奴には居場所書斎があったの。 あ奴と同時に次元の狭間に召喚されし場所。 それがあったからこそ、あ奴は自我を保てた。 エスカリーナ…… お前、この狭間の地に於いて、自我の避難所を受け取ったな? 〉

 ー 自我の避難所? えっと、何のことですか? ー

 〈 あの魔人が、お前に渡したモノだ。 アレは、この狭間の地に於いて、自我の避難所に成る得るモノだ 〉



 えっ? …………あっ! あれ!! 魔人様が手から、頂いたちょっと大きめの『箱』!  十二面体の箱の事ねッ! ズイズイとその箱を押し出される魔人様。 扉のレリーフに私の魔力が行き渡ったり、小さな『扉』が私の魔力の色を帯びた、あの箱!



 ― 刻の精霊様は見ておられたのですか? ー

 〈 観測していた。 お前の中に、あの魔人の匂いも在る。 だから、理解できた。 アレは、幾重にも折り畳んだ空間を内包しておる。 そして、中には膨大な量の書物が封じられておるようだ。 何かに集中している間は、自我は崩壊せぬ。 善き避難所と成ろう。 使い方は、きっと、お前の魂の中に刻まれて居ろうしな。 どうする? 〉

 ー わ、私は!! 私は、約束を果たしたいのです。 私は、私として、皆の元に還りたいのです! 何としても……  何としても!! だから!! 待ちます!!! ー

 〈 よかろう。 エスカリーナの選択、しかと受け取った。 この狭間の地では、お前に渡せる加護は、どの精霊も持たぬ。 創造神様ですら、与える事が出来ぬ。 しかし、そなたの献身に報いたいと、精霊は思うのだ。 渡す事は叶わぬが、消し去る事は出来る 〉

 ー 消し去る? ですか? なんだか、恐ろし気な言葉です ー

 〈 案ずるな。 闇の精霊が眷属から、”叶うならば ”と、相談を受けて居る。 精霊に差し出した誓約を、『使命の成就』の対価に消し去る事としたい。 全ての精霊が賛同した。 欠けたるお前の心を、満たす事にも繋がる 〉

 ー 欠けたる心…… ですか? ー

 〈 一つ前の世界に於いて、お前が命を失う時に差し出した『精霊誓約』。 その誓約を対価に、闇の精霊ノクターナルは、お前に加護を一つ与えた。 「前世の記憶」だ。 その記憶故に、お前はこれまでとは違った道を掴み取り、結果この世界の崩壊を押し止める事が出来たのだ…… 何度も、何度も『非業の死』を迎えた、余りにも、余りにも不憫なる魂。 深く、深く、その魂を愛したノクターナル。 刻の円環から逃れる、『鍵』であったとは、精霊はおろか、創造神様ですら夢想すらしていなかった事だった。 ……すべての歪みが取り払われた今、エスカリーナの差し出しされた『対価』を、我等精霊の宝物庫より消し去る。 そうすれば、エスカリーナ。 お前の元に還ろう 〉

 ー …………それは? ー

 〈 『もう恋なんてしない』 お前の心の中にあった、お前の大切な『想い』だ。 今、消し去った 〉


 胸の中がとても…… とても、暖かくなり、ひび割れ、カサカサになっていた胸の一部が、瑞々しい想いで一杯になったの。 それは…… それは…… 今の私が心の奥底に沈めた想い…… もう二度と手にしては成らないと、そう思っていた 『想い・・

 前世では、私は叶わぬ『想い』を抱き…… 狂った……

           きっと、その前も…… その前も……

             今、その『想い』が向かう先…… 私には判る。 



 胸の中で、決して名を付けてはいけないと、そう決めていた、あの人への『想い』……






       一杯に胸に広がり、熱く脈動を始めるの……





 カイトさん…… 

    カイトさん……

       カイトさん……


              ………………お慕いしております。

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