手の届く存在

スカーレット

文字の大きさ
上 下
9 / 144
本編

全俺が泣いた

しおりを挟む
今週から、週末デートは春海の家でということになった。
今週は、春海からお泊まりセットを持ってくる様にと言うメッセージもきている。
一瞬固まったが、勉強セットも持ってくる様にという追加もあり少し安心した。
そんな前日。

「何安心してんだよ、このスケベ」

背後から突如かかる声。

「……メール、盗み見るとか悪趣味だぞ」
「そんな大っぴらに見てればさすがに見えちゃうっしょ」

良平は悪びれる様子もなく言う。

「青春を謳歌している様で、羨ましいねぇ」
「何言ってんだよ、このクソイケメン。お前こそ井原とはどうなってんの」
「どうもなってないよ?別に向こうからは何もないし」
「あれ、井原の片想いだったか。お前も満更でもなかったんじゃ…」
「ありゃ事故みたいなもんだからな」


先週のデートでの鉢合わせの翌々日のことだ。
学校ではあのかしまし娘どもが俺をいじるのに専念していた。
元々俺と春海の関係はある程度知れていたし、そこまで嫌な気分にはならなかったのだが、以前よりも桜井の視線を少し気にする様になってしまった。
何処にデート行った、とか何処まで進んだのか、とか根掘り葉掘り聞かれたが適当にお茶を濁していた。

「そういえば圭織は、田所のことどうするの?」
「え?どうって?」

ギクッと言う擬音が聞こえそうな表情で井原が答える。

「田所って、良平?」

俺も少し気になって尋ねてみる。

「そうそう。田所と一緒に暮らしてるんだっけ、宇堂」
「ああ、同じ部屋だよ」
「アッー!みたいな関係になったりしないの?」
「ならねぇよ!きもいこと言うなや!」

桜井って腐女子属性あったの?

「この際だから圭織、田所のこと色々教えてもらったら?」

なるほど、これは……。
さすがに鈍い俺にもわかる。

「井原、良平のこと好きだったのか」
「え、えっと、好きって言うか気になるって言うか……」
「いーじゃん、あいつ見てくれはカッコいいし。認めちゃいなって、圭織が田所のこと好きってこと」

と桜井が言ったのと同時に。

「大輝ー、帰ろう……ぜ……」

あ、すごいタイミング。
このタイミングで!というタイミングで渦中の良平が教室に入ってきてしまった。
当然のごとく場の空気が凍りつく。

「あ……えっと……」

さすがに気まずくなったのか、桜井が口ごもる。

「あー……俺、先行ってるな。早くこいよな、じゃっ」
「あ、てめ逃げんのかよ!」

足早に良平は教室から出て行った。
俺を含め四人、全員が何を話したものかとお互いがお互いを見る。
どうしてくれよう、この空気……。

「あっ、圭織!?」

井原が耐えられなくなったのか、席を立って教室から走り去ってしまった。

「おい、井原!」

俺も追いかけようと立ち上がるが、桜井に止められる。

「ダメだよ、そっとしといてあげよう?」
「けど……」

あのままほっといて大丈夫なのか?
こんな時、春海ならどうするんだろうか。

結局のところ、今日はもう出来ることもないだろうと言うことで解散となった。
これが、良平のいう事故の大筋。
帰ってから良平を問い詰めたが、のらりくらりと普段通りかわされてしまった。

「けど、あのままほっといていいのかよ」
「いいんだよ。桜井さんもお前を止めたんだろ?そういうことなのさ」
「そうだけど!男としてってことだよ!」
「彼女が直接言ってきたならともかく、そうじゃないのに俺がとやかく言うのは違うでしょ」
「そうかよ……ならもう俺は何も言わないけど……」

俺も桜井も、迂闊だったと言わざるを得ない。
いつも良平とは一緒に帰ってるし、良平が迎えにくるのなんて解りきってた。
もう少し配慮があっても良かった。

しかし、井原は翌日普通に登校した。
普段と変わらない様に見えるが、時折落ち込んだ様な、恥ずかしい様な顔をしていた。

放課後に三人で何やら話したりしていた様だが、俺が立ち入るのも何だか気が引けて、いつもなら俺が迎えにこられる側だが俺が良平を迎えに行ったりする日が続いたのだった。

そして今日。
特に何も起こらなかった。
良平もいつも通り送り出してくれたし、かしまし娘どももいつも通りだった。 
そのままお泊まりデートの日を迎えた。

「……って訳なんだけど、どう思う?」
「なるほどねぇ」

春海の部屋でお菓子を食べながら話す。
春海は特に興味津々ということもなく、表情も普段通りのまま聞いていた。

「まぁ、俺があれこれ口出すのは違うかなってわかってるんだけどさ」
「まぁ、その通りではあるかな。けど、片や親友なわけだし、気になるよね」
「そこなんだよなぁ…あいつだって、気にならないってことはないんだと思うし」
「井原さんか……あの子割と可愛いよね」
「あー……整った顔してるか、確かに」 
「私より可愛い?」
「ばっか、そんな目で見てねーわ」
「ならいいけど。事故のあとよく見てたみたいだからさ?」
「いやいや、普通に様子見てただけだから」
「私、意外と寛大だから浮気の一つくらいは甲斐性だと思って許すと思う」
「えっ」
「でも、隠す努力はしてね?どうせバレるし、無駄な努力にはなっちゃうけど」
「ええ……」

俺が浮気する前提ですか。
俺、そんなに軽そうに見えるのかな。

「大っぴらに浮気なんてしたら……」

少し俯く春海。
何か黒いオーラみたいなの見える気がする。

「私……大輝もその女の子も殺しちゃうかもしれない」

物凄い寒気と悪寒。
嘘でもそんなことは有り得ないと言っておかねば、俺の命が危ない気がする。

「お、落ち着こうか。断言するが、浮気はない」
「本気になっちゃうってこと?」
「違うわ!他の女の子に興味とかないってこと」
「そう?本当に私だけを見てくれる?」
「視界に入れないで、まで行くとさすがに無理だからな?それは理解してくれ」
「そんな物理的に無理なお願いしないよ」

一応の常識は持ってるみたいで一安心だ。

「ねぇ、少しだけ、軽く束縛してもいい?」
「何だよ今更。少しと言わず別に構わないぞ?」
「へへ、言質取った」

言うが早いか、いきなり俺を抱き上げる春海。
お姫様抱っこされてるよ、俺!
立場逆じゃないのこれ!

「えっ?ちょっと……」

そのままベッドに寝かされる。
背中を打って、軽くむせた。
もう少し優しく寝かせてもらえませんかね。
……けど春海の匂いがする。
などと思ったのも束の間。
ぐいっと俺の両手が持ち上げられ、枕の上にある柵にくくりつけられてしまった。
なにこれ、束縛って物理的にってこと?
聞いてないんだけど!

「おい、冗談だよな?」
「冗談に見える?」
「…………」

いやいやちょっと待て。
まさか俺、浮気とか疑われてるの?
「これなら……大輝は安全だよね」

ニコりと笑う春海。
浮気を疑ってるわけではないみたいで少し安堵するも、もう一つ不安はある。

「暴れちゃダメだよ?危ないから」

危ないのは今まさにお前そのものだと俺は思う。 主に貞操の危機ってやつなんじゃないだろうか。

「よっこいしょーいち」
「古っ!」

ついツッコミが入ってしまうが、それどころじゃない。
かけ声と共に春海が俺の腰辺りに跨がってきたからだ。

「おい、まさかとは思うが……」
「大体想像通りだと思うよ?」

事も無げに言う春海。
そのまま、唇を重ねてくる。
口の中を、春海に蹂躙されている気分だった。
しかしながら、悲しいことに男の体は正直に出来てるのだ。

「ぶはっ、待て春海、これ以上はヤバい。落ち着いて話し合わないか?」
「ダーメ。もう遅いよ」

春海は俺の制止も聞かず唇に続いて首筋、胸、腹と唇を這わせて行く。
だが、それらよりも既に切迫してやばい部分がある。
春海が乗っているのは、まさに俺の下腹部のちょっと下辺り。
つまり……そういうことだ。
普段受けない刺激を受けて、徐々に限界は近づいている。

「た!頼む春海……降りてくれ……俺、もう……」
「あれ、ちょっと硬くなってない?」

そう言って春海が少し動いたときだった。
恐らくはどいてくれようとしたのだろうと推測される。
頭の中でシャンパンの栓が抜けて、同時に瓶の中身も飛び出すイメージが湧いた。

「…………」
「…………」

沈黙が部屋を、二人を支配する。

「世界は、何故争うのか……」 

俺は滲む涙が零れない様に上を向いたまま呟く。 
ズボンの中も、パンツの中も、凄く気持ち悪い。
春海が少し固まって見える。
だが、すぐに正気を取り戻したのか慌てた表情のまま俯いた。

「あの、えっと、お風呂入る?そうしよう?そのまま晩御飯って訳にもいかないし……」
「…………」
「す、すぐ用意するからね、待っててね」

珍しく慌てる春海を見た気がする。
春海がバスルームへ向かうと、当然一人になる俺。
賢者タイムがやけに心に染みる。
情けなくて涙が止まらなかった。

バスルームで、全裸で自分のパンツを手洗いしている俺。
こんな姿を良平辺りが見たらどう思うだろうか。
いや、あいつのことだからどうせ腹の皮がよじれる程笑って、酸欠になって死にかけるとこまで行くに違いない。

ちなみに秀美さんがパンツくらい洗ってあげる、と言ってくれたのだが、さすがに辞退した。
春海もパンツくらい洗うよ、と言ってくれたのだが、断固拒否した。

何をしているんだ、本当……。
春海には一度きつく言った方がいいのだろうか。
しかし、万一それで更に暴走されたら……。
八方塞がりってやつか、これは。
初夏に差し掛かっているとは言え、夜はやや冷える。
そろそろ湯船に浸かって風呂を上がろう。

風呂はいい。
汚れた体も心も洗い流してくれる。
しかもここん家の風呂はでかい。
あーしの伸ばせる風呂だぁ~。
などと口走りたくなる。
無論春海に聞かれたら黒歴史確定なので口にはしない。
さて、上がるか。

ガラガラとドアを開けると、そこにはバスケットにタオルを置いている春海の姿があった。
こっちは当然、一糸纏わぬ姿。
生まれたままの姿とも言える。

「きゃああああああああ!!」

悲鳴を上げたのは俺だった。
春海はと言うと

「ふむ……」

とか言いながらマジマジと俺の一部分を眺めていた。

「だぁから反応逆だろっつーのー!!はよ出てけ!!」

慌てて風呂場に引き返し、ドアを閉める。

「あ、ごめん。タオル……渡し忘れてたから……」
「わかったから、良いから、一旦出てもらえる?」
「まだ……怒ってる?」
「怒ってないから」
「泣いてない?」
「泣きたい気分だけど、もう何とか大丈夫だから!」
「そう……なら良かった。早く出てきてね」
「お前が出てったらな」

くそう……一線超える前に全部見られちまった。
俺はまだ春海の見てないのに!
不公平じゃないかこれ!

そんな心の叫びも虚しく、春海もさっさと風呂を済ませてきた様だった。
事情を知り、気を遣ってくれている秀美さんとおどおどしている様子の春海。
そして半放心状態の俺というカオスな構成での食卓。
春喜さんは今日も仕事の関係で留守とのことだ。

「スープ……どうかしら?」
「ええ……美味しいですよ、とっても」
「うん……美味しいと思う。さすがママだね!」

無理やり場を盛り上げようとしている様だが、完全に空回っている。
珍しいというか滅多に見られないだろう、こんな春海は。
ふと春海を見やると、恐る恐ると言った様子で春海もこちらを見ていた。

そんな二人を、秀美さんはニコニコしながら見ている。
俺からふっと目を逸らすと、春海は目に見えて落胆した様だった。
俺は一つも悪くないはずなのだが、こうなってくるとさすがに哀れに思えてくる。
甘いだろうか。

「大輝くん、あのね」
「……何でしょう」
「そろそろ……許してあげてもらえないかしら」
「…………」

考えてみたら、これまた公開処刑みたいなもんだが、春海が巻き起こす騒動はいつものことだ。
しばらくネタにされるかもしれないが、許してやるのも一つの選択肢だろう。
というかこれ以降の付き合いに支障が出るのも困る。

「……そうですね。春海」
「はい……」
「ああいうの、もう無理やりしようとしないって約束できるか?」
「わかった……」

更に目に見えて落ち込む春海。
何だよ、俺が悪いみたいじゃないか。

「あと一つ。桜井たちにこのこと絶対言うなよ?」

こんなのバラされたらもう生きていける気がしない。
良平の耳にもきっと入るだろう。

「うん……それなんだけど」
「ん?」

ちょっと待て、それなんだけど、って……まさかこいつ!

「大輝にどう接したらいいかって相談がてらメールを……」
「おっまえぇぇえぇ!!ふざけんなよ!?本当に、ふっざけんなよ!?うおおおおおお!!!」

両手でガシガシと頭をかきむしる。
さっき風呂入ったばっかりのはずなのに!
何だろう!痒いなぁ!!頭っ!!!!

「ご、ごめんなさい。デリケートな問題だから、学校で言わないであげて、って一応釘刺してあるけど……」
「俺はお前に釘刺しとけば良かったよ!!どーすんだこれ!学校行けねーだろうが!!」
「大輝くん、落ち着いて……」
「ええ、そうですね!落ち着いて……られるかあああああぁぁぁ!!!!」

まさかこいつが敵に回ってるなんて思いもしなかった。
一瞬でも同情して許そうなんて思った、ついさっきの自分をぶん殴りたい!!
半狂乱で獣の様に食事を平らげ、憤慨したまま部屋に戻る。
忌々しい……。
ああまでされてもまだ嫌いになれないことが更に忌々しい。
悪気がなかったとは言え、マジで俺の人生ハードモードだ。

「入るよ」

春海が遠慮がちにノックなんかして入ってくる。
自分の部屋なのに遠慮してるとか。
自家発電でもしてると思われたんだろうか。

「…………」

嫌いになれないけど、何となく頭が落ち着いてくると、やはり俺も大人気なく取り乱した気がして、春海と目を合わせるのが躊躇われる。 
そんな俺の心境を知ってか知らずか、春海は俺の隣に腰掛けてくる。
すっと俺が腰を引くと、一歩詰めてくる。
更に腰を引くと、またも詰めてくる。
そんなことを繰り返している内に、俺がベッドに追いやられる。

「ごめんね、大輝。私が悪かった」
「……もういいよ。俺の堪え性のなさが原因でもあるから」
「よくわからないけど、我慢した方なんじゃない?」
「お前、少しお黙ろうか」

「どうしたら許してくれる?」
「どうしたらってなぁ……」

一番の懸念は桜井たち三人だ。
あいつら絶対いじってくる。

「でもね、大輝」
「あ?」
「タコの交尾ってオスが足に種乗せてメスに渡すらしいから、大輝のはタコよりマシだったんだと思うよ」
「そりゃ面白い雑学だけど、何の慰めにもなってねーよありがとう!!」

何がしたいんだこいつ!
俺の傷ほじくりたいのか!?

「やっぱりこれしかないのかなぁ……」

大分疲れが溜まってきてる気がするんだけど、今度は何だ?

「おい、もういいっての……」
「ダメ、私の気が済まないもん」
「俺が許せば気が済むんだったら、許すから」
「ダメ。私も大輝の見たし、大輝も私の見て」
「……は?」

こいつの考えることはマジでわからん。
目には目を、歯には歯を、裸には裸をって?
その原理で行くと……

「で、頑張って私もイくから。ちゃんと見てて」
「待て!何のプレイだよそれ!見るだけじゃ済まないだろ絶対!!てか直視できる自信ねーよ!!!」

叫び過ぎで声が枯れてきた気がする。
今日の俺のツッコミに底などない。

「見てくれないの?」
「見るよ、いつかな!でも今じゃない!」
「そんな強情張らなくてもいいのに……」
「初志貫徹って言葉知ってるか」
「そんなものは今朝トイレに流してきた」
「俺の決意を勝手にトイレに流さないでくれ!!」

もーやだこいつ……。
選択肢が悉く無限ループ。
受けるまで先に進めないの?
受けちゃったら爛れた関係まっしぐらな気がする。
それとも春海が上手く誘導してくれるのだろうか。

「ほら、とりあえず横になって」

先に春海がベッドに横になって、枕をポンポンと叩く。
これはきっと罠だ。
横になった瞬間に組み敷かれてあっという間に犯される。
いや、それならまだマシか。
また無様を晒して泣くことになるんだ。
もういいや、なる様になれ。

「…………」

恐る恐る横になる。
あれ?動かない。
こっちは覚悟できたってのに……何かスースー聞こえる。
おいこれまさか……寝息……。
こいつは何度……俺の決意をへし折ってくれるわけ?
しおりを挟む

処理中です...