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本編
一人の別れと二人との結びつき
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春喜さんからの着信は、何故か俺に嫌な予感を想像させた。
普段ならそんなことなど考えず、むしろ安心して出られるはずの着信。
同時に降り出した雨が、殊更にそれを増幅させているのだろうか。
「もしもし……」
「大輝くん。今何処にいる?」
「施設の、近くです。帰りなので」
「そうか、ならすぐに合流出来そうだな……落ち着いて聞いてほしい」
ドクン、と心臓が跳ねる。
嫌だ、聞きたくない。
体が、心が続きを聞くことを拒絶する。
手が、足が、顎が、震える。
立っている事さえ辛い。
もう、やめてくれ。
「春海の容態が、急変した」
目の前が一瞬、暗くなった様な気がした。
街灯の光があるにも関わらず、目の前の暗さに俺は足元が危うくなるのを感じた。
十分程経った頃だろうか、うずくまって動けなくなった俺を、春喜さんが迎えにきてくれた。
手におかしな力でも入っていたのか、固まってしまって電話を手放すことができない。
右手で左手の指を一本ずつ剥がす。
「大輝くん、気持ちはわかるが、一つ頼みを聞いてもらえないか?」
「……何でしょう」
「春海の、大輝くんの友達に連絡を取ってもらえないか?」
「二人くらいしか捕まらないかもしれませんが……」
「それでもいい、頼む」
「わかりました、やってみます」
車の中でまず、野口に電話をかける。
野口はすぐ電話に出た。
事情を簡潔に説明すると、家からそう遠くないから、とすぐに直接向かう意志を示した。
次に宮本。
彼女は出るまでに十秒近くを要したが、それでも電話に出た。
宮本にも簡単に事情を説明する。
病院までそこそこ距離があるということで、詳細な住所を聞いて、春喜さんがナビに打ち込んで行く。
十五分程で到着できる位置の様だ。
宮本の家から二十分ほど……間に合うだろうか。
間に合う……俺はもう、春海が生存できる可能性を諦めてしまっているのか。
春海の、あの弱り切った姿を見て、まだ大丈夫だと思える人間がどれほどいるだろうか。
それでも、生きていてほしい。
これからまだ行きたいところ、やりたいこと、話したいこと、色々まだまだあるんだ。
まだまだまだまだ……。
春海がいなくなった後のことなんて、考えられない。
今までが一緒に居すぎた。
それがふっと居なくなってしまう。
最近の俺の不安の正体は、恐らくそのことへの恐怖。
単に誰かを失うというものではない、未知のものに対する恐怖だ。
「大輝くん?」
「あ……すみません」
「秀美を拾っていくよ」
「はい、わかりました」
「しっかりしてくれ。春海が今の大輝くんを見たらガッカリしてしまう」
「はい……そうですよね」
春喜さんの言う通りだ。
春喜さんだって、落ち着かないはずだ。
それを必死で噛み殺して、押し殺して、俺を病院に送り届けようとしてくれている。
「よし、大輝くん、少し詰めてくれるかい?」
「わかりました」
「ごめんなさいね」
「いえ……」
「さぁ、飛ばすよ。舌噛まない様にね」
宮本の家は春海の家ほどではないが、それなりに大きく立派な佇まいの旧家と言った感じの造りだった。
なるほど、良いところのお嬢さんなわけか。
後部座席が三人座ると狭くなってしまったので、秀美さんが助手席に移動した。
「二十分かかるってあるけど、半分で行こうと思う。シートベルトちゃんとしててね」
スピード違反を覚悟の上で、春喜さんは時間短縮しようと考えている様だ。
「大丈夫……なのかしらね」
「宮本はあんまり車得意じゃないのか」
「そうね、でも今はそんなこと言っている場合ではないもの。間に合うことを祈りましょう」
女は強い。何となくわかっていたが、宮本の強さを改めて見た気がする。
病院の明かりが、ぼんやりとだが見えてきた。
十分は無理だったが、十三分ほどで到着した。
途中パトカーとカーチェイスと言う様なことにも、運良くならなかった。
来客用の駐車場に手早く駐車し、俺たちは車を降りる。
誰からともなく走り出し、受付へ。
「すみません、連絡を受けました姫沢です」
春喜さんが受付に呼びかけると中から当直だろうか、看護士が出てきた。
「お待ちしていました、こちらへ……」
看護士がそう言って俺たちを案内しようとしたところで、野口も到着した。
「はぁ、はぁ……ごめん、チャリできたけどちょっと時間かかっちゃった……」
息も絶え絶えと言った様子だったが、構わずエレベーターに乗り込めと手を振る。
そして野口も乗り込んで、ドアが閉まった。
春海の病室がある階に着くまでの間、誰も口を開かなかった。
もはや誰もが覚悟を決めているのかもしれない。
覚悟が一番足りなかったのは、俺だろうと思う。
エレベーターの中に居る時間が、やたら長く感じた。
このまま着かなければ良いのに、などと考えてしまう。
そんな考えを嘲笑うかの様に、エレベーターのドアはその口を開け、俺たちを無情にも春海の病室へと誘う。
病室の前に着くと、既に中からは慌ただしい様子が伺えた。
当直の医師が何やら指示を出しているのだろうか。
入って良いのだろうか、と看護士を見ると、看護士がドアをノックした。
「開けます」
「いらっしゃいましたか!どうぞ中へ……春海さん、両親とお友達が見えましたよ!」
「大輝くん、どうした、中へ」
春喜さんが俺を促す。
足が、どうしても前に進まない。
この期に及んで、俺の体は、本能はビビってしまっている。
「ダメだ、入れない」
「……ちょっと」
「ダメだ」
再びうずくまってしまいそうになった、その時だった。
パァン!!という鋭い音と共に俺の左頬に熱がこもる。
殴られたのだと理解するまでに多少の時間を要した。
「しっかり、しなさいよ……!」
宮本が右手を抑えて言う。
宮本が、俺をひっぱたいたのか。
「姫沢さんの彼氏は誰!?姫沢さんが、今一番会いたいのは、間違いなくあなたよ!!そのあなたが、ここでへたり込んでしまっていていいの!?早く立ちなさい!!」
あまりの剣幕に気圧され、身動きできない。
その俺の様子を見かねたのか、宮本が再度近寄ってきた。
そして、俺の腕を取り無理やり立ち上がらせた。
「ちゃんと、自分の足で歩きなさい。あなたは、あなたの意志で彼女の前に立たないといけないの」
野口が俺の後ろに回る。
「宮本さん、手離していいよ」
言いながら俺の背中をドン、と押した。
突然のことに、俺はバランスを失い、ヨロヨロと病室に踏み込む。
「春海……」
「大輝、待ってた……」
弱々しく言う春海の、口の端に赤いものが滲んでいる。
血を吐いたのだろうか。
「パパ、ママ……野口さんに宮本さんも……」
「姫沢さん」
「ヘタレの彼氏を、連れてきたわ」
「大輝……は相変わらず……だね……」
「ごめん……」
「いいよ……ちゃんと、こうして……きてくれた」
春海は、俺に向かって左手を伸ばした。
その手は春海のものとは思えないほど細く、震えている。
俺も恐る恐る手を伸ばし、その手を掴む。
折れてしまわない様に、優しく掴む。
「大輝は……いつでも暖かいね……赤ちゃんみたい……」
「こんな時まで、そんなこと言えるのかよ……すげぇよやっぱお前……」
「パパ、ママ……」
「何だい?」
「とうしたの、春海」
「今までごめんね……沢山我が儘言ったと思う……」
息を切らしながら言い、深く息を吐いた。
「そんなの、全然構わなかったよ。春海は他の家庭の子に比べたら、手のかからない子だったから……」
「そうよ、逆に我慢させてたりしないか、心配だったんだから……」
両親もとうとう、涙に濡れた。
もはや我慢する必要はないと思ったのだろう。
「ありがとう、二人の子供で良かったよ……」
「春海……!」
二人は、声を我慢することなく泣いていた。
俺にも、そんな風に素直になれる強さがあれば……。
「野口さん……宮本さん……」
「何?何でも言って?」
「今まで仲良くしてくれて、ありがとう……凄く、楽しい時間……だった……」
「お互い様だよ!私だって、姫沢さんのおかげでどれだけ楽しかったか……」
「クラスで浮いていた私に……始めに話し掛けてくれたのは姫沢さんだった。その時から、私の高校生活は色を変えたわ。お礼を言わないといけないのは、私の方よ……」
「ありがとう……二人にお願い……」
「聞くよ、何でも!」
「大輝のこと、お願い……きっと……大輝は心を閉ざしちゃう瞬間があると思うから……二人なら、こじ開けてくれるよね……?」
「お前、こんな時なのに……俺の心配なんか……」
「こじ開けるよ!ぶっ壊してでも!」
「必ず、こじ開けて見せるわ」
野口と宮本の二人も、溢れる涙を止めることが出来ない様子だった。
俺が握っているのと反対側の、右手を二人で握る。
「最後に、大輝……」
「やめろよ、最後とか言うなよ……」
「大輝……抱き締めてもらっても……いいかな……」
その時まで横になっていた春海が、体を起こそうとする。
俺たちは手を離して見守るが、うまく体に力が入らないのかもしれない。
「……これで、いいか?」
野口と宮本に促され上半身だけ起こす形で、春海を抱き上げる。
「ずっと……こうしたかった……」
「バカ、そんなの俺もだよ……何ならお姫様抱っこだって……」
「ありがとう、もう十分……だって、また必ず会えるから……」
こないだもそんなこと言ってたけど、意味がわからない。
俺は今、お前と一緒にいたいんだよ。
やめろ、行くな。
まだ俺は何もしてやれていない。
これからのはずだろう、俺たち!
いずれの言葉も心に浮かぶのみで、口にしようとしても喉が詰まって言葉にならない。
「大輝……」
春海の腕から、体から。
力が抜けて行くのを感じた。
「大好き」
これが、彼女の最後の言葉になった。
最後の言葉だけは、今までの様な弱々しさがなく、はっきりと発音された。
その寝顔は、安らかと言えるのだろうか。
俺には笑顔に見えた。
俺が愛した、春海の笑顔。
「午後十一時二十三分、ご臨終です」
ドラマなんかでよく聞くセリフ。
本当に言うんだな、これ。
それまで騒がしく感じていた病室が、水を打った様に静かになった。
病室にすすり泣く声、機械の音と心電図のゼロを示す、鳴り止まない音だけが響く。
すっかりと力が抜けて、全体重が俺にかかっているはずなのに、こんなにも軽い。
お前、痩せすぎだろう。
前はこんなに軽くなかっただろ?
首が重力に負けたのか、ぶら下がる様な形になるのを、左腕で支える。
それまで、熱をそれなりに持っていたはずの春海の体から、熱がどんどん奪われていく。
もうどうにも出来ないのはわかっているはずなのに、温めなければ、という謎の使命感から、俺は更に春海を抱き締める。
「宇堂くん……」
「春海が……冷たくなってきてるんだ」
「大輝くん……」
「温めてやらないと。だって、また会えるって……」
「ダメだよ、宇堂くん!」
「あいつは、また会えるって言ったんだ!」
「もう、休ませてあげよう?春海ちゃん、私たちがくるまで頑張ってくれてたんだよ!?」
「だけど!!春海は!」
「大輝くん!!」
春喜さんが俺の体を押さえて春海から引き剥がし、野口と宮本がゆっくりと春海の体をベッドに戻した。
春海の体に触れた二人が冷たさを感じたのか、はっとした顔をしたをが見えた気がする。
看護士が、春海の衣服を直す。
以前感じたどす黒い感情が、俺の中に浸食していくのを確かに感じた。
人の死とは一体何なのか。
永遠の別れ。
これが一般的な認識なのだろう。
だが、あのいまわの際に春海は、また会えると言った。
あれが、俺もいつか死んで向こうで会えると言った様な意味にはどうしても思えなかった。
五日ほどが経過した今も、あいつが死んだということが信じられなかった。
目の前で冷たくなって行くのを感じたはずなのに。
ドッキリ大成功、とか看板持って現れるんじゃないかって。
そして俺は、逃げてしまった。
何から逃げたのかと言うと、彼女を見送ることから。
翌日に催された通夜、その翌日に執り行われた告別式。
そのいずれにも俺は出なかった。
部屋でずっと、うずくまっていた。
春海が死んだという事実を認めたくなくて、焼かれて灰になるのを見たくなくて。
子どもじみた我が儘を、無理やり通した。
野口や宮本、井原に良平、春海の両親、館長に奥さん。
その誰もが俺を説得しに部屋に来た。
しかし、言葉一つ発することなく。
俺は無言で全員を追い出した。
春喜さんや秀美さんも、無理やりに連れて行こうとはしなかった。
先生は呆れた様に食事だけは用意してくれていたが、それでも何も言わなかった。
井原、宮本、野口の三人からは何度もなじられ、殴られた。
井原なんかは俺を殺さんばかりの勢いで、良平と館長とで止める事態になった。
痛みはあるはずなのに、不思議と怒りの感情は湧いてこなかった。
春海の死から六日めの朝。
何故か思い立って、着替える。
ふと出かけたくなった。
何処をどう歩いているのか、よくわからないまま歩き続ける。
時刻はまだ八時過ぎ。
本当なら学校に行っている時間だ。
「ってぇな……」
何かにぶつかった感触があって、声がした。
振り返ると、二人組みの男がチャラチャラしたカッコで肩を押さえている。
一人は金髪で肩くらいまでの長さで、つり目っぽい。
もう一人は茶髪の短髪。狐っぽい目をしてる。
「おいおい、ぶつかっといて謝ることも出来ないの?」
これまたお決まりのセリフが聞こえてくる。
何だ、俺はいつの間にかドラマの世界にでも迷い込んだか?
「すみません」
ぶつかったのは本当なのだろうから、ととりあえず謝罪をする。
「何だそりゃ?謝る気あるのか?」
尚も食い下がってくる、こいつらを見ていたら何だか腹の奥から込み上げてくるものがあった。
先日の、どす黒い感情だろうか。
まぁ、何でもいい。
憂さ晴らしに付き合ってもらうことにしよう。
口元を歪め、俺は二人組の金髪の方を思い切り殴り飛ばした。
「あっ!?」
まだ無傷の茶髪が声を上げる。
「おま、いきなり!?」
「うるさいよ」
無傷の方の顔面を掴み、地面に引きずり倒して叩きつける。
悲鳴も上げず、気を失った様でピクリとも動かなくなる。
「ぐっ……いてて……」
殴り飛ばされた方がよろめきながら立ち上がってくる。
「お前、目がイってんぞ……この野郎!!」
言いながら殴りかかってくるその男の一撃をかわす。
何だよ、春海に比べたらあくびが出る遅さだな。
交わしながら、腹に回し蹴りを食らわせた。
バァン!と音がして、そのまま倒れる。
憂さ晴らしと言ったが、全然気は晴れなかった。
それから何度か似た様なことがあった。
まだ朝なのに元気なやつが多いな、と思った。
四、五組程度殴り飛ばしたところで、意外な顔に出会った。
「宇堂……」
「館長か、こないだぶりかな」
道場ではないため、私服の館長がいた。
見られていたんだろうか、面倒だな。
「お前、わざとああいう連中にふっかけたな?」
「いやいや、見てたんならわかるでしょ。偶然ですよ、ぐーぜん」
「原因は明らかだが……弟子の不始末は師匠がつけなければならないか」
「師匠……ね」
俺の中では、師匠は春海だ。
この人は俺の中ではあくまで空手道場の館長だ。
「あの動き、尋常ではなかった。強くなったのだな」
「かもな」
同時に動き、互いの拳が交錯した。
結果としては、俺は館長に負けた。
ほとんど飲まず食わずで六日もの間動かずいて、いきなりここまで動いたことが俺の枷になった。
「こい」
倒された俺は、館長に首根っこ掴まれて連れていかれた。
久し振りに見る道場。
思い出がそれなりにあるので、見るのは少し躊躇われた。
しかし、入ったのは道場ではなくその近くの館長の自宅だった。
「連れてきたぞ。こいつ、バカどもにケンカふっかけて回ってやがった。あと、多分腹減っているだろうから、何か食うもの用意してくれるか」
「大輝くん……」
憐れみの籠もった目で奥さんは俺を見た。
その視線から逃れる様に、俺は目を逸らす。
「まだ、受け入れられないか」
「…………」
俺は答えない。
不義理なことをしてるとは思う。
「言わなくてもわかると思うが……あんなことをするためにお前に空手を教えたわけじゃない」
「わかってるよ、そんなこと」
「なら、いい。もうやるなよ」
あっさりと館長は引いた。
もう何発か、殴られるかと思ったが。
「あり合わせで悪いけど……」
奥さんが食事を持ってきてくれた。
何故かチーズカレーに鶏の唐揚げが乗っている。
朝から食べるものとは思えなかったが、気付いたら皿を空にしてしまっていた。
「お腹空いてたのね」
「えっと……ご馳走さまでした」
自分でも、何をしているのかわからないまま食事を終えてしまう。
「宇堂、これを」
少しして、館長が俺に手紙を渡してきた。
女の子が使いそうな、ファンシーなデザインの封筒に入っている。
「……館長?」
「バカ。これはな、姫沢さんのご両親から預かったんだ。春海の遺品の中にあったそうだ」
春海の……。
「お前宛てだそうだぞ」
「そっか」
俺は、それを乱暴にポケットに入れる。
「読まないのか?」
「気分じゃない」
「そうか……」
「大輝くん……自分をしっかり持ってね」
奥さんは縋る様な目で、俺を見る。
この二人もまた、大分前にお子さんを亡くしている。
それだけに俺を放っておけないのだろう。
道場を後にしたところで、電話が鳴った。
ついでに時間を見ると、十時過ぎ。
着信元は野口だった。
出るのが、少し躊躇われる。
「宇堂くん、今何処!?」
いきなり緊迫感たっぷりだった。
何があったのか。
「家の……近所だけど」
「実は私と宮本さんも、近くまで来てるんだけど、追われてて……」
「は?お前何言って……」
「何かガラ悪い二人組にナンパっぽく声、かけられて……」
「宮本もそこにいるのか?」
「いるよ。あっ、きた!」
そう言うのと同時に、声が遠くなる。
「おい!どうした!どの辺にいるんだお前ら!」
返事はない。
手がかりになりそうなものが何もないので、動き様がない。
「ごめん宇堂くん、とりあえず撒いた……かな……」
ゼェゼェと音が聞こえる。
かなり走り回ったのだろうか。
「今どの辺なんだ?」
「何か、道場っぽいのが見え……あっ!」
野口の姿が見えた。
宮本も確かに一緒みたいだ。
何しにきたんだこいつら。
二人がこちらに走ってくる。
その後ろに、二人組の男が追ってきてるのが見えた。
「あれか……」
さっき殴り倒したやつらのうちの二人じゃないのか、こいつら。
いや、見覚えない顔だな。
「二人とも、ちょっと下がってろ」
俺の後ろに二人が下がったのを確認して、身構える。
やるか、と思った刹那。
俺の横を風が通り抜けた。
見ると、二人は宙を舞っている。
「うちの子どもに、何をしようと言うのか、バカものが!!」
「か、館長!?」
「お前は……さっき約束したことをもう忘れたのか、愚か者め」
勢いに乗った飛び蹴りで吹っ飛ばされた二人は、しばらく目を覚ましそうにない。
「そうは言うけど……こいつらが危なかったし」
「お前はもう少し、人を頼ることを覚えた方がいい。道場もすぐ近くだったしな」
人を頼るってことは、人に頼られるってこと。
俺は、頼られても大したことなんか出来やしない。
なのに何故そんな無責任なことができようか。
「宇堂くん、あなたは自分自身を低く評価しすぎてる」
「助けて助けられて、なんて友達なんだから当たり前なんだよ?」
「女の子にそこまで言わせてていいのか?」
普段あまり見せないニヤケ面で、館長が言う。
「悪かったよ……」
とりあえず館長に別れを告げ、二人を伴って歩く。
行き先もまだ決まっていないが、とりあえず館長からは離れたかった。
「それより、お前ら何しにきたんだよ。学校は?」
「宇堂くんがそれ言うの?」
「見ての通り、サボリに決まってるじゃない。用件は……」
「宇堂くん、デートしよう」
「は?」
デート?
俺が?
お前らと?
「いや俺金持ってきてねぇから」
そう言って足早に立ち去ろうとすると。
「じゃじゃーん」
野口が俺の財布を持っていた。
何故?
「何でお前がそれ持ってんの」
「先生に、会ってきたの」
「あいつ、財布も持ってってないみたいだから渡してやって、ってさ」
財布を乱暴に受け取り、俺は歩き出そうとした。
「よし、渡したな。用件済んだな、じゃ」
「はい、待った待った」
野口の腕が伸び、俺の肩を掴んで離さない。
何だよ、何処からこんな力……。
「姫沢さんから頼まれてるんだもの。いい加減、放っておくわけにはいかないわ」
春海……。
また黒いものが体の中を渦巻いていくのを感じる。
「いいよ、わかった。何処行くんだ?」
俺は、こいつらを少し脅かすことに決めた。
何処までこいつらが、俺にお節介なんか焼いていられるのか。
「ここで、初めて春海ちゃんに会ったんだったね」
何故か、春海や朋美とよく行ったデートコースを回っている3人。
メンバーは違うが、思い出すことが多い。
「これは何だ?新手の拷問か?」
正直今は思い出したくないことだらけで、実際は回るのも辛い。
「そんなんじゃないよ。辛いかもだけど、忘れてほしくなかったから」
余計なお世話だ。
本人は忘れていいって言った。
……本意かどうかはわからないけどな。
それに、忘れられるはずがない。
あいつがいたから、俺がいた。
そういう意味では、あいつがいた頃は俺も人を頼っていたんだと言える。
「なら、宇堂くんはこれから行きたいところある?」
「そうだな……」
二人に提案したのは、まず施設に一度戻ることだった。
先生に、同意書を書いてもらった。
それを持って、再び駅前へ。
携帯を扱っている店があるので、そこへ足を運んだ。
「え、まさか」
「ああ、今使ってるのは元々俺のじゃないしな」
手続きにかかった時間は、およそ四十分ほどだろうか。
機種代金は一括で支払った。
充電がやや心許ないが、派手に使ったりしなければ今日くらいは持つだろう。
「新しくアドレスも設定してある。二人とも、面倒かもしれないけど登録しておいてくれるか?」
「もう買っちゃった後にこんなこと聞くのも変だけど……本当にいいの?」
「いいんだ。メールは移行してもらったし、保護しておいた。画像データなんかも一通り移ってるはずだしな」
「そう……宇堂くんが決めたことなら、それでいいか」
春喜さんから渡されていた携帯の電源を切り、鞄にしまう。
「さて、次は少し遠いぞ。お前ら、疲れてないか?」
「大丈夫よ」
「私たちの若さをなめないでよね」
次に向かったのは、春海の家だった。
電車に乗って向かうわけだが、二人には行き先を告げていない。
「何処に行くの?」
「来ればわかる」
「そう……とりあえず何処でもついていくつもりではあるけど」
「何処でも?本当にか?」
「何よ、急に」
「いや別に」
こいつらが何処までついて来られるのか。
少し楽しみではある。
春海の家の最寄り駅に着いた。
「こっちだ」
「あ、ここって……」
「ああ、春海の……家があるところだ」
「姫沢さんの……大丈夫なの?」
「今じゃなきゃいけないってことはないが……早いに越したことはないだろう」
春喜さんに携帯を返しておかなければ。
次に来られるのはいつになるかわからないからな。
正直、ここについては思い出が多く、自分でもどうなるかわからない。
駅前にいる今でさえ、震えそうな足を必死で止めている様な状態だ。
「行くぞ……」
二人に声をかけて歩き出す。
二人は心配そうに俺を見るが、俺は構わず歩きだした。
「うん……」
春海の家までの道のりは、そう遠くないはずだったが……その距離が何キロにも感じられる。
空気を上手く吸うことが出来ない。
近づくにつれて、目の前がグラグラしている様な感覚に襲われた。
「宇堂くん?大丈夫?」
野口がフラついている俺を抱き止める。
こいつ、意外と力あるな……。
「……大丈夫だ。俺は、この現実を受け入れて前に進まないといけないんだ。だから……」
「まだ早いんじゃないの?顔、真っ青だよ……」
「ここで逃げたら、俺は二度とこの場所に来られない。そんな気がする」
「そうかもしれないけど……」
「野口さん、無駄よ。宇堂くんが自分で決めたことなんだもの。私たちに出来るのは、支えてあげることだけだわ」
「悪いな、二人とも……もし迷惑でなければ、力を貸してもらえると助かる」
「わ、わかったよ……」
吐き気がする。
おそらくは目眩なんかと連動しているのだろう。
精神的なダメージが、いかに大きいのかを物語っている。
「行こう……」
前までなら十分もかからなかったこの道を、実に三十分近くもかけて、春海の家の前に到着した。
車がない。
春喜さんは出掛けているのだろうか。
チャイムを押そうとする手が震える。
変な汗が噴き出してくるのを感じた。
「私が、押そうか?」
野口は優しいな。
俺を必死で支えてくれようとしているのがわかる。
「ダメ、野口さん。彼が自分でやらないと前には進めない」
「だけど……」
宮本も優しい。
時には突き放すことが必要であることを、理解している。
「宮本の言う通りだ。俺が自分でやることに意味がある。野口、気持ちだけ受け取るから。ありがとうな」
そう言うと何故か野口は顔を赤くしてそっぽを向いた。
それを見た宮本が、ムッとした顔をする。
「どうした?」
「何でもないわ……」
一体何なんだ。
気を取り直して、チャイムを押す。
返事を待つ。
どれほどの時間が経っただろう。
恐らく一分も経っていないだろう。
しかし、俺にはこの時間が永遠に感じてしまうほどに長く思えた。
「はい」
インターホンから女性の声がした。
秀美さんは在宅だった様だ。
「大輝です」
名乗ろうとしたそのとき、胃液が逆流してくるのがわかる。
危うく全てその場に吐き出してしまいそうになるのを、必死で堪えた。
「ちょっと、宇堂くん!?大丈夫!?」
二人が駆け寄ってくる。
「……大輝くん?大輝くんなの?」
「ぐっ……危なかった……」
「すみません、野口です。宇堂くんと宮本さんもいます」
身動きできない俺を見かねて、野口が代わりに名乗る。
「大輝くん……待ってて、今開けるから」
門が開き、中に誘われる。
俺は、本当にここに入ってもいいのだろうか。
ここまで来てしまっておいて、躊躇してしまう。
だが、もう引き返すことは出来ない。
まごついていると、秀美さんが出迎えてくれた。
「……凄い顔色!早く中に入って」
「すみません……」
促されるままに、中に入る。
変わっていないな、などと考えたがよく考えたら一週間足らずでそう変わるものでもないと、思い直した。
「宇堂くん、大丈夫なの?」
「ああ……ここまできて引き返せないだろ」
脂汗をかきながら居間に通される。
春海を見送ることを拒否し、逃げ出した俺を秀美さんは一言も責めたりなじったりしなかった。
「主人は今日は戻らないのよ。本当は休みのはずなんだけど、どうしても外せない仕事が入ったみたいで……」
「そうでしたか……」
「もしかして、携帯のこと?」
「ええ……俺がもっていてはいけないと思いまして。ロックも解除してあります。見られて困る様なデータもありませんから」
「あの人は多分、持っててくれって言うと思うけど……」
「今まで散々甘えさせてもらっていましたから。これは、俺なりのけじめの一つです」
吐き気を懸命に堪えて携帯を取り出し、秀美さんに手渡す。
「それから、俺の新しい番号とアドレスです。嫌でなければ、ですけど……登録しておいてください」
「嫌だなんてこと、あるわけないじゃない。私たちは二人とも、あなたを自分たちの子どもと思って接してきたわ。これからもそう。困ったらいつでも頼ってくれていいんだから」
「秀美さん……」
「春海のことは確かに悲しいし、受け入れ切れてない部分もあるけど…それでもあの子が大輝くんと引き合わせてくれたことは、ただの偶然だなんて思ってないの。私たちを少しでも思ってくれているなら、母や父と思って接してくれてもいいのよ」
この言葉が、建て前などではなく本心であることが何となくわかって、俺は逃げ出してしまったことを心から後悔した。
取り返しのつかない過ちだったと、理解した。
「すみません……すみませんでした……俺、怖くて……どうしても……」
「大丈夫だから……もう自分を責める時間は終わりにしましょう?あなたは十分苦しんだし、悲しんだ」
秀美さんは俺の頭を優しく抱きしめて言う。
自然と涙が零れてしまい、拭えども止まることがない。
春海が亡くなってから、俺は初めて泣いた。
野口と宮本の二人も、抱き合って泣いていた。
いつしか、吐き気は収まってしまっていた。
「春海に、会って行ってくれる?」
「……はい」
春海の部屋に通される。
入院する前と、ほとんど変わっていない。
「遺品だけ整理して、あとはそのままにしてあるの。そういえば、手紙は読んだ?」
存在自体忘れそうになっていた、ズボンのポケットの手紙。
思い出して取り出す。
『大好きな大輝へ。大輝がこの手紙を読んでるってことは、きっと私死んじゃったんだろうね。この手紙を書いているのは、四月の十五日。私の体調が少しずつおかしくなっているのには気付いてたから、何かしら形を残しておきたくて、在り来たりかなって思いつつも手紙にしたんだけど……変かな』
一枚目の冒頭にはこんなことが書いてある。
春海らしい文章だ。
『多分、私は誰にもこの病気のことは言わないし相談もしないと思う。だって、誰かに伝わったら学校に行けなくなっちゃう。それだけは嫌だって思った。大輝と一緒の高校行きたくて、そのために物凄く頑張ってくれた大輝の、その努力に少しでも報いたかったから。だから多少の苦しみとか痛みなんか気にならないよ。少し、夜眠れなくなったくらいかな』
続きが少し、悲痛な感じに思えた。
眠れなかったなら突然連絡してくれたって良かったのに。
俺はきっと疑いもせずに普通に相手してたと思う。
『けど、無理だってことは理解してるし、長くは続かないと思う。そうなってしまってからじゃきっと、身動き出来ない様になっちゃうかなって。だから今、手紙書いてるよ。ちょっと眠れなかったってのもあるんだけどね』
そうだな。
最後は自分で起き上がることも出来なかったよ、お前……。
『ただ、一つだけ言っておきたいことがあるの。これは他でもない私自身が自分で決めて、こうしたこと。大輝は優しいから、きっと自分を責めてるんじゃないかなって思う。自分に出来たことはもっとあったんじゃないか、とか考えてしまってるんじゃないかなって思う』
さすが、よくわかってるな。
俺はまだ、立ち直れてなんかいない。
『けど、この先私が死んでしまったことで、大輝に傷を持ってほしくない。死は確かに別れだし、寂しくもなると思う。私も、出来ることならこの先ずっと元気に大輝とやって行きたかった。だけど、こうなることはもう必然なの。理解して受け入れて、前に進んでほしい。多分私は、また会えるって言ったと思う。この言葉の意味を理解する日は、必ずくるよ。だからそれまでは……あまり気は進まないけど……私は嫉妬しちゃうけど、迷惑じゃなかったら、友達に大輝を託したい。私の友達なら大輝を、託せるから』
俺は、犬猫みたいなペットじゃねぇ。
そう心で思いながらこれまた春海らしいなと、口元が少し緩むのを感じる。
『最後に、今まで私のわがままに沢山付き合ってくれてありがとう。朋美のことも、忘れないであげて。目の前にいる人たちがあなたを求めることがあるなら、ちゃんと向き合ってあげてね。けど、私は多分世界で一番、あなたを、宇堂大輝を愛していた自信あるからね!大好きだよ!!』
文末に春海より、とサインが入っている。
読み終えて再び、涙が零れた。
「大輝くん宛てかも、と思ったんだけど……違ってたら悪いからと思って少し読んじゃったの、ごめんなさい」
秀美さんが深々と頭を下げる。
「そんな、やめて下さい!親として当然じゃないですか!頭上げて下さいよ、本当…」
そんなことされたら、俺の方こそ恐縮してしまう。
「何て書いてあったか、聞いていい?」
恐る恐る野口が口を開いた。
「あーっと……」
涙を拭って、少し考える。
これ、内容教えて大丈夫なのか?
「帰りに、教えてやるよ」
考えた末、秀美さんの前はさすがに、と思って帰りに教えることにした。
春海の遺影に線香を灯し、手を合わせる。
遺影の中の春海は、苦しみなど無縁なのであろう、笑顔だった。
墓前でも遺影の前でも、こんなことで死者へ思いは通じるのか?
疑問に思うことはある。
しかし形式的なものとは言え、やらないなんて不義理なことはもうしない。
そのあと、秀美さんから夕飯に誘われて久し振りに姫沢家で夕食を食べた。
以前の様に、頻繁にくることはもうないのだと思い、噛み締めて食べた。
「春喜さんにも、よろしくお伝えください。今度は予定を伺ってから来ると思いますので」
「わかったわ……大輝くん、来てくれてありがとう」
「いえ……こんな情けない俺を、許してくれたことこそ礼を言わなければならないところですから……」
「また、待ってるからね」
姫沢家を後にして、帰途につく。
「本当、無茶するよね宇堂くん」
「まぁ……いずれはやらないといけないことだったからな」
「見ていて、正直生きた心地がしなかったわ。冷や冷やした」
「だよな、すまない」
前に進む為に必要だと思ってはいたものの、想像を絶するものだったことに違いない。
俺じゃなく他の誰かがああなっていたら、俺も正気でいられた自信はなかった。
「ところで、聞きたいんだが」
「どうしたの?」
足を止めて二人の方へ向き直る。
「まず宮本」
「何かしら」
「宮本は、まだ俺のこと好きか?」
「は、はぁ!?何よいきなり!!」
「どうなんだ?」
「ど、どうって……察しなさいよ……ていうか、こんな時に……」
「はっきり言ってくれ」
「宇堂くん……?」
野口が訝しげに俺を見るが、その視線を無視して俺は答えを待つ。
「そ、それはその……」
パニック体質なのだろうか。
次第にしどろもどろになってしまっている。
「宇堂くん、今無理に聞かなくても……」
「必要なことなんだ。それとも野口には、今聞かれたらまずい理由でもあるのか?」
意地悪な質問だと思いながらも問う。
ある程度わかっている。
「そんなの、ない!ないよ!!」
この答えも、想定内だ。
「なら良いだろ?ちょっと黙っててくれよ」
野口は憮然としていたが、渋々黙る。
「さぁ宮本、聞かせてくれよ」
「それは……す、好き……」
と言いかけたその時。
「ちょーっと待ったぁぁぁぁぁぁあぁ!!」
かかった、と思った。
野口が全力で割り込んできた。
「ひどいよ!わかっててこんなことさせてるでしょ!!」
「は?何が?」
もちろんわかっている。
だが、必要なのでとぼける。
「だから……」
「だから?」
「ちょっと野口さん、今は私が……」
「ダメ!!私も、宇堂くんが好きなんだもん!!」
これでピースは揃った。
俺は勝利を確信して、心の中でほくそ笑んだ。
「そ、そうか。まぁ知ってたけど……」
「何なの!?もう!!今まだ言うつもりなかったのに!!どうしてくれるのさ!!」
ヒステリックに野口が叫ぶ。
こんな野口は見たことがない。
小さい女の子がプリプリと怒る様はちょっと可愛いと思った。
「まぁ待て。宮本は、言わなくていいのか?」
「……全く、何様なのかしら、この男……」
ごもっとも。
だがここで更に揺さぶりをかける。
「いや、言いたくないならいいんだが」
「待ちなさいよ、言うから!もう!!好きよ!!前から変わらず!!これで満足かしら!?」
ヤケクソになって、宮本も言う。
完璧だ。
「お前たちの気持ちは、わかったよ。とりあえず、これを読んでくれるか」
そこで俺は、春海の手紙を取り出した。
理由としては、内容を直接俺の口から言うのでは信憑性に欠ける部分があり、捏造も可能だからだ。
実物を見せてしまえば、否が応でも納得しないわけにいかなくなる。
「これ……読んでいいの?」
「ああ、読んでくれ」
二人は街灯の明かりを頼りに手紙を読んだ。
「……宇堂くん、愛されてたんだね」
「まぁな。けど、読んでほしいのはそこじゃない」
「わかってるよ……」
「要約すると、私たちが宇堂くんを求めるなら、って解釈で良いのかしら」
「まぁ、そうなるな。さすがに秀美さんの前でお前らにこんなことさせるわけに行かないし、だから帰りって言ったんだ」
「なるほど……事情は理解したよ。けど、求めるって……いいのかな」
「そうね……いえ、もちろんいらないってことじゃないけれど……」
「で、どうするんだお前ら」
「……私は」
野口が少し考えて口を開いた。
「私は、求めるよ、宇堂くんを。側で支えたい」
「そうか、わかった。宮本は?」
「けど待って、一つ聞かせて。朋美のことはどうするの?」
「今はどうしようもないだろ。少なくとも、卒業するまでは迎えに行くなんて不可能だ」
「だから、その間は好きな様に、ってこと?」
「言い方に引っかかりは感じるけど、大体そんなとこか。それに、春海の意志でもある」
「……わかった……ずっと続くのかとか、わからないもんね」
「そういうことだな。で、宮本はどうするんだ?」
「私……は……」
今度は急かしたりせず、答えを待つ。
俺が急かしたりして目論見が読まれてしまったら、それこそ意味がない。
「私も、宇堂くんがほしい」
「そうか、なら決まったな。これからも、俺の側にいてくれるか、二人とも」
「最低なお誘いだけど……仕方ないよね」
「二人同時に付き合わないと死ぬ病気か何かなのね、きっと」
なかなか辛辣な物言いだが、気持ちはわからないでもない。
「更に最低なお誘いをするつもりでいるんだが、着いてきてくれるか?」
場所は変わって駅前の……そういうホテル。
野口と宮本には、今日は帰れないって連絡を親に入れとく様言って、連絡済みだ。
私服できていた俺たちは、すんなりと入ることができた。
制服だったらヤバかったかもしれない。
本当なら三人で入ったりは出来ないらしいが、上手く目を欺くことが出来たか。
「さ、入れよ」
鍵を開けて、二人を先に行かせる。
俺が最後に中に入り、後ろ手に鍵を閉めた。
「ね、ねぇ、本気?」
宮本が不安そうに尋ねてきた。
「そりゃ、そういうところだしな、ここ。わかってて着いてきたんだろ?」
「それは、もちろんそうなんだけど……私、経験ないから……野口さんとちがって……」
「ちょっと!?私だって経験なんかないよ!!」
「それは失礼、てっきりもう経験済みかと思っていたわ」
「それはこっちのセリフだもん!宮本さん見た目は大人っぽいし、とっくに経験済みだと思ってた!」
「は?」
「あ?」
やめて!仲良くして!
「……お前らが未経験なのはわかってたからいいとして」
二人がはっとしてこっちを見る。
「そういうのは俺が教えてやるから、心配するなよ」
二人が揃って顔を赤くした。
「とりあえず、口でしてみるか?」
最低男再び。
ベッドに腰かけて、足を広げる。
「く、口でって……」
野口が目を白黒させる。
「お前なんかはそういうの散々想像してたんじゃないのか」
「失礼だね!……してたけど」
「素直なのはいいことだな」
「でも……私、キスもまだ未経験だし、順序ちょっと追うくらいしたい……かな……」
「私だってそうよ……」
「それもそうか、いきなり口で、なんて言って悪かったな。お前ら意外と乙女なんだな」
二人は何か言いたそうだったが俺は二人に歩み寄り、まずは野口にキスをした。
これくらいは、いいか。
舌で野口の口内を蹂躙する。
歯茎をなめ、舌を絡め……と俗に言う大人のキスをする。
野口は半分目が溶けてしまっている様に見えた。
それを見ていた宮本は、手で半分顔を隠している。
「宮本は、したくないか?」
「……嫌よ、私だけしないなんて、許さないから……」
「では」
野口の時と同じ様に、口内を蹂躙する。
さっき宮本が飲んでいた、ココアの味がした。
「んっ……んんん、んんー!!」
初めてのキスで口内を蹂躙されたのと、息継ぎのタイミングがわからなかったのか、苦しくなって宮本が口を離す。
初々しくていいね。
けど、本番はここからだ。
「さ、どっちからしてくれるんだ?二人同時でもいいぞ」
「く、口で……」
「私、やる……」
野口が意識を取り戻し、俺の目の前にきた。
さて、ここからが本番だ。
「そ、その……宇堂くんの、出してもらったり……できないの?」
「何言ってんだお前。春海も朋美も、口でって言ったら自分たちの手で取り出してたぞ?」
ほとんど嘘だが、これくらい言っておくのがいいだろう。
ハッタリも時には重要だ。
「宮本は?出来そうか?」
「ば、バカにしないで。これくらい……」
だが、言葉とは裏腹に宮本は手を出しかねている様子だ。
未経験者なのであれば、それが普通だろう。
「どうした?もうギブアップか?」
ここで種明かしをすれば、完璧だろう。
二人は手を出すことを躊躇って、少し震えて見えた。
「わかったか、俺と一緒にいるって、簡単なことじゃないんだよ。わかったら俺には近付くな」
冷たく言い放って、ベッドから立ち上がる。
そして、サイドテーブルに料金を置いて出ようとした時。
「逃がさないから」
後ろから声がして、ベッドに引きずり倒された。
衝撃に目の前が一瞬真っ赤になる。
「なっ……えっ!?」
訳がわからなかった。
勝利を、成功を確信していた。
こいつらは俺に愛想を尽かして、離れて行って……そんなイメージでいた。
「宮本さん、早く」
「任せて」
瞬く間に、ベッドに縛り付けられる。
ここまできて、何故俺は失敗した?
そのことばかりが頭を支配した。
「お、おい……」
「残念だったね。途中から、宇堂くんの企みは何となくわかってたよ」
「は!?そんなはずないだろ!?あれなら完璧に……あっ」
つい焦って口が滑る。
俺にはもう余裕がなかった。
「あなた、優しすぎるのよ。キスの仕方も、あの状況ならかなり乱暴にされるんじゃないかって、覚悟してたのに」
「ら、乱暴だったろ?」
「優しさしか感じなかった。ああ、思いやりみたいなのも感じたかな」
「け、経験ないって言ってたよな……そんなの、わかるもんなの?」
「経験のない私たちにすら、伝わるほど優しかったの。詰めの甘さが際立ったわね。」
そんなバカな。
俺の計画は完璧だったはずだ。
結果としてこいつらは、羞恥心に耐えかねて俺を軽蔑してくれる、そうなるはずだった。
「まるで、慈しむかの様なキスだったかな」
「買い被りってやつだろ……」
このままだと俺、どうなってしまうんだ?
まさかとは思うが……。
「……俺を、どうするつもりなんだ?」
「ここって、そういうことをするための場所、そうだよね?」
さっき自分で言い放った言葉を復唱される。
ということは……。
「口でしてほしいんだったっけ」
「いやそれは……」
「私たち、頑張るから。ちょっと勉強のために大人チャンネル流してみる?」
「お、おい、待て……無理するな」
「無理なんかしてないよ。じゃ、脱がすね」
「いやああああああああああああ!!!」
結果、一人の少年が二人の少女(処女)に襲われ、一晩中寝かせてももらえないという惨劇が起こることとなった。
一皮剥いてしまえば、真面目な女の子も学年トップも、メスなのだと思い知る、濃密な一夜。
俺は、生きて帰れるのだろうか。
普段ならそんなことなど考えず、むしろ安心して出られるはずの着信。
同時に降り出した雨が、殊更にそれを増幅させているのだろうか。
「もしもし……」
「大輝くん。今何処にいる?」
「施設の、近くです。帰りなので」
「そうか、ならすぐに合流出来そうだな……落ち着いて聞いてほしい」
ドクン、と心臓が跳ねる。
嫌だ、聞きたくない。
体が、心が続きを聞くことを拒絶する。
手が、足が、顎が、震える。
立っている事さえ辛い。
もう、やめてくれ。
「春海の容態が、急変した」
目の前が一瞬、暗くなった様な気がした。
街灯の光があるにも関わらず、目の前の暗さに俺は足元が危うくなるのを感じた。
十分程経った頃だろうか、うずくまって動けなくなった俺を、春喜さんが迎えにきてくれた。
手におかしな力でも入っていたのか、固まってしまって電話を手放すことができない。
右手で左手の指を一本ずつ剥がす。
「大輝くん、気持ちはわかるが、一つ頼みを聞いてもらえないか?」
「……何でしょう」
「春海の、大輝くんの友達に連絡を取ってもらえないか?」
「二人くらいしか捕まらないかもしれませんが……」
「それでもいい、頼む」
「わかりました、やってみます」
車の中でまず、野口に電話をかける。
野口はすぐ電話に出た。
事情を簡潔に説明すると、家からそう遠くないから、とすぐに直接向かう意志を示した。
次に宮本。
彼女は出るまでに十秒近くを要したが、それでも電話に出た。
宮本にも簡単に事情を説明する。
病院までそこそこ距離があるということで、詳細な住所を聞いて、春喜さんがナビに打ち込んで行く。
十五分程で到着できる位置の様だ。
宮本の家から二十分ほど……間に合うだろうか。
間に合う……俺はもう、春海が生存できる可能性を諦めてしまっているのか。
春海の、あの弱り切った姿を見て、まだ大丈夫だと思える人間がどれほどいるだろうか。
それでも、生きていてほしい。
これからまだ行きたいところ、やりたいこと、話したいこと、色々まだまだあるんだ。
まだまだまだまだ……。
春海がいなくなった後のことなんて、考えられない。
今までが一緒に居すぎた。
それがふっと居なくなってしまう。
最近の俺の不安の正体は、恐らくそのことへの恐怖。
単に誰かを失うというものではない、未知のものに対する恐怖だ。
「大輝くん?」
「あ……すみません」
「秀美を拾っていくよ」
「はい、わかりました」
「しっかりしてくれ。春海が今の大輝くんを見たらガッカリしてしまう」
「はい……そうですよね」
春喜さんの言う通りだ。
春喜さんだって、落ち着かないはずだ。
それを必死で噛み殺して、押し殺して、俺を病院に送り届けようとしてくれている。
「よし、大輝くん、少し詰めてくれるかい?」
「わかりました」
「ごめんなさいね」
「いえ……」
「さぁ、飛ばすよ。舌噛まない様にね」
宮本の家は春海の家ほどではないが、それなりに大きく立派な佇まいの旧家と言った感じの造りだった。
なるほど、良いところのお嬢さんなわけか。
後部座席が三人座ると狭くなってしまったので、秀美さんが助手席に移動した。
「二十分かかるってあるけど、半分で行こうと思う。シートベルトちゃんとしててね」
スピード違反を覚悟の上で、春喜さんは時間短縮しようと考えている様だ。
「大丈夫……なのかしらね」
「宮本はあんまり車得意じゃないのか」
「そうね、でも今はそんなこと言っている場合ではないもの。間に合うことを祈りましょう」
女は強い。何となくわかっていたが、宮本の強さを改めて見た気がする。
病院の明かりが、ぼんやりとだが見えてきた。
十分は無理だったが、十三分ほどで到着した。
途中パトカーとカーチェイスと言う様なことにも、運良くならなかった。
来客用の駐車場に手早く駐車し、俺たちは車を降りる。
誰からともなく走り出し、受付へ。
「すみません、連絡を受けました姫沢です」
春喜さんが受付に呼びかけると中から当直だろうか、看護士が出てきた。
「お待ちしていました、こちらへ……」
看護士がそう言って俺たちを案内しようとしたところで、野口も到着した。
「はぁ、はぁ……ごめん、チャリできたけどちょっと時間かかっちゃった……」
息も絶え絶えと言った様子だったが、構わずエレベーターに乗り込めと手を振る。
そして野口も乗り込んで、ドアが閉まった。
春海の病室がある階に着くまでの間、誰も口を開かなかった。
もはや誰もが覚悟を決めているのかもしれない。
覚悟が一番足りなかったのは、俺だろうと思う。
エレベーターの中に居る時間が、やたら長く感じた。
このまま着かなければ良いのに、などと考えてしまう。
そんな考えを嘲笑うかの様に、エレベーターのドアはその口を開け、俺たちを無情にも春海の病室へと誘う。
病室の前に着くと、既に中からは慌ただしい様子が伺えた。
当直の医師が何やら指示を出しているのだろうか。
入って良いのだろうか、と看護士を見ると、看護士がドアをノックした。
「開けます」
「いらっしゃいましたか!どうぞ中へ……春海さん、両親とお友達が見えましたよ!」
「大輝くん、どうした、中へ」
春喜さんが俺を促す。
足が、どうしても前に進まない。
この期に及んで、俺の体は、本能はビビってしまっている。
「ダメだ、入れない」
「……ちょっと」
「ダメだ」
再びうずくまってしまいそうになった、その時だった。
パァン!!という鋭い音と共に俺の左頬に熱がこもる。
殴られたのだと理解するまでに多少の時間を要した。
「しっかり、しなさいよ……!」
宮本が右手を抑えて言う。
宮本が、俺をひっぱたいたのか。
「姫沢さんの彼氏は誰!?姫沢さんが、今一番会いたいのは、間違いなくあなたよ!!そのあなたが、ここでへたり込んでしまっていていいの!?早く立ちなさい!!」
あまりの剣幕に気圧され、身動きできない。
その俺の様子を見かねたのか、宮本が再度近寄ってきた。
そして、俺の腕を取り無理やり立ち上がらせた。
「ちゃんと、自分の足で歩きなさい。あなたは、あなたの意志で彼女の前に立たないといけないの」
野口が俺の後ろに回る。
「宮本さん、手離していいよ」
言いながら俺の背中をドン、と押した。
突然のことに、俺はバランスを失い、ヨロヨロと病室に踏み込む。
「春海……」
「大輝、待ってた……」
弱々しく言う春海の、口の端に赤いものが滲んでいる。
血を吐いたのだろうか。
「パパ、ママ……野口さんに宮本さんも……」
「姫沢さん」
「ヘタレの彼氏を、連れてきたわ」
「大輝……は相変わらず……だね……」
「ごめん……」
「いいよ……ちゃんと、こうして……きてくれた」
春海は、俺に向かって左手を伸ばした。
その手は春海のものとは思えないほど細く、震えている。
俺も恐る恐る手を伸ばし、その手を掴む。
折れてしまわない様に、優しく掴む。
「大輝は……いつでも暖かいね……赤ちゃんみたい……」
「こんな時まで、そんなこと言えるのかよ……すげぇよやっぱお前……」
「パパ、ママ……」
「何だい?」
「とうしたの、春海」
「今までごめんね……沢山我が儘言ったと思う……」
息を切らしながら言い、深く息を吐いた。
「そんなの、全然構わなかったよ。春海は他の家庭の子に比べたら、手のかからない子だったから……」
「そうよ、逆に我慢させてたりしないか、心配だったんだから……」
両親もとうとう、涙に濡れた。
もはや我慢する必要はないと思ったのだろう。
「ありがとう、二人の子供で良かったよ……」
「春海……!」
二人は、声を我慢することなく泣いていた。
俺にも、そんな風に素直になれる強さがあれば……。
「野口さん……宮本さん……」
「何?何でも言って?」
「今まで仲良くしてくれて、ありがとう……凄く、楽しい時間……だった……」
「お互い様だよ!私だって、姫沢さんのおかげでどれだけ楽しかったか……」
「クラスで浮いていた私に……始めに話し掛けてくれたのは姫沢さんだった。その時から、私の高校生活は色を変えたわ。お礼を言わないといけないのは、私の方よ……」
「ありがとう……二人にお願い……」
「聞くよ、何でも!」
「大輝のこと、お願い……きっと……大輝は心を閉ざしちゃう瞬間があると思うから……二人なら、こじ開けてくれるよね……?」
「お前、こんな時なのに……俺の心配なんか……」
「こじ開けるよ!ぶっ壊してでも!」
「必ず、こじ開けて見せるわ」
野口と宮本の二人も、溢れる涙を止めることが出来ない様子だった。
俺が握っているのと反対側の、右手を二人で握る。
「最後に、大輝……」
「やめろよ、最後とか言うなよ……」
「大輝……抱き締めてもらっても……いいかな……」
その時まで横になっていた春海が、体を起こそうとする。
俺たちは手を離して見守るが、うまく体に力が入らないのかもしれない。
「……これで、いいか?」
野口と宮本に促され上半身だけ起こす形で、春海を抱き上げる。
「ずっと……こうしたかった……」
「バカ、そんなの俺もだよ……何ならお姫様抱っこだって……」
「ありがとう、もう十分……だって、また必ず会えるから……」
こないだもそんなこと言ってたけど、意味がわからない。
俺は今、お前と一緒にいたいんだよ。
やめろ、行くな。
まだ俺は何もしてやれていない。
これからのはずだろう、俺たち!
いずれの言葉も心に浮かぶのみで、口にしようとしても喉が詰まって言葉にならない。
「大輝……」
春海の腕から、体から。
力が抜けて行くのを感じた。
「大好き」
これが、彼女の最後の言葉になった。
最後の言葉だけは、今までの様な弱々しさがなく、はっきりと発音された。
その寝顔は、安らかと言えるのだろうか。
俺には笑顔に見えた。
俺が愛した、春海の笑顔。
「午後十一時二十三分、ご臨終です」
ドラマなんかでよく聞くセリフ。
本当に言うんだな、これ。
それまで騒がしく感じていた病室が、水を打った様に静かになった。
病室にすすり泣く声、機械の音と心電図のゼロを示す、鳴り止まない音だけが響く。
すっかりと力が抜けて、全体重が俺にかかっているはずなのに、こんなにも軽い。
お前、痩せすぎだろう。
前はこんなに軽くなかっただろ?
首が重力に負けたのか、ぶら下がる様な形になるのを、左腕で支える。
それまで、熱をそれなりに持っていたはずの春海の体から、熱がどんどん奪われていく。
もうどうにも出来ないのはわかっているはずなのに、温めなければ、という謎の使命感から、俺は更に春海を抱き締める。
「宇堂くん……」
「春海が……冷たくなってきてるんだ」
「大輝くん……」
「温めてやらないと。だって、また会えるって……」
「ダメだよ、宇堂くん!」
「あいつは、また会えるって言ったんだ!」
「もう、休ませてあげよう?春海ちゃん、私たちがくるまで頑張ってくれてたんだよ!?」
「だけど!!春海は!」
「大輝くん!!」
春喜さんが俺の体を押さえて春海から引き剥がし、野口と宮本がゆっくりと春海の体をベッドに戻した。
春海の体に触れた二人が冷たさを感じたのか、はっとした顔をしたをが見えた気がする。
看護士が、春海の衣服を直す。
以前感じたどす黒い感情が、俺の中に浸食していくのを確かに感じた。
人の死とは一体何なのか。
永遠の別れ。
これが一般的な認識なのだろう。
だが、あのいまわの際に春海は、また会えると言った。
あれが、俺もいつか死んで向こうで会えると言った様な意味にはどうしても思えなかった。
五日ほどが経過した今も、あいつが死んだということが信じられなかった。
目の前で冷たくなって行くのを感じたはずなのに。
ドッキリ大成功、とか看板持って現れるんじゃないかって。
そして俺は、逃げてしまった。
何から逃げたのかと言うと、彼女を見送ることから。
翌日に催された通夜、その翌日に執り行われた告別式。
そのいずれにも俺は出なかった。
部屋でずっと、うずくまっていた。
春海が死んだという事実を認めたくなくて、焼かれて灰になるのを見たくなくて。
子どもじみた我が儘を、無理やり通した。
野口や宮本、井原に良平、春海の両親、館長に奥さん。
その誰もが俺を説得しに部屋に来た。
しかし、言葉一つ発することなく。
俺は無言で全員を追い出した。
春喜さんや秀美さんも、無理やりに連れて行こうとはしなかった。
先生は呆れた様に食事だけは用意してくれていたが、それでも何も言わなかった。
井原、宮本、野口の三人からは何度もなじられ、殴られた。
井原なんかは俺を殺さんばかりの勢いで、良平と館長とで止める事態になった。
痛みはあるはずなのに、不思議と怒りの感情は湧いてこなかった。
春海の死から六日めの朝。
何故か思い立って、着替える。
ふと出かけたくなった。
何処をどう歩いているのか、よくわからないまま歩き続ける。
時刻はまだ八時過ぎ。
本当なら学校に行っている時間だ。
「ってぇな……」
何かにぶつかった感触があって、声がした。
振り返ると、二人組みの男がチャラチャラしたカッコで肩を押さえている。
一人は金髪で肩くらいまでの長さで、つり目っぽい。
もう一人は茶髪の短髪。狐っぽい目をしてる。
「おいおい、ぶつかっといて謝ることも出来ないの?」
これまたお決まりのセリフが聞こえてくる。
何だ、俺はいつの間にかドラマの世界にでも迷い込んだか?
「すみません」
ぶつかったのは本当なのだろうから、ととりあえず謝罪をする。
「何だそりゃ?謝る気あるのか?」
尚も食い下がってくる、こいつらを見ていたら何だか腹の奥から込み上げてくるものがあった。
先日の、どす黒い感情だろうか。
まぁ、何でもいい。
憂さ晴らしに付き合ってもらうことにしよう。
口元を歪め、俺は二人組の金髪の方を思い切り殴り飛ばした。
「あっ!?」
まだ無傷の茶髪が声を上げる。
「おま、いきなり!?」
「うるさいよ」
無傷の方の顔面を掴み、地面に引きずり倒して叩きつける。
悲鳴も上げず、気を失った様でピクリとも動かなくなる。
「ぐっ……いてて……」
殴り飛ばされた方がよろめきながら立ち上がってくる。
「お前、目がイってんぞ……この野郎!!」
言いながら殴りかかってくるその男の一撃をかわす。
何だよ、春海に比べたらあくびが出る遅さだな。
交わしながら、腹に回し蹴りを食らわせた。
バァン!と音がして、そのまま倒れる。
憂さ晴らしと言ったが、全然気は晴れなかった。
それから何度か似た様なことがあった。
まだ朝なのに元気なやつが多いな、と思った。
四、五組程度殴り飛ばしたところで、意外な顔に出会った。
「宇堂……」
「館長か、こないだぶりかな」
道場ではないため、私服の館長がいた。
見られていたんだろうか、面倒だな。
「お前、わざとああいう連中にふっかけたな?」
「いやいや、見てたんならわかるでしょ。偶然ですよ、ぐーぜん」
「原因は明らかだが……弟子の不始末は師匠がつけなければならないか」
「師匠……ね」
俺の中では、師匠は春海だ。
この人は俺の中ではあくまで空手道場の館長だ。
「あの動き、尋常ではなかった。強くなったのだな」
「かもな」
同時に動き、互いの拳が交錯した。
結果としては、俺は館長に負けた。
ほとんど飲まず食わずで六日もの間動かずいて、いきなりここまで動いたことが俺の枷になった。
「こい」
倒された俺は、館長に首根っこ掴まれて連れていかれた。
久し振りに見る道場。
思い出がそれなりにあるので、見るのは少し躊躇われた。
しかし、入ったのは道場ではなくその近くの館長の自宅だった。
「連れてきたぞ。こいつ、バカどもにケンカふっかけて回ってやがった。あと、多分腹減っているだろうから、何か食うもの用意してくれるか」
「大輝くん……」
憐れみの籠もった目で奥さんは俺を見た。
その視線から逃れる様に、俺は目を逸らす。
「まだ、受け入れられないか」
「…………」
俺は答えない。
不義理なことをしてるとは思う。
「言わなくてもわかると思うが……あんなことをするためにお前に空手を教えたわけじゃない」
「わかってるよ、そんなこと」
「なら、いい。もうやるなよ」
あっさりと館長は引いた。
もう何発か、殴られるかと思ったが。
「あり合わせで悪いけど……」
奥さんが食事を持ってきてくれた。
何故かチーズカレーに鶏の唐揚げが乗っている。
朝から食べるものとは思えなかったが、気付いたら皿を空にしてしまっていた。
「お腹空いてたのね」
「えっと……ご馳走さまでした」
自分でも、何をしているのかわからないまま食事を終えてしまう。
「宇堂、これを」
少しして、館長が俺に手紙を渡してきた。
女の子が使いそうな、ファンシーなデザインの封筒に入っている。
「……館長?」
「バカ。これはな、姫沢さんのご両親から預かったんだ。春海の遺品の中にあったそうだ」
春海の……。
「お前宛てだそうだぞ」
「そっか」
俺は、それを乱暴にポケットに入れる。
「読まないのか?」
「気分じゃない」
「そうか……」
「大輝くん……自分をしっかり持ってね」
奥さんは縋る様な目で、俺を見る。
この二人もまた、大分前にお子さんを亡くしている。
それだけに俺を放っておけないのだろう。
道場を後にしたところで、電話が鳴った。
ついでに時間を見ると、十時過ぎ。
着信元は野口だった。
出るのが、少し躊躇われる。
「宇堂くん、今何処!?」
いきなり緊迫感たっぷりだった。
何があったのか。
「家の……近所だけど」
「実は私と宮本さんも、近くまで来てるんだけど、追われてて……」
「は?お前何言って……」
「何かガラ悪い二人組にナンパっぽく声、かけられて……」
「宮本もそこにいるのか?」
「いるよ。あっ、きた!」
そう言うのと同時に、声が遠くなる。
「おい!どうした!どの辺にいるんだお前ら!」
返事はない。
手がかりになりそうなものが何もないので、動き様がない。
「ごめん宇堂くん、とりあえず撒いた……かな……」
ゼェゼェと音が聞こえる。
かなり走り回ったのだろうか。
「今どの辺なんだ?」
「何か、道場っぽいのが見え……あっ!」
野口の姿が見えた。
宮本も確かに一緒みたいだ。
何しにきたんだこいつら。
二人がこちらに走ってくる。
その後ろに、二人組の男が追ってきてるのが見えた。
「あれか……」
さっき殴り倒したやつらのうちの二人じゃないのか、こいつら。
いや、見覚えない顔だな。
「二人とも、ちょっと下がってろ」
俺の後ろに二人が下がったのを確認して、身構える。
やるか、と思った刹那。
俺の横を風が通り抜けた。
見ると、二人は宙を舞っている。
「うちの子どもに、何をしようと言うのか、バカものが!!」
「か、館長!?」
「お前は……さっき約束したことをもう忘れたのか、愚か者め」
勢いに乗った飛び蹴りで吹っ飛ばされた二人は、しばらく目を覚ましそうにない。
「そうは言うけど……こいつらが危なかったし」
「お前はもう少し、人を頼ることを覚えた方がいい。道場もすぐ近くだったしな」
人を頼るってことは、人に頼られるってこと。
俺は、頼られても大したことなんか出来やしない。
なのに何故そんな無責任なことができようか。
「宇堂くん、あなたは自分自身を低く評価しすぎてる」
「助けて助けられて、なんて友達なんだから当たり前なんだよ?」
「女の子にそこまで言わせてていいのか?」
普段あまり見せないニヤケ面で、館長が言う。
「悪かったよ……」
とりあえず館長に別れを告げ、二人を伴って歩く。
行き先もまだ決まっていないが、とりあえず館長からは離れたかった。
「それより、お前ら何しにきたんだよ。学校は?」
「宇堂くんがそれ言うの?」
「見ての通り、サボリに決まってるじゃない。用件は……」
「宇堂くん、デートしよう」
「は?」
デート?
俺が?
お前らと?
「いや俺金持ってきてねぇから」
そう言って足早に立ち去ろうとすると。
「じゃじゃーん」
野口が俺の財布を持っていた。
何故?
「何でお前がそれ持ってんの」
「先生に、会ってきたの」
「あいつ、財布も持ってってないみたいだから渡してやって、ってさ」
財布を乱暴に受け取り、俺は歩き出そうとした。
「よし、渡したな。用件済んだな、じゃ」
「はい、待った待った」
野口の腕が伸び、俺の肩を掴んで離さない。
何だよ、何処からこんな力……。
「姫沢さんから頼まれてるんだもの。いい加減、放っておくわけにはいかないわ」
春海……。
また黒いものが体の中を渦巻いていくのを感じる。
「いいよ、わかった。何処行くんだ?」
俺は、こいつらを少し脅かすことに決めた。
何処までこいつらが、俺にお節介なんか焼いていられるのか。
「ここで、初めて春海ちゃんに会ったんだったね」
何故か、春海や朋美とよく行ったデートコースを回っている3人。
メンバーは違うが、思い出すことが多い。
「これは何だ?新手の拷問か?」
正直今は思い出したくないことだらけで、実際は回るのも辛い。
「そんなんじゃないよ。辛いかもだけど、忘れてほしくなかったから」
余計なお世話だ。
本人は忘れていいって言った。
……本意かどうかはわからないけどな。
それに、忘れられるはずがない。
あいつがいたから、俺がいた。
そういう意味では、あいつがいた頃は俺も人を頼っていたんだと言える。
「なら、宇堂くんはこれから行きたいところある?」
「そうだな……」
二人に提案したのは、まず施設に一度戻ることだった。
先生に、同意書を書いてもらった。
それを持って、再び駅前へ。
携帯を扱っている店があるので、そこへ足を運んだ。
「え、まさか」
「ああ、今使ってるのは元々俺のじゃないしな」
手続きにかかった時間は、およそ四十分ほどだろうか。
機種代金は一括で支払った。
充電がやや心許ないが、派手に使ったりしなければ今日くらいは持つだろう。
「新しくアドレスも設定してある。二人とも、面倒かもしれないけど登録しておいてくれるか?」
「もう買っちゃった後にこんなこと聞くのも変だけど……本当にいいの?」
「いいんだ。メールは移行してもらったし、保護しておいた。画像データなんかも一通り移ってるはずだしな」
「そう……宇堂くんが決めたことなら、それでいいか」
春喜さんから渡されていた携帯の電源を切り、鞄にしまう。
「さて、次は少し遠いぞ。お前ら、疲れてないか?」
「大丈夫よ」
「私たちの若さをなめないでよね」
次に向かったのは、春海の家だった。
電車に乗って向かうわけだが、二人には行き先を告げていない。
「何処に行くの?」
「来ればわかる」
「そう……とりあえず何処でもついていくつもりではあるけど」
「何処でも?本当にか?」
「何よ、急に」
「いや別に」
こいつらが何処までついて来られるのか。
少し楽しみではある。
春海の家の最寄り駅に着いた。
「こっちだ」
「あ、ここって……」
「ああ、春海の……家があるところだ」
「姫沢さんの……大丈夫なの?」
「今じゃなきゃいけないってことはないが……早いに越したことはないだろう」
春喜さんに携帯を返しておかなければ。
次に来られるのはいつになるかわからないからな。
正直、ここについては思い出が多く、自分でもどうなるかわからない。
駅前にいる今でさえ、震えそうな足を必死で止めている様な状態だ。
「行くぞ……」
二人に声をかけて歩き出す。
二人は心配そうに俺を見るが、俺は構わず歩きだした。
「うん……」
春海の家までの道のりは、そう遠くないはずだったが……その距離が何キロにも感じられる。
空気を上手く吸うことが出来ない。
近づくにつれて、目の前がグラグラしている様な感覚に襲われた。
「宇堂くん?大丈夫?」
野口がフラついている俺を抱き止める。
こいつ、意外と力あるな……。
「……大丈夫だ。俺は、この現実を受け入れて前に進まないといけないんだ。だから……」
「まだ早いんじゃないの?顔、真っ青だよ……」
「ここで逃げたら、俺は二度とこの場所に来られない。そんな気がする」
「そうかもしれないけど……」
「野口さん、無駄よ。宇堂くんが自分で決めたことなんだもの。私たちに出来るのは、支えてあげることだけだわ」
「悪いな、二人とも……もし迷惑でなければ、力を貸してもらえると助かる」
「わ、わかったよ……」
吐き気がする。
おそらくは目眩なんかと連動しているのだろう。
精神的なダメージが、いかに大きいのかを物語っている。
「行こう……」
前までなら十分もかからなかったこの道を、実に三十分近くもかけて、春海の家の前に到着した。
車がない。
春喜さんは出掛けているのだろうか。
チャイムを押そうとする手が震える。
変な汗が噴き出してくるのを感じた。
「私が、押そうか?」
野口は優しいな。
俺を必死で支えてくれようとしているのがわかる。
「ダメ、野口さん。彼が自分でやらないと前には進めない」
「だけど……」
宮本も優しい。
時には突き放すことが必要であることを、理解している。
「宮本の言う通りだ。俺が自分でやることに意味がある。野口、気持ちだけ受け取るから。ありがとうな」
そう言うと何故か野口は顔を赤くしてそっぽを向いた。
それを見た宮本が、ムッとした顔をする。
「どうした?」
「何でもないわ……」
一体何なんだ。
気を取り直して、チャイムを押す。
返事を待つ。
どれほどの時間が経っただろう。
恐らく一分も経っていないだろう。
しかし、俺にはこの時間が永遠に感じてしまうほどに長く思えた。
「はい」
インターホンから女性の声がした。
秀美さんは在宅だった様だ。
「大輝です」
名乗ろうとしたそのとき、胃液が逆流してくるのがわかる。
危うく全てその場に吐き出してしまいそうになるのを、必死で堪えた。
「ちょっと、宇堂くん!?大丈夫!?」
二人が駆け寄ってくる。
「……大輝くん?大輝くんなの?」
「ぐっ……危なかった……」
「すみません、野口です。宇堂くんと宮本さんもいます」
身動きできない俺を見かねて、野口が代わりに名乗る。
「大輝くん……待ってて、今開けるから」
門が開き、中に誘われる。
俺は、本当にここに入ってもいいのだろうか。
ここまで来てしまっておいて、躊躇してしまう。
だが、もう引き返すことは出来ない。
まごついていると、秀美さんが出迎えてくれた。
「……凄い顔色!早く中に入って」
「すみません……」
促されるままに、中に入る。
変わっていないな、などと考えたがよく考えたら一週間足らずでそう変わるものでもないと、思い直した。
「宇堂くん、大丈夫なの?」
「ああ……ここまできて引き返せないだろ」
脂汗をかきながら居間に通される。
春海を見送ることを拒否し、逃げ出した俺を秀美さんは一言も責めたりなじったりしなかった。
「主人は今日は戻らないのよ。本当は休みのはずなんだけど、どうしても外せない仕事が入ったみたいで……」
「そうでしたか……」
「もしかして、携帯のこと?」
「ええ……俺がもっていてはいけないと思いまして。ロックも解除してあります。見られて困る様なデータもありませんから」
「あの人は多分、持っててくれって言うと思うけど……」
「今まで散々甘えさせてもらっていましたから。これは、俺なりのけじめの一つです」
吐き気を懸命に堪えて携帯を取り出し、秀美さんに手渡す。
「それから、俺の新しい番号とアドレスです。嫌でなければ、ですけど……登録しておいてください」
「嫌だなんてこと、あるわけないじゃない。私たちは二人とも、あなたを自分たちの子どもと思って接してきたわ。これからもそう。困ったらいつでも頼ってくれていいんだから」
「秀美さん……」
「春海のことは確かに悲しいし、受け入れ切れてない部分もあるけど…それでもあの子が大輝くんと引き合わせてくれたことは、ただの偶然だなんて思ってないの。私たちを少しでも思ってくれているなら、母や父と思って接してくれてもいいのよ」
この言葉が、建て前などではなく本心であることが何となくわかって、俺は逃げ出してしまったことを心から後悔した。
取り返しのつかない過ちだったと、理解した。
「すみません……すみませんでした……俺、怖くて……どうしても……」
「大丈夫だから……もう自分を責める時間は終わりにしましょう?あなたは十分苦しんだし、悲しんだ」
秀美さんは俺の頭を優しく抱きしめて言う。
自然と涙が零れてしまい、拭えども止まることがない。
春海が亡くなってから、俺は初めて泣いた。
野口と宮本の二人も、抱き合って泣いていた。
いつしか、吐き気は収まってしまっていた。
「春海に、会って行ってくれる?」
「……はい」
春海の部屋に通される。
入院する前と、ほとんど変わっていない。
「遺品だけ整理して、あとはそのままにしてあるの。そういえば、手紙は読んだ?」
存在自体忘れそうになっていた、ズボンのポケットの手紙。
思い出して取り出す。
『大好きな大輝へ。大輝がこの手紙を読んでるってことは、きっと私死んじゃったんだろうね。この手紙を書いているのは、四月の十五日。私の体調が少しずつおかしくなっているのには気付いてたから、何かしら形を残しておきたくて、在り来たりかなって思いつつも手紙にしたんだけど……変かな』
一枚目の冒頭にはこんなことが書いてある。
春海らしい文章だ。
『多分、私は誰にもこの病気のことは言わないし相談もしないと思う。だって、誰かに伝わったら学校に行けなくなっちゃう。それだけは嫌だって思った。大輝と一緒の高校行きたくて、そのために物凄く頑張ってくれた大輝の、その努力に少しでも報いたかったから。だから多少の苦しみとか痛みなんか気にならないよ。少し、夜眠れなくなったくらいかな』
続きが少し、悲痛な感じに思えた。
眠れなかったなら突然連絡してくれたって良かったのに。
俺はきっと疑いもせずに普通に相手してたと思う。
『けど、無理だってことは理解してるし、長くは続かないと思う。そうなってしまってからじゃきっと、身動き出来ない様になっちゃうかなって。だから今、手紙書いてるよ。ちょっと眠れなかったってのもあるんだけどね』
そうだな。
最後は自分で起き上がることも出来なかったよ、お前……。
『ただ、一つだけ言っておきたいことがあるの。これは他でもない私自身が自分で決めて、こうしたこと。大輝は優しいから、きっと自分を責めてるんじゃないかなって思う。自分に出来たことはもっとあったんじゃないか、とか考えてしまってるんじゃないかなって思う』
さすが、よくわかってるな。
俺はまだ、立ち直れてなんかいない。
『けど、この先私が死んでしまったことで、大輝に傷を持ってほしくない。死は確かに別れだし、寂しくもなると思う。私も、出来ることならこの先ずっと元気に大輝とやって行きたかった。だけど、こうなることはもう必然なの。理解して受け入れて、前に進んでほしい。多分私は、また会えるって言ったと思う。この言葉の意味を理解する日は、必ずくるよ。だからそれまでは……あまり気は進まないけど……私は嫉妬しちゃうけど、迷惑じゃなかったら、友達に大輝を託したい。私の友達なら大輝を、託せるから』
俺は、犬猫みたいなペットじゃねぇ。
そう心で思いながらこれまた春海らしいなと、口元が少し緩むのを感じる。
『最後に、今まで私のわがままに沢山付き合ってくれてありがとう。朋美のことも、忘れないであげて。目の前にいる人たちがあなたを求めることがあるなら、ちゃんと向き合ってあげてね。けど、私は多分世界で一番、あなたを、宇堂大輝を愛していた自信あるからね!大好きだよ!!』
文末に春海より、とサインが入っている。
読み終えて再び、涙が零れた。
「大輝くん宛てかも、と思ったんだけど……違ってたら悪いからと思って少し読んじゃったの、ごめんなさい」
秀美さんが深々と頭を下げる。
「そんな、やめて下さい!親として当然じゃないですか!頭上げて下さいよ、本当…」
そんなことされたら、俺の方こそ恐縮してしまう。
「何て書いてあったか、聞いていい?」
恐る恐る野口が口を開いた。
「あーっと……」
涙を拭って、少し考える。
これ、内容教えて大丈夫なのか?
「帰りに、教えてやるよ」
考えた末、秀美さんの前はさすがに、と思って帰りに教えることにした。
春海の遺影に線香を灯し、手を合わせる。
遺影の中の春海は、苦しみなど無縁なのであろう、笑顔だった。
墓前でも遺影の前でも、こんなことで死者へ思いは通じるのか?
疑問に思うことはある。
しかし形式的なものとは言え、やらないなんて不義理なことはもうしない。
そのあと、秀美さんから夕飯に誘われて久し振りに姫沢家で夕食を食べた。
以前の様に、頻繁にくることはもうないのだと思い、噛み締めて食べた。
「春喜さんにも、よろしくお伝えください。今度は予定を伺ってから来ると思いますので」
「わかったわ……大輝くん、来てくれてありがとう」
「いえ……こんな情けない俺を、許してくれたことこそ礼を言わなければならないところですから……」
「また、待ってるからね」
姫沢家を後にして、帰途につく。
「本当、無茶するよね宇堂くん」
「まぁ……いずれはやらないといけないことだったからな」
「見ていて、正直生きた心地がしなかったわ。冷や冷やした」
「だよな、すまない」
前に進む為に必要だと思ってはいたものの、想像を絶するものだったことに違いない。
俺じゃなく他の誰かがああなっていたら、俺も正気でいられた自信はなかった。
「ところで、聞きたいんだが」
「どうしたの?」
足を止めて二人の方へ向き直る。
「まず宮本」
「何かしら」
「宮本は、まだ俺のこと好きか?」
「は、はぁ!?何よいきなり!!」
「どうなんだ?」
「ど、どうって……察しなさいよ……ていうか、こんな時に……」
「はっきり言ってくれ」
「宇堂くん……?」
野口が訝しげに俺を見るが、その視線を無視して俺は答えを待つ。
「そ、それはその……」
パニック体質なのだろうか。
次第にしどろもどろになってしまっている。
「宇堂くん、今無理に聞かなくても……」
「必要なことなんだ。それとも野口には、今聞かれたらまずい理由でもあるのか?」
意地悪な質問だと思いながらも問う。
ある程度わかっている。
「そんなの、ない!ないよ!!」
この答えも、想定内だ。
「なら良いだろ?ちょっと黙っててくれよ」
野口は憮然としていたが、渋々黙る。
「さぁ宮本、聞かせてくれよ」
「それは……す、好き……」
と言いかけたその時。
「ちょーっと待ったぁぁぁぁぁぁあぁ!!」
かかった、と思った。
野口が全力で割り込んできた。
「ひどいよ!わかっててこんなことさせてるでしょ!!」
「は?何が?」
もちろんわかっている。
だが、必要なのでとぼける。
「だから……」
「だから?」
「ちょっと野口さん、今は私が……」
「ダメ!!私も、宇堂くんが好きなんだもん!!」
これでピースは揃った。
俺は勝利を確信して、心の中でほくそ笑んだ。
「そ、そうか。まぁ知ってたけど……」
「何なの!?もう!!今まだ言うつもりなかったのに!!どうしてくれるのさ!!」
ヒステリックに野口が叫ぶ。
こんな野口は見たことがない。
小さい女の子がプリプリと怒る様はちょっと可愛いと思った。
「まぁ待て。宮本は、言わなくていいのか?」
「……全く、何様なのかしら、この男……」
ごもっとも。
だがここで更に揺さぶりをかける。
「いや、言いたくないならいいんだが」
「待ちなさいよ、言うから!もう!!好きよ!!前から変わらず!!これで満足かしら!?」
ヤケクソになって、宮本も言う。
完璧だ。
「お前たちの気持ちは、わかったよ。とりあえず、これを読んでくれるか」
そこで俺は、春海の手紙を取り出した。
理由としては、内容を直接俺の口から言うのでは信憑性に欠ける部分があり、捏造も可能だからだ。
実物を見せてしまえば、否が応でも納得しないわけにいかなくなる。
「これ……読んでいいの?」
「ああ、読んでくれ」
二人は街灯の明かりを頼りに手紙を読んだ。
「……宇堂くん、愛されてたんだね」
「まぁな。けど、読んでほしいのはそこじゃない」
「わかってるよ……」
「要約すると、私たちが宇堂くんを求めるなら、って解釈で良いのかしら」
「まぁ、そうなるな。さすがに秀美さんの前でお前らにこんなことさせるわけに行かないし、だから帰りって言ったんだ」
「なるほど……事情は理解したよ。けど、求めるって……いいのかな」
「そうね……いえ、もちろんいらないってことじゃないけれど……」
「で、どうするんだお前ら」
「……私は」
野口が少し考えて口を開いた。
「私は、求めるよ、宇堂くんを。側で支えたい」
「そうか、わかった。宮本は?」
「けど待って、一つ聞かせて。朋美のことはどうするの?」
「今はどうしようもないだろ。少なくとも、卒業するまでは迎えに行くなんて不可能だ」
「だから、その間は好きな様に、ってこと?」
「言い方に引っかかりは感じるけど、大体そんなとこか。それに、春海の意志でもある」
「……わかった……ずっと続くのかとか、わからないもんね」
「そういうことだな。で、宮本はどうするんだ?」
「私……は……」
今度は急かしたりせず、答えを待つ。
俺が急かしたりして目論見が読まれてしまったら、それこそ意味がない。
「私も、宇堂くんがほしい」
「そうか、なら決まったな。これからも、俺の側にいてくれるか、二人とも」
「最低なお誘いだけど……仕方ないよね」
「二人同時に付き合わないと死ぬ病気か何かなのね、きっと」
なかなか辛辣な物言いだが、気持ちはわからないでもない。
「更に最低なお誘いをするつもりでいるんだが、着いてきてくれるか?」
場所は変わって駅前の……そういうホテル。
野口と宮本には、今日は帰れないって連絡を親に入れとく様言って、連絡済みだ。
私服できていた俺たちは、すんなりと入ることができた。
制服だったらヤバかったかもしれない。
本当なら三人で入ったりは出来ないらしいが、上手く目を欺くことが出来たか。
「さ、入れよ」
鍵を開けて、二人を先に行かせる。
俺が最後に中に入り、後ろ手に鍵を閉めた。
「ね、ねぇ、本気?」
宮本が不安そうに尋ねてきた。
「そりゃ、そういうところだしな、ここ。わかってて着いてきたんだろ?」
「それは、もちろんそうなんだけど……私、経験ないから……野口さんとちがって……」
「ちょっと!?私だって経験なんかないよ!!」
「それは失礼、てっきりもう経験済みかと思っていたわ」
「それはこっちのセリフだもん!宮本さん見た目は大人っぽいし、とっくに経験済みだと思ってた!」
「は?」
「あ?」
やめて!仲良くして!
「……お前らが未経験なのはわかってたからいいとして」
二人がはっとしてこっちを見る。
「そういうのは俺が教えてやるから、心配するなよ」
二人が揃って顔を赤くした。
「とりあえず、口でしてみるか?」
最低男再び。
ベッドに腰かけて、足を広げる。
「く、口でって……」
野口が目を白黒させる。
「お前なんかはそういうの散々想像してたんじゃないのか」
「失礼だね!……してたけど」
「素直なのはいいことだな」
「でも……私、キスもまだ未経験だし、順序ちょっと追うくらいしたい……かな……」
「私だってそうよ……」
「それもそうか、いきなり口で、なんて言って悪かったな。お前ら意外と乙女なんだな」
二人は何か言いたそうだったが俺は二人に歩み寄り、まずは野口にキスをした。
これくらいは、いいか。
舌で野口の口内を蹂躙する。
歯茎をなめ、舌を絡め……と俗に言う大人のキスをする。
野口は半分目が溶けてしまっている様に見えた。
それを見ていた宮本は、手で半分顔を隠している。
「宮本は、したくないか?」
「……嫌よ、私だけしないなんて、許さないから……」
「では」
野口の時と同じ様に、口内を蹂躙する。
さっき宮本が飲んでいた、ココアの味がした。
「んっ……んんん、んんー!!」
初めてのキスで口内を蹂躙されたのと、息継ぎのタイミングがわからなかったのか、苦しくなって宮本が口を離す。
初々しくていいね。
けど、本番はここからだ。
「さ、どっちからしてくれるんだ?二人同時でもいいぞ」
「く、口で……」
「私、やる……」
野口が意識を取り戻し、俺の目の前にきた。
さて、ここからが本番だ。
「そ、その……宇堂くんの、出してもらったり……できないの?」
「何言ってんだお前。春海も朋美も、口でって言ったら自分たちの手で取り出してたぞ?」
ほとんど嘘だが、これくらい言っておくのがいいだろう。
ハッタリも時には重要だ。
「宮本は?出来そうか?」
「ば、バカにしないで。これくらい……」
だが、言葉とは裏腹に宮本は手を出しかねている様子だ。
未経験者なのであれば、それが普通だろう。
「どうした?もうギブアップか?」
ここで種明かしをすれば、完璧だろう。
二人は手を出すことを躊躇って、少し震えて見えた。
「わかったか、俺と一緒にいるって、簡単なことじゃないんだよ。わかったら俺には近付くな」
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「宮本さん、早く」
「任せて」
瞬く間に、ベッドに縛り付けられる。
ここまできて、何故俺は失敗した?
そのことばかりが頭を支配した。
「お、おい……」
「残念だったね。途中から、宇堂くんの企みは何となくわかってたよ」
「は!?そんなはずないだろ!?あれなら完璧に……あっ」
つい焦って口が滑る。
俺にはもう余裕がなかった。
「あなた、優しすぎるのよ。キスの仕方も、あの状況ならかなり乱暴にされるんじゃないかって、覚悟してたのに」
「ら、乱暴だったろ?」
「優しさしか感じなかった。ああ、思いやりみたいなのも感じたかな」
「け、経験ないって言ってたよな……そんなの、わかるもんなの?」
「経験のない私たちにすら、伝わるほど優しかったの。詰めの甘さが際立ったわね。」
そんなバカな。
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「いやああああああああああああ!!!」
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