『伝想家』 ~匠の技の守り人~

光り輝く未来

文字の大きさ
14 / 33

ラヴ・ソング

しおりを挟む

 その週末、駅前のビルの2階にある千円理容室に行った。
 二人がカット中で、三人が椅子に座って順番待ちをしていた。
 退職者世代らしき男性が二人と七三分けのサラリーマン風中年男性が一人だった。

 この店は初めてだったので店内を観察すると、中年の男性と自分よりも若そうな女性の理容師が無言で髪を切っていて、待っている客はその施術を観察するようにジーっと見ていた。

 何気なく後ろを見ると、そこは荷物を置くためなのか、ホームセンターで売っているような棚がしつらえてあった。
 荷物はなかったが、スポーツ新聞1紙と週刊誌1誌が無造作に置かれていた。
 わたしは週刊誌を手に取って、読むでもなくページをパラパラとめくった。
 すると、新刊本の書評ページが現れ、同じ頃にデビューした作家の本が激賞されていた。
 ふ~ん、となんの感慨もなく読み進めていくと、その下にある小さな囲い広告が目に留まった。
『新人男性デュオのデビュー曲の歌詞募集』
 賞金は50万円。
 印税は1.5パーセントと書かれてあった。

 歌詞か~、 

 思わず呟きが出ると、昔の自分が蘇ってきて、作詞した曲がヒットした時のことを思い出した。
 しかし、それは過去完了であり現在進行形ではない。
 頭からそれを消してページをめくり、また読むともなく、めくり続けた。

 少しして順番が来たので、週刊誌を棚に戻し、バーバーチェアに腰を下ろした。
 そして、女性理容師に「全体的に1か月分ほど切ってください」と伝えて、目を瞑った。

 店内に流れるBGMに耳を傾けていると、懐かしい歌謡曲が流れてきた。
 有線放送だろうか、よく知っている曲だったので、心の中でフンフンとメロディーを追った。

 その曲が終わると、すぐに次の曲のイントロが流れてきた。
 その瞬間、心臓が止まりそうになった。

 ウソだろう! 

 なんと、わたしが作詞した曲だった。
 聴いているうちに体の芯が熱くなり、止まりかけた心臓が活発に動き始めてドキドキしてきた。

 こんなことって……、

 握りしめた掌には汗をかいていた。
 すると、突然、理容師が何か言った。
 頭には何も入ってこなかったが、カットが終わったようだった。
 手鏡に映る襟足えりあしをぼんやりと見つめながら曖昧あいまいに頷くと、吸引機のようなもので切った髪の毛を吸い取り、刷毛はけのようなもので頭を、ネックペーパーで顔をきれいにしてくれた。

「ありがとう」と礼を言って店を出たが、階段を下りる間もまだボーっとしていた。
 あのメロディーが頭の中で鳴り続けて、離れようとしなかったからだ。

 それは商店街を歩いている時も続き、夢遊病者になったかのようだった。
 しかし、突然足が止まった。
 右側に小さな書店が見えたからだ。
『未来書店』
 目が離せなくなったわたしは吸い寄せられるように中に入り、導かれるように週刊誌のコーナーに向かった。

 あの週刊誌があった。
 さっそく手に取って、ページをめくると、新刊本の書評ページが現れた。
 すぐさま、あの囲み広告を確認した。
 そして、急いでレジに持っていって、お金を払った。

        *

 アパートに帰って、すぐに募集要項を読み返した。
 賞金は50万円。
 印税は1.5パーセント。
 オーディションに合格した18歳の男性二人組のデビュー曲で、発売は11月予定と書かれていた。

 作曲家は決まっていた。
 バラード調の曲が得意な、よく知っている作曲家だった。
『しっとりと歌い上げる、哀愁のあるラヴ・ソング』
 それが、歌詞に求められる条件だった。

 しっとりと歌い上げる、哀愁のあるラヴ・ソングか……、

 口に出して確かめた。

 作れるだろうか? 
 小説家だった時のように作れるだろうか? 

 一瞬、不安が過ったが、誰かが、そして、何かが、ヤレ! と強く押した。

 目を瞑ると、結城の顔が浮かんできて、プレミアム・シリーズが入った紙袋を受け取った時の嬉しそうな表情がはっきりと見えた。
 その瞬間、作れるかどうかではなく、作らなければならないと思った。
 今の給料ではプレミアム・シリーズが買えないだけでなく、結城を幸せにすることができないからだ。
 居ても立ってもいられなくなって、部屋の隅に置いていた仕事用のバッグから取材用のノートを取り出し、3ページ分破って、ボールペンを走らせた。
 晩秋漂う街を思い浮かべながら、
 枯葉の舞い散る公園のベンチを思い浮かべながら、
 結城への想いを綴っていった。


        ♪  ♪

『日暮れ』     作詞:高夢才叶

 日暮れのこの街、ざわめく人ごみの中を
 何も言えなくて歩いてた二人
 かすかに震える、あなたの小さなその肩に
 手をまわした時、微笑みが伝わる

  静かな時の流れに、優しく抱かれながら
 言葉にならない愛を、探し続けた

 さよなら、なんてもう、言えない僕にはもうとても
 あなたのぬくもりに、包まれているから

 一人の寂しい過去を、優しく癒してくれる
 そんなあなたの心が、日暮れの中で……

 見つめる二人の、瞳にお互いの姿が
 重なる時いつか、あの空に煌めく星屑

 誰もいない寂しい街の、夜は冷たい、だから二人肩寄せて
 これから始まる僕と、あなたの愛の歴史を夢見て、いつまでも二人で
 夜明けが来るまでここで、何も言わずただ見つめていよう、今は……

 枯葉の舞い散る、あたりはもうすぐ冬景色
 夜の闇が深く、包み込む日暮れのひと時 

        ♪  ♪
 

 本名での応募に躊躇ちゅうちょしたわたしは、ペンネームを考えた。
 色々な案を考えたが、ある日、本名の漢字〈才〉〈高〉〈叶〉〈夢〉を組み替えることを思いついた。
 高夢才叶。
 その瞬間、新しい一歩を踏みだせそうな予感がしてきた。

 受賞作の発表は応募締切日から3か月後だったが、応募したその日から受賞を信じて強く願った。
 夜寝る前、朝起きた時、家を出るとき、家に帰った時、1日に何度も受賞を願い続けた。
 毎日、毎日、願い続けた。
 他の応募者より1回でも多く願えば自分が受賞すると信じて、願った。
 だから、最後の1か月は1日に50回願うことを自分に課した。
 そして、発表前日には1日に100回願った。

 わたしの願いよ、叶え!

 魂の叫びを音楽制作会社のある方角へ放った。

        *

 発表予定日の日曜日が来た。
 落ち着かない午前中を過ごしたあと、カツカレーを買うためにスーパーへ行った。
 必勝を期すためになんとしても食べたかったが、残念ながら棚にはなかった。

 がっかりした。
 それに、嫌な予感がした。
 悪いことが起こる前触れのような気がして、気持ちが沈んだ。
 それでもそんな暗示に振り回されていたら運気が下がると思い直して、代わりのものを探した。
 すると、アジフライが目に止まった。
 分厚くておいしそうだったので、ざるそばを合わせることにした。

 売場に行くと、乾麺と生麺が並んでいた。
 いつもは安い乾麺を買うのだが、それでは良い結果は得られないと思って、生麺に決めた。

 アパートに戻って、ざるそばを湯がき、冷水で洗って、よく水を切って、皿に盛った。
 そして、そばの上にワサビをちょんと付けて、一口すすった。

 う~ん、旨い! 

 乾麺とは風味が違っていた。

 少しリッチな気分になったので、すぐにアジフライに味ぽんをかけて食べた。
 すると、肉厚の身が口の中を満たして、至極しごくを連れてきた。

 たまらんな~、

 思わず独り言ちた。

 食べ終わって、残ったつゆにそば湯を足した。
 すするように飲むと丁度いい塩梅あんばいで、思わず頬が緩んだ。

 13時になった。
 電話がいつ来てもいいようにトイレでオシッコを絞り出してから、ちゃぶ台の前に座って、台の上に置いたスマホに向かって両手を合わせた。

 受賞しますように!

 正座をしたまま、何度も祈った。
 祈り続けた。

 しかし、1時間経っても、2時間経っても、夕方になっても、スマホは無言を貫いた。

 そりゃそうだよな~、そんな簡単に受賞できるわけないよな~、

 受かることしか考えていなかったわたしは自分の単純な思考回路に苦笑するしかなかった。
 これ以上待っても仕方がないので、タオルと下着を持って銭湯に向かった。

        *

 番台に座る顔見知りのおばちゃんに460円を渡して脱衣所に入ると、白髪のお爺ちゃん二人がパンツを脱いでいた。
 その近くでは太った中年のおじさんがフルチンで扇風機の前に立っていた。
 わたしは三人を見ないようにして浴室のドアを開けた。

 風呂椅子にシャワーをかけて、タオルで拭いてから座り、髪の毛を洗ってから体を洗った。
 かけ湯をしてすぐに浴槽に浸かる人が多いようだが、わたしは全身をきれいにしてからジェットバスに入って、心ゆくまで刺激を楽しむ。
 そして、肩も背中もお腹も満遍まんべんなくブルブルさせて、気持ちよくなったところで温めのお湯に浸かれば、もう何も言うことがない。

 あとは冷たい牛乳を1本飲めば完璧だ。
 さっと体をふいて、パンツいっちょでごくごくと喉に流し込むと、いつものように極楽至極の世界がやってきた。

「今日も気持ちよかったです」

 番台のおばちゃんに会釈えしゃくをして、健康優良児のような顔になってアパートへの道をゆっくり歩くと、月は満月、風はビロードで、思わず鼻歌が出てしまった。

 しかし、ドアを開けた瞬間、変な音に気づいて、身構えた。
 低い唸り声のようなものが聞こえるのだ。

 なんだ? 

 恐る恐る音のする方へ近づくと、ちゃぶ台の上でスマホが唸っていた。
 慌てて手に取ろうとしたが、掌に納まらず、畳の上に落としてしまった。
 すぐに拾って、応答操作をして耳に当てたが、既に切れていた。
 画面には知らない番号が表示されていた。

 もしかして……、

 その番号を検索すると、音楽制作会社の番号だということがわかった。

 かけてみようか、

 しかし、躊躇った。

 もう少し待ってみよう、

 スマホをちゃぶ台の上に置いて、その前に正座した。

 30分待ってしびれが切れたので、思い切って電話をかけた。
 すぐに繋がった。
 用件を告げると、「しばらくお待ちください」と言われたが、1分も経たないうちに男性の声が聞こえた。

「何度もかけたのですが、お出にならなくて」

 スマホを耳に当てたまま、わたしは深くお辞儀をした。
 自分以外、誰もいない狭い部屋で深くお辞儀をした。
 顔が紅潮しているのが自分でもわかった。
 しかし、スマホをテーブルに戻した瞬間、現実感が遠のいた。

 本当? 
 本当に本当?

 俄かには信じられなくて、頬をつねった。

 痛かった。
 かなり痛かった。
 夢ではなく、本当だった。
 わたしが応募した歌詞が新人デュオのデビュー曲に採用されたのだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

【ラスト4話!】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』

M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。 舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。 80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。 「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。 「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。 日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。 過去、一番真面目に書いた作品となりました。 ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。 全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。 それでは「よろひこー」! (⋈◍>◡<◍)。✧💖 追伸 まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。 (。-人-。)

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生
現代文学
なんだか優しいお話が書きたくなって、連載始めました。 保護猫「ジン」が、時間と空間を超えて見守り語り続けた「柊家」の人々。 「ジン」が天に昇ってから何度も季節は巡り、やがて25年目に奇跡が起こる。けれど、これは奇跡というよりも、「ジン」へのご褒美かもしれない。

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...