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ラヴ・ソング
しおりを挟むその週末、駅前のビルの2階にある千円理容室に行った。
二人がカット中で、三人が椅子に座って順番待ちをしていた。
退職者世代らしき男性が二人と七三分けのサラリーマン風中年男性が一人だった。
この店は初めてだったので店内を観察すると、中年の男性と自分よりも若そうな女性の理容師が無言で髪を切っていて、待っている客はその施術を観察するようにジーっと見ていた。
何気なく後ろを見ると、そこは荷物を置くためなのか、ホームセンターで売っているような棚が設えてあった。
荷物はなかったが、スポーツ新聞1紙と週刊誌1誌が無造作に置かれていた。
わたしは週刊誌を手に取って、読むでもなくページをパラパラとめくった。
すると、新刊本の書評ページが現れ、同じ頃にデビューした作家の本が激賞されていた。
ふ~ん、となんの感慨もなく読み進めていくと、その下にある小さな囲い広告が目に留まった。
『新人男性デュオのデビュー曲の歌詞募集』
賞金は50万円。
印税は1.5パーセントと書かれてあった。
歌詞か~、
思わず呟きが出ると、昔の自分が蘇ってきて、作詞した曲がヒットした時のことを思い出した。
しかし、それは過去完了であり現在進行形ではない。
頭からそれを消してページをめくり、また読むともなく、めくり続けた。
少しして順番が来たので、週刊誌を棚に戻し、バーバーチェアに腰を下ろした。
そして、女性理容師に「全体的に1か月分ほど切ってください」と伝えて、目を瞑った。
店内に流れるBGMに耳を傾けていると、懐かしい歌謡曲が流れてきた。
有線放送だろうか、よく知っている曲だったので、心の中でフンフンとメロディーを追った。
その曲が終わると、すぐに次の曲のイントロが流れてきた。
その瞬間、心臓が止まりそうになった。
ウソだろう!
なんと、わたしが作詞した曲だった。
聴いているうちに体の芯が熱くなり、止まりかけた心臓が活発に動き始めてドキドキしてきた。
こんなことって……、
握りしめた掌には汗をかいていた。
すると、突然、理容師が何か言った。
頭には何も入ってこなかったが、カットが終わったようだった。
手鏡に映る襟足をぼんやりと見つめながら曖昧に頷くと、吸引機のようなもので切った髪の毛を吸い取り、刷毛のようなもので頭を、ネックペーパーで顔をきれいにしてくれた。
「ありがとう」と礼を言って店を出たが、階段を下りる間もまだボーっとしていた。
あのメロディーが頭の中で鳴り続けて、離れようとしなかったからだ。
それは商店街を歩いている時も続き、夢遊病者になったかのようだった。
しかし、突然足が止まった。
右側に小さな書店が見えたからだ。
『未来書店』
目が離せなくなったわたしは吸い寄せられるように中に入り、導かれるように週刊誌のコーナーに向かった。
あの週刊誌があった。
さっそく手に取って、ページをめくると、新刊本の書評ページが現れた。
すぐさま、あの囲み広告を確認した。
そして、急いでレジに持っていって、お金を払った。
*
アパートに帰って、すぐに募集要項を読み返した。
賞金は50万円。
印税は1.5パーセント。
オーディションに合格した18歳の男性二人組のデビュー曲で、発売は11月予定と書かれていた。
作曲家は決まっていた。
バラード調の曲が得意な、よく知っている作曲家だった。
『しっとりと歌い上げる、哀愁のあるラヴ・ソング』
それが、歌詞に求められる条件だった。
しっとりと歌い上げる、哀愁のあるラヴ・ソングか……、
口に出して確かめた。
作れるだろうか?
小説家だった時のように作れるだろうか?
一瞬、不安が過ったが、誰かが、そして、何かが、ヤレ! と強く押した。
目を瞑ると、結城の顔が浮かんできて、プレミアム・シリーズが入った紙袋を受け取った時の嬉しそうな表情がはっきりと見えた。
その瞬間、作れるかどうかではなく、作らなければならないと思った。
今の給料ではプレミアム・シリーズが買えないだけでなく、結城を幸せにすることができないからだ。
居ても立ってもいられなくなって、部屋の隅に置いていた仕事用のバッグから取材用のノートを取り出し、3ページ分破って、ボールペンを走らせた。
晩秋漂う街を思い浮かべながら、
枯葉の舞い散る公園のベンチを思い浮かべながら、
結城への想いを綴っていった。
♪ ♪
『日暮れ』 作詞:高夢才叶
日暮れのこの街、ざわめく人ごみの中を
何も言えなくて歩いてた二人
かすかに震える、あなたの小さなその肩に
手をまわした時、微笑みが伝わる
静かな時の流れに、優しく抱かれながら
言葉にならない愛を、探し続けた
さよなら、なんてもう、言えない僕にはもうとても
あなたのぬくもりに、包まれているから
一人の寂しい過去を、優しく癒してくれる
そんなあなたの心が、日暮れの中で……
見つめる二人の、瞳にお互いの姿が
重なる時いつか、あの空に煌めく星屑
誰もいない寂しい街の、夜は冷たい、だから二人肩寄せて
これから始まる僕と、あなたの愛の歴史を夢見て、いつまでも二人で
夜明けが来るまでここで、何も言わずただ見つめていよう、今は……
枯葉の舞い散る、あたりはもうすぐ冬景色
夜の闇が深く、包み込む日暮れのひと時
♪ ♪
本名での応募に躊躇したわたしは、ペンネームを考えた。
色々な案を考えたが、ある日、本名の漢字〈才〉〈高〉〈叶〉〈夢〉を組み替えることを思いついた。
高夢才叶。
その瞬間、新しい一歩を踏みだせそうな予感がしてきた。
受賞作の発表は応募締切日から3か月後だったが、応募したその日から受賞を信じて強く願った。
夜寝る前、朝起きた時、家を出るとき、家に帰った時、1日に何度も受賞を願い続けた。
毎日、毎日、願い続けた。
他の応募者より1回でも多く願えば自分が受賞すると信じて、願った。
だから、最後の1か月は1日に50回願うことを自分に課した。
そして、発表前日には1日に100回願った。
わたしの願いよ、叶え!
魂の叫びを音楽制作会社のある方角へ放った。
*
発表予定日の日曜日が来た。
落ち着かない午前中を過ごしたあと、カツカレーを買うためにスーパーへ行った。
必勝を期すためになんとしても食べたかったが、残念ながら棚にはなかった。
がっかりした。
それに、嫌な予感がした。
悪いことが起こる前触れのような気がして、気持ちが沈んだ。
それでもそんな暗示に振り回されていたら運気が下がると思い直して、代わりのものを探した。
すると、アジフライが目に止まった。
分厚くておいしそうだったので、ざるそばを合わせることにした。
売場に行くと、乾麺と生麺が並んでいた。
いつもは安い乾麺を買うのだが、それでは良い結果は得られないと思って、生麺に決めた。
アパートに戻って、ざるそばを湯がき、冷水で洗って、よく水を切って、皿に盛った。
そして、そばの上にワサビをちょんと付けて、一口すすった。
う~ん、旨い!
乾麺とは風味が違っていた。
少しリッチな気分になったので、すぐにアジフライに味ぽんをかけて食べた。
すると、肉厚の身が口の中を満たして、至極を連れてきた。
たまらんな~、
思わず独り言ちた。
食べ終わって、残ったつゆにそば湯を足した。
すするように飲むと丁度いい塩梅で、思わず頬が緩んだ。
13時になった。
電話がいつ来てもいいようにトイレでオシッコを絞り出してから、ちゃぶ台の前に座って、台の上に置いたスマホに向かって両手を合わせた。
受賞しますように!
正座をしたまま、何度も祈った。
祈り続けた。
しかし、1時間経っても、2時間経っても、夕方になっても、スマホは無言を貫いた。
そりゃそうだよな~、そんな簡単に受賞できるわけないよな~、
受かることしか考えていなかったわたしは自分の単純な思考回路に苦笑するしかなかった。
これ以上待っても仕方がないので、タオルと下着を持って銭湯に向かった。
*
番台に座る顔見知りのおばちゃんに460円を渡して脱衣所に入ると、白髪のお爺ちゃん二人がパンツを脱いでいた。
その近くでは太った中年のおじさんがフルチンで扇風機の前に立っていた。
わたしは三人を見ないようにして浴室のドアを開けた。
風呂椅子にシャワーをかけて、タオルで拭いてから座り、髪の毛を洗ってから体を洗った。
かけ湯をしてすぐに浴槽に浸かる人が多いようだが、わたしは全身をきれいにしてからジェットバスに入って、心ゆくまで刺激を楽しむ。
そして、肩も背中もお腹も満遍なくブルブルさせて、気持ちよくなったところで温めのお湯に浸かれば、もう何も言うことがない。
あとは冷たい牛乳を1本飲めば完璧だ。
さっと体をふいて、パンツいっちょでごくごくと喉に流し込むと、いつものように極楽至極の世界がやってきた。
「今日も気持ちよかったです」
番台のおばちゃんに会釈をして、健康優良児のような顔になってアパートへの道をゆっくり歩くと、月は満月、風はビロードで、思わず鼻歌が出てしまった。
しかし、ドアを開けた瞬間、変な音に気づいて、身構えた。
低い唸り声のようなものが聞こえるのだ。
なんだ?
恐る恐る音のする方へ近づくと、ちゃぶ台の上でスマホが唸っていた。
慌てて手に取ろうとしたが、掌に納まらず、畳の上に落としてしまった。
すぐに拾って、応答操作をして耳に当てたが、既に切れていた。
画面には知らない番号が表示されていた。
もしかして……、
その番号を検索すると、音楽制作会社の番号だということがわかった。
かけてみようか、
しかし、躊躇った。
もう少し待ってみよう、
スマホをちゃぶ台の上に置いて、その前に正座した。
30分待ってしびれが切れたので、思い切って電話をかけた。
すぐに繋がった。
用件を告げると、「しばらくお待ちください」と言われたが、1分も経たないうちに男性の声が聞こえた。
「何度もかけたのですが、お出にならなくて」
スマホを耳に当てたまま、わたしは深くお辞儀をした。
自分以外、誰もいない狭い部屋で深くお辞儀をした。
顔が紅潮しているのが自分でもわかった。
しかし、スマホをテーブルに戻した瞬間、現実感が遠のいた。
本当?
本当に本当?
俄かには信じられなくて、頬をつねった。
痛かった。
かなり痛かった。
夢ではなく、本当だった。
わたしが応募した歌詞が新人デュオのデビュー曲に採用されたのだ。
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