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伝説の宮大工
しおりを挟む翌週の月曜日の夕方、取材先から帰社すると、上司から思わぬことを告げられた。
妹が会社に来たというのだ。
用件は仕事の依頼だという。
概要を聞いて、驚いた。
わたしは定時になるのを待ちかねて実家へと急いだ。
*
「あら、いらっしゃい」
オフクロがびっくりしたような顔で迎えてくれた。
「宮はいる?」
オフクロは頷いて階段の方に顔を向けた。
自分の部屋にいるらしい。
わたしは靴を脱いで2階へ上がり、妹の部屋の前に立って、ノックを二度した。
「宮、ちょっといいかな」
「あっ、お兄ちゃん? 丁度良かった」
ドアが開くと、笑顔が迎えてくれた。
「どうぞ、入って」
上下スウェット姿の妹に促されて中に入ったが、この部屋に入るのは久し振りだったので、「お久し振りです」と部屋に向かって頭を下げると、「変なの」と妹が笑った。
椅子を勧められたので腰をかけると、妹はベッドに浅く座った。
その後ろの壁には大きなポスターが貼られていた。
伝説の宮大工、西岡常一棟梁の全身写真だった。
27歳の若さで棟梁として法隆寺大修理を行い、その後も薬師寺金堂や西塔を再建した比類なき宮大工だった。
わたしはポスターに向かって軽く頭を垂れてから妹に向き合った。
「毎日これを見てるのか?」
妹は大きく頷いた。
「お父さんがくれたの。やるからには西岡さんのレベルを目指せって」
「ふ~ん」
「もちろん今は足元にも及ばないし、一生かかっても追いつけないかもしれないけど、でも、一歩でも二歩でも近づきたいなって思ってる」
妹は体と首を捻って、ポスターに目を向けた。
「鬼と呼ばれて恐れられていたらしいけど、薬師寺西塔を再建する時には癌と闘っていたと聞いて納得したの。仕事に向き合う時にはそれほどの強い気持ちが必要なんだなって」
わたしの方に戻した妹の顔には厳しいまでの表情が浮かんでいた。
その気迫に押された。
かわいい妹の姿はそこにはなかった。
一流の宮大工を目指す職人そのものだった。
覚悟ができていると強く感じた。
思わず奥歯を噛みしめたが、その時、オフクロの声が聞こえた。
「入るわよ」
「どうぞ」
妹がドアを開けた。
オフクロはお盆にお茶を乗せて持ってきていた。
机の上に茶碗を二つ置いて出て行こうとすると、「お母さんにも聞いて欲しいの」と妹が止めた。
そして自分の横に手を置くと、オフクロは頷いて、妹の横に座った。
「今日、お兄ちゃんの会社に行ったの」
わたしは頷いた。
「会社の人から話は聞いた?」
「うん、聞いた。びっくりした」
それは、宮大工の仕事を世間に広く知らしめるためのホームページ作成という依頼だった。
「お兄ちゃんが仕事を辞めるかどうか悩んでるってお義姉さんから聞いて、そんなことはさせてはいけないと思ってお父さんに相談したの。そしたらね」
オフクロの方を向いて頬を緩めた。
「仕事として頼めって言ったの」
「オヤジが?」
「そう。それくらいの金は出してやるって言ってくれたの」
わたしはうまく反応ができず、黙ったまま次の言葉を待った。
「あいつも苦労してやっと今の仕事に就いたんだし、それにちゃんとやっているみたいだから応援してやらないとなって、そう言ったの」
オヤジが……と思うと、高校3年の時に対峙した厳しい顔が頭に浮かんできた。
鋭い眼光の奥に絶望のようなものが浮かんでいた顔だった。
あんなに酷いことをしたのに……、
居たたまれなくなって妹から目を逸らした。
「良かったわね」
オフクロの声だった。
「あの人ね、あなたから貰った会社案内のパンフレットをよく読んでいたのよ」
知らなかった。
持って行った時にはふ~んというような顔をしていたから、関心がないのだと思っていた。
「それでね、『よくできてる』ってポツリと言ったの。あなたがきっちり仕事をしているのがわかって嬉しかったんだと思うわ」
それを聞いて、なんかグッときた。
鼻の奥がツーンとなった。
「家族みんなで仕事ができるといいわね」
それだけ言い残して部屋を出て行った。
その後姿を見送ってポスターに目が行くと、何の前触れもなくある人の面影が浮かんできた。
会いに行こう、
突然、そんな思いが体の奥から湧き起ってきた。
わたしは奈良の方角に向き直り、両手を合わせて、想いを込めて、深々と頭を下げた。
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