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最上極(2)
しおりを挟む翌月開かれた取締役会で製剤研究に対する大幅な研究費の増額と人員増が承認された。
最上は〈DDSプロジェクト〉のリーダーとして、主力薬の持続製剤開発の先頭に立つことになった。
すぐさま社外の専門家を採用して、一気に開発を加速させた。
今回の開発は新規成分ではないため、今まで蓄積した研究や臨床データが活用できるという利点があった。
そのため、動物実験を短期間で終わらせることができた。
その結果、1日1回服用で効果が期待できる持続性降圧薬の第一相臨床試験を早期に始めることができた。
この試験で健常人に対する安全性が確認できれば、少数の患者に対して安全性と有効性を確認する第二相の臨床試験に早期に進めることができる。
そして、より多数の患者を対象とした第三相臨床試験で同等性が証明できれば、新規の作用機序を持つ薬ではないため、厚生省の認可もスムーズに下りる可能性が高い。
そうなれば、他社に先駆けて発売することができる。
大きな差別化につながるだけでなく、主力薬のライフサイクルを大きく伸ばすことができる。
その上、画期的な新薬を開発するまでの猶予期間を得ることができる。
DDSプロジェクトは最上製薬にとって救世主プロジェクトになった。
それだけではなかった。
まだ何も成果が出ていない新薬開発に負い目があり、自分が一人前ではないというネガティヴな意識を持っていたが、DDSプロジェクトのリーダーとして具体的な進捗を得ることによって、自信を取り戻すことができた。
これでやっと笑美にプロポーズできる。
思わず安堵の息が漏れた。
目を閉じると、彼女がまだ高校生だった頃の姿が浮かび上がってきた。
愛を育んできたかけがえのない日々が蘇ってきた。
それは10年にも及ぶ2人の軌跡だった。
すると初めて結ばれた時に彼女に告げた言葉が蘇ってきて、もう一度彼女に告げなければという想いが強くなった。
だから敢えてそれを口に出した。
「世界一幸せにするからね」
*
笑美に正式にプロポーズをして、すぐに最上家と茂上家の顔合わせの会が執り行われた。
そして時を経ずして結納へと進み、結婚式の日取りが決まった。
招待状が出来上がると、すぐさま須尚に送った。
それは、須尚が結婚して半年後のことだった。
彼は大阪転勤が決まった日にプロポーズをして結婚生活を始めていた。
*
友人代表として挨拶を頼むと快く引き受けてくれて、2次会、3次会へも付き合ってくれた。
日付が変わってからも祝宴が続いたが、最後まで付き合ってくれた。
しかし、大学院時代の悪友たちが仕掛けたマル秘作戦のことは教えてくれなかった。
そのことを知った時には恨み言を言ったが、「ま、しょうがないよね」と笑い飛ばされただけだった。
事の真相はこうだ。
大学院時代の悪友たちは『新婚初夜愚息撃チン作戦』と名づけた計画を立てた。
酔い潰す計画で、須尚もそれに乗った。
そんなことを知らない最上は注がれるままに酒を飲み続けたが、体調がすこぶる良かったこともあっていくら飲んでもおかしくなることはなかった。
3次会がお開きになったことは覚えていた。
しかし、ホテルに戻った時の記憶はなかった。
というより、タクシーに乗った記憶がなかった。
だから当然のようにそのあとの記憶はなかった。
須尚が担いで部屋まで連れてきてくれて、そのままベッドに寝かせてくれたらしいが、そんなことは欠片も記憶に残っていなかった。
翌朝、自分の唸り声で目が覚めた。
声はガラガラで、喉がカラカラに乾いていた。
笑美が水を運んできてくれたが、起き上がることができなかった。
頭がガンガンするだけでなく、グルグルと回っているようなヤバイ状態になっていた。
なんとか水を飲んでもう一度横になると、自分は知る由もなかったが、すぐにイビキをかき出したらしい。
暫らく眠ったあと、笑美に起こされた。
成田へ行く時間が迫っているというので、服を着替えることもできず、歯を磨いて、顔を洗って、髪を整えて、慌ててホテルを飛び出した。
*
悪友の企みに撃チンして初夜を台無しにしてしまったが、その後は元気になって新婚旅行を楽しんだ。
パリ、ウイーン、ローマとヨーロッパを10日間巡ったのだ。
パリではルーブル美術館とベルサイユ宮殿に、
ウイーンではシェーンブルン宮殿とホーフブルク王宮に、
ローマやバチカンではサン・ピエトロ大聖堂とバチカン博物館に足を運んだ。
歴史的な建造物の美しさはもちろんのこと、所蔵されている美術品の素晴らしさに圧倒されて何時間も動けなくなった。
アメリカとはまったく違う歴史と芸術の重みに圧倒された。
それだけではなかった。
日本とアメリカしか頭になかった未来設計図にヨーロッパが加わったことは大きな収穫だった。
それによって、日米欧3極での新薬開発を夢見るようになった。
それは、将来の社長候補としてとても意味のあることだった。
*
笑美との絆を深め、将来の事業構想に思いを馳せ、公私共に大きな収穫を手にして帰国したが、ホッとする暇は与えてくれなかった。
新婚生活を始めたばかりだというのに、父親である社長から特命が下りたのだ。
「アメリカに連絡事務所を開設する。準備室長兼務を命ずる」
DDSプロジェクトの良好な進捗に気を良くした父親が、念願のアメリカ進出に向けて布石を打ったのだ。
アメリカに留学し、知人も多く、現地の情報に詳しい最上に白羽の矢が立ったのは当然のことだったが、それは、新婚早々単身赴任をしなければならないことを意味していた。
月に一度帰国できるかどうかという生活が始まるのだ。
そのことを告げると、意外にも笑美は気丈に振舞った。
「わたしなら大丈夫。心配しないで。あなたが留学した時の心細さに比べたら、今回は全然平気」
*
笑美に背中を押されるようにしてアメリカに旅立った。
彼女と離れ離れで暮らすのは辛かったが、新たな使命に燃えてもいた。
会社の将来へ向けた種まきを任されていると思うと、全身に力が漲ってくるのを感じた。
だから、日に1回笑美に電話をする時以外は新たな任務に没頭することに決めた。
連絡事務所は情報収集が主目的であったため、FDA(アメリカ食品医薬品局)の本部に近いワシントンD.C.に設置することにした。
言わずと知れたアメリカの首都であり、政府所在地であり、あらゆる情報が集まる場所であり、これ以上最適な環境があるはずはなかった。
ホテルに荷物を置くとすぐさま学生時代の人的ネットワークを駆使して事務所に最適な場所の選定を始め、紹介された物件を次々と見て回った。
価格で断念した物件もあったし、環境に懸念を覚えて断った物件もあったが、8軒目で遂にこれという物件に巡り合った。
ポトマック川沿いのジョージタウンという場所にある中層ビルだった。
ホワイトハウスや連邦政府庁舎が近隣にあり、対岸には国防の中枢、ペンタゴンの広大な敷地があった。
最上階の空きスペースから見下ろすと、世界一の権力と世界中の情報が集まる場所をすべて掌中に収めたような錯覚に襲われた。
すると、今までに感じたことがないような緊張と成功への強い衝動が交差した。
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