36 / 69
須尚正(1)
しおりを挟むあっ!
鼓膜に大音量が飛び込んできた。
瞬間、ヘッドフォンを投げ捨てた。
なんてことを……、
試聴用プレーヤーの音量が最大になっていた。
外資系メガチェーンの調査のために頻繁に店舗を訪問していた。
品揃えや価格などを調べていたのだ。
その中で、あるものに注目した。
CDの試聴コーナーである。
当時、日本ではCDを試聴できる店はなかった。
だから、客はラジオやテレビで聞いた音楽を買い求めに来ることが多く、自分が知らないミュージシャンのCDを買うことは少なかった。
例外的に、音楽マニアが〈ジャケ買い〉と称してアルバムデザインや帯に書かれた説明書きを読んで直感で買うということが行われていたが、それはあくまでも例外だった。
しかし、この外資系メガチェーンは違っていた。
お勧めのCDを棚に並べて、それを試聴できるようにしていたのだ。
これなら好みの音楽かどうか確認した上で購入することができる。
当たり外れの心配をせずに済むのだ。
「当たり外れがあるから面白いんだよ」という一部のマニアもいるが、それは一般の客には通用しない。
2千円をドブに捨てる酔狂な人は皆無に等しかった。
このシステムは画期的だと思った。
だから色々なジャンルのお勧めCDを試聴した。
自社・他社問わず色々なCDを聴いて回った。
最後に立ち寄ったのはハードロックのコーナーだった。
話題のCDを見つけたのでヘッドフォンを装着して再生ボタンを押し、イントロが流れてくるのを待った。
しかし、聞こえてきたのは音楽ではなかった。
悪魔だった。
鼓膜が破れるかと思うくらいの大音量が両耳を襲ったのだ。
それは痛みを伴うほどの大音量だったのでとっさにヘッドフォンを外したが、鼓膜の状態が心配で不安が押し寄せてきた。
大丈夫かな……、
耳に神経を集中してしばらく様子を見た。
しかし特に異常は感じられなかった。
ほっとしたが、怒りが込み上げてきた。
〈なんて酷いことをするんだ!〉とムカムカしてきた。
それですぐに愉快犯を捜したが、辺りを見回してもそれらしき奴を見つけることはできなかった。
くそっ!
はらわたが煮えくり返ったが、それをぶつける相手がいなかった。
仕方がないのでヘッドフォンを元の場所に戻し、音量を最小にしてからその場を離れた。
*
その夜から両耳に異変が起こった。
不自然な音が聞こえるようになったのだ。
シャー、
キーン、
その時々によって聞こえる音は違うが、なんとも表現できない気になる音が聞こえ始めたのだ。
それは何日経っても治まらなかったし、寝る時などの静かな環境で特に大きく聞こえた。
1週間経っても治らなかったので耳鼻科を受診した。
「耳鳴りですね」
医者は無表情でカルテに病名を記載しながら告げた。
「大音量に晒された時などに起こることがあります」
そして、衝撃的な言葉を口にした。
「完全に治すことは難しいので、一生の付き合いになるとお考え下さい」
えっ、一生?
この、シャー、キーン、が一生続くの?
「薬はないんですか? 良く効く薬はないんですか?」
藁にもすがる思いで訊いたが、医者は即座に首を横に振った。
「残念ながらありません」
それを聞いて愕然とした。
ショックで一瞬フラッとした。
しかし、そんな事に気づくはずもなく、医者は淡々と薬の説明を始めた。
循環改善薬とビタミン薬を処方すると言う。
但し、あくまでも対症療法だと念を押された。
「これでしばらく様子を見ましょう。2週間後にまた来てください」
医者はこっちを見ないで次のカルテを手に取った。
*
処方された日から祈るような気持ちで薬を飲んで、効果が出るのを待った。
しかし、2週間経っても耳鳴りは治まらなかった。
大きく聞こえる時と、ほとんど気にならない時と、色々な聞こえ方があったが、耳鳴りが消えることはなかった。
「精神面の影響も考えられますので、できるだけ気にしないようにしてください」
医者は前回同様、循環改善薬とビタミン薬を処方した。
薬の効果を感じられないこともあって、日が経つにつれて落ち込みが激しくなった。
音楽業界に身を置いている自分が耳鳴りに悩まされるなんて、どん底に落ちそうだった。
それだけでなく、不安で眠りが浅くなった。
深夜ふと目が覚めると、物音一つしない中で耳鳴りだけがひと際大きく聞こえるのだ。
反射的に両耳を手で押さえてしまうと、更に耳鳴りが大きくなった。
何度も寝返りを打って気分を紛らわせようとしたが、耳鳴りから逃れることはできなかった。
うつ伏せになって枕を抱えた。
う~!
喉の奥から込み上がる悔しさが枕カバーにしたたり落ちた。
あの野郎!
怒りに震えた。
誰かわからない見たこともない愉快犯を殺したいほど憎んだ。
そいつがわざと最大ボリュームにしたから、こんな酷いことになったのだ。
絶対許さない!
地獄に落ちろ!
目が覚める度に〈のっぺらぼうな愉快犯〉を殴り続けたが、そんなことをしても耳鳴りが治るわけではなかった。
*
「もし、突然、耳が聞こえなくなったら大至急受診してください」
3回目の受診時に医者から告げられた言葉に青ざめた。
「耳鳴りを伴う病気の一つに突発性難聴という病気があります。ほとんどの場合は片側の耳で起こりますが、放置しておくと本当に聞こえなくなることがあるので、もし、その状態が起こったら大至急受診してください。早めに治療すれば聴力の回復が期待できますから」
あの日までなんともなかったのに、
あの爆音に晒されるまではなんともなかったのに、
なんなんだ、これは!
次の週からドクターショッピングが始まった。
〈耳鳴り治療の名医〉を探して色々な耳鼻科を受診した。
しかし、どこも大同小異だった。
どの医者も口を揃えて「対症療法はあるが抜本的治療はない」と言う。
更に、ある医者の言葉によってどん底に突き落とされた。
「内耳にある聴覚器官の細胞に有毛細胞という音を感知する細胞があり、そこに細かい毛が生えています。その細かい毛が爆音によって折れたり抜けたりすると、耳鳴りの原因になることがあります。その細かい毛は」
医者は言いにくそうに言葉を継いだ。
「残念ながら、再生しないのです」
再生しない、
再生しない、
再生しない、
医者の言葉が頭の中でぐるぐる回った。
そして、耳鳴り→突発性難聴→音楽が聴けなくなる、という恐ろしすぎる結末が頭に浮かんで、思い切り落ち込んだ。
多分顔が青ざめていたと思うが、そんな様子を心配したのか、医者が慰めの言葉をかけてきた。
「須尚さんはまだ難聴になっていないことが救いです。高音部の聴力が少し落ちているのでキーンという音が聞こえているようですが、できるだけ気にせず、リラックスしてストレスをためないようにすれば、徐々に気にならなくなるかも知れません。耳鳴りをネガティヴに考えずに、上手に付き合ってください」
そして、耳鳴りの程度や聴力の変化を観察するために定期的な受診を勧められた。
そのあとも医者は親身になって言葉をかけてくれたが、それらはすべて耳を素通りしていった。
その日はどうやって家に帰りついたのか、よく覚えていない。
*
気にするなと言われても、気になるのだからどうしようもない。
医者のアドバイスを受けて耳鳴りを意識しないように心掛けたが、それをあざ笑うかのように、キーン、シャー、はいつまでも居座り続けた。
確かに仕事に熱中している時は忘れていられるので気持ちの持ちようかなと思う時もあるが、仕事を離れると、キーン、シャーがピッタリと寄り添って離れなくなるのだ。
それも、大切なリラックスタイムに顕著なのだ。
ボリュームを落としてジャズやクラシックを聴きながらミュージシャンの伝記や音楽をテーマとした小説などを読むのが至福の時間なのだが、そういう時に限って出しゃばってくるのだ。
そして、一度気になり出したらその音がどんどん大きくなっていくように感じるから始末が悪い。
いい加減にしろ! とどつきたくなるが、目に見えない相手に拳を振り回しても空を切るばかりで、虚しさが増すだけだった。
そうなると必ずあの時の医者の言葉が蘇ってきた。
「一生の付き合いになるとお考え下さい」
それを思い出すと更に落ち込み、憂鬱になって読書をする気が無くなり、何をする気も起らなくなる。
だからベッドに入るしかなかったが、耳鳴りはどこまでも追いかけてきて、決して解放してくれない。
それどころか、暗くて静かな空間では更にのさばってきた。
彼らの独壇場になるのだ。
起きている時の何倍もの音量でキーン、シャーが両耳の奥を、そして脳の聴覚部位を占領するのだ。
すると眠れなくなって更に憂鬱になっていく。
そんな悪循環がずっと続いた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。
NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。
中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。
しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。
助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。
無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。
だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。
この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。
この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった……
7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか?
NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。
※この作品だけを読まれても普通に面白いです。
関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】
【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】
【完結】幼馴染に裏切られたので協力者を得て復讐(イチャイチャ)しています。
猫都299
青春
坂上明には小学校から高校二年になった現在まで密かに片想いしていた人がいる。幼馴染の岸谷聡だ。親友の内巻晴菜とはそんな事も話せるくらい仲がよかった。そう思っていた。
ある日知った聡と晴菜の関係。
これは明が過去に募らせてしまった愚かなる純愛へ一矢報いる為、協力者と裏切り返す復讐(イチャイチャ)の物語である。
※2024年8月10日に完結しました! 応援ありがとうございました!(2024.8.10追記)
※小説家になろう、カクヨム、Nolaノベルにも投稿しています。
※主人公は常識的によくない事をしようとしていますので気になる方は読まずにブラウザバックをお願い致します。
※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。関連した人物も、たまに登場します。(2024.12.2追記)
※番外編追加中・更新は不定期です。(2025.1.30追記)←番外編も完結しました!(2025.9.11追記)
※【修正版】をベリーズカフェに投稿しています。Nolaノベルでは全話限定公開・修正中です。(2025.10.29追記)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる