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耳
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「…まぁ、知らんで当然だがな。読んで字の如く、密令だよ、天皇から幕府への。
受け取ったのは耳の主の父、吉左衛門だったが、その時は病に臥せていたらしい。仕方がないから幸吉が受け取ったが、密令の説明をしたのは幕府寄りの人間だった。
と、この話はごく一部のお偉いさんしか知らない。隠居した俺ですら認識が正しいか曖昧なくらいには、幕府も公卿も関わってるんだよ。事実、謹慎中の者や退いた者まで巻き込まれてる。
やはり安政の大獄からは、この混乱に乗じて官位を復刻させようという意思が見える者もたくさんいる。幕府の政策だから、自然と反幕府思想に落ちるのも無理はないが、こいつらが果たして日本を考えているかと言えば微妙だな」
「なるほど、じゃぁあんさんのような人は確かに槍玉に上がりそうですな」
そう言う翡翠を藤嶋はちらっと見て、「なんかこの前からすげぇ突っ掛かるなお前は」と肩を落としながら翡翠に言った。
「事実でしょ。わてには三条さんもあんさんも変わりませんね」
「…まぁ反論しねぇけど。公家なんてこんなもんなんだよ」
「耳かぁ…」
朱鷺貴は半紙を眺めながら考えた。
「しかし一昨年なんてどーゆーことだ?」
「あぁ、見た限りじゃ塩漬けだな。凄惨だったようだぞ」
「で、そんな達観した場所で高みの見物してるあんたがどうしたんだ?超びびってんじゃん」
「…てめぇの教育どうなってんだよ幹斎。こいつホンマに口悪くないか、おい」
「仕方がないな、儂の下にいるからな。それを言ったら翡翠も大分いい性格だぞ」
「…ははっ、まぁね」
漸く藤嶋は楽しそうに笑った。
「…親の心境とはいつまでもわからないものだな幹斎」
「それは酒でも飲まんと話さないものだな、だがお前とは飲みたくない」
「好きなくせにバカ野郎。俺もお前なんて歓迎しねぇよ、御座どころか庭で充分。
まぁ、俺が死んだらテキトーに犬にでも食わしとけ」
「はっは、妥当だな下道め」
なるほど。
「…じゃぁ酒でもやってくれクソバカ共。聞き耳も立てたくない」
「しかし口に戸は立てる話でしたね。精々死なないように、」
「翡翠」
そして藤嶋は、朱鷺貴と去ろうと団結した翡翠に声を掛ける。
「俺を殺すか、お前は」
試すようににやっと笑った藤嶋に翡翠は「アホやないの」と不機嫌になる。
「勝手に死んでください」
「…はは、あっそう」
しかし何故か満足そうに少し俯いた藤嶋に疑問だった。
「こっそり酒を運んでくれ」と朱鷺貴に命じた幹斎だったが、「自分でやれアホ」と、朱鷺貴が突き返したことにも「はは、」と幹斎が笑った。
どうかしていると思えた。
泥沼に浸かって行く気さえする。
いや、もう彼らはそうなのかもしれない。
それから幹斎と藤嶋が何を語ったのかは、朱鷺貴も翡翠も知らない。
部屋に戻る道すがら、「どうかと思いますよね」と翡翠は朱鷺貴に漏らした。
「ん?」
「…天才というか、才のある人の考えはいまいちわからない。あの人と関わりたくないなぁと」
「まぁ、同意だな」
「…けどね、なんだか昔からそう、思っているんです。
腹が立つでしょう?あん人はね、自分から人が去る道ばかりを選ぶ変態なんです」
「そのわりには、」
藤嶋が翡翠を呼ぶあの目には、きっと翡翠が思うよりも違った感情が見えたような気がしている。
それは確かに業が深く、執着のような粘っこいもので。
「俺にはあいつにはもっと、欲の深い…化け物のような恐怖を、覚えた」
「…と言いますと?」
「…それがなんだかは俺にもわからないな、俺は変態じゃないからね。
ただ…あれは幹斎にも通うずるような…幹斎から俺もあの目を向けられることがあるように感じるんだよ。
そうだなぁ、言うならば「屍を越えていけ」とでも言いたいような」
「…殺せ、と?」
「もしそうだとしたらな。
俺もお前のように、「許せない」と幹斎に言ってやったことがある。考えが読めないのはあいつらの言葉を借りれば「親の心子知らず」なのかなあ」
「…トキさんは優しいですね。わてはそこまで…思いやり、考えてあげたことなんて」
「だが皮膚では感じているんじゃないか?
…なぁ、ふざけてるよな。何を託そうとする、もし本当にその意図ならば俺は一生幹斎を許せないと思うんだよ。
聞いただろ、あいつは俺のな…父親の息の根を止めたかも知れなくて」
…これもまた珍しく。
少しずつ出ていく朱鷺貴の言葉には確かに、熱がありそれが怒りか後悔かはわからないが、しかし表情は眉を潜めた、慈悲や相反するものが見え隠れするように翡翠には見受けられた。
「…あい」
「けれどなぁ…。どこかで、それを聞いてほっとした自分もいたんだよ。俺は確かに一瞬で、…いや、混乱が溶けるほどの時間は与えられなかったが、その一瞬には父親に対して憎しみもあったように今は思えるんだ。
災難や、悲しみや…愛情も一瞬にして覆すのはそんな物なのかと、自分でも虚しくなる」
「…ついで、ですから…、トキさんに何があったんか、聞きたいような気がします」
「…ん?」
「…なんだかんだいつもはわての話ばかりでしょう?わては話しましたね。藤宮を殺して藤嶋に引き取られた。姉や母や父は…藤宮に殺されたようなものでしたと」
「…多分そこまで聞いてないぞ」
「ありゃ?」
そう言った翡翠はへらっと笑い、「そうでしたっけ?」と惚けている。
受け取ったのは耳の主の父、吉左衛門だったが、その時は病に臥せていたらしい。仕方がないから幸吉が受け取ったが、密令の説明をしたのは幕府寄りの人間だった。
と、この話はごく一部のお偉いさんしか知らない。隠居した俺ですら認識が正しいか曖昧なくらいには、幕府も公卿も関わってるんだよ。事実、謹慎中の者や退いた者まで巻き込まれてる。
やはり安政の大獄からは、この混乱に乗じて官位を復刻させようという意思が見える者もたくさんいる。幕府の政策だから、自然と反幕府思想に落ちるのも無理はないが、こいつらが果たして日本を考えているかと言えば微妙だな」
「なるほど、じゃぁあんさんのような人は確かに槍玉に上がりそうですな」
そう言う翡翠を藤嶋はちらっと見て、「なんかこの前からすげぇ突っ掛かるなお前は」と肩を落としながら翡翠に言った。
「事実でしょ。わてには三条さんもあんさんも変わりませんね」
「…まぁ反論しねぇけど。公家なんてこんなもんなんだよ」
「耳かぁ…」
朱鷺貴は半紙を眺めながら考えた。
「しかし一昨年なんてどーゆーことだ?」
「あぁ、見た限りじゃ塩漬けだな。凄惨だったようだぞ」
「で、そんな達観した場所で高みの見物してるあんたがどうしたんだ?超びびってんじゃん」
「…てめぇの教育どうなってんだよ幹斎。こいつホンマに口悪くないか、おい」
「仕方がないな、儂の下にいるからな。それを言ったら翡翠も大分いい性格だぞ」
「…ははっ、まぁね」
漸く藤嶋は楽しそうに笑った。
「…親の心境とはいつまでもわからないものだな幹斎」
「それは酒でも飲まんと話さないものだな、だがお前とは飲みたくない」
「好きなくせにバカ野郎。俺もお前なんて歓迎しねぇよ、御座どころか庭で充分。
まぁ、俺が死んだらテキトーに犬にでも食わしとけ」
「はっは、妥当だな下道め」
なるほど。
「…じゃぁ酒でもやってくれクソバカ共。聞き耳も立てたくない」
「しかし口に戸は立てる話でしたね。精々死なないように、」
「翡翠」
そして藤嶋は、朱鷺貴と去ろうと団結した翡翠に声を掛ける。
「俺を殺すか、お前は」
試すようににやっと笑った藤嶋に翡翠は「アホやないの」と不機嫌になる。
「勝手に死んでください」
「…はは、あっそう」
しかし何故か満足そうに少し俯いた藤嶋に疑問だった。
「こっそり酒を運んでくれ」と朱鷺貴に命じた幹斎だったが、「自分でやれアホ」と、朱鷺貴が突き返したことにも「はは、」と幹斎が笑った。
どうかしていると思えた。
泥沼に浸かって行く気さえする。
いや、もう彼らはそうなのかもしれない。
それから幹斎と藤嶋が何を語ったのかは、朱鷺貴も翡翠も知らない。
部屋に戻る道すがら、「どうかと思いますよね」と翡翠は朱鷺貴に漏らした。
「ん?」
「…天才というか、才のある人の考えはいまいちわからない。あの人と関わりたくないなぁと」
「まぁ、同意だな」
「…けどね、なんだか昔からそう、思っているんです。
腹が立つでしょう?あん人はね、自分から人が去る道ばかりを選ぶ変態なんです」
「そのわりには、」
藤嶋が翡翠を呼ぶあの目には、きっと翡翠が思うよりも違った感情が見えたような気がしている。
それは確かに業が深く、執着のような粘っこいもので。
「俺にはあいつにはもっと、欲の深い…化け物のような恐怖を、覚えた」
「…と言いますと?」
「…それがなんだかは俺にもわからないな、俺は変態じゃないからね。
ただ…あれは幹斎にも通うずるような…幹斎から俺もあの目を向けられることがあるように感じるんだよ。
そうだなぁ、言うならば「屍を越えていけ」とでも言いたいような」
「…殺せ、と?」
「もしそうだとしたらな。
俺もお前のように、「許せない」と幹斎に言ってやったことがある。考えが読めないのはあいつらの言葉を借りれば「親の心子知らず」なのかなあ」
「…トキさんは優しいですね。わてはそこまで…思いやり、考えてあげたことなんて」
「だが皮膚では感じているんじゃないか?
…なぁ、ふざけてるよな。何を託そうとする、もし本当にその意図ならば俺は一生幹斎を許せないと思うんだよ。
聞いただろ、あいつは俺のな…父親の息の根を止めたかも知れなくて」
…これもまた珍しく。
少しずつ出ていく朱鷺貴の言葉には確かに、熱がありそれが怒りか後悔かはわからないが、しかし表情は眉を潜めた、慈悲や相反するものが見え隠れするように翡翠には見受けられた。
「…あい」
「けれどなぁ…。どこかで、それを聞いてほっとした自分もいたんだよ。俺は確かに一瞬で、…いや、混乱が溶けるほどの時間は与えられなかったが、その一瞬には父親に対して憎しみもあったように今は思えるんだ。
災難や、悲しみや…愛情も一瞬にして覆すのはそんな物なのかと、自分でも虚しくなる」
「…ついで、ですから…、トキさんに何があったんか、聞きたいような気がします」
「…ん?」
「…なんだかんだいつもはわての話ばかりでしょう?わては話しましたね。藤宮を殺して藤嶋に引き取られた。姉や母や父は…藤宮に殺されたようなものでしたと」
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「ありゃ?」
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