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詠み曇
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「中川さんがいい、中川さんがいい!!」
「坊っちゃん、どうしましたか、」
「お母さん、悪いんだ、ホントに悪いんだ、」
「坊っちゃん、いけませんよ」
「だって、」
「和昭、叩いたのはごめんね。でも、許さない」
「奥様……何が」
「お手伝いさんの言う通りなんだ!!」
杞憂であって欲しいと思ったことは、本当にそうだったんだと明白になれば「誰が言ったのそんなこと」と……奥様が頑なに怒っていることにも繋がってしまった。
「坊っちゃん、」
「お母さんは、」
「お母様も坊っちゃんも、悪くないんですよ」
「中川さん」
「坊っちゃんはきちんと疑問を話してくれたのですよ、奥様」
「……よくわかりません、」
「坊っちゃん、お母様はきっと私のために怒ってるんですよ」
しかしわかるわけもない。
その場はどちらの問いにも答えず落ち着くのを待ち、どうにか坊っちゃんが何を聞いたのかを話さないようにと苦心したが、「お母さんは若い、中川さんの子供は良い子だったって…!」と流れてしまった。
私は不覚にも泣いてしまった。
それは痛々しくて、だからどうにも坊っちゃんに理不尽な傷がついてしまったのだと急に込み上げてしまったのだ。
こういうすれ違いは絶対にうまくいかず、「どういうことなの…?」と動揺する奥様を坊っちゃんは傷付けるように
「お母さんは若いから悪い!中川さんは取られたけど、良い子だったって!」
拙くもありありと坊っちゃんが言うのは拗れ「だからなんでそういうことを言うのよ!」と奥様の怒号は止まず。
「違うんです、違うんですよ……っ、坊っちゃんはただ、……聞いてしまっただけなんですよね?」
と早口に弁明をするしかなくなってしまう。
「けど、坊っちゃん、それがいいなと言ってくれましたね、私もそれがいいと、お、思いますよ、」
「…なんで、泣いてるの?」
「坊っちゃんも、奥様も、少し落ち着きましょう……」
あの、
「奥様、坊っちゃんは、けして私を貶してなかったんです。
坊っちゃん、お母様は優しい方なのです、お二人とも悪くはないです、」
二人とも、そうなのですよ。
「…中川さん」
旦那様はぼんやりと庭を眺めて呟くように私を呼んだ。
「はい、どうしました?」
「…少々昔のことを思い出しました」
硬い表情で俯いたそれに、色々あったなぁと、私もきっと同じことを思い出している。
「昔、俺は母を何度か激怒させたことがありましたよね」
「二回ですよ。穏やかな方でしたよね」
こんなことが懐かしくなる。
私はここで…烏滸がましくも「家族」というものを出来ていたのだろうか…と、しんみりするような思いで。
「ですね。苦労ばかり掛けていたのだと思います。何より母には貴女が大きかった」
「私もそれは同じですよ。まるで…烏滸がましくも姉妹のような」
「母にとっても同じだったと思います。
母が最初で最後、俺を殴ったこと、覚えてますか?」
あれから旦那様は縁側から餌を投げるようになった。
「もう、覚えてます。忘れもしないですよ」
「俺もです。俺はあの時、母にも中川さんにも酷いことを吐いた」
ひょい、ひょいと餌を投げてゆく。
水面まで届いたかどうか。いまとなっては庭の鯉は金魚に代わり波紋も少なく、わかりずらい。
「いいえ。私は結構、嬉しかったですよ。旦那様には少し……トラウマになったのかもしれませんが」
「そうですね…。昨日のことのように思い出されます」
「色々、ありましたねぇ…」
「母は結局父に宥められたけど、母に謝られることも俺には嫌で嫌で」
「私もですよ。もとはといえばと考えると…」
「中川さん」
餌を投げるのをやめた旦那様は、少し控えめに「どうしましょうかね」と言った。
「…俺は息子さんには「ふざけるな」とは言えません。
結局この家は俺の代で終わりますし、いくら圭太がいるとはいえ、中川さんの身体のことも、言われてしまえばと……」
元夫に引き取られた長男が突然訪ねてきた。
私の歳もあり、「いつまで働かせるのか」と、旦那様に詰め寄ったのだ。
「そうですね…。
私は旦那様のお母様ほど出来た親ではなかった、何より共にいないので、薄情かもしれませんが、あの子が息子という実感も沸かなくて。不思議ですね、お腹を痛めた子なのに」
「……俺も、今更何をと思っているのは本音だったんですが」
「わかりますよ。そう息子にはっきり仰ってくれたのも、私には嬉しい限りでした」
見えない、言い知れぬものだが、旦那様があの息子の態度に良い感情を抱かなかったのは犇々と伝わっていた。
「母ももう…正しければ定年なのです。細井川様に老後の面倒をだなんていうのは高崎家としては浅ましい」
46になったはずの長男はそう言った。
長男は立派にあの家の家督を継いでいたようだった。
「いつの時代も、ごちゃごちゃ言うのはどうして他人なんでしょうかね」
ふと旦那様は側の、ゆずさんの部屋を眺めた。
「俺もその慣例には倣っているんですけどね。なんだかどうやら…感慨深くなってしまったらしく」
「…そんなこと、」
そうも言われてしまえば、決意というものが揺らぐ。これが乙女心なのか、いや…人の情なのか、どちらも同じものなのかもしれないが。
「坊っちゃん、どうしましたか、」
「お母さん、悪いんだ、ホントに悪いんだ、」
「坊っちゃん、いけませんよ」
「だって、」
「和昭、叩いたのはごめんね。でも、許さない」
「奥様……何が」
「お手伝いさんの言う通りなんだ!!」
杞憂であって欲しいと思ったことは、本当にそうだったんだと明白になれば「誰が言ったのそんなこと」と……奥様が頑なに怒っていることにも繋がってしまった。
「坊っちゃん、」
「お母さんは、」
「お母様も坊っちゃんも、悪くないんですよ」
「中川さん」
「坊っちゃんはきちんと疑問を話してくれたのですよ、奥様」
「……よくわかりません、」
「坊っちゃん、お母様はきっと私のために怒ってるんですよ」
しかしわかるわけもない。
その場はどちらの問いにも答えず落ち着くのを待ち、どうにか坊っちゃんが何を聞いたのかを話さないようにと苦心したが、「お母さんは若い、中川さんの子供は良い子だったって…!」と流れてしまった。
私は不覚にも泣いてしまった。
それは痛々しくて、だからどうにも坊っちゃんに理不尽な傷がついてしまったのだと急に込み上げてしまったのだ。
こういうすれ違いは絶対にうまくいかず、「どういうことなの…?」と動揺する奥様を坊っちゃんは傷付けるように
「お母さんは若いから悪い!中川さんは取られたけど、良い子だったって!」
拙くもありありと坊っちゃんが言うのは拗れ「だからなんでそういうことを言うのよ!」と奥様の怒号は止まず。
「違うんです、違うんですよ……っ、坊っちゃんはただ、……聞いてしまっただけなんですよね?」
と早口に弁明をするしかなくなってしまう。
「けど、坊っちゃん、それがいいなと言ってくれましたね、私もそれがいいと、お、思いますよ、」
「…なんで、泣いてるの?」
「坊っちゃんも、奥様も、少し落ち着きましょう……」
あの、
「奥様、坊っちゃんは、けして私を貶してなかったんです。
坊っちゃん、お母様は優しい方なのです、お二人とも悪くはないです、」
二人とも、そうなのですよ。
「…中川さん」
旦那様はぼんやりと庭を眺めて呟くように私を呼んだ。
「はい、どうしました?」
「…少々昔のことを思い出しました」
硬い表情で俯いたそれに、色々あったなぁと、私もきっと同じことを思い出している。
「昔、俺は母を何度か激怒させたことがありましたよね」
「二回ですよ。穏やかな方でしたよね」
こんなことが懐かしくなる。
私はここで…烏滸がましくも「家族」というものを出来ていたのだろうか…と、しんみりするような思いで。
「ですね。苦労ばかり掛けていたのだと思います。何より母には貴女が大きかった」
「私もそれは同じですよ。まるで…烏滸がましくも姉妹のような」
「母にとっても同じだったと思います。
母が最初で最後、俺を殴ったこと、覚えてますか?」
あれから旦那様は縁側から餌を投げるようになった。
「もう、覚えてます。忘れもしないですよ」
「俺もです。俺はあの時、母にも中川さんにも酷いことを吐いた」
ひょい、ひょいと餌を投げてゆく。
水面まで届いたかどうか。いまとなっては庭の鯉は金魚に代わり波紋も少なく、わかりずらい。
「いいえ。私は結構、嬉しかったですよ。旦那様には少し……トラウマになったのかもしれませんが」
「そうですね…。昨日のことのように思い出されます」
「色々、ありましたねぇ…」
「母は結局父に宥められたけど、母に謝られることも俺には嫌で嫌で」
「私もですよ。もとはといえばと考えると…」
「中川さん」
餌を投げるのをやめた旦那様は、少し控えめに「どうしましょうかね」と言った。
「…俺は息子さんには「ふざけるな」とは言えません。
結局この家は俺の代で終わりますし、いくら圭太がいるとはいえ、中川さんの身体のことも、言われてしまえばと……」
元夫に引き取られた長男が突然訪ねてきた。
私の歳もあり、「いつまで働かせるのか」と、旦那様に詰め寄ったのだ。
「そうですね…。
私は旦那様のお母様ほど出来た親ではなかった、何より共にいないので、薄情かもしれませんが、あの子が息子という実感も沸かなくて。不思議ですね、お腹を痛めた子なのに」
「……俺も、今更何をと思っているのは本音だったんですが」
「わかりますよ。そう息子にはっきり仰ってくれたのも、私には嬉しい限りでした」
見えない、言い知れぬものだが、旦那様があの息子の態度に良い感情を抱かなかったのは犇々と伝わっていた。
「母ももう…正しければ定年なのです。細井川様に老後の面倒をだなんていうのは高崎家としては浅ましい」
46になったはずの長男はそう言った。
長男は立派にあの家の家督を継いでいたようだった。
「いつの時代も、ごちゃごちゃ言うのはどうして他人なんでしょうかね」
ふと旦那様は側の、ゆずさんの部屋を眺めた。
「俺もその慣例には倣っているんですけどね。なんだかどうやら…感慨深くなってしまったらしく」
「…そんなこと、」
そうも言われてしまえば、決意というものが揺らぐ。これが乙女心なのか、いや…人の情なのか、どちらも同じものなのかもしれないが。
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