蜉蝣

二色燕𠀋

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懐古

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 男の名前は、涛川なみかわ裕次郎ゆうじろうという。
 久方ぶりに、あるかどうかも定かではなかった回顧かいこの、男が幼少から青年期終わりの差し掛かりあたりの年齢までをだらだら、だらだらと過ごした所謂“実家”というものに来訪した。

 “実家”は寂れた本屋。
 男は用意周到なような、少し神経質な性格であった。この本屋がまだこの場所にあることを知った上で、本日来訪したのだった。

 男がある意味つてとして訪れた要因となり、綱となり原因となったのは他ならぬ忘れ形見であった、世に言う『息子』と言う存在に位置するのかもしれない現在の、この本屋を切り盛りする若者、涛川なみかわほたるのせいであった。

 懐古を引き戻して再会してみても、当の蛍は、果たしてこんなやつだったかとピンと来ない。しかし言われてみればまぁ、あの『愛人』に面影があるもんだと、10年程の記憶が男には蘇り、震え上がるような、妙な感性を五臓六腑の、特に胃腸あたりから背筋に駈けて感じたものであった。

 勝るのは、嫌悪だの不快だの、哀愁に近いような感性。

 しかしそれは相手方もどうやら同じものらしい。蛍の、衝撃と不快が入り交じるような壮絶な感情論が読み取れる表情。それからの、蛍の横にいた、男の友人だった男の息子が吠えたてるのを無感情で男は流し見ていて感じる。

 俺はそうかここに今来て至極憎まれているようだと。

 だからこそ、息子蛍の、「お帰りなさい、先生、」と言う、まるで死ぬ前の死人達が魅せる有終の美とでも言いたげなような微笑みが、その息子の表情筋の仕組みが理解出来ない。

 そして漸く男は再実感する。
 あぁ、俺は非常に憎まれているようだ。

「何しに来た、このっ」
「君が一番解ってるだろう、粟谷あわや空太そらた。そうだ、君は空太だ。あの男が私にそう、いの一番に報告してきたんだよ空太。懐かしいものだ。いまやもう、20…何年前かな」
「うるせぇ、今更どうした。あんたはあの日に」
「『はやし道広みちひろ』、君が拒否したそうじゃないか空太」
「は、」

 3ヶ月近く前だった。
 息子の生存を知ったのも同時期だった。

 男の性格は、再三述べるが用意周到だった。しかしまさか、自分の息子が同業者、しかも作家になんて成り下がった等と、夢にすら思っていなかったのだ。

 若手の、年齢性別全てが不詳な作家、上柴かみしばかえで。名前くらいは聞いたことがあった。

 今となっては賞など、ペンネームよりも、『林道広』よりも使い物にならない只の記号だと男は思うのだが、何分自分は『林道広』にしてから日も浅い。それならばと意識を少し位は掠める“直木賞なおきしょう”と“芥川賞あくたがわしょう”。正直どちらも総舐めしてやれるほどに筆力の自信はあった。気力が追い付かなかったとしか言いようがない結果だった。

 総評で揺らがせた作家、上柴楓。しかし男には、林道広には何より気力がない。

 だがどんなくだらないヤツなのだろうかと、気になるのも職業病である。

 一冊読んで直感。こいつも貪欲だが、まだまだどうにも執着には行き着かない、だが孤独な物書きだと。例えるならばかいこであり、どこか、哀愁の回顧を見るような寂漠を引っ張り出してくる、そんな文章であると。

 そしてこのクセのある文体はどこかに置いて忘れてきたはずだった、痛いほど知っている懐古かいこの、殺しても殺し足りなかった己のそれに少し面影があると気が付いた。あの、どこから沸いて出るのかわからぬ、生き死に定かでない水蒸気に似た燻された文体。フラッシュバックは容易かった。

 もしそうなら、それはとても興味がある。しかしまさか。そんな疑心で一冊読み終えて浮かんだ月明かりとあの池と庭と。

 正直な作家だ。情景までもがありありと、その庭でしかなく。

 それならばと、軽い気持ちで上柴の出版社で一本、取材の仕事を入れた。丁度上柴の連載が始まったばかりだった。

 月刊誌の発行部数はそれだけで跳ね上がり、出版社が男を持て囃すのは早い話で。
 ならばと試しに上柴へのコンタクトを図ってみたがどうにも、先方がNGを出したような雰囲気であり。

 扉絵の“そらた”の作者名を見てすぐにピンと来た。問い合わせれば案の定、絵師のそらたが面談を拒否したと。

 それはそれで堪らなく、男の底意地の根を引っこ抜いてみるような事案。一言にこの男、見てみたくなったのだ。

 創作上の考察と、人として外れてしまった生き方をした末路として只一つ、物の興味。瞑想として生まれてしまった新たな可能性と妄想のような錯覚じみた事実への直面に、心へ、一つ鈍痛と20センチ近い包丁のような刃渡りを突き立てて息を止めてやろうかと。

 一家心中、陽一よういちの息子である夕陽ゆうひが死んだ世界を私が作り上げた。それを覆したのならばそれは夕陽が生きていると言う筋書きだ。さぁ、陽一を夕陽はどう見る。どんな妄想と世界と視界がそこに広がる?と。

 お前は私をどう写しどう懐古として受け入れ、刃渡り何センチで俺を殺しに掛かれる、蛍。いいや、上柴楓。

 私は素直にあれから幽体離脱をした自分の亡骸しか見ていないのだ。だから解らない。その有終の美が。まだ弱い。その虚無を越えた先をお前も共に視た筈なんだよ。

 練炭の向こうにある息苦しさなど捨ててしまえば外は自由な縛りのない、綺麗すぎた虚無だ。君はそれを知らない。まだまだ縛られる。私の呪縛を見せて欲しい。最早男は己のマイノリティに挑みに来たのだ。

 男の目的は己自信の歪んだ陶酔だと、対峙する二人の若者に皮肉を見せて笑うそれが、腹の底で血液循環をさせる憎悪や臓物のように思えて、ならない。
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