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蜉蝣
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白昼過ぎ。郊外の、人通りも少ない町並み。飲み屋すらない。しかし住宅街というわけでもなく、言うならば川端康成のような、だからと言ってトンネルがあるわけでも雪国でもない東京の地方、木が普通よりは繁っている店や建物が少ない鬱蒼とした道。
「はぁ、そうですか」
さして感情もない一定の音声で告げられた静かな声は、木々に吸収される。
場所は行きづりの書店。年期の入った頑丈な木造の、奥行と味のある佇まい。達筆なのか下手なのかわからぬ、立て掛け式のそれだけはわりと新しく見える看板には「ナミカワ書店」と書かれていた。個人経営のこじんまりとした本屋である。
店主である20代前半くらいの黒髪の色白な美青年、涛川蛍は、怠そうで興味もなさそうに、灰色のスーツを着た40代くらいの白髪混じりの男から受け取った紙の束に視線を滑らせる。
「捜索は難航しています。そもそも彼は」
「まぁ、そうですねぇ」
わかっていた結果だったが。
「あとは涛川さんのおっしゃっていたその原稿と調査結果、お返しします。ご期待に添えたかどうかは解りませんが…」
「まぁ、戯れ言なのかも、しれませんね」
あれから、2週間を掛け、蛍は退院した。
傷は塞がった。季節も、変わろうとしている。
この自宅に帰ってきて、文机を見たときに驚愕があった。
見慣れたような、しかし馴染みはない文字がしたためられた原稿用紙が、短編1本分くらいの厚さで置いてあった。使われていない硯を重石として、恐らくは万年筆の字体で。
原稿用紙端には甲斐甲斐しいのか嫌味ったらしいのか捉え方は様々な想像だが、『林道広』の名前があり、その語られた内容は生々しくも、あの男らしい内容の『暴露本』のような物だった。
あの男は元来の作家だ。虚言、なにより妄想癖が強い。その生態系は少なからずわかってはいたがそのスタイルは昔の、忘れてしまったあの男がここで暮らしていた頃のペンネーム時代の癖かもしれない。
そう、自分の知っている作家である父親の認識を揺らがせるような衝撃は2つあった。
1に文体、2に、そこに書かれている登場人物が全て実名であるということである。
ただし最後に書かれた、『この物語はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ありません』の注意書きが気に掛かった。そこで真意を確かめるべく、しかるべき調査会社に蛍は原稿の真偽の調査を依頼した。
「正直、貴方の父親とされる裕次郎氏はまだ、行方がわかっていない。認知もされて…いないようですし、ただ、救いだったのはおじいさまですね。
DNA鑑定を、実はしていた」
「…そうですね」
「それをみれば、やはりこの原稿用紙は小説ということになる」
「はぁ…」
その内容というのは。
父が母を、『愛人』と呼んでいた理由のに出てきたくだりだった。
読めば、内容を納得しなくもないが、それももしかすると『偏屈』な『作家』気質の自分の文脳がご都合主義なのかもしれない、そんな気もしなくはない内容だった。
裕次郎の友人、粟谷宗一と自分の母が浮気を繰り返していた、というもので。
まぁ確かに、何故あれほどまでに、いくら友人といえど空太の父である宗一がこの店に通い、本を読んでいたのか。
幼い頃の自分には、そうか、それほど本が好きな男なのかと納得したものだが、しかし思い返してみて空太の父は果たして本を読んでいたのだろうか。なんせ、空太が本を、それほど読まない。
父、裕次郎の中では蛍は、宗一の遺伝子下にあるとした。つまりは裕次郎の理論でいけば空太とは腹違いの兄弟、ということになるわけだが。
「あとはまぁ…当の裕次郎さんもお母様も…」
「そうですね。いまや…どちらも死んでいる。調べようもありませんね」
「宗一さんもお亡くなりですし。あとは…」
「いえ、まぁ…」
バカらしい。
「…希望はまぁ、持って…帰りを待ってみても…。
事実上、裕次郎さんは失踪から6年以上が経ち死亡届はおじいさまが出されていますが、実際にはこうして」
「まぁ、はい。ありがとうございます」
蛍は取り敢えずその、調査会社の男に頭は下げた。
「無責任かもしれませんが、貴方まだ若いんだ、いくらでも」
「まぁそうですね。はい」
元気付けのつもりだろうか、調査員に肩を叩かれた。
顔を上げると、蛍が先を見て眉を潜めていた。
無表情だった、感情も読めぬ美麗な男の突然の変異に、思わず男は振り向いた。
店先に自転車を押した男子校生と、いかにも営業職をしていそうな、黒い手提げ鞄を持ち水色のスーツにチェックシャツ、床屋を連想させる柄のネクタイといった派手な出で立ちの男が楽しそうに話ながら店に歩いてくるのが見える。客だろうか、知り合いだろうか。
男子校生が気が付いてこちらに頭を下げる。一見お笑い芸人のような男も笑顔で手を振ってきて。
店主、蛍は「すみません、ありがとうございました。お世話になりました」と丁寧に調査員へ礼を言ったかと思えば、「芸人の講演会はお断りしますけど床屋さん!」と、前の芸人男に怒鳴るように叫んだ。
「違うから!冷たくないかちょっとぉ!」
取り敢えず知り合いらしい。男は蛍に頭を再び下げ、その場から立ち去ることにする。
「はぁ、そうですか」
さして感情もない一定の音声で告げられた静かな声は、木々に吸収される。
場所は行きづりの書店。年期の入った頑丈な木造の、奥行と味のある佇まい。達筆なのか下手なのかわからぬ、立て掛け式のそれだけはわりと新しく見える看板には「ナミカワ書店」と書かれていた。個人経営のこじんまりとした本屋である。
店主である20代前半くらいの黒髪の色白な美青年、涛川蛍は、怠そうで興味もなさそうに、灰色のスーツを着た40代くらいの白髪混じりの男から受け取った紙の束に視線を滑らせる。
「捜索は難航しています。そもそも彼は」
「まぁ、そうですねぇ」
わかっていた結果だったが。
「あとは涛川さんのおっしゃっていたその原稿と調査結果、お返しします。ご期待に添えたかどうかは解りませんが…」
「まぁ、戯れ言なのかも、しれませんね」
あれから、2週間を掛け、蛍は退院した。
傷は塞がった。季節も、変わろうとしている。
この自宅に帰ってきて、文机を見たときに驚愕があった。
見慣れたような、しかし馴染みはない文字がしたためられた原稿用紙が、短編1本分くらいの厚さで置いてあった。使われていない硯を重石として、恐らくは万年筆の字体で。
原稿用紙端には甲斐甲斐しいのか嫌味ったらしいのか捉え方は様々な想像だが、『林道広』の名前があり、その語られた内容は生々しくも、あの男らしい内容の『暴露本』のような物だった。
あの男は元来の作家だ。虚言、なにより妄想癖が強い。その生態系は少なからずわかってはいたがそのスタイルは昔の、忘れてしまったあの男がここで暮らしていた頃のペンネーム時代の癖かもしれない。
そう、自分の知っている作家である父親の認識を揺らがせるような衝撃は2つあった。
1に文体、2に、そこに書かれている登場人物が全て実名であるということである。
ただし最後に書かれた、『この物語はフィクションであり、実在する人物・団体とは一切関係ありません』の注意書きが気に掛かった。そこで真意を確かめるべく、しかるべき調査会社に蛍は原稿の真偽の調査を依頼した。
「正直、貴方の父親とされる裕次郎氏はまだ、行方がわかっていない。認知もされて…いないようですし、ただ、救いだったのはおじいさまですね。
DNA鑑定を、実はしていた」
「…そうですね」
「それをみれば、やはりこの原稿用紙は小説ということになる」
「はぁ…」
その内容というのは。
父が母を、『愛人』と呼んでいた理由のに出てきたくだりだった。
読めば、内容を納得しなくもないが、それももしかすると『偏屈』な『作家』気質の自分の文脳がご都合主義なのかもしれない、そんな気もしなくはない内容だった。
裕次郎の友人、粟谷宗一と自分の母が浮気を繰り返していた、というもので。
まぁ確かに、何故あれほどまでに、いくら友人といえど空太の父である宗一がこの店に通い、本を読んでいたのか。
幼い頃の自分には、そうか、それほど本が好きな男なのかと納得したものだが、しかし思い返してみて空太の父は果たして本を読んでいたのだろうか。なんせ、空太が本を、それほど読まない。
父、裕次郎の中では蛍は、宗一の遺伝子下にあるとした。つまりは裕次郎の理論でいけば空太とは腹違いの兄弟、ということになるわけだが。
「あとはまぁ…当の裕次郎さんもお母様も…」
「そうですね。いまや…どちらも死んでいる。調べようもありませんね」
「宗一さんもお亡くなりですし。あとは…」
「いえ、まぁ…」
バカらしい。
「…希望はまぁ、持って…帰りを待ってみても…。
事実上、裕次郎さんは失踪から6年以上が経ち死亡届はおじいさまが出されていますが、実際にはこうして」
「まぁ、はい。ありがとうございます」
蛍は取り敢えずその、調査会社の男に頭は下げた。
「無責任かもしれませんが、貴方まだ若いんだ、いくらでも」
「まぁそうですね。はい」
元気付けのつもりだろうか、調査員に肩を叩かれた。
顔を上げると、蛍が先を見て眉を潜めていた。
無表情だった、感情も読めぬ美麗な男の突然の変異に、思わず男は振り向いた。
店先に自転車を押した男子校生と、いかにも営業職をしていそうな、黒い手提げ鞄を持ち水色のスーツにチェックシャツ、床屋を連想させる柄のネクタイといった派手な出で立ちの男が楽しそうに話ながら店に歩いてくるのが見える。客だろうか、知り合いだろうか。
男子校生が気が付いてこちらに頭を下げる。一見お笑い芸人のような男も笑顔で手を振ってきて。
店主、蛍は「すみません、ありがとうございました。お世話になりました」と丁寧に調査員へ礼を言ったかと思えば、「芸人の講演会はお断りしますけど床屋さん!」と、前の芸人男に怒鳴るように叫んだ。
「違うから!冷たくないかちょっとぉ!」
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