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欲動
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希死念慮に怠惰が流れ込んだとき、人はそれ以上、どこに向かうのかと考えることがある。
「ははっ、良い匂いするでしょ!」
水色ショートヘアーの女子が腕に絡み付いてくる。
ビンは濃い緑色。少し重みのあるこの苦い炭酸の方が好き。赤い方はもう少し薄いんだよなと別のことを考えていると、「どう?」と、女子は上目使いで“それ”を促してきた。
口紅の付いた吸い口。
自分の意思も介在せず、女子が“それ”を左の指に挟んでくるが、演奏で少し痺れていた。何も意識を滑ることなく火が点いたまま、“それ”はコロコロとライブハウスの床を転がってしまった。
「あ、」
仕方がないなと、しゃがんで拾おうとした瞬間微かに、プラスチックを燃やしたような、人工物の匂いが鼻に付いた。
鳥肌が立つ。
多分、これは良くないやつだ。
然り気無く火をもみ消し拾い、「ごめんね」と振り向くと、そのサブカル女子は楽しそうに笑って「それあげる」と、ポーチから新しい一本を取り出した。
「これ、スッゴク良いの。ねぇ、慧くんだっけ、一本いる?」
彼女はしゃがみ目を合わせ、「興奮しちゃうかもよ?」と耳元で呟いてきた。
紫の長いネイルに挟まれた新しい“それ”を引き抜き「どんな感じ?」と聞き返してみる。
「…試す?」
“それ”と引き換えに緑のビンを促したが、「バドワイザーの方が好きかも」と注文をつけられた。
「わかった」
「慧くんさ」
「ん?」
「左利きなの?」
レフトギターのことだろうか。
「違うよ」
しゃがんだ彼女に手を貸し立たせ、側のカウンターでバドワイザーを買ってやる。
そしてトイレの個室へ迷いこんだ。
客席が一度、無音になったらしい。
しかしすぐ、今回を機に知った年上バンドの鋭いギターが聴こえて来た。
防音の中で僅かに響いてくる演奏。
この人も初めて見るお客さんだし、多分、ウチのファンじゃないな。
「聴かなくてよかったの?」
今現在流れている先輩のファンでもないのかもしれない。
静かに確認をしてやったが、そんなことより、と浮かされるような上擦った声がそこに入り交じった。
きっとこの人は自分よりも人生を楽しんで来た人だ。
溺れている。自分とは全く掛け離れたような早い濁流に。
自分の怠惰と希死念慮について考える。
最近思ったような演奏が出来ない。息は苦しく、ピンクのリップで塞がれる。
彼女はその場に座り、ねっとりとした手付きでベルトに手を掛けてきた。
項に掛かる彼女の体重とアルコールの息、人工物。
左手で水桶を掴み、体を支えながら「足、開いて」と彼女に囁く。上手く、手に力が入らない。
特に意識をしたことはなかったが、「良い声よね」と言ってくれるのは嬉しい。
「可愛い顔してるし」
やっぱり歳上か、だとしたら良い歳だな。節々にそう感じていた。
顔の輪郭を撫でられ、ここへ来て初めてまともに彼女の顔を見た。
どこを見ているかわからない涙目、目尻の小さな黒子、朱が差した頬。
僅かに聞こえる歌声は力強さを感じるのに、まるで自分は水の中にいる気分。
壁越しの演奏は例えるなら「錆を引っ掻くような音」だった。
まだ、皮も厚くならない指が彼女の柔らかい場所を捕らえると、苦しそうな黄色い奇声が僅かに響いた。
汗に似た感触。
肩甲骨あたりをぎゅっと握ってくる彼女が「もっと…」と焦るように言うそれに、相対する自我保存の勤勉について考えた。
熱い。
淡と、そう口にしそうになった。
錆を引っ掻くようなギリギリとしたディレイと「あぁっ、ひっ、あひゃっ、」と外れてしまった喘ぎ声。
思考は散漫で身体は緻密だ。まるで別の所有者がそれぞれいるような。
ここはどこだ。存在がわからない、それでも、身体は規則的に動く。
自分の意思ばかりが深い海に一つ、置いていかれたような快楽。
この人随分と侵食しているなと、浅く浮上しそうになった時、身体がぐっと一気に寒くなった。
彼女もふるっと一度震え、はぁ、と息を吐く。
まるで、例え話が浮かばない。
きっと、溺れた感情に浸っているんだろう。彼女は涙目で、自分は息を切らす前に飲み込んだ、なんせ喉に悪い。
頭に、耳鳴りのような雑音はいつでもある。
彼女は自身から抜かれた、ただの肉塊と自身の陰部を交互に眺めて「あれ?」と我に返った。
…あれだけ早急に求められたのに、今更避妊について言われてしまったら、どうしようか。
「そんなによくなかったぁ?」
「いや、」
煩わしくガラガラとトイレットペーパーを出し、濡れた場所を自ら拭う女は「イッたんだよね…?」と不思議そうだった。
「うん、よかったよ。ありがとう」
悪癖が出てしまったな。
彼女はまるでマジックでも見たかのような表情をしている。
無理もないだろう。
彼女はにやっと笑い、「出してよかったのに」と言った、耳障りな錆びた演奏はどうやら終わったようだ。
誰もいないけど、さっと去ろう。
意識もしなかった、ビールは鏡台に置きっぱなしにしていたようだ。
「女が抱けないって、やっぱり噂だったんだね」
つい、彼女へ振り返ってしまった。
「ははっ、良い匂いするでしょ!」
水色ショートヘアーの女子が腕に絡み付いてくる。
ビンは濃い緑色。少し重みのあるこの苦い炭酸の方が好き。赤い方はもう少し薄いんだよなと別のことを考えていると、「どう?」と、女子は上目使いで“それ”を促してきた。
口紅の付いた吸い口。
自分の意思も介在せず、女子が“それ”を左の指に挟んでくるが、演奏で少し痺れていた。何も意識を滑ることなく火が点いたまま、“それ”はコロコロとライブハウスの床を転がってしまった。
「あ、」
仕方がないなと、しゃがんで拾おうとした瞬間微かに、プラスチックを燃やしたような、人工物の匂いが鼻に付いた。
鳥肌が立つ。
多分、これは良くないやつだ。
然り気無く火をもみ消し拾い、「ごめんね」と振り向くと、そのサブカル女子は楽しそうに笑って「それあげる」と、ポーチから新しい一本を取り出した。
「これ、スッゴク良いの。ねぇ、慧くんだっけ、一本いる?」
彼女はしゃがみ目を合わせ、「興奮しちゃうかもよ?」と耳元で呟いてきた。
紫の長いネイルに挟まれた新しい“それ”を引き抜き「どんな感じ?」と聞き返してみる。
「…試す?」
“それ”と引き換えに緑のビンを促したが、「バドワイザーの方が好きかも」と注文をつけられた。
「わかった」
「慧くんさ」
「ん?」
「左利きなの?」
レフトギターのことだろうか。
「違うよ」
しゃがんだ彼女に手を貸し立たせ、側のカウンターでバドワイザーを買ってやる。
そしてトイレの個室へ迷いこんだ。
客席が一度、無音になったらしい。
しかしすぐ、今回を機に知った年上バンドの鋭いギターが聴こえて来た。
防音の中で僅かに響いてくる演奏。
この人も初めて見るお客さんだし、多分、ウチのファンじゃないな。
「聴かなくてよかったの?」
今現在流れている先輩のファンでもないのかもしれない。
静かに確認をしてやったが、そんなことより、と浮かされるような上擦った声がそこに入り交じった。
きっとこの人は自分よりも人生を楽しんで来た人だ。
溺れている。自分とは全く掛け離れたような早い濁流に。
自分の怠惰と希死念慮について考える。
最近思ったような演奏が出来ない。息は苦しく、ピンクのリップで塞がれる。
彼女はその場に座り、ねっとりとした手付きでベルトに手を掛けてきた。
項に掛かる彼女の体重とアルコールの息、人工物。
左手で水桶を掴み、体を支えながら「足、開いて」と彼女に囁く。上手く、手に力が入らない。
特に意識をしたことはなかったが、「良い声よね」と言ってくれるのは嬉しい。
「可愛い顔してるし」
やっぱり歳上か、だとしたら良い歳だな。節々にそう感じていた。
顔の輪郭を撫でられ、ここへ来て初めてまともに彼女の顔を見た。
どこを見ているかわからない涙目、目尻の小さな黒子、朱が差した頬。
僅かに聞こえる歌声は力強さを感じるのに、まるで自分は水の中にいる気分。
壁越しの演奏は例えるなら「錆を引っ掻くような音」だった。
まだ、皮も厚くならない指が彼女の柔らかい場所を捕らえると、苦しそうな黄色い奇声が僅かに響いた。
汗に似た感触。
肩甲骨あたりをぎゅっと握ってくる彼女が「もっと…」と焦るように言うそれに、相対する自我保存の勤勉について考えた。
熱い。
淡と、そう口にしそうになった。
錆を引っ掻くようなギリギリとしたディレイと「あぁっ、ひっ、あひゃっ、」と外れてしまった喘ぎ声。
思考は散漫で身体は緻密だ。まるで別の所有者がそれぞれいるような。
ここはどこだ。存在がわからない、それでも、身体は規則的に動く。
自分の意思ばかりが深い海に一つ、置いていかれたような快楽。
この人随分と侵食しているなと、浅く浮上しそうになった時、身体がぐっと一気に寒くなった。
彼女もふるっと一度震え、はぁ、と息を吐く。
まるで、例え話が浮かばない。
きっと、溺れた感情に浸っているんだろう。彼女は涙目で、自分は息を切らす前に飲み込んだ、なんせ喉に悪い。
頭に、耳鳴りのような雑音はいつでもある。
彼女は自身から抜かれた、ただの肉塊と自身の陰部を交互に眺めて「あれ?」と我に返った。
…あれだけ早急に求められたのに、今更避妊について言われてしまったら、どうしようか。
「そんなによくなかったぁ?」
「いや、」
煩わしくガラガラとトイレットペーパーを出し、濡れた場所を自ら拭う女は「イッたんだよね…?」と不思議そうだった。
「うん、よかったよ。ありがとう」
悪癖が出てしまったな。
彼女はまるでマジックでも見たかのような表情をしている。
無理もないだろう。
彼女はにやっと笑い、「出してよかったのに」と言った、耳障りな錆びた演奏はどうやら終わったようだ。
誰もいないけど、さっと去ろう。
意識もしなかった、ビールは鏡台に置きっぱなしにしていたようだ。
「女が抱けないって、やっぱり噂だったんだね」
つい、彼女へ振り返ってしまった。
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