天獄

二色燕𠀋

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希死念慮

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「…確かに」
「単純に薬の作用もあるけど、物質を変えないと過剰摂取で身体に誤作動が起こる事がある。よくご存じかと思いますが」
「…アナフィラキシーか!」
「そう。
 で、違法と合法の違いね。興奮剤か抑制剤かって話。
 日本では大体、メタンフェタミンが覚醒剤と呼ばれているけど、同じくアンフェタミン、てのもある。
 メタンフェタミンはアンフェタミンを母体とし、少しだけ成分を変えてるんだよね。メタンはアンの息子と考えていただければ。フロイトとユングで例えた方がいい?」
「……逆にわかりにくそうな雰囲気…」

 …ノットイコール。

「あいつら複雑だからな。じゃあ親子で。
 このアンさんとメタンくん、どちらもアドレナリン受容体から中枢神経を刺激する効果がある。メタンは息子、男の子だから少し力強い、と」
「息子…」
「アンはじゃあ、母親だから、ADHDやら、脳や神経系の薬にも変換させることが出来たりする」
「…ちょっと見えてきたかもしれない」
「アンさんは脳から神経への伝達…うーん、神経に命令を促すんだよ。
 神経は“抑制”という命令を受ける。向精神薬、つまり抑制剤全般に思考遮断と停止の効果があるから、副作用に健忘がある。
 じゃぁデパス、チエノジアゼピンね。こいつはアンさんとこの子じゃないけど、高い中毒性があったりする。これでも合法だ」
「思考遮断や停止…中毒性…」

 確かにそうかも…。

「神経伝達物質ってのは、生命であればそれぞれ身体の中で作るわけだけど、噛み砕いて言うと天然由来なわけだ。
 それらをアルカロイドと呼ぶんだけど、アルカロイドの代表で手を上げてくるのが、ケシ類なんだよね」
「…タバコとか、アヘンとかの」
「そう。
 神経伝達物質は天然由来、元から誰もが持つ物であり、アンさんは教育方針よろしく、それを興奮、抑制するように精神への洗脳も出来る、てわけ」
「なるほどわかりやすい…」
「あんた、アレルギー出たとき、ドーパミン、まぁ、ドパミンやらアドレナリン打つでしょ。どっちも自然由来の神経伝達物質で、身体を活性化させる役割がある。
 アナフィラキシーの治療の場合、身体の過剰反応を抑制するために、刺激をするわけではなく、元からある物の量を増やすんだ。仕組みとしてはざっくりこんな感じかな」
「…波瀬さんがいま持ってるやつは、じゃあなんなの?昨日くれなかったよね」
「これはかなりグレーな合法。
 薬の分類としてはアンフェタミンと同じ精神刺激薬になる。これもADHDの薬。しかし、興奮剤という定義付けだ。ドーパミンとアンフェタミンどっちにも類似してるんだよ。
 愛称リタリン、可愛いだろ」
「………」
「薬剤師登録をしていても、責任者、とならないと処方しちゃならないし、支給もされないくらいの一級品。
 これはね、ドーパミンを刺激して強くすんだよ。だからダメ、あんたは。持続性も短く、戦争時代なんかだと、外国はこれでハイになったわけだ」

 いま、ピンと感覚が張りつめた。
 然り気無く違法臭いことを言った気がする…。

「薬剤師でも、扱えないの?」
「特別な薬剤師しか。俺は大学からの研究で残りを持ってる、今。マトリとかのときに勉強したんだ」
「可愛い愛称…」
「リタリン」

 …凄く有力な情報を手に入れたような。
 これは、果たしてどちらの案件になるんだろう。合法だけど、特別な薬剤師しか使ってはならない…。

 考えているうちに「まぁこれは俺が使うとしても」と言い、波瀬は急にがっと、首を絞めて押し倒してきた。

「なっ……、」

 急すぎる、脊髄反射でその右手を掴んだ。これは…防衛本能なんだろうか。身体に生存の願望はまだ残っているということか?

 身体の意思と、自分の思考が伴わない。

「ちょっと、前回ハードだったみたいだしぃ、これくらいなら、どう?」

 ……苦しい。

 波瀬は片手でぐいぐいと首を絞め上げてくる。咳も出るし呼吸も苦しくなる。

 …そうか、死ぬのかもしれない、咳も止まってくる、あとはぜーはーと呼吸を確保するだけで、喉が切れそう、頭が白くなっていって。

 …自我保存ノットイコール希死念慮。
 興奮剤ノットイコール…抑制剤…。 
 
 パンツを脱ごうかとする波瀬の腕を…取った、左手は震え始めている、酸素不足、過呼吸だからだろう。
 朧気にその手も首へ持っていくと、波瀬は驚いた顔はしたが、容赦なく両腕の力を強めてきた。

「…あんたさぁ、レイプされたことあんだろ、もしくは、ドSと付き合ってる」

 咳まで潰されそう。

 しかし波瀬はふと、手を離し差し伸べてきた。
 黙って従い起き上がると、波瀬は気まずそうにそっぽを向き、側に座り直した。

「…そーすっと、あとは殺すしかないんだよなぁ…」

 そうだね。

「何“それだ!”て顔してんだよ」

 …ノットイコールだ。波瀬は、あと一歩で殺す気なんて多分、なかった。

「…ホントに乗り気じゃなかったな。まぁいいや、」

 波瀬は耐えられないとでも言うように、ガバッとキスをしてきた。
 それは深く深いもので、酸欠の頭を麻痺させる。

 離れた波瀬はまるで…優しい目で穏やかに「明日来て」と低く言った。

「なんでもいいから明日。別にヤらなくてもいい」
「くれるの?」
「ん?」
「いや…」
「………取り敢えずは…」
「…ごめん冗談。型?」
「…うん、そう、サンプル。
 さとい、ていうんだよね?どういう字?」
「…慧い…、賢いみたいな意味。調べれば?彗星みたいなやつだよ」
「わかった」

 そして波瀬はどうやら勝手に、作業を始めたようだ。
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