Get So Hell?

二色燕𠀋

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神水

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 坊主の元から勢いで出て来た翡翠は所在なくふらふらと、腹立ち紛れに建物内を歩き回ることにした。

 朱鷺貴が口下手で暑苦しいやつなのは承知している。出て行くこともなかった気がする。だが、なんだか突発的にいたたまれなくなった自分がいた。

 卑下するなという朱鷺貴は些か強引だが、まぁきっと優しいのだ。だからこそいたたまれなくて仕方がない。

 どうしてこうも自分はひねくれているのかと初めて考えさせられた。心の余裕は案外人をこうして追い込むものか。余裕があるから隙間にこうして自分の弱さを見る気持ちが入り込むようだ。

 少し前の自分なら何も痛むことはなかった、少なくとも朱鷺貴に会わなければずっと自分は、生き方に目を瞑ってでも生きていただろう…。

 翡翠の思考が止まったのは、前方で明かりの漏れた襖を覗く髪の長い女を見つけたからだった。服装的には神職で髪飾りはせず結わない白髪混じりの、なんとなく年増だと感じる様。

 あれはもしや宮司だろうかと思ったときに目が合う。頬の線や血走った目に、なるほどと納得した。

 目を合わせて気まずそうに覗きをやめた女に、翡翠は声も掛けずに近付くが、女は特に動じることもない。試しに翡翠は側まで行きその部屋を覗いてみた。

 禰宜と、もう少し若い女が肌を合わせていた。なるほど、女の下に敷かれた着物は真っ更な白い着物。快楽に歪むが五条に口を押さえられたその顔が美しいかはわからない。

 あれがその16の娘か。肌は確かに若々しいしあどけなさがある。翡翠が悟ったときに潤んだ瞳と目が合い、そっと襖を閉めて宮司だろう女を優しく見つめるよう努めた。

「…あの化け物が、」

 果たしてどちらに向けた言葉か。
 言い捨てる女に合わせるように少しだけ翡翠は屈み、「宮司様でありますか」と訪ねてみた。

 返事はせず睨むように眺めた宮司の背に翡翠は手をやり、ここから立ち去るを促す。

「あれは、娘様でしょうか」

 黙っている。
 察した翡翠は微笑んでから「宮司様」と優しく言って宮司の頬に触れた。

 案外、綺麗な女だと感じた。

「あんな物は見なくて良いのですよ。人は醜いですから」

 呆けたように翡翠を見上げる宮司へ更に続ける。

「貴方だって、美しいです」

 きっとそれが憎しみなのだろうと思えば自然に出てくる言葉だった。

 見つめ返して少し視線を外した宮司は「あんな恐ろしい娘」と漏らす。

「あれも禰宜のクセに、娘となんて、」
「…驚きました。
 ここの人、正直人間味がないなと感じていたので、貴方が新鮮に見える」
「…宮司に向いていないと?」
「いや、神職の事はわからないのですが、私は貴方を美しいと思いますよ。あんな小娘より、遥かに」

 黙りこくり、また見上げてはぼんやりと宮司は翡翠の手に自分の手を重ね、ゆっくりと下げた。

 それから背を向け、翡翠が来た道とは反対側をひっそりと歩いて去る。ただ一言、「ありがとう」と言って。

 女子とはいつまでも女子だと、心で泣いているだろう宮司の背を翡翠を見守る。

 泣く女は抱く気にならないもんだな。歳はあれど美人だった、惜しかったかもしれないと邪が翡翠を過り、宮司が見えなくなったとき、慌てたように五条がキョロキョロと廊下を見渡した。

 目が合えば五条は戸を閉め、慌てたように翡翠の前まで早足で来ては呼吸を荒げた。

「竜神様のお出ましで?」
「…見たか」
「何をです?」
「その…」
「あんさん、小娘がお好みなようで」

 皮肉に翡翠が返せば五条ははっとした顔をし、「待った…、」と呼吸を整えた。

「…言わないでくれないか、」
「誰に何をですか」
「えっと…」
「とっくに宮司はご存知ですが」

 間を置いてから翡翠を見つめた五条は、ふと乱暴に翡翠の左手首を取り、勢いで壁に翡翠を押し付ける。

「ぁっれは、神聖なる行いで」

 焦って五条の声はでかくなる。「静かにしたらどうでしょう」と、挑戦的に五条を見上げた翡翠は嗜めた。

 その翡翠の澄ました薄笑いに五条は徐々に顔を歪め、翡翠の口を塞いでは、壁に近付くように耳元で囁きに近く言い捨てる。

「お前らに何がわかるっ、」

 と。

 顔を背ける翡翠に五条は、先程の延長か、妙にこの女流顔をどうにか歪めたくなる衝動が沸いてくる。身体が先に動き、左手は翡翠のももあたりに指を這わせる。

 冷たい鉄の感触を捉え、五条は手を止めた。

 その瞬間に翡翠は口を塞ぐ五条の手を払い退ける。

「あんさん、そんな趣味がおありで?それとも仏教と聞いてですか、五条様」
「…あ?」
「羨ましい限りでんな。あの小娘で満足ならないなら、アタシでよけりゃぁお相手しましょうか?生憎とこっちとら無宗教で男娼やった身分さかい、いくらでも恥なんてありませんのや、竜神さん」

 言いながら翡翠は唖然として緩まる五条の右手を払って頭を抱え、指で髪を鋤いては嘲笑う表情を称える。だが右足から苦無を引き抜き五条の蟀谷に向け、

「ナメんじゃねぇよクソ野郎」

 吐き捨てる。
 底冷えする翡翠の声に五条は思考を奪われた。
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