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逃走
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だが、元来の副都ヤクザや男娼気質だと、ここに来て自分を苦しめる。はぁと溜め息を吐いた劣性に「くそったれが、」と愚痴しか出てこない。
腹立たしく憂鬱なまま翡翠はさて、昨日の武士はまだこの楼にいるだろうかと、部屋を見て回ろうと考える。
朱鷺貴の顔が浮かんだ。
予想だにせず人質を取られた。浅はかだった。機会があれば事情を飲ませ、自分を置いて江戸へ発つように向けねばなるまい。それには吉田を納得させねばならない。
反吐が出る。いや、吐いた方が楽だ、この鬱憤は。どんどん醜く沈んで行く。いまさら何を欲望とする。自分は坊主に向いているのではないかと純粋に思えてくる。
だがその神域を犯すも、また自分かと少し、自棄になりそうなのもあった。最高潮に、不機嫌だ。
情報など一分程度か、あの野郎が本気でそう思っているとしたらたかが知れた、結局大した男などではないのではないか、桂…小五郎。
居場所が相手方に伝わっていないのなら尚良しと捉えたが恐らくあの振袖新造はそれほどの学もなく掴まされていたのだろう。
そして吉田はあの口振りでは桂と言う男の居場所を…知っているか否か。
さらに翡翠はちらっと話に姿を過らせたその桂を知らない。
翡翠はそこではっと我に返る。
あの女は果たして何故斬られそうになったのか。
たかだか振袖新造、しかし、遊郭が武士の交流であるのは昨今、京も上方も変わりがないらしい。それだけ安価な話だ。
流石にお忍びある嗜み、お遊びとした、二番煎じの文化には縁も遠い話ではあったのだけど。
…これだから安いというのは手の掛かる。が、重い物を抱える太夫達を翡翠はいくらでも気の毒に感じた。
何故そのようにして、男より力がないだけで安請け合いになってしまうのか…。
しかし自分程度が言えたものでもないなと翡翠は自虐する。自分は三分や、それどころか一分より遥かに軽い命だ。
何故遊女が斬られそうになったかなど嗜みにはわからない話だ。それほど籠は狭いが自分には飛ぶ羽根があった。じゃぁ、どちらが空を知らないものか見聞してやるも坊主への土産だ。
…初会でもない牛野郎はピンと来なかったようで、結局あの中の武士がこの楼にまだいるかわからなかった。
流石に一分の価値を見誤ったか。確かに遊郭よりは箔の付く話だったけれど。そう言えば金銭感覚がおかしいと散々坊主に言われてきたな、自分は。
そろそろ客は起き出す頃合いかと冷たい階段を上る。嫌でも思い出して当然だ、この感触。
階段辺りに座っていた二回廻しの下男は「何用ですか」と翡翠に訪ね、それからすぐにはっと黙った。
にやっと笑い翡翠は「用心棒になりました」と男に伝える。まだ、少年のようで。
これじゃぁ却って不用心だなと踏み「望月さんの連れのお侍様はどちらの見世で?」と手っとり早く聞いてみた。
「なんやぁ、あそこの客の玉代を徴集してこい言われましてな。雇われました。水鶏と言います」
「あぁ…えっと」
「あんさん若いようやけど、どうや、大事ないかえ」
「…京の」
それには答えなかった。
ふらふらっと、何が出るかは定かでない見世が並んでいる。
二階廻しの少年はまだ少しおどおどしていたが、「右手三番目に…」と言った。
「三好さまと言うお方がおられますが」
「坊主のような名前ですこと。ちなみに「南條」いう坊さまはどちらで?」
「あぁ、お坊様ですね…。確か…左手奥だったと」
「おおきに」
別にどこだって良いのだが。あの女は奥部屋か。
確かにいかなるときも客にとっては都合の良い見世だな。斬ろうと喚こうと、何かあって奇襲されたときですら窓から逃げるに早いもんだ。
うまく使われているらしい。しかし振袖。最早あの吉田と懇ろだろうと値を付ける。
…いや、他にもいるかもしれない。郭なぞわからぬところだ。少々、気の毒な女だと感じる。何を握られちまったのかと自分の生い立ちまで降ってきた。
こちらはこちらで人質を取ったと捉えようか。だがあの坊主も楽天家だ。
溜め息が出そう。翡翠は二階廻しに「線香を」と手を出し受け取った。
「ええ子やね」と頭を撫でた後に少年が顔を赤らめたのを翡翠は知らない。
「奥の坊主が出てきはったら、江戸はお気をつけ遊ばせとお伝えしといてくださいな」
「…はい?」
「昨日、江戸について聞かれましたので」
とんだ茶番だな。自虐を越えて自嘲になってくる。こんな茶番。
線香を持って右手三番目の見世に翡翠は向かう。早くも折りたいような心境だった。
腹立たしく憂鬱なまま翡翠はさて、昨日の武士はまだこの楼にいるだろうかと、部屋を見て回ろうと考える。
朱鷺貴の顔が浮かんだ。
予想だにせず人質を取られた。浅はかだった。機会があれば事情を飲ませ、自分を置いて江戸へ発つように向けねばなるまい。それには吉田を納得させねばならない。
反吐が出る。いや、吐いた方が楽だ、この鬱憤は。どんどん醜く沈んで行く。いまさら何を欲望とする。自分は坊主に向いているのではないかと純粋に思えてくる。
だがその神域を犯すも、また自分かと少し、自棄になりそうなのもあった。最高潮に、不機嫌だ。
情報など一分程度か、あの野郎が本気でそう思っているとしたらたかが知れた、結局大した男などではないのではないか、桂…小五郎。
居場所が相手方に伝わっていないのなら尚良しと捉えたが恐らくあの振袖新造はそれほどの学もなく掴まされていたのだろう。
そして吉田はあの口振りでは桂と言う男の居場所を…知っているか否か。
さらに翡翠はちらっと話に姿を過らせたその桂を知らない。
翡翠はそこではっと我に返る。
あの女は果たして何故斬られそうになったのか。
たかだか振袖新造、しかし、遊郭が武士の交流であるのは昨今、京も上方も変わりがないらしい。それだけ安価な話だ。
流石にお忍びある嗜み、お遊びとした、二番煎じの文化には縁も遠い話ではあったのだけど。
…これだから安いというのは手の掛かる。が、重い物を抱える太夫達を翡翠はいくらでも気の毒に感じた。
何故そのようにして、男より力がないだけで安請け合いになってしまうのか…。
しかし自分程度が言えたものでもないなと翡翠は自虐する。自分は三分や、それどころか一分より遥かに軽い命だ。
何故遊女が斬られそうになったかなど嗜みにはわからない話だ。それほど籠は狭いが自分には飛ぶ羽根があった。じゃぁ、どちらが空を知らないものか見聞してやるも坊主への土産だ。
…初会でもない牛野郎はピンと来なかったようで、結局あの中の武士がこの楼にまだいるかわからなかった。
流石に一分の価値を見誤ったか。確かに遊郭よりは箔の付く話だったけれど。そう言えば金銭感覚がおかしいと散々坊主に言われてきたな、自分は。
そろそろ客は起き出す頃合いかと冷たい階段を上る。嫌でも思い出して当然だ、この感触。
階段辺りに座っていた二回廻しの下男は「何用ですか」と翡翠に訪ね、それからすぐにはっと黙った。
にやっと笑い翡翠は「用心棒になりました」と男に伝える。まだ、少年のようで。
これじゃぁ却って不用心だなと踏み「望月さんの連れのお侍様はどちらの見世で?」と手っとり早く聞いてみた。
「なんやぁ、あそこの客の玉代を徴集してこい言われましてな。雇われました。水鶏と言います」
「あぁ…えっと」
「あんさん若いようやけど、どうや、大事ないかえ」
「…京の」
それには答えなかった。
ふらふらっと、何が出るかは定かでない見世が並んでいる。
二階廻しの少年はまだ少しおどおどしていたが、「右手三番目に…」と言った。
「三好さまと言うお方がおられますが」
「坊主のような名前ですこと。ちなみに「南條」いう坊さまはどちらで?」
「あぁ、お坊様ですね…。確か…左手奥だったと」
「おおきに」
別にどこだって良いのだが。あの女は奥部屋か。
確かにいかなるときも客にとっては都合の良い見世だな。斬ろうと喚こうと、何かあって奇襲されたときですら窓から逃げるに早いもんだ。
うまく使われているらしい。しかし振袖。最早あの吉田と懇ろだろうと値を付ける。
…いや、他にもいるかもしれない。郭なぞわからぬところだ。少々、気の毒な女だと感じる。何を握られちまったのかと自分の生い立ちまで降ってきた。
こちらはこちらで人質を取ったと捉えようか。だがあの坊主も楽天家だ。
溜め息が出そう。翡翠は二階廻しに「線香を」と手を出し受け取った。
「ええ子やね」と頭を撫でた後に少年が顔を赤らめたのを翡翠は知らない。
「奥の坊主が出てきはったら、江戸はお気をつけ遊ばせとお伝えしといてくださいな」
「…はい?」
「昨日、江戸について聞かれましたので」
とんだ茶番だな。自虐を越えて自嘲になってくる。こんな茶番。
線香を持って右手三番目の見世に翡翠は向かう。早くも折りたいような心境だった。
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