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蜻蛉
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銀行に寄ってから家に帰ると、見慣れない女性用の靴が玄関にあった。
時刻は20時近く。キッチンから音がして。
懐かしい感覚に少し、違和感を覚えた。靴箱を見れば、まだ雨祢は帰ってきていないようで。
「百合枝さん?」
声を掛けてリビングキッチンを覗けば、「お帰り那由多くん」と、懐かしい、4年分大人になったような、しかしどうやら窶れてしまった百合枝さんがキッチンに立って料理をしていた。
「雨祢さんが遅くなるから。
いきなり来てごめんなさい」
「いや、いえ…」
味噌汁を拵えていたらしい。味噌とほうれん草が並んでいた。
「どうしたの、百合枝さん」
「たまには顔が見たいなと思いまして」
なんだか。
その悲しそうな、しかしキラキラとした笑顔に、何故だか少し不安を感じてしまった。
「…百合枝さん?」
肩より少し上の髪が俯く。
どうしたんだろう、一体。
「別れたばかりなのに、来ちゃったみたいです、私」
「百合枝さんどうしたの」
「那由多くん、」
そして百合枝さんは、居たたまれなくなったかのようにふらっと、俺に抱きついてきて。「うぇ、うっ、」と嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。
「百合枝さん、なにがあったの?」
取り敢えず落ち着けば良いと思い、百合枝さんの頭を撫でた。百合枝さんはずっと、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すばかりで。
嫌な景色を思い出した。
後頭部にあてる自分の手が震えている。百合枝さんの、背中にあたる手も震えていたから。
「ゆりぇさん、」
声が震えたけど。
「ごめんなさい那由多くん、」
百合枝さんが離れてしまった。
そうじゃないんだよ百合枝さん。だけど取り敢えず離れてしまった温もりに、そっと手を伸ばして涙を拭った。
生温い、けれどもすぐに冷たくなる雫。
「落ち着いて、俺は大丈夫だよ百合枝さん」
「うん…その、」
「気持ち悪くないよ。大丈夫。百合枝さんは好きだから」
「…那由多くん」
「ご飯ありがとう。助かる。
なにがあったの百合枝さん」
俯いてしまった彼女に、取り敢えず俺はコーヒーをセットし、リビングのソファーに促した。
火はちゃんと止めた。落ち着くまでコーヒーを待って、それから百合枝さんにもいれて持っていく。
隣に座ってからら何から話そうと考えた。こんな他人への気遣い、久しぶりだった。
「百合枝さん」
「…ごめんなさい、ホントに」
「謝らないで。そんな仲じゃないでしょ。
雨祢に会ったんだね?」
彼女は黙って頷いた。
きっとこれかもしれない、その答えを導き出して。
「寂しくなったの?」
「…いえ」
「雨祢からなんとなく聞いたよ。お相手の人は」
「出てきちゃったんです」
「え?」
あ、やっぱりそうか。
雨祢から聞いたとき、なんとなく感じた違和感。
諏訪先生との話を思い出す。
「…百合枝さん、雨祢が好きなんでしょ」
「…違うの。
いや、そうなの」
「無理したの?」
答えなかった。ただ、手元をずっと見ていて。
「そんな無理はしないほうがいいよ百合枝さん」
「…那由多くん。
私、那由多くんの、書いた劇、観ました」
「…うん」
半生を書いたような劇。
少しの訴えを残したような。
「私はだから、彼女の元を、去ったのです」
「うん」
「那由多くん…」
消えそうな声に。
「まだ雨祢は百合枝さんのこと、好きなんだよ。きっと、二人が望む形で」
「違うの。
…那由多くん。雨祢さんは…」
そして振り絞るように百合枝さんは言った。
「このまま泥沼に沈んでしまおうとしているの、きっと」
「…それは?」
「…まだ雨祢さんは、自分のことも、自分の過去も、どこか許せないでいる」
雨祢の、過去?
「…なに、それは」
「雨祢さんは、
自分の実家を焼いたのは、雨祢さんなの、那由多くん」
「…は?」
なに、それ。
「それは…」
それから百合枝さんは話始めた。
雨祢の故郷の話を。
雨祢の故郷、それは雨祢が生まれついた場所であり。
地主として作り上げた最高の楽園であったこと。
そして何かが原因でそれは崩れてしまったこと。
最後に取った作は、心中のような現象。
そして俺と出逢った。
皆目わからなかった。
「百合枝さん、俺ちょっとわからない」
「雨祢さんはきっと、身の危険のような本能で親戚を探したのだと言っていました」
「どういうこと?」
「放火は雨祢さんが犯人だと、誰も知らなかった」
「なんで雨祢は」
「息が出来なかったって」
静かに百合枝さんは言った。
「ずっと母屋で育ったんだって言ってました」
「なにそれ」
「外に出れば偏見しかない。元々、後から地主になり、大きな家を建てたからやっかまれたって、」
聞き出せば見えてくる。
「嫌われた結果だったんだろうって。自分はずっと、外に出たかったんだって言ってたの」
わからない。ただ、ワードを拾って浅く見てみれば話だけは繋がった。
恐らく雨祢はそれ以外に百合枝さんには話をしていないのだろう。
「だから私はあの人が、そう、何処か暗い場所へ行くのが」
「ありがとう、百合枝さん」
だからこそ、ちゃんとこの人には感謝したい。笑顔で言えただろうか、寂しくないだろうか。
時刻は20時近く。キッチンから音がして。
懐かしい感覚に少し、違和感を覚えた。靴箱を見れば、まだ雨祢は帰ってきていないようで。
「百合枝さん?」
声を掛けてリビングキッチンを覗けば、「お帰り那由多くん」と、懐かしい、4年分大人になったような、しかしどうやら窶れてしまった百合枝さんがキッチンに立って料理をしていた。
「雨祢さんが遅くなるから。
いきなり来てごめんなさい」
「いや、いえ…」
味噌汁を拵えていたらしい。味噌とほうれん草が並んでいた。
「どうしたの、百合枝さん」
「たまには顔が見たいなと思いまして」
なんだか。
その悲しそうな、しかしキラキラとした笑顔に、何故だか少し不安を感じてしまった。
「…百合枝さん?」
肩より少し上の髪が俯く。
どうしたんだろう、一体。
「別れたばかりなのに、来ちゃったみたいです、私」
「百合枝さんどうしたの」
「那由多くん、」
そして百合枝さんは、居たたまれなくなったかのようにふらっと、俺に抱きついてきて。「うぇ、うっ、」と嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。
「百合枝さん、なにがあったの?」
取り敢えず落ち着けば良いと思い、百合枝さんの頭を撫でた。百合枝さんはずっと、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すばかりで。
嫌な景色を思い出した。
後頭部にあてる自分の手が震えている。百合枝さんの、背中にあたる手も震えていたから。
「ゆりぇさん、」
声が震えたけど。
「ごめんなさい那由多くん、」
百合枝さんが離れてしまった。
そうじゃないんだよ百合枝さん。だけど取り敢えず離れてしまった温もりに、そっと手を伸ばして涙を拭った。
生温い、けれどもすぐに冷たくなる雫。
「落ち着いて、俺は大丈夫だよ百合枝さん」
「うん…その、」
「気持ち悪くないよ。大丈夫。百合枝さんは好きだから」
「…那由多くん」
「ご飯ありがとう。助かる。
なにがあったの百合枝さん」
俯いてしまった彼女に、取り敢えず俺はコーヒーをセットし、リビングのソファーに促した。
火はちゃんと止めた。落ち着くまでコーヒーを待って、それから百合枝さんにもいれて持っていく。
隣に座ってからら何から話そうと考えた。こんな他人への気遣い、久しぶりだった。
「百合枝さん」
「…ごめんなさい、ホントに」
「謝らないで。そんな仲じゃないでしょ。
雨祢に会ったんだね?」
彼女は黙って頷いた。
きっとこれかもしれない、その答えを導き出して。
「寂しくなったの?」
「…いえ」
「雨祢からなんとなく聞いたよ。お相手の人は」
「出てきちゃったんです」
「え?」
あ、やっぱりそうか。
雨祢から聞いたとき、なんとなく感じた違和感。
諏訪先生との話を思い出す。
「…百合枝さん、雨祢が好きなんでしょ」
「…違うの。
いや、そうなの」
「無理したの?」
答えなかった。ただ、手元をずっと見ていて。
「そんな無理はしないほうがいいよ百合枝さん」
「…那由多くん。
私、那由多くんの、書いた劇、観ました」
「…うん」
半生を書いたような劇。
少しの訴えを残したような。
「私はだから、彼女の元を、去ったのです」
「うん」
「那由多くん…」
消えそうな声に。
「まだ雨祢は百合枝さんのこと、好きなんだよ。きっと、二人が望む形で」
「違うの。
…那由多くん。雨祢さんは…」
そして振り絞るように百合枝さんは言った。
「このまま泥沼に沈んでしまおうとしているの、きっと」
「…それは?」
「…まだ雨祢さんは、自分のことも、自分の過去も、どこか許せないでいる」
雨祢の、過去?
「…なに、それは」
「雨祢さんは、
自分の実家を焼いたのは、雨祢さんなの、那由多くん」
「…は?」
なに、それ。
「それは…」
それから百合枝さんは話始めた。
雨祢の故郷の話を。
雨祢の故郷、それは雨祢が生まれついた場所であり。
地主として作り上げた最高の楽園であったこと。
そして何かが原因でそれは崩れてしまったこと。
最後に取った作は、心中のような現象。
そして俺と出逢った。
皆目わからなかった。
「百合枝さん、俺ちょっとわからない」
「雨祢さんはきっと、身の危険のような本能で親戚を探したのだと言っていました」
「どういうこと?」
「放火は雨祢さんが犯人だと、誰も知らなかった」
「なんで雨祢は」
「息が出来なかったって」
静かに百合枝さんは言った。
「ずっと母屋で育ったんだって言ってました」
「なにそれ」
「外に出れば偏見しかない。元々、後から地主になり、大きな家を建てたからやっかまれたって、」
聞き出せば見えてくる。
「嫌われた結果だったんだろうって。自分はずっと、外に出たかったんだって言ってたの」
わからない。ただ、ワードを拾って浅く見てみれば話だけは繋がった。
恐らく雨祢はそれ以外に百合枝さんには話をしていないのだろう。
「だから私はあの人が、そう、何処か暗い場所へ行くのが」
「ありがとう、百合枝さん」
だからこそ、ちゃんとこの人には感謝したい。笑顔で言えただろうか、寂しくないだろうか。
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