アマレット

二色燕𠀋

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其処に快楽という空虚が存在するのなら

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「言ったらヤラしてくれるっての、お前?」

 その立ちはだかった横を掻い潜ろうとしたのだが、手下みたいなチビが「待てよ」とちょこまかとしていたし、後ろは童貞に阻まれていて回避できなかった。

 あんなリンチのような状態を見て見ぬふりをするまわりの傍観。
 だけど私は、30人の箱の中ですらこうだからなと、あっさり諦めも付き傷付くこともなかった。
 そんな精神は当に捨てていたというほどの環境。

 だからあれは、ある意味で利害の一致と言えるのかもしれないと思える。

 別に、それからの行為は嫌でもなかったし良くもなかったと言うのが精神論で、気持ちよかったというのは物理的な話。

 保健室に向かう一歩一歩から足の感覚は軽いような、重いような、いや、痺れるような気がしている。

 先生、今日はとても楽しい読書をしたの。だからきっととても良い日なんだと思う。それを伝えよう。私のメンタルケアはそれくらいで済むはずだから。

 本当はただ話したい。
 友達や恋人や家族と同じ自然現象だと、そう思ってる。

 保健室の扉を開けるのにいつも間がある。
 人の行動にはそれなりに規則性があると、この前先生に言われたことをふと思い出した。

 間がなくともあっても先生は変わらない。私を確認し、何事もなくすぐパソコンに目を移して「どしたの」と素っ気なく言った。
 いつもと代わり映えの無い、少し明るい髪色でくりくりのハーフアップのお団子。これが一番落ち着くのだそうだ。

 授業開始のチャイムまで先生を待っていようと、ソファーに座りネクタイを外してポケットにしまう。

「具合悪いのー?」

 だなんて、わかっているくせに聞いてくる。
 だから答えないのだけど、「なんかあった?」と軽い口調も変わらない。

「今インフルの配布物作ってるからもーちょっと待てる?」
「…うん、」
「最近増えたんじゃない?」

 目が合うと、やっと先生はニコッと笑い「あたしも暇じゃないんだけど」と言った。
 私は、スカートをぎゅっと握っていることに気が付く。

「…そっち行っていい…ですか?」

 授業開始のチャイムが鳴る。

「確か3年1組が体育なんだよね」

 言われなくてもチャイムが鳴ったのだから、この戸に手作りで掛けられた札を「不在」にし、鍵を掛けておくことが私の当たり前になっている。
 それで先生の笑みがニコニコではなく、にやっに変わることも。

「そろそろ来る気もないでしょ、学校」

 ベッドカーテンは全て開いている。

 パソコンから手を離した先生は椅子を回して私を見た。抱きつきに来なさいと、言いたそうに。

「ねぇ先生、」
「なぁに、瑠璃ちゃん」

 抱きつかずに先生の眼前でシャツのボタンを外せば「あらあら」と、意外だったのだろうけど嬉しそうだった。

 今日は初めてかも、感情が溢れるように、腹から笑えた。
 底から溢れ出る暑いような興奮や嬉しさが絡まっている、ような。

「先生、抱いて」
「いよいよ末期な精神異常よねぇ、貴女」

 そんな言葉を言うくせに。
 先生から私の体に触れ、わざと焦れったく背を撫でられる。そのままゆっくりホックを外された。

「ふふふっ…、」

 くすぐったくて先生の頭を抱えるように両手を添える。髪は、人工物のようなさらさら感。
 「なぁに、何があったの」と優しく首筋に息を掛けられるのがもっと、痺れるようにくすぐったいから、手の先にある先生の髪止めをほどこうとするけれど、「いたずらしないで」と、先生は私の露になった乳首を舌で食み始めた。

 可愛くて、どうしようもない人。
 思わず身が縮こまりそうな。

「先生に言われたくないよ、」

 ゆったり、お腹まで這う先生の手や舌にすぐに耐えられなくなりそう。
 膝に乗れば「しょうがない子」と、でもまだベッドに連れて行ってはくれないみたい。

「メンタルボロクソなのね、」
「ううん…、良い気分、」
「そう?」

 下着の上からゆったり焦れったく、私の急所ばかりを外して触れる先生の指の腹の感触に脳内物質が、こんな時に酸欠になるんだと考えていなければ、私は世界を愛せないと感じるのに、「本当だ、」と、濡れた私にじっとり言う先生の声の響きが一時、それを忘れそうになってしまう。

「…良い…本、読んだから」
「ふうん」
「谷崎…、」
「芸術的だね、私の前で、男の名前を口にするなんて、」

──出来るだけ残忍な、半死半生な目に遇わされて、血だらけになって、──

 それは秘密の話で、隠れ家などという概念ではなく。

 本格的に足腰も立たなくなりそうで息が苦しいのに先生は仄かに笑う、──呻ったり悶えたりさせてくれれば、世の中にこれ程有り難い事はないんだ。──

 その欲の中に滲んで絡み合った理性と光彩がかち合えば、認証、という科学的だが非科学物質の揺蕩いのような感情で私たちは合意をするのだ。
 口の中で噛み砕いてしまった飴のようなものかもしれない。

 私の腰を支えた先生の紅いマニキュアが誰の皮膚細胞を傷付けることもなく、「勘弁してあげる」と、ベッドを促すように眺めるのは至って、シンプルな日常。
 頭のどこかが冷たい、いや、それは『僕のような気狂いじみた人間は、世間にまだまだ沢山居ると云う事』に私が気付いただけだと自覚した。
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