アマレット

二色燕𠀋

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アレルギー

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 当たり前に担任もやって来て、私の考えも遠い中で、社会科の先生は担任に引き継ぎをし教室に向かったようだった。

「藤川さん、これは…」
「先生、気色悪いのでこの机は使いたくないのですが、交換することは可能ですか?」
「…出来るけどちょっと話をしよう?どうしたの、これ」
「わかりません。来たらこうなってました。
 あぁ、一つ落としちゃったから捨ててこないと」
「ちょっとここで待ってなさいね」
「先生。
 気分が悪いので、保健室に、行ってきます。
 机はこのままにします」

 先生が「ちょっと待ってなさいね」といった様子で慌てるように掌を見せ、気持ち早足で教室に入るけれども、私は特に先生も待たずに教室に入り、まずは落としてしまったゴミを拾って捨て、窓際の鞄を拾って勝手に教室を出る。

 少しだけ聞こえてくる、「知っている人は職員室に来てください」と言う声すらどこか遠いくせに、聞き耳を立ててしまう自分に溜め息が出た。

 知らない。
 本当に知らないのに。
 琴……読めてない。せっかくの朝だったのにな。保健室で読もう。

『誰とでも寝るような女の子ってロックだけだと思ってたわ』

 …飯島くんに言われた言葉が急に頭を過る。

『好きな人とやるもんなんだよ?』

 …兄に言われたことが途端に噎せ返った。
 「いやっ…!」と言って泣いたお母さんと…にやけて行ったり来たりしていたお父さんが目の前に広がってゆく。

 嫌なこと、思い出すなぁ。
 けど、なんで嫌なんだろう。

 保健室は「実在」だった。

「はぁい」

 先生は綿とか、道具を補充している。

「あら?瑠璃ちゃん。早いじゃない」
「んん」

 いまいち喉から声が出なかった。
 ソファーに座って本を取り出す私に、何故か先生はニコニコと、いつもしないような対応だった。

「良い本ってそれ?」
「…これはまだわからないけど、この前のが良かったから」

 私の真隣にストンと座った先生は、私の髪と項を撫でてきた。
 まるで慈しむような目をして「何かあったの?」だなんて言うから、先生からついつい目を反らしてしまう。

「…本格的に来る気がなくなっちゃったの?」
「……来るよ、ちゃんと。来てるじゃん」
「まぁそうなんだけどねぇ…」

 そう言って先生が私の項あたりにキスをするのだから「担任いま来る」と早口になる。

「…担任って誰だっけ」
「名前忘れちゃったけど、若い…髪は普通くらいの女の先生」
「……まぁ、すぐ来るの?誰だろ~…。名前くらい覚えても」

 先生が口紅を取り出すとトントン、とドアは叩かれ「失礼します…」と消えそうな声で開いた。
 口紅を塗り直しながら先生は「あぁ、宮沢みやざわ先生」と、然り気無く私の項を隠す。
 口紅がついてしまったのかもしれないが、先生の口紅はどのみち薄い色だった。

 担任が私と先生を見て「藤川さん、」と深刻そうなのが気まずいと感じる。

「…お話ししよっか。鈴木先生も…ご一緒で良いですか?」

 …完璧にこれから、私の保健室登校が決まった気がした。

 特に私の意見を聞くでもない。
 宮沢先生は私から話を聞き出そうと、テーブルを促してくる。
 私がそれに目すら合わさないのに、先生は私の両肩をふんわり掴み「どうする?」と拍車を掛けるように言った。

 仕方がないと応じることにして、私は先生二人と対峙して座る。
 まるで拷問のようだ。
 皮肉を考えた。

「…えっと…私から鈴木先生に伝えても大丈夫かな?来る前に…話したのかな?」

 先生が腕組をしぼんやりと私を見ている。

「…私のお願いは、机を変えて欲しいです。でも、ダメなら除菌シートとかで綺麗にします」
「…机?」
「その…ゴミが今朝」
「コンドーム。使用済みの。中身も裂かれて気色悪かった」
 
 二人は一度、黙ってしまった。

「随分悪質ね」

 それでも先生は、いつもと声色を変えない。

「…心当たりはあるの?」
「ないですよ、多分」
「…一昨日そういえば言ってたっけ。陰口叩かれてるって」
「…そうなんですか」
「ええ。
 クラスのチャットだっけ。多分教師は入れないやつでしょ」
「…なんとなく、所謂裏掲示板みたいなやつはありそうだなと…雰囲気で思っていたんですが…。
 藤川さん、いつからなの?」

 宮沢先生は先生のこともちらっと見るけれど、先生は依然として「保健室に来始めたのは1年の頃からだけど」と素っ気なく言った。

「宮沢先生の前ですね。確か今年はクラス替えありましたよね2年生」
「…そうですね。
 そうだったんですか…、ということは新しいクラスで…なのかな?」

 それは、私が何かを答える内容なんだろうか。
 宮沢先生なんて、私が名前すら覚えていないような相手だというのに。
 「前のクラスの子なのかなぁ…?」と一人言のように弱々しい。

 人に話すほどの人間関係なんて築いていないのだから尚更疑問しかないのだ。

 宮沢先生は「どうしよっか、藤川さん」と、取り繕った心配をしているようだった。 
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