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憎しみと嬉しさとネガティブと
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朝の8:00、千秋さんはベッドに寝ていた私を「学校だよ」と、申し訳程度に起こした。
…昨日テーブルに突っ伏して寝ちゃったんじゃなかったっけ。
あ、そういえばなんだか…ベッドまで運ばれたような気がする。
という記憶がすぐに過ったのを良いことに、
「もうちょっと……」
と、スーツを着て出勤体制で側に座っていた千秋さんの手を取り、駄々を捏ねるように言ったが、彼はふぅ、と一息だけを吐き「あっそ…」と素っ気ない。
「俺仕事だから取り敢えず飯とか…昨日のゼリーとかパンしかないからね」
冷たいようでいて、手離すついでのように私の髪を撫で「何かあったら電話ね」と、千秋さんはごく当たり前に出勤して行った。
本当は目は醒めたのだしと、ケータイを眺める。
兄からの着信履歴が合計で73件も残っている。
だけど、兄はメールなどはしてこないのだ。
昨日、そういえばGPSアプリというものを千秋さんは解除していた。
…すぐに学校へ休みの連絡を入れておこう。あんなことがあったあとならあっさり休めるだろう。
兄はきっと大事にはしない、出来ない。
きっとホームルームはもう始まってしまう。だから担任は出ないだろうと学校に電話を入れたのだが、「宮沢先生だね、少し待ってて」と、電話に出た男の先生にあっさり言われてしまった。
すぐに電話を変わった担任が「藤川さんおはよう」と挨拶をする。
「おはようございます。先生、今日は体調不良で」
『お兄さんからさっき連絡が入ったけど…』
先生は戸惑っているようだった。
『いまどこにいるの?お兄さんが心配してたけど、』
「…え?」
『喧嘩して出て行ったきりだから学校に来たら言ってくれって…』
…どうしよう。
何を言い訳しようか一度整理している最中に『お兄さんに相談したの?』と更に先生は畳み掛けてくる。
相談はしなかったのか。
昨日私に千秋さんが言ったそれが頭に浮かんだ。
『昨日のこと…』
「…してませんし、」
『…自分の口から話してみた方がいいのかもよ?』
……あぁ、何それ。
自分の、口から。
「お兄ちゃん、それに対して何も言ってなかったんでしょう?先生」
『え、』
「わかってますからいいんです。
先生私は…っ、」
たったこれだけの短い会話なのに、急に感情が昂り危うく「その兄にぶち犯されてますよ」と口走りそうになって行き詰まった。
そんなことを言った後には、私は結果物理的に退学だし…いや、退学でも別にいい。
ただ、そこで塞き止められた自分に染み着く思考や習慣や…生理現象のようなものに息苦しくなり「…先生、」と、思ったよりも憔悴しきったような声さえ出てしまった。
「……具合が今は悪くて無理です。すみません。兄には私から言います。今は…取り敢えず親戚の家にいます。病院に連れて行って貰ってから帰ります」
これ以上他者が、今は踏み込めないパーソナルスペースが出来た筈だ。
『……うん、』
「月曜日には…行けるようにします」
『…わかった、けど無理しないで』
一方的に電話を切った。
…こうなってくると家には帰れないのが普通だ。
いや、こうなってくると連れ戻されるのが普通で、ならば私が先生に相談出来なければ「帰れないのが普通」という方が異常になってくるだろう。
「はっ…、」
笑えてくる。ははっ。先生の顔が浮かんでも兄の顔が浮かんで先なんて見えてくる。他人は他人を助けない。
…例えば先生が、あの先生が始めにやりそうなことは兄に電話をする。だとして。
兄はその電話に「わかりました」としか対応出来ずに明日を待つだろう。私が学校に行かなければ先生が兄に連絡をして堂々巡りになる。
ここで、あの先生が正義を振り翳したときのみ、第三者の介入があったとする。
兄はそれでも、ボロが出れば暫くいなくなる程度だし、いや、普通に考えれば私は帰宅を余儀なくされるだろう。
これのどこに私が介入するのか。
…昨日の件だってそうだ。ある程度被害者面をしてみたって結局大人の意見ばかりで、例えば私が今日、学校に行ったらどうなってたの?あの雑音しかない場所で。
…今。
…今私が、この千秋さんの家にいる事実はその全てから掛け離れていた。けれどあちら側の事実もある。
それが、愉快なような気がして心底笑いそうな胸のざわめきがあるその一端に、さっきの、勢いで口滑りそうな競り上がった感情もある。これがサボるということと、興奮というものなんだと気付くダルい視線の先に、きっと暫く使われていないだろう、埃が被った雰囲気のベビーベッドがあった。
…この、ベッドで。
急に鳥肌のような、……恐怖に近い方の感情の寒さで私は布団に丸まった。
ただ、ただ、入り込もうとしないだけだ、全てに。斜に構えて遠くを見て蓋をして生意気でいるだけで。
胸がそわそわする。息苦しい。あぁでも私は何もかもいま、持ってきていない。薬すらないと気が付けばより呼吸が荒くなりそうでキリキリ、キリキリ、と歯を噛んだ。
「兄ちゃんのこと、好きだろ?」
…急に景色が浮遊してくる。
…昨日テーブルに突っ伏して寝ちゃったんじゃなかったっけ。
あ、そういえばなんだか…ベッドまで運ばれたような気がする。
という記憶がすぐに過ったのを良いことに、
「もうちょっと……」
と、スーツを着て出勤体制で側に座っていた千秋さんの手を取り、駄々を捏ねるように言ったが、彼はふぅ、と一息だけを吐き「あっそ…」と素っ気ない。
「俺仕事だから取り敢えず飯とか…昨日のゼリーとかパンしかないからね」
冷たいようでいて、手離すついでのように私の髪を撫で「何かあったら電話ね」と、千秋さんはごく当たり前に出勤して行った。
本当は目は醒めたのだしと、ケータイを眺める。
兄からの着信履歴が合計で73件も残っている。
だけど、兄はメールなどはしてこないのだ。
昨日、そういえばGPSアプリというものを千秋さんは解除していた。
…すぐに学校へ休みの連絡を入れておこう。あんなことがあったあとならあっさり休めるだろう。
兄はきっと大事にはしない、出来ない。
きっとホームルームはもう始まってしまう。だから担任は出ないだろうと学校に電話を入れたのだが、「宮沢先生だね、少し待ってて」と、電話に出た男の先生にあっさり言われてしまった。
すぐに電話を変わった担任が「藤川さんおはよう」と挨拶をする。
「おはようございます。先生、今日は体調不良で」
『お兄さんからさっき連絡が入ったけど…』
先生は戸惑っているようだった。
『いまどこにいるの?お兄さんが心配してたけど、』
「…え?」
『喧嘩して出て行ったきりだから学校に来たら言ってくれって…』
…どうしよう。
何を言い訳しようか一度整理している最中に『お兄さんに相談したの?』と更に先生は畳み掛けてくる。
相談はしなかったのか。
昨日私に千秋さんが言ったそれが頭に浮かんだ。
『昨日のこと…』
「…してませんし、」
『…自分の口から話してみた方がいいのかもよ?』
……あぁ、何それ。
自分の、口から。
「お兄ちゃん、それに対して何も言ってなかったんでしょう?先生」
『え、』
「わかってますからいいんです。
先生私は…っ、」
たったこれだけの短い会話なのに、急に感情が昂り危うく「その兄にぶち犯されてますよ」と口走りそうになって行き詰まった。
そんなことを言った後には、私は結果物理的に退学だし…いや、退学でも別にいい。
ただ、そこで塞き止められた自分に染み着く思考や習慣や…生理現象のようなものに息苦しくなり「…先生、」と、思ったよりも憔悴しきったような声さえ出てしまった。
「……具合が今は悪くて無理です。すみません。兄には私から言います。今は…取り敢えず親戚の家にいます。病院に連れて行って貰ってから帰ります」
これ以上他者が、今は踏み込めないパーソナルスペースが出来た筈だ。
『……うん、』
「月曜日には…行けるようにします」
『…わかった、けど無理しないで』
一方的に電話を切った。
…こうなってくると家には帰れないのが普通だ。
いや、こうなってくると連れ戻されるのが普通で、ならば私が先生に相談出来なければ「帰れないのが普通」という方が異常になってくるだろう。
「はっ…、」
笑えてくる。ははっ。先生の顔が浮かんでも兄の顔が浮かんで先なんて見えてくる。他人は他人を助けない。
…例えば先生が、あの先生が始めにやりそうなことは兄に電話をする。だとして。
兄はその電話に「わかりました」としか対応出来ずに明日を待つだろう。私が学校に行かなければ先生が兄に連絡をして堂々巡りになる。
ここで、あの先生が正義を振り翳したときのみ、第三者の介入があったとする。
兄はそれでも、ボロが出れば暫くいなくなる程度だし、いや、普通に考えれば私は帰宅を余儀なくされるだろう。
これのどこに私が介入するのか。
…昨日の件だってそうだ。ある程度被害者面をしてみたって結局大人の意見ばかりで、例えば私が今日、学校に行ったらどうなってたの?あの雑音しかない場所で。
…今。
…今私が、この千秋さんの家にいる事実はその全てから掛け離れていた。けれどあちら側の事実もある。
それが、愉快なような気がして心底笑いそうな胸のざわめきがあるその一端に、さっきの、勢いで口滑りそうな競り上がった感情もある。これがサボるということと、興奮というものなんだと気付くダルい視線の先に、きっと暫く使われていないだろう、埃が被った雰囲気のベビーベッドがあった。
…この、ベッドで。
急に鳥肌のような、……恐怖に近い方の感情の寒さで私は布団に丸まった。
ただ、ただ、入り込もうとしないだけだ、全てに。斜に構えて遠くを見て蓋をして生意気でいるだけで。
胸がそわそわする。息苦しい。あぁでも私は何もかもいま、持ってきていない。薬すらないと気が付けばより呼吸が荒くなりそうでキリキリ、キリキリ、と歯を噛んだ。
「兄ちゃんのこと、好きだろ?」
…急に景色が浮遊してくる。
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