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ある花の戒名
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「まずは茶汲みやぁ!」と言う朱里と翡翠は厨房に赴き、湯を沸かす。
朱里は急須より少し大きい、透明な硝子の、やはり急須なのだろうか、それに湯を注ぐのだけどまたやかんに戻して、沸いてから「ほな行くで」と言うのが不思議だった。
不思議な顔をしている翡翠に「ふふふ」と笑う朱里が爽やかで色っぽい。人が好く笑みなのかもしれないと再び見世まで、硝子急須を持って着いていく。
朱里の部屋には長唄三味線が二本置いてあった。
座って漸く、物珍しいと翡翠が硝子急須の取っ手を手に取って眺めれば「ほらほら貸して」と窘められる。
翡翠の前に向かい合って座った朱里は、藤嶋から貰った茶筒を開け、木の匙で二杯ほど葉を入れた。
「一杯大体1匙くらいで、この湯を少し高い位置から注ぐ。まぁ見ててや」
朱里は穏やかな、まるで心を沈めるような、そんな表情で胸の位置あたりから硝子急須に湯を注ぎはじめる。
滝のように湯が落ち、すると茶色の茶葉がくるくると硝子急須の中を泳ぐように動き葉を広げていく。
「えらいこっちゃ…!」と感嘆する翡翠に「ふふっ、」と朱里は笑う。香ばしいようなフワッとした香りと花のような茶葉。
入り口までたっぷり湯が溜まれば蓋をし、「さて」とやかんを置いた。
「ほうじ茶や。その中でもこら特上言われる茶でな。
ほうじ茶は緑茶を焙煎し香りや渋味を楽しむ茶で、緑茶の場合は沸騰したやかんの湯をそのまま使うんやけど、ほうじ茶は炒ったるんや。
いっぺん沸騰した湯を注いでポットを温めてからもういっぺんその湯をやかんに戻して火を掛ける。
それからポットにまんま葉を入れ、湯を注ぎ直したら丁度ええ。高い温度で湯を注がな葉ぁが開かへんのや」
「ぽっと?」
「普段の急須よりもこう…大きい急須。本来清国の紅茶を入れるための急須や。
茶葉が踊るように広がったやろ?」
「あい、花みたいや」
「それを楽しむのもこの透明な硝子はええんや。
大きい葉や。自由に開かせるためにも、高い位置から湯を注ぐんやで」
朱里は硝子急須を眺めて続ける。
「ほんでほうじ茶の味、香りを出すためにはこんくらいの、大きめのポットを使わな窮屈で上手う葉が開かへんさかい、茶漉しは使わへん。
さて、これくらいで…」
朱里は上品に袖を抑え、茶飲みを二つ並べ、一回、二回、三回と二つを行ったり来たりで茶を注いでいく。それはどうやら注ぐ位置は関係がないのだなと眺める。
焙煎、なるほど。鼻に抜ける香ばしい、香のような香りが漂った。
「これくらいの会話をするうちに必ず注ぎきる。もう少し長いと渋くなってまうねん。まぁ、客取りには丁度ええやろ」
茶飲みを寄越してきては朱里は自分も「熱いわぁ」と冷ますのか、香りを楽しむのか口にしている。
朱里の口の黒子はこんな時、目に入る。その一つ一つが翡翠には可愛らしくも優雅に見えた。
この茶を飲むのは初めてだと翡翠も口にしてみるが「熱っ」と一度茶を置いてみる。「ひっひっひ」と朱里は笑った。
「熱いで、朱里」
「兄さんくらいつけなさいな。イビられるで」
「兄さん」
「そやそや」
「何故こんなに熱い茶色い茶を?」
「藤嶋が「身体に良い」と言うとった」
「そうなんや」
「普通の茶にはカフェインが入ってるけど、これは入ってないんやって」
「なんですかそのか、か、」
「カフェイン。ようわからんけど眠れなくなるんやて」
「そうなんや」
「茶は朝に丁度ええやろ?」
「さぁ…」
自分はそんな生活もしてきていない。しかし物知らぬ翡翠にも「そう、丁度ええんよ」とあっさりと言った。
冷めたかはわからないが再び口にしてみた。なるほど、渋味か。しかし爽やかな気がした。
「これは美味しいですな」
「まぁわての腕やね。丁度ええ」
「そうですか」
「藤嶋の小姓言うたらこれくらいやらなあかんよ。あん人茶にはうるさいからなあ」
「朱里も」
「兄さん」
「…朱里兄さんも藤嶋兄さんの小姓で?」
「いや、藤嶋は兄さんいらへんねん」
ようわからんなと翡翠が首を傾げるのが可笑しい。また朱里が「ふはは、」と楽しそうに笑う。
「藤嶋は忘八でええねん」
「悪口やね?」
「わてが言うたと言うなよ」
「あーい」
「返事が長いねん」
小うるさい。
しかし翡翠も「ふふ、」と、なんだかここへ来て初めて笑えた気がした。
それに朱里が珍妙な顔をし「なんや、」と続けた。
「あんさん、笑たらめんこいやんけ」
「ほうですか?」
「あんさん人懐っこいんやね。ええな。あとはしゃんとしたら上等や。
なして客取らんのかねぇ」
客を取ると言われても「?」でしかない。
「金を取るのですか?」と聞けば「そうや」と朱里は答える。
「それに答えるんはおもてなしやね」
「おもてなし…」
「あんさん金取るんは盗み違うで?」
色々とわからない。やはり生き方は違うもので「なんやろ…」と疑問ばかりが募ってしまう。
「まぁ暫く居れば嫌になっても逃げられん事情がわかるねんな。覚悟せいよ」
逃げられない事情とは。
「…ヤクザと変わりまへんな」
「そう言われたらそうやけど、あんさんあんまり言うなよ、それ」
急に朱里の顔色が変わってしまったが、それなりに含みがあるように「わてかて事情はあんねんな、」と切なくなった。
「けど、皆あんさんと変わらへんから。蔑みも哀れみもない」
それから朱里は黙り、少ししてから「さて練習!」と調子を変えた。
この人には一体何があるのか。
しかしヤクザなぞは踏み入ったら命に関わる。そしてこの人は踏み入られることは望まず、茶漉しのように、一つ踏み入れられない柵を作っているのだと、それははっきりと嗅ぎ取った。
朱里は急須より少し大きい、透明な硝子の、やはり急須なのだろうか、それに湯を注ぐのだけどまたやかんに戻して、沸いてから「ほな行くで」と言うのが不思議だった。
不思議な顔をしている翡翠に「ふふふ」と笑う朱里が爽やかで色っぽい。人が好く笑みなのかもしれないと再び見世まで、硝子急須を持って着いていく。
朱里の部屋には長唄三味線が二本置いてあった。
座って漸く、物珍しいと翡翠が硝子急須の取っ手を手に取って眺めれば「ほらほら貸して」と窘められる。
翡翠の前に向かい合って座った朱里は、藤嶋から貰った茶筒を開け、木の匙で二杯ほど葉を入れた。
「一杯大体1匙くらいで、この湯を少し高い位置から注ぐ。まぁ見ててや」
朱里は穏やかな、まるで心を沈めるような、そんな表情で胸の位置あたりから硝子急須に湯を注ぎはじめる。
滝のように湯が落ち、すると茶色の茶葉がくるくると硝子急須の中を泳ぐように動き葉を広げていく。
「えらいこっちゃ…!」と感嘆する翡翠に「ふふっ、」と朱里は笑う。香ばしいようなフワッとした香りと花のような茶葉。
入り口までたっぷり湯が溜まれば蓋をし、「さて」とやかんを置いた。
「ほうじ茶や。その中でもこら特上言われる茶でな。
ほうじ茶は緑茶を焙煎し香りや渋味を楽しむ茶で、緑茶の場合は沸騰したやかんの湯をそのまま使うんやけど、ほうじ茶は炒ったるんや。
いっぺん沸騰した湯を注いでポットを温めてからもういっぺんその湯をやかんに戻して火を掛ける。
それからポットにまんま葉を入れ、湯を注ぎ直したら丁度ええ。高い温度で湯を注がな葉ぁが開かへんのや」
「ぽっと?」
「普段の急須よりもこう…大きい急須。本来清国の紅茶を入れるための急須や。
茶葉が踊るように広がったやろ?」
「あい、花みたいや」
「それを楽しむのもこの透明な硝子はええんや。
大きい葉や。自由に開かせるためにも、高い位置から湯を注ぐんやで」
朱里は硝子急須を眺めて続ける。
「ほんでほうじ茶の味、香りを出すためにはこんくらいの、大きめのポットを使わな窮屈で上手う葉が開かへんさかい、茶漉しは使わへん。
さて、これくらいで…」
朱里は上品に袖を抑え、茶飲みを二つ並べ、一回、二回、三回と二つを行ったり来たりで茶を注いでいく。それはどうやら注ぐ位置は関係がないのだなと眺める。
焙煎、なるほど。鼻に抜ける香ばしい、香のような香りが漂った。
「これくらいの会話をするうちに必ず注ぎきる。もう少し長いと渋くなってまうねん。まぁ、客取りには丁度ええやろ」
茶飲みを寄越してきては朱里は自分も「熱いわぁ」と冷ますのか、香りを楽しむのか口にしている。
朱里の口の黒子はこんな時、目に入る。その一つ一つが翡翠には可愛らしくも優雅に見えた。
この茶を飲むのは初めてだと翡翠も口にしてみるが「熱っ」と一度茶を置いてみる。「ひっひっひ」と朱里は笑った。
「熱いで、朱里」
「兄さんくらいつけなさいな。イビられるで」
「兄さん」
「そやそや」
「何故こんなに熱い茶色い茶を?」
「藤嶋が「身体に良い」と言うとった」
「そうなんや」
「普通の茶にはカフェインが入ってるけど、これは入ってないんやって」
「なんですかそのか、か、」
「カフェイン。ようわからんけど眠れなくなるんやて」
「そうなんや」
「茶は朝に丁度ええやろ?」
「さぁ…」
自分はそんな生活もしてきていない。しかし物知らぬ翡翠にも「そう、丁度ええんよ」とあっさりと言った。
冷めたかはわからないが再び口にしてみた。なるほど、渋味か。しかし爽やかな気がした。
「これは美味しいですな」
「まぁわての腕やね。丁度ええ」
「そうですか」
「藤嶋の小姓言うたらこれくらいやらなあかんよ。あん人茶にはうるさいからなあ」
「朱里も」
「兄さん」
「…朱里兄さんも藤嶋兄さんの小姓で?」
「いや、藤嶋は兄さんいらへんねん」
ようわからんなと翡翠が首を傾げるのが可笑しい。また朱里が「ふはは、」と楽しそうに笑う。
「藤嶋は忘八でええねん」
「悪口やね?」
「わてが言うたと言うなよ」
「あーい」
「返事が長いねん」
小うるさい。
しかし翡翠も「ふふ、」と、なんだかここへ来て初めて笑えた気がした。
それに朱里が珍妙な顔をし「なんや、」と続けた。
「あんさん、笑たらめんこいやんけ」
「ほうですか?」
「あんさん人懐っこいんやね。ええな。あとはしゃんとしたら上等や。
なして客取らんのかねぇ」
客を取ると言われても「?」でしかない。
「金を取るのですか?」と聞けば「そうや」と朱里は答える。
「それに答えるんはおもてなしやね」
「おもてなし…」
「あんさん金取るんは盗み違うで?」
色々とわからない。やはり生き方は違うもので「なんやろ…」と疑問ばかりが募ってしまう。
「まぁ暫く居れば嫌になっても逃げられん事情がわかるねんな。覚悟せいよ」
逃げられない事情とは。
「…ヤクザと変わりまへんな」
「そう言われたらそうやけど、あんさんあんまり言うなよ、それ」
急に朱里の顔色が変わってしまったが、それなりに含みがあるように「わてかて事情はあんねんな、」と切なくなった。
「けど、皆あんさんと変わらへんから。蔑みも哀れみもない」
それから朱里は黙り、少ししてから「さて練習!」と調子を変えた。
この人には一体何があるのか。
しかしヤクザなぞは踏み入ったら命に関わる。そしてこの人は踏み入られることは望まず、茶漉しのように、一つ踏み入れられない柵を作っているのだと、それははっきりと嗅ぎ取った。
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