紫陽花

二色燕𠀋

文字の大きさ
上 下
17 / 90
For Someone

3

しおりを挟む
 何て言って良いかわからずに無言で立ち上がり、『銀河鉄道の夜』を渡した。が、

「これ、いま読んでたんだろ?いいよ。違うの読む」

 とか言われてしまった。

「…気分的にどんなのとか、ないんですか?」
「んー」

 …わからないから児童文学っぽいのにしておこう。
 となるとなんとなく。

 私はふと目についた、小学校からよく目にする本を一冊テキトーに取って渡した。

 しかし、チャラ男さんに渡したのを見たら、違う、外人の本だった。

 私が取ったつもりだったのは、江戸川乱歩の『怪人二十面相』。しかし、渡してしまったのは、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』だった。
 というか、順番が違う。確かに一瞬間違えやすいんだけれども!

「お、サンキュー。初めてだ。読んでみる」

 だけどその人はとても嬉しそうに『黒猫』を受け取って座ったから。

 まぁいいかな…。そう思って私はまた宮沢賢治を最初から読もうと、座ろうとした。

 その時だった。

 荒々しく図書室のドアが開いた。栗田先生も少し驚いた顔をして見上げた。

椎名しいなっ!てめぇ!」

 うわっ。

 怒ると質が悪いと有名な、三年の学年主任かなんかの小太りな先生が、一目散にチャラ男さんの元にどしどしと歩いてきた。

 チャラ男さんの目の前にくる先生は手を振りかぶった。

「いやっ」

 栗田先生が小さく漏らす。私も思わず息を飲んで目を瞑った。

 しかし、どうも何もあったような雰囲気がしない。恐る恐る目を開けるとチャラ男先輩が、間一髪のところで先生の手を掴んで抑えていた。

「危ねぇな。てか、女が見てんのにそりゃぁ紳士的じゃねぇよ」
「貴様っ」

 力強く先生の手を振り払うチャラ男さん。凄い。なんという握力。

「で、なんだよ用事って。
 お嬢ちゃん、先生。驚かせて悪かったな。俺そんなわけで今日からここで謹慎なんだわ。ちょっと付き合わせちゃうけど勘弁してね」
「勘弁してねじゃねぇよてめぇ!」
「あ?誰に向かって口利いてんだこのクソ教員。
 大体意味わかんねぇんだよなんで俺が謹慎なんだよ!」
「てめぇ自分がやったことわかってんだろコラ」
「わかってないね!なんもやってねぇもん」
「なんだとてめぇ」
「うるさーい!」

 いい加減にして欲しくて思わず叫ぶと、二人は一斉に私を見た。

「ここ図書室なんですけど!私宮沢賢治読みたいんですけど!」
「あ、あぁ、ごめん…」
「お前何年だ!?先生に向かって…」
郷田ごうだセンセー、うるさいってよ」
「なんだてめぇ!」
「非常識です!先生もクソもないです!
静かにするとこで怒鳴らないで頂けますか?先生は、常識を教える立場でしょ!」

 そういうと、郷田と呼ばれた太っちょ先生は黙った。それを見てチャラ男先輩は、お腹を押さえて「ふっ…はっ、うぅ…!」と、堪えるように笑い始め、そのうち耐えられなくなったらしく、笑い始めた。

「ごめ、ムリ!ウケる!」
「なっ…!」
「確かに小夜ちゃんの言うとおりですね。郷田先生、私も今回の件は聞いていません。
 何があったんですか?どうしたんですか?一回落ち着きましょ?」

 そう言って栗田先生は取り敢えず郷田先生とチャラ男先輩と私にお茶を出してくれた。
 私たちは一度座り、話を聞くことにした。

「こいつが、ウチのクラスの鈴木すずきを苛めたんですよ」
「だから、違うんだって」
「どう違うんだよ!お前あの場にいたじゃねぇか!」

 チャラ男先輩は溜め息を吐いて腕を組む。

「だからさ、それ話したと思うけど、俺が行ったときには笹木たちがカツアゲしてたんだよ、鈴木を。だから、何してんだ?って聞いたんだよ。そしたらちょっと笹木たちと揉み合いになって、ふといなくなったの、笹木たちが。
 で、鈴木に手を差しのべたところをあんたが目撃したわけ。それであんたがいまキレてんの。わかる?」
「んなの信じられるか!?」
「はぁ~…。だったら鈴木呼べよここに!」
「いや鈴木が言ったんだよ!お前がやったって!」
「えっ…」

 チャラ男先輩は困惑したような顔をした。

「どーゆーこと…!?」
「どーもこーもそーゆーことだよ!」
「…ちょっと待って、鈴木と話したいんだけど」
「んなの、カツアゲされてすぐなんて嫌に決まってんだろ…!」
「…あっそう…。でもだってそしたらあいつ…」

 だが先輩は不服そうに黙って、

「いや、いいや。わかった。それでもういいよ。何?いくら取られたって言ってんだよ」
「お前、いくら取ったんだよ…」

 先輩は舌打ちして郷田先生の前に財布をぶん投げた。

「なんだよ」
「好きなだけ持ってけば?」
「は?」
「いくら取ったって言われても、俺取ってねぇからわかんねぇもん。あとはあんたが好きなだけ持ってけよ。まぁ、カツアゲと同じだよね」
「なんだお前!」
「だから、鈴木呼べよって言ってんだよ。3人で話すのもだめ?じゃぁ言っとけ。目ぇ見て話せねぇなんて度胸ねぇなって」
「…てか、第三者が言って申し訳ないんですが…。
 それ、笹木さんにも聞いてみるべきかなぁと思いますよ、郷田先生」

 ましてやきっと、あの笹木さんだ。何をするかわからない。

 郷田先生は舌打ちをして荒々しく立ち上がり、「とにかく、お前しばらくはここにいろ!」と言って図書室から出て行ってしまった。

 なんだかもう、言葉で表すならポカーンとしてしまった。
 郷田先生、あまりにガキすぎる…。

 けれども栗田先生の、静かな笑い声が聞こえて我に帰った。

「二人とも唖然としてる」
「いやぁ…」
「そりゃぁ…」

 栗田先生は机の上に投げられたままの先輩の財布を、そっと渡した。先輩は、無言で受けとる。

「物凄く古いお財布ね」
「うん…。あんま見せたくねぇんだけど…。小学校から使ってんだ」
「思い出のある物なんだ?」
「物持ち良いだけ」

 そんな人が、カツアゲしそうには、思えない。

「大切なものなら、しまっておかないと」
「うーん、はい…」

 元が何色だかもわからない、古い財布だ。
でも、何かの刺繍がしてある。なんだろう?

「このお財布」
「え?」
「なんの刺繍ですか?」
「あぁ、これ?
 なんだったかなぁ…。でも確か…」

 先輩は少し考えた。そして、

「…買い換えようかな。いい加減」

 どうやら機嫌を損ねたらしい。先輩は雑にブレザーのポケットに財布をしまい、エドガー・アラン・ポーをまた読み始めた。

 それから次の授業の時間まで、先輩と特にに話すこともないまま終わった。
しおりを挟む

処理中です...