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第一部
第四章・人魚姫(その7)
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そのようにしている間にも、三年生の潮音のクラスの空気は卒業式に向けてあわただしさを増していった。すでに私立高校への入学を決めたり、推薦入試に合格したりした生徒たちの間には安堵の色が流れていたとはいえ、県立高校の入試が卒業式のすぐ後に控えているとあっては、クラス全体の空気もはりつめたものにならざるを得ない。
そしていよいよ卒業式の二日前になって、放課後に潮音は思い切って帰り支度をしている浩三に声をかけてみた。しかし浩三は何かと口実をつけて潮音の誘いを断ると、そそくさと教室を後にしてしまった。浩三も潮音に対してどのように接してよいのか戸惑っている様子が、潮音にもひしひしと感じ取れた。
潮音がそのまま教室の中にぼんやりと佇んでいると、背後から暁子が声をかけてきた。
「どうしたの潮音、ぼっとしちゃって」
しかし潮音は、暁子の声にも気のない返事を返すのみだった。
「あんた、このところずっと元気ないじゃない。もっとしゃきっとしなよ」
「なんでみんなオレ…あ、いや、私…を避けようとするのかな…。こうやって普通に話せるの、暁子くらいだよ」
「あんたはいくら女の子になっちゃったとはいえ、肝腎なところは全然変ってないと思うからね。それに無理しないでも、あたしの前じゃ『オレ』でいいよ。あんたが無理して女言葉しゃべったって、かえってあんたらしくないし。でも潮音とは小学校も中学校も一緒だったのに、まさか高校まで一緒になるとは思わなかったよ」
「それはこっちのセリフだよ」
「あんた…やっぱり女子として高校行くのが不安なの?」
「そりゃ不安じゃないわけないだろ。でも…今さらウダウダ言ったってどうしようもないよ」
そう言って潮音は、ほとんどの生徒が下校を済ませてがらんとした教室の中を見渡した。潮音があらためて自分の席に腰を下ろすと、坐り慣れたはずの椅子がひどく冷たく感じられた。潮音はそのまま、澄んだ光の深くさしこむ人気のない教室の中で、中学生として過ごした日々をいろいろ思い出していた。…授業を聞いたこと、休み時間に浩三やほかのクラスメイトたちとふざけあったこと、テストの結果に一喜一憂したこと、体育祭や文化祭…ときには先生に叱られたことや、ケンカをしたことなど、いくつもの思い出が潮音の脳裏に浮んできた。
教室の窓からはプールが見渡せた。そのプールは今となってはまったくの季節外れで、汚れた水面がまだ寒さの残る風に吹かれてさざ波を立て、日の光をにぶく反射させていた。プールサイドも全く人気がなく、砂ぼこりの舞うコンクリートの地肌がわびしさを漂わせていた。
潮音はしばらくぼんやりとプールの水面を眺めていた。暁子も潮音の寂しげな表情を直視することができなかった。
「潮音…やっぱり水泳部のことが忘れられないんだね。…でも椎名君だって、口にこそ出さないけれども、ずっとあんたのことは気にしてるんだと思うよ」
そう言われて潮音は、あらためて暁子の顔を見返した。
「…椎名君はあんたが入院してからしばらくの間、だいぶ不安そうにしてたんだ。それに椎名君、あんたが学校来るようになってからも前より元気なさそうだし。テストの点はともかく、スポーツの腕と明るさでクラスを盛り上げてきた椎名君があれじゃあ、高校入ってもうまくやっていけるか心配だよ」
潮音はやはり浩三も自分のことを気にしているのかと思うと、気が重くなった。そこで暁子は、思わず声をあげていた。
「あんたまで気にすることないじゃん。それに…あたしは古い鏡の中にとりついていたとかいう、昔のお嬢様とかいうやつぶん殴ってやりたい」
そう言うときの暁子の声は、明らかに怒気を含んでいた。
「だってそうじゃない。たとえ自分が不幸だったからといって、関係もない潮音の生活をメチャクチャにしていいわけないでしょ。逆にあんたこそ、なんでもっと怒らないのよ」
「…やめてよ。これは怒ったってどうしようもなるわけじゃないし…。それにそもそも、女の子を殴るなんて最低なやつのやることだぞ」
「あんたって優しすぎるよ…。それがあんたのいいとこかもしれないけど」
潮音になだめられて、ようやく暁子も気持ちを落ち着けたようだった。
「そろそろ帰らない? それに潮音はは小学校のころから、水泳のほかにもサッカーやバレエだってやってたじゃん。やりたいことなんか高校行ったらすぐ見つかるよ」
暁子にそう言われて、潮音はようやく放課後の教室を後にする気になった。
潮音と暁子が連れ立って家への帰り道を歩いている間も、潮音は言葉も少なくどこか思い詰めたような表情をしていた。通りは早春の強い風が吹いていて、まだ肌寒さを感じさせた。これまで何も意識することなく、黒い学生服を着て友人たちと冗談をとばしあいながら毎日通った通学路ともあと少しで別れなければならないということに、潮音はどうしても実感がわかなかった。
やがて二人は公園の前を通りかかった。公園の木立もすっかり葉を落して、枝の隙間からは早春の澄んだ光が漏れていた。
暁子は潮音の元気のない様子を見て、じれったそうに声をかけてやった。
「ちょっとこの公園に寄っていかない?」
潮音が暁子の屈託のない表情に戸惑う間もなく、暁子は潮音の手を引いて公園の中へと連れ込むと、さっそく遊具の上によじ登った。
「あんたも登っておいでよ」
暁子に言われて、潮音も遊具の上に登ってみた。潮音は暁子も自分を元気づけようと気を使っているのだということに気づいて、いささか気後れがした。
しばらく二人ではしゃいだ後、暁子は木陰のベンチに潮音と二人で腰を下ろして空を見上げた。
「なんかこうやってると、こうやってこの公園で遊んだこととか思い出しちゃうよね」
そう言う暁子は、本当に童心に帰ったような表情をしていた。
「そんなこと言うなら、それこそ昔みたいにこのままのかっこで鉄棒でさか上がりやってみろよ」
「バカ。あんたこそあたしができるようになってからもさか上がりできなくて、さんざん居残り練習させられてたくせに」
暁子は膨れっ面になった。潮音はその暁子の表情をまじまじと見つめていた。
「どうしたのよ。あたしの顔に何かついてる?」
潮音は気まずそうに言った。
「暁子ってさ、小学校のころまではおてんばで乱暴だったのに、何か変ったよね」
そう言われると、暁子は急に神妙な面持ちになった。
「…あたしはずっと女なんて損だと思ってたんだ。あたしの家は両親が共働きなのに、お母さんが仕事から帰って疲れていても、その上また家事とかやらなきゃいけないしさ。それにあたしが少し大きくなると、家のお手伝いとか栄介の世話とかするのはあたしの役目だったの。おまけに栄介とケンカしたときやいたずらしたときだって、『お姉ちゃんなんだから優しくしなさい』とか『もっとお行儀よくできないの』とか怒られるのはあたしの方ばっかりだったし」
さらに暁子は話を継いだ。
「…服だってちっちゃいころはお母さんの買ってきたかわいいスカートなんかはいたりもしてたけど、小学校の三年くらいからは普段はいつもズボンばかりだったし。校庭で遊んだりするのにはズボンの方がいいとか思っているうちに、自分でも似合わないとか思ってきちゃってさ。お母さんは『暁子ったらせっかくかわいい服買ってきても、見向きもしないから張り合いないわ』とかぶつくさ言ってたけど」
潮音はただじっと黙って、暁子の話を聞いていた。
「…でも小学校も六年生になると、ませてる子なんかはおしゃれに気を使ったりするようになるし、友達どうしでしゃべってたって流行とか男子とかの話が多くなるし…あたしはそんなことより栄介やあんたとバカやってる方が楽しかったのに」
「でも暁子ってピアノの発表会行くときや、たまに家族でレストランに行くときはちゃんとよそ行きのワンピース着てたじゃん」
「そうよね。…あたしもほんとはわかってたんだ。自分は単に意地張ってただけだって。それにあたし、最近になって気づき始めたんだ。そうやって『女らしさ』に反撥してつっぱってるのもなんか違うって。友達なんかは、『彼氏でもできたんじゃないの?』とか言ってからかってたけどね」
「暁子に彼氏なんかいるのかよ」
潮音がふき出しそうになるのを、暁子はいやそうな顔で眺めていた。潮音は気を取り直して言った。
「でもその意地っ張りで素直じゃないところも、暁子らしいといえば暁子らしいけどね」
「どういう意味よ」
暁子はむっとして言った。
「まあまあ…でも暁子はオレがこうなっても、心配していろいろ面倒見てくれたじゃん。それだけでも暁子は十分変ったと思うよ。でも…暁子はオレが知らない間にもいろいろ悩んだり考えたりしてたのに、オレはその間仲間とつるんでバカやってばかりいてさ。なんか恥ずかしいよ」
潮音はあわてて話をとりつくろった。
「よしてよ。あんただってここのところいろいろ大変だったと思うけど、その分あんたは十分強くなれたと思うから。だいたいあんたが困ってたら助けてあげるのは当然でしょ?…それにあたし、最近よく考えるんだ。もし栄介があんたみたいにいきなり女の子になっちゃったら、綾乃お姉ちゃんみたいにできるのかなって。あたし…これまでずっと綾乃お姉ちゃんに憧れてたんだ」
「まじかよ…あんな性格きつい冷血鬼女に」
「綾乃お姉ちゃんって優しいじゃん。もし綾乃お姉ちゃんがいなかったら、あんたは今でもずっと部屋に閉じこもったままで、絶対こうして学校に行ったり、あたしとも話したりできるようになってなかったと思うよ」
「優しい…どこがだよ」
「あたしは小さなころから、何をやっても綾乃お姉ちゃんにはかなわなかった。綾乃お姉ちゃんはいつも優しくて親切で、四歳年下のあたしに対しても遊び相手になってくれた。それだけでなく、あたしの誕生日には自分がフェルトで作ったマスコットをプレゼントしてくれたり、ケーキを焼いてくれたりもしたし」
「オレは誕生日に、姉ちゃんから大したプレゼントなんかもらった覚えないぞ」
「それにあたしが栄介とケンカしたときだって、お母さんは『綾乃お姉ちゃんはあんなに素直で気立てがよくて、潮音君に対しても優しいのに』なんて言ってくるし。…そのうちにあたしは、綾乃お姉ちゃんのおしゃれでかわいく装った髪型や服に対しても、自分はあんなの似合わないと引け目を感じるようになってたんだ。…別にそういうかっこするのがいやだったわけじゃないのに。綾乃お姉ちゃんは無理しないでもあんなに自然に女らしくできるのに、それでいて決して他人に媚びたり自分の意志を曲げたりしない。あたしもピアノ習ってたけど、練習サボってばかりいたから綾乃お姉ちゃんみたいにうまくならなかったし、それにおしゃれしようとしたって、とても綾乃お姉ちゃんみたいにびしっときれいに決まらないし。せめて綾乃お姉ちゃんみたいになれれば、もっとおしゃれしても似合うようになると思うけど」
「なんかすごく勘違いしてるような気がするけど…でも気にするなよ。姉ちゃんだって暁子が言うほど大したものじゃないから。…教えてあげようか。姉ちゃんはこないだ車の免許取ったけど、姉ちゃんの運転はヘタクソなんてものじゃないよ。こないだ姉ちゃんの運転する車に乗ったけど、あのときは死ぬかと思ったね」
暁子は綾乃の意外な弱点を聞かされて、どこか戸惑ったような顔をしていた。
「だから暁子もそんなに人のことばかり気にするなよ。暁子には暁子の良さがあるって」
「そうやってお世辞を言えるようになるとは大したものよね。でも潮音も『女だから』なんて気にしない方がいいよ。あたしみたいに十五年女をやってきたって、女とはとか自分らしさとはなんてさっぱりわかりゃしないんだから」
「暁子がそう言うと説得力あるよな。ちょっと安心したよ」
「そういうこと言うってことは、あんたも口で言うほどには懲りてないってことよね」
暁子はむすっとしながら言った。
そしていよいよ卒業式の二日前になって、放課後に潮音は思い切って帰り支度をしている浩三に声をかけてみた。しかし浩三は何かと口実をつけて潮音の誘いを断ると、そそくさと教室を後にしてしまった。浩三も潮音に対してどのように接してよいのか戸惑っている様子が、潮音にもひしひしと感じ取れた。
潮音がそのまま教室の中にぼんやりと佇んでいると、背後から暁子が声をかけてきた。
「どうしたの潮音、ぼっとしちゃって」
しかし潮音は、暁子の声にも気のない返事を返すのみだった。
「あんた、このところずっと元気ないじゃない。もっとしゃきっとしなよ」
「なんでみんなオレ…あ、いや、私…を避けようとするのかな…。こうやって普通に話せるの、暁子くらいだよ」
「あんたはいくら女の子になっちゃったとはいえ、肝腎なところは全然変ってないと思うからね。それに無理しないでも、あたしの前じゃ『オレ』でいいよ。あんたが無理して女言葉しゃべったって、かえってあんたらしくないし。でも潮音とは小学校も中学校も一緒だったのに、まさか高校まで一緒になるとは思わなかったよ」
「それはこっちのセリフだよ」
「あんた…やっぱり女子として高校行くのが不安なの?」
「そりゃ不安じゃないわけないだろ。でも…今さらウダウダ言ったってどうしようもないよ」
そう言って潮音は、ほとんどの生徒が下校を済ませてがらんとした教室の中を見渡した。潮音があらためて自分の席に腰を下ろすと、坐り慣れたはずの椅子がひどく冷たく感じられた。潮音はそのまま、澄んだ光の深くさしこむ人気のない教室の中で、中学生として過ごした日々をいろいろ思い出していた。…授業を聞いたこと、休み時間に浩三やほかのクラスメイトたちとふざけあったこと、テストの結果に一喜一憂したこと、体育祭や文化祭…ときには先生に叱られたことや、ケンカをしたことなど、いくつもの思い出が潮音の脳裏に浮んできた。
教室の窓からはプールが見渡せた。そのプールは今となってはまったくの季節外れで、汚れた水面がまだ寒さの残る風に吹かれてさざ波を立て、日の光をにぶく反射させていた。プールサイドも全く人気がなく、砂ぼこりの舞うコンクリートの地肌がわびしさを漂わせていた。
潮音はしばらくぼんやりとプールの水面を眺めていた。暁子も潮音の寂しげな表情を直視することができなかった。
「潮音…やっぱり水泳部のことが忘れられないんだね。…でも椎名君だって、口にこそ出さないけれども、ずっとあんたのことは気にしてるんだと思うよ」
そう言われて潮音は、あらためて暁子の顔を見返した。
「…椎名君はあんたが入院してからしばらくの間、だいぶ不安そうにしてたんだ。それに椎名君、あんたが学校来るようになってからも前より元気なさそうだし。テストの点はともかく、スポーツの腕と明るさでクラスを盛り上げてきた椎名君があれじゃあ、高校入ってもうまくやっていけるか心配だよ」
潮音はやはり浩三も自分のことを気にしているのかと思うと、気が重くなった。そこで暁子は、思わず声をあげていた。
「あんたまで気にすることないじゃん。それに…あたしは古い鏡の中にとりついていたとかいう、昔のお嬢様とかいうやつぶん殴ってやりたい」
そう言うときの暁子の声は、明らかに怒気を含んでいた。
「だってそうじゃない。たとえ自分が不幸だったからといって、関係もない潮音の生活をメチャクチャにしていいわけないでしょ。逆にあんたこそ、なんでもっと怒らないのよ」
「…やめてよ。これは怒ったってどうしようもなるわけじゃないし…。それにそもそも、女の子を殴るなんて最低なやつのやることだぞ」
「あんたって優しすぎるよ…。それがあんたのいいとこかもしれないけど」
潮音になだめられて、ようやく暁子も気持ちを落ち着けたようだった。
「そろそろ帰らない? それに潮音はは小学校のころから、水泳のほかにもサッカーやバレエだってやってたじゃん。やりたいことなんか高校行ったらすぐ見つかるよ」
暁子にそう言われて、潮音はようやく放課後の教室を後にする気になった。
潮音と暁子が連れ立って家への帰り道を歩いている間も、潮音は言葉も少なくどこか思い詰めたような表情をしていた。通りは早春の強い風が吹いていて、まだ肌寒さを感じさせた。これまで何も意識することなく、黒い学生服を着て友人たちと冗談をとばしあいながら毎日通った通学路ともあと少しで別れなければならないということに、潮音はどうしても実感がわかなかった。
やがて二人は公園の前を通りかかった。公園の木立もすっかり葉を落して、枝の隙間からは早春の澄んだ光が漏れていた。
暁子は潮音の元気のない様子を見て、じれったそうに声をかけてやった。
「ちょっとこの公園に寄っていかない?」
潮音が暁子の屈託のない表情に戸惑う間もなく、暁子は潮音の手を引いて公園の中へと連れ込むと、さっそく遊具の上によじ登った。
「あんたも登っておいでよ」
暁子に言われて、潮音も遊具の上に登ってみた。潮音は暁子も自分を元気づけようと気を使っているのだということに気づいて、いささか気後れがした。
しばらく二人ではしゃいだ後、暁子は木陰のベンチに潮音と二人で腰を下ろして空を見上げた。
「なんかこうやってると、こうやってこの公園で遊んだこととか思い出しちゃうよね」
そう言う暁子は、本当に童心に帰ったような表情をしていた。
「そんなこと言うなら、それこそ昔みたいにこのままのかっこで鉄棒でさか上がりやってみろよ」
「バカ。あんたこそあたしができるようになってからもさか上がりできなくて、さんざん居残り練習させられてたくせに」
暁子は膨れっ面になった。潮音はその暁子の表情をまじまじと見つめていた。
「どうしたのよ。あたしの顔に何かついてる?」
潮音は気まずそうに言った。
「暁子ってさ、小学校のころまではおてんばで乱暴だったのに、何か変ったよね」
そう言われると、暁子は急に神妙な面持ちになった。
「…あたしはずっと女なんて損だと思ってたんだ。あたしの家は両親が共働きなのに、お母さんが仕事から帰って疲れていても、その上また家事とかやらなきゃいけないしさ。それにあたしが少し大きくなると、家のお手伝いとか栄介の世話とかするのはあたしの役目だったの。おまけに栄介とケンカしたときやいたずらしたときだって、『お姉ちゃんなんだから優しくしなさい』とか『もっとお行儀よくできないの』とか怒られるのはあたしの方ばっかりだったし」
さらに暁子は話を継いだ。
「…服だってちっちゃいころはお母さんの買ってきたかわいいスカートなんかはいたりもしてたけど、小学校の三年くらいからは普段はいつもズボンばかりだったし。校庭で遊んだりするのにはズボンの方がいいとか思っているうちに、自分でも似合わないとか思ってきちゃってさ。お母さんは『暁子ったらせっかくかわいい服買ってきても、見向きもしないから張り合いないわ』とかぶつくさ言ってたけど」
潮音はただじっと黙って、暁子の話を聞いていた。
「…でも小学校も六年生になると、ませてる子なんかはおしゃれに気を使ったりするようになるし、友達どうしでしゃべってたって流行とか男子とかの話が多くなるし…あたしはそんなことより栄介やあんたとバカやってる方が楽しかったのに」
「でも暁子ってピアノの発表会行くときや、たまに家族でレストランに行くときはちゃんとよそ行きのワンピース着てたじゃん」
「そうよね。…あたしもほんとはわかってたんだ。自分は単に意地張ってただけだって。それにあたし、最近になって気づき始めたんだ。そうやって『女らしさ』に反撥してつっぱってるのもなんか違うって。友達なんかは、『彼氏でもできたんじゃないの?』とか言ってからかってたけどね」
「暁子に彼氏なんかいるのかよ」
潮音がふき出しそうになるのを、暁子はいやそうな顔で眺めていた。潮音は気を取り直して言った。
「でもその意地っ張りで素直じゃないところも、暁子らしいといえば暁子らしいけどね」
「どういう意味よ」
暁子はむっとして言った。
「まあまあ…でも暁子はオレがこうなっても、心配していろいろ面倒見てくれたじゃん。それだけでも暁子は十分変ったと思うよ。でも…暁子はオレが知らない間にもいろいろ悩んだり考えたりしてたのに、オレはその間仲間とつるんでバカやってばかりいてさ。なんか恥ずかしいよ」
潮音はあわてて話をとりつくろった。
「よしてよ。あんただってここのところいろいろ大変だったと思うけど、その分あんたは十分強くなれたと思うから。だいたいあんたが困ってたら助けてあげるのは当然でしょ?…それにあたし、最近よく考えるんだ。もし栄介があんたみたいにいきなり女の子になっちゃったら、綾乃お姉ちゃんみたいにできるのかなって。あたし…これまでずっと綾乃お姉ちゃんに憧れてたんだ」
「まじかよ…あんな性格きつい冷血鬼女に」
「綾乃お姉ちゃんって優しいじゃん。もし綾乃お姉ちゃんがいなかったら、あんたは今でもずっと部屋に閉じこもったままで、絶対こうして学校に行ったり、あたしとも話したりできるようになってなかったと思うよ」
「優しい…どこがだよ」
「あたしは小さなころから、何をやっても綾乃お姉ちゃんにはかなわなかった。綾乃お姉ちゃんはいつも優しくて親切で、四歳年下のあたしに対しても遊び相手になってくれた。それだけでなく、あたしの誕生日には自分がフェルトで作ったマスコットをプレゼントしてくれたり、ケーキを焼いてくれたりもしたし」
「オレは誕生日に、姉ちゃんから大したプレゼントなんかもらった覚えないぞ」
「それにあたしが栄介とケンカしたときだって、お母さんは『綾乃お姉ちゃんはあんなに素直で気立てがよくて、潮音君に対しても優しいのに』なんて言ってくるし。…そのうちにあたしは、綾乃お姉ちゃんのおしゃれでかわいく装った髪型や服に対しても、自分はあんなの似合わないと引け目を感じるようになってたんだ。…別にそういうかっこするのがいやだったわけじゃないのに。綾乃お姉ちゃんは無理しないでもあんなに自然に女らしくできるのに、それでいて決して他人に媚びたり自分の意志を曲げたりしない。あたしもピアノ習ってたけど、練習サボってばかりいたから綾乃お姉ちゃんみたいにうまくならなかったし、それにおしゃれしようとしたって、とても綾乃お姉ちゃんみたいにびしっときれいに決まらないし。せめて綾乃お姉ちゃんみたいになれれば、もっとおしゃれしても似合うようになると思うけど」
「なんかすごく勘違いしてるような気がするけど…でも気にするなよ。姉ちゃんだって暁子が言うほど大したものじゃないから。…教えてあげようか。姉ちゃんはこないだ車の免許取ったけど、姉ちゃんの運転はヘタクソなんてものじゃないよ。こないだ姉ちゃんの運転する車に乗ったけど、あのときは死ぬかと思ったね」
暁子は綾乃の意外な弱点を聞かされて、どこか戸惑ったような顔をしていた。
「だから暁子もそんなに人のことばかり気にするなよ。暁子には暁子の良さがあるって」
「そうやってお世辞を言えるようになるとは大したものよね。でも潮音も『女だから』なんて気にしない方がいいよ。あたしみたいに十五年女をやってきたって、女とはとか自分らしさとはなんてさっぱりわかりゃしないんだから」
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