裸足の人魚

やわら碧水

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第四部

第一章・潮音の誕生日(その4)

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 潮音の誕生日も近づいたある日の放課後、暁子は手芸部の部室でフェルトに針を走らせていた。手芸部の部員たちの中には、仲間同士で談笑しながら針仕事を行っている者もいたが、暁子はそれに構うこともなく、心なしか急ぎ気味に何かを作っているように見えた。

 その暁子の様子に目を止めたのは、手芸部に所属している中等部の松崎香澄まつざきかすみだった。

「石川さん、どうしたんですか? なんかいつもより熱心に何かを作っていますが。もうすぐクリスマスなので、その準備ですか」

 香澄が怪訝そうな表情で暁子に話しかけると、暁子は手を止めて香澄の方を向き直した。

「もうすぐ潮音の誕生日だからね。そのためにあたしも何か作んなきゃと思ったわけ」

「『潮音』って、藤坂さんのことですね」

 暁子の話を聞いて、香澄も納得したようにうなづいた後で顔に笑みを浮べた。香澄も潮音が体育祭のときに学ランを着て応援団のパフォーマンスをやったり、文化祭では劇でジュリエットの役を演じたりするのを見ていたので、潮音のことは知っているようだった。

「石川さんって藤坂さんと中学もいっしょだったんですよね」

「それどころか、家もすぐ隣で小学校入る前からずっと一緒だったよ」

「へえ…いいですね」

 香澄が羨ましそうな表情をしたので、暁子までもが気恥ずかしそうな顔をした。

「潮音って中等部でもそんなに有名なの?」

「もちろん。藤坂さんが体育祭で学ラン着て応援団をやったときはすごくかっこよかったし、中等部でも噂になりましたよ。そうかと思うと、文化祭の劇ではジュリエットの役をちゃんとやっていたし、高等部でケンカが起きたときにはそれをなだめるように頑張ったそうじゃないですか。それに藤坂さんは、来年の生徒会長候補とも言われている峰山さんにも、はっきりものが言えるなんてすごいですよ」

 香澄がご機嫌そうに話すのを聞きながら、暁子は今の香澄の話を潮音が聞いたらいったいどんな顔をするだろうかと考えていた。

「香澄も潮音のことちょっと美化しすぎだよ。あいつは中学の頃は、そんなに目立つような子じゃなかったから」

 暁子はこう話しながらも、香澄は潮音が中学生のときは男の子だったとは夢にも思わないだろうと内心で思っていた。

「で、石川さんは藤坂さんの誕生日のために何を作ってるのですか」

 香澄は暁子が作っているものをのぞきこもうとしたので、あわてて手で隠した。

「いや、そろそろ寒くなるから、セーターとまでは言わなくてもマフラーくらいでいいから、何か編み物でもしようかと思ったんだけど、編み物って時間も手間もかかるし、そしたら潮音の誕生日に間に合わないからさ…。ともかく潮音の誕生日まで日がないから、間に合うように急いで作ってるんだ」

「誕生日に間に合わそうとするのはいいけれども、そのために焦ったりしたら失敗しますよ。むしろ誕生日に間に合わなくてもいいから、落ち着いて丁寧に作った方が藤坂さんも喜ぶんじゃないでしょうか。でも最初は編み物にしようかと思っていたなんて、藤坂さんってなんか石川さんの彼氏みたいですね」

 この香澄の言葉を聞いて暁子はどきりとしたが、香澄の屈託のない無邪気な表情がかえって暁子を赤面させた。その暁子の驚きぶりには、周りの手芸部の部員たちも驚いて一瞬手を止めたほどだった。

「バ、バカ…。何言ってるのよ。あたしと潮音の関係ってそんなんじゃないってば」

 暁子が取り乱したそぶりを見せるのを、香澄は戸惑い気味に眺めていた。

「それでも別にいいじゃないですか。藤坂さんって誰に対してもはっきりものが言えるし、むしろかわいいというよりかっこいいという感じですよね。石川さんが憧れるのもわかりますよ」

 暁子はこう話しているときの香澄に悪気がないことがわかるだけに、香澄の言葉の一つ一つがますます心に突き刺さるように感じていた。

 しばらくして下校時間が近づくと、暁子も他の手芸部員たちと一緒に片付けにとりかかった。暁子は帰り支度を済ませて手芸部の部室を後にしたところで、香澄に声をかけた。

「お姉ちゃんの千晶ちあき先輩は来年三年生だよね。剣道部もそろそろ引退するの?」

「お姉ちゃんは来年の六月に県の高校剣道の大会があるから、それまでは部の活動を続けるけれども、その後は部を引退して受験に専念すると言っています」

「大学はどこに行くの? 千晶先輩は成績もいいし生徒会長や剣道部もやったから、推薦もらえるんじゃないかな」

「お姉ちゃんは広く世界で活躍できるような仕事がしたいから、国際関係について勉強できるような大学に行きたいと言っています」

「やっぱり先輩はすごいわ…何がやりたいか目標をしっかり考えているんだもの。それに比べりゃあたしなんて、高校入るることばっかりに必死で、その先なんて全然考えてなかったから…。だいたい世界で活躍したいとか言うけど、あたしなんか英語だってさっぱりできないし」

「あまり考えすぎない方がいいですよ。石川さんは手芸部だって頑張ってるじゃないですか。石川さんの向いてることだってきっとあるはずですよ」

「そうかなあ…」

 ここで暁子は、心の中で潮音のことを思い出していた。

──あいつはあんなことになりながらも、そのような環境になじもうと必死で頑張ってきた。…それに比べたらあたしなんか何やってるんだろ。

 そうやって一緒に歩きながら話しているうちに、暁子と香澄は駅前まで来ていた。二人はそこで別れて、それぞれ別の方向の電車に乗り込んだ。


 そのような暁子の心の葛藤も知らないままに、潮音は学校が終ると、布引女学院への道を急いでいた。潮音はやはり、漣のことが気になっていた。自分よりもはるか前、すでに小学生のときに男性から女性への変化を体験している漣は、どのような悩みを抱えながら今まで過ごしてきたのか、そのことを打ち明けられるような人はいなかったのか…このように考えると、潮音は漣のことを放っておくことはできなかった。

 そこで潮音は流風に、漣ともう一度会いたいと打ち明けた。流風もその話に乗り気になると、漣と学校で会ったときに相談してみると答えた。

 潮音が待ち合わせの時間に間に合うように布引女学院の校門の前まで来ると、漣と流風がすでに待っていた。漣は相変らず押し黙った表情をしていたので、潮音は漣につとめて元気そうに声をかけた。

「お待たせ。せっかくだから、今日は一緒にどこか行かない?」

 潮音が積極的に声をかけてきたのには、漣もびくりとしたようだった。漣の表情から戸惑いの色が抜けていないのを見て、潮音はいぶかしむように言った。

「もしかして漣って、放課後に友達と一緒に遊びに行ったりしないの?」

 潮音が明るく振舞うのに対しても、漣ははにかみ気味に無言を貫いたままだった。その漣の様子を見て、漣のこじれた気持ちを解きほくすのは容易ではないと潮音も感じていたが、潮音のそのような態度を見て流風も思わず声をあげていた。

「潮音ちゃん、あまり漣ちゃんに自分のペースを押しつけたらダメよ。漣ちゃんには漣ちゃんの性格があるんだから」

「でも…漣がそのまま周りの人をずっと避けて、自分の中に閉じこもっていたっていいことなんか何もないよ」

 そして潮音は、漣を連れて神戸の街中まで来ると、ゲームセンターの前で足を止めた。

「ちょっとここに寄っていかない?」

「え、学校の帰りにこういうところに寄っちゃいけないと学校の先生に言われてきたんだけど…」

「これくらいみんな行ってるって」

 すっかりオタオタしている漣を前にしても、潮音は明るい態度を崩そうとしなかった。そばにいた流風も、やれやれとでも言いたげな表情で潮音と漣を眺めていた。

 そして潮音は漣を誘ってゲームセンターに入ると、しばらくゲームで遊んだ。漣ははじめ、ゲームに興じている潮音を戸惑い気味に眺めているだけだったが、潮音に誘われて少しゲームをやってみても、ゲームの腕は全然潮音に及ばなかった。流風はただ呆れ気味にそれを眺めていた。

 やがて秋の日が暮れかけた頃になって、潮音たちはゲームセンターを後にした。

「どうだった、こうやって遊んだ感想は?」

「いや、今までこんなところに行ったことなかったから…」

 ゲームで遊んで楽しそうにしている潮音に対して、漣はいささか疲れ気味なようだった。潮音はそのような漣の様子が、気がかりでならなかった。

「ゲームが下手だからって、全然気にすることなんかないよ。漣ってさ…もっと楽しいことや面白いこと考えたらいいのに。そんな辛気臭い顔ばかりしてないでさ。学校のボランティア活動だって、それをやることで少しは気がまぎれるから参加してるんだろ? それをもっと一生懸命やってみればいいじゃん」

 潮音にそう言われたときの漣は、少し気恥ずかしそうな顔をしていた。そこで潮音は、畳みかけるように漣に声をかけてみた。

「あのさ…もうすぐ私の誕生日だから、来週の日曜日に私の誕生日パーティーを家でやるんだ。漣も良かったら来たらどうかな。もちろんいやなら来なくてもいいし、別にプレゼントとか持ってこなくてもいいからさ」

 それに対して漣は軽くうなづいた。漣も誕生パーティーに来てくれそうなのを見て、潮音は内心で安堵していた。

 駅で漣と別れて、流風と一緒に電車に乗ってからも、潮音は漣のことが気がかりだった。

「漣…ちゃんとパーティーに来てくれるかな」

 不安げな表情をする潮音を、流風がなだめるように言った。

「そんなに心配しなくてもいいんじゃないかな。漣ちゃんはあの通り引っ込み思案だけど、今日もいやそうな顔はしてなかったよ。でも漣ちゃんに対しては、強引に外に連れ出したりせずに、優しく接しなきゃダメだよ」

「それはわかってる。オレだって去年の今ごろは、あの子と一緒だったから。あのときは誰とも会いたくなかったし、自分は何をすればいいのかもわからなかった。だからこそ漣の気持ちだってわかるんだ」

「潮音ちゃんが漣ちゃんのことを心配するのはもっともだけど、漣ちゃんは潮音ちゃんと違うからね。まずは漣ちゃんの話をよく聞いて、その気持ちをわかってあげることが大切じゃないかな」

 そうしているうちに、電車は潮音の家の最寄駅に着いていた。晩秋の日もとっぷりと暮れて、明石海峡大橋のイルミネーションが暗い空に灯り始めていた。
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